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ソルトレークシティオリンピックでの例の問題が起こったとき、アメリカのマスコミはロシアペアの着氷の乱れを繰り返し放映し、「こういうミスしたのに、こちらが勝った。これぞ不正の証拠」と騒ぎ立てた。その結果導入された新採点システムのもとでは、着氷のミスどころかコケた選手がコケずに演技をきれいにまとめた選手より高得点が出てしまう。プロトコルを見なければどうしてそうなったのか、ほとんど誰にもわからない。プロトコルはそれなりに筋はとおっているし、「演技・構成点」はジャッジの主観だから、バラツキがあっても主観の相違だ、といわれてしまえばそれまでだ。こんなにわかりにくくする意味はあったのだろうか? この複雑な採点システムによって不正は防げるかといえば、答えは「そうとも言い切れない」ということになると思う。11人とか9人とかジャッジの数はやたら多いが、そのうちの何人かが示し合わせて「技術点」のGOE(加点・減点)を少しずつオーバーにつけていったり、「演技・構成点」で「不当に高得点をつけたり」逆に「不当に低得点をつけたり」といった点数の操作がある程度できるからだ。ジャッジによる点数のバラツキが大きくたって「この部分はジャッジの主観だから」と言われればそれまでだし、だいたいプロトコルに出されるジャッジの点数は「ランダムな順番」になっているから、誰がどのくらい高くつけたか、低くつけたか「犯人」の特定すらできない。まあ、逆に全日本選手権の場合、ジャッジがお互いに示し合わせて、このぐらい、と調整している可能性だってあるわけだが。何しろMizumizuが見ていて一番「この順位は示し合わせてるでしょう」と思ったのはトリノ直前の全日本だったからだ。あれには落胆させられると当時に、スポンサーなしには成立しなくなったフィギュアの商業化の現実を見るような気がした。だが、スポンサーが付いてくれるようになったことは、選手にとっては基本的によいことだ。あれほど素晴らしい技を身につけた世界トップレベルのアスリートが食えないようでは、あまりに残酷だ。今は若い選手も半ばプロのしょうにショーに出ることができる。これは長い間、フィギュア選手の悲願だったはずだ。さて、新採点システムの危険性についてはスタート当初から、ヤグディンなどの一流選手が懸念を表明していた。旧採点システムでは、誰が変に高い点をつけ、誰が不当に低い点をつけているか明らかだった。たとえば、伊藤みどりに対して徹底的に低い点をつけ続けたのがイギリスのジャッジだというように(苦笑)。ところが、新採点システムでは、12人いたら9人、10人いたら7人というようにランダムに点が抽出され、そこから上と下を切って平均点を出すから、誰がどんな点をつけたのかわからない。だから、全員ではなくても数人が示し合わせるか、あるいは暗黙の了解があれば、点数の操作はある程度可能なのだ。このままで、果たしてファンはずっとついてきてくれるのだろうか? 国際スケート連盟はそのあたりのことも考えるべきだろう。太田選手の単独3回転2度に対する減点も、2度目のジャンプが点にならないだけ、というのならわかりやすい。ところが、2度目の3回転ジャンプを転倒したことで、立ち上がったあとやってもいないジャンプの回数が余計にカウントされ、最後の3連続がキックアウトされたというのだから、まったく理解に苦しむ。つまり、ここに連続ジャンプは最大3回までというルールも絡んでくるのだが、「実際に」太田選手が行ったのは3回の連続ジャンプ。だが、転倒3Tは本当は連続ジャンプにならなければならなかったので、そこで幻のシーケンスジャンプ(連続ジャンプ)とみなされ、実際には3回しか連続ジャンプを跳んでいないのに、4回跳んだと見なされて、最後の3連続がキックアウトというわけだ。まったくワケがわからない。コケてしまったジャンプだけを0点とみなし、ただ、トライしたジャンプの種類のカウントには入れておくということでいいはずだ。1種類のジャンプを跳ぶ回数を制限するのは正しいと思う。そうしなければ、基礎点の高いジャンプだけ何度も跳んで点数稼ぎをする選手が出てくるからだ、だから、ある3回転ジャンプを2度単独で跳んでしまったら、2度目のジャンプは点数にならず、しかも3度目の同じジャンプのトライは、たとえそれを連続ジャンプにしたとしてもチャレンジできない、とすればよい。コケたとしても、それが2回転を跳ぼうとしてコケたのか3回転を跳ぼうとしてコケたのかはわかる(つまり2回転以上まわってコケているかどうかで判断することにすればよい)から、3回転を跳ぼうとしてコケた場合は、もう1度それをトライしてもそれはキックアウトする。それでいいのではないかと思う。つまり1種類のジャンプを2度だけトライできる、そしてそのうちの1回は連続にしなければいけない。浅田選手のように3Aが1Aになったら、それは1Aとしてカウントしているのだから、3Aのチャレンジはなかったことになり、もし望むならもう1度トライしてもいい。連続ジャンプの3回という制限は、「実際に跳んだ連続ジャンプの数」で数える。転倒してしまったジャンプは0点で、しかも1種類のジャンプの回数制限には入れるようにする。こういうルールでまったく問題ないはずだ。こうすればリカバリーのための無駄なジャンプのトライも十分制限できるはずだ。それなのに、2度同じジャンプを単独で跳んだからといって、そこに連続ジャンプの回数制限が絡み、太田選手のように関係ない3連続がキックアウトされるからややこしくなり、選手がしばしばこのルールでひどく減点されるのだ。バカバカしいにもほどがある。それにしても女子フィギュアのフリーを6時半から9時すぎまで延々とやるとは… かつては、伊藤みどりがいたころでさえ、TBS系で4時半ぐらいから1時間弱放映するだけだったというのに。エキジビションのショーアップも凄い。オケも最初はその音にズッコケたが、今年は相当なものになってきた。ただ、選手は生の音に合わせて滑るのに苦労しているようすがありありとわかったが(というか、ぶっちゃけ、どんどん音楽とズレていって、最後はだいぶタイミングが違ったが・苦笑)。この人気はいつまで続くのだろう。浅田選手より下は、世界レベルで図抜けた才能がないのが気になる部分ではある。
2007.12.31
今日は、総合順位は7位だったものの、個人的に大・大・大好きな太田由希奈選手について書きたいと思う。太田選手はもともと安藤選手の1年先輩で、安藤選手以上に将来を嘱望されていた逸材だった。なんといっても、伝統的に日本女子には欠けているとされている「表現力」が抜群だった。太田選手が4大陸選手権で優勝したとき、アメリカのテレビ解説者が「ジャンプに入るときのスピード、正確なポジション、美しいスケーティング、エレガントな腕の動き… 彼女は世界チャンピオンになるためのものをすべてもっている」と、感嘆をこめてコメントしていたのが今でも耳に残っている。そう、太田選手は世界チャンピオンになれるハズの選手だったのだ。怪我さえなければ… トリノで期待されていたのは金メダルをとった荒川選手ではなく、安藤選手と太田選手だった。太田選手を襲った完治しない怪我は、彼女から3回転ジャンプをほぼすべて奪ってしまった。今なんとか跳べる3回転はトゥループとサルコーだけ。それさえも試合で全部は決めていない。トリプルループも、トリプルフリップも、トリプルルッツもない。それでも今回全日本で総合7位まできた。2シーズンぶりに復帰した去年は10位に入れなかったから、たいした進歩だ。だが、太田選手のフリーのプロトコルには1つ非常にわかりにくい判定によるキックアウト(点にならないこと)がある。それは「入れた連続ジャンプの回数」の判定。女子のフリーはジャンプを全部で「7箇所」で入れることができ、連続ジャンプは「3箇所」で入れることができる。今回の全日本の太田選手は3Tで転倒したが、プロトコルを見ると、そこがSEQ(シーケンス)となっている。つまり、3Tで起き上がった後に何かジャンプを入れてしまったという判定だ。そのことによって連続ジャンプを入れる箇所が1つ余計にカウントされ、最後に入れた2Lz+2T+2Loは4つ目の連続ジャンプということになり、キックアウトで0点になってしまった。2Lz+2T+2Loはきれいに決まっていただけに非常に残念。これさえなければ、もう少し得点が出た。だが、実は太田選手は転倒ジャンプのあとには何も入れていない。シーケンスでジャンプを実際に跳んだわけでもない。にもかかわらずシーケンスにされてしまった。これには複雑なルールが絡んでいる。実は3回転ジャンプは1つのプログラムに2回まで入れていい(ただしそれも2種類まで)のだが、そのうちの少なくとも1つは連続ジャンプもしくはシーケンスにしなければならない。ところが、太田選手は最初にすでに単独の3Tをプログラム前半で跳んでいた。そして、ここに「連続ジャンプは3箇所まで入れていい」というルールも絡んでくる。転倒した3Tは単独のままで、連続ジャンプにできなかった。すると2回の単独3Tを入れてしまったというルール違反になる。そこでここには「連続ジャンプ箇所」とみなされるのだ。したがってプロトコルに「シーケンス」と書かれ、ここは跳んでもいない連続ジャンプの箇所とみなされる。太田選手は最初に3S+2T、転倒3Tのあとにもう1度3S+2Tを入れていた(2度目の3S+2Tを単独の3Sにしておけばよかったのだ)。だからこれで連続ジャンプ3箇所となり、これ以上の連続ジャンプは入れられない。したがって、最後の2Lz+2T+2Loはキックアウトで0点となってしまったということらしい。しかし、わかりにくいなあ、まったく! 太田選手のように3回転ジャンプのバリエーションの少ない選手は、どうしても跳べる3回転ジャンプを限度2回まで入れたくなる。そうするとどちらかは連続ジャンプにしなければならない。ところが転倒してしまって連続ジャンプが入らないと、単独ジャンプを2回跳んだという減点に加えて、跳んでもいない幻のシーケンスジャンプということで連続ジャンプの箇所も1つ余計にカウントされてしまうのだ。現ルールのミスに対する減点の過酷さがわかる。織田選手は何度かこの同じジャンプの回数制限と連続ジャンプの回数制限に引っかかってキックアウトで痛い目にあっているし、荒川選手も「試合の途中で何をどうリカバリーしたらよいのか忘れてしまってあせってしまった」と言っていた。ファイナルでの高橋選手も「どっかで連続ジャンプにしなきゃとあせった」と言っていた。このルールの複雑さでは、1度ジャンプを失敗すると非常に神経を使うだろう。しかもこの太田選手の転倒3Tは、ジャンプを行ったことによって点がマイナスになるという、例のおかしな現象を引き起こしている。基礎点1.14点からGEOの減点で、この3T+SEQの点数が0.14点。これがジャンプのスコアだが、別枠で最後に「転倒によるマイナス1点」がくる。0.14からマイナス1を引いたらどうなるだろう? 小学生の算数だ。跳んだけど転倒したので、0点になった、というならわかる。だが、跳んで転倒したため、点数がマイナスになる、というのは一体どういう理屈でそうなるのか。さっぱり理解できない。基礎点をダウングレードし、GEOで引き、さらに転倒のマイナス1点を別々に順番に引いていくからこんな変なことになるのだ。それならばいっそ、「転倒ジャンプは0点」それでいいと思う。だが、それにしても3回転はトゥループとサルコーしかない選手が、このハイレベルの全日本女子で7位まで来るのは大変なことだ。しかもフリーでは後半3Tの1回の転倒で「単独3回転ジャンプの規定数オーバー」「ジャンプの挿入箇所数のオーバー」「ジャンプそのものに対するGEOによる減点と転倒の1点減点」と2重3重に減点されているのに、だ。それだけ彼女のジャンプ以外の要素が評価されているという証でもある。特筆すべきはスパイラルシーケンスの高得点。スパイラルは浅田選手も安藤選手も得意で、安定してレベル4を出す。特に浅田選手は柔軟性といい、すらりとした細く長い脚の美しさといい、おろらく現在世界でも最も美しいスパイラルをもった選手だ。その浅田選手より太田選手のスパイラルのほうが得点が高かった。3人ともレベル4だが、加点で差がついたのだ。フリーでは浅田4.8、安藤4.6、太田5.4。太田選手は脚を上げて、トップバランスにもっていくまでのスピードがはやく、グラリともせずにエッジにのって滑っていく。浅田選手は脚自体は太田選手より上がるのだが、その柔軟性が逆に災いして、トップバランスで安定させるまでの時間がちょっとかかったり、途中で軸足のエッジが揺れたりする。太田選手は基本的に旧採点システムで育ってきた選手だから、スピンなどのレベル取りで若干損をしているかもしれない。あの超美しいレイバックスピン(レベル3)も加点がついてもショートで3.3、フリーで3.4程度。これはダブルアクセルの基礎点より低い。これでも浅田選手(3.2)や安藤選手(2.1)より高いのだが、差がついてもそんな程度なのだ。それでもやはり、太田選手は美しい。レイバックスピンに関しては点差以上の違いがあるように思う。ただ、太田選手のそのほかのフリーのスピンは全部レベル4だった。滑走中の顔の表情を見てるだけで、太田選手には「萌え」てしまう(スケートなのに・笑)。顎から首、肩から腕にかけてのラインと動かし方にも、なんともいえない上品さが漂う。「ゆきなちゃん、なんであなたはそこまで美しいの」と言いたくなる。最初から最後まで音楽にのせて優雅に滑る姿には視線が完全に釘付け。指先の表現も、腕の振りも、上体の使い方も、情感表現すべてが別次元の美しさ。「フィギュアってスポーツじゃなくて芸術だな」と心底思わせてくれる稀有な選手だ。ショートのマダム・バタフライでもフリーのアランフェスでも、圧巻の叙情性を発揮していた。ただ、競技者としては多少オーバーウエイト気味なのは否めない。もう少しウエイトを落とせばジャンプにもキレが戻るかもしれない。試合で点を競うなら、全体的にスピードも足りない。プログラムの後半になってくると3回転がまったく入らないのは、助走のスピードが足りないからだ。実は中野選手は太田選手が怪我をしたことから代役で国際舞台にデビューし、ここまで来た選手だ。中野選手に太田選手のような滑りのエレガンスがあれば、国際試合の「演技・構成点」であそこまで低く評価されることもないだろうにと思うことがある。今回中野選手のトリプルアクセルはダウングレード判定されて、基礎点がトリプルアクセルの7.5点ではなくダブルアクセルの3.5点になり、そこからGOE減点されて、結果たったの1.9点にしかならなかった。1.9点である! 浅田選手のスッポ抜けのシングルアクセルでさえ0.8点になっているというのに! 見てる一般のファンはほとんど「中野選手はステップアウトしたけど、一応トリプルアクセルを降りた」と思った人もいるかもしれない。ところが、実際には着氷に失敗したダブルアクセルと同等の扱いになっているのだ。やはり、これは変だと思う。何度も繰り返すが、回転不足でのダウングレードはやめ、GOEでの減点だけに留めるべきだ。GOEでの減点を最大の3と決めてもいいだろう。回転不足かどうかは素人には非常にわかりにくいから、そうしたほうが見ている一般のファンの印象とも齟齬が少なくなるはずだ。フリーでの浅田選手のセカンドジャンプのトリプルトゥループも回転不足気味だったが、あちらはダウングレードは免れている。どうもこうした不公平感もぬぐえない気がする。だが、今回の中野選手のフリーはトリプルアクセルで点を稼げなかったにもかかわらず、今季最高となる120点を越えた。全体的に点が甘いともいえるが、本来中野選手はこのぐらい点がもらえてしかるべき選手なのだ。今回は「演技・構成点」でほぼすべてのジャッジが7点代を並べた。点数もわりあいバラツキがない。ところが国際試合では、中野選手に対して8点代を出すジャッジもいれば6点代とひどく低い点をつけるジャッジもいる。非常にバラツキがあるのだ。このデタラメな点のつけかたも国際試合のジャッジングの不可解な点だ。<明日に続く>
2007.12.30
全日本フィギュアスケートが終わった。なんといっても安藤選手がほぼ完璧な演技を見せたことが光った大会だった。今シーズンの安藤選手は調子が悪く、怪我も完治していないような状態だったようで、NHK杯のフリーで大崩れ。非常に心配していただけに、今回の素晴らしい演技は嬉しかった。正直、優勝は安藤選手でもよかったかもしれない。今回の安藤選手の最大の収穫は、フリップ(内側エッジ踏み切り)でのwrong edgeを克服したことではないかと思う。安藤選手は一般には難しいとされるルッツのほうが得意で、フリップを跳ぶときに若干エッジの外側にのって跳ぶクセがあった。今年からwrong edge減点が厳しくなったことを受けて、モロゾフは徹底的にフリップの矯正を指示した。ところが、これがなかなかうまくいかなかった。エッジの矯正は素人が考える以上に難しいらしい。実際、アメリカ女子選手はほぼ全員が今シーズンwrong edge判定での減点をくらっている。矯正ができなかったということだ。無理に矯正しようとすると、跳べているハズのもう1つのジャンプも調子を崩す。それをはっきりと示してしまったのが、安藤選手のNHK杯で、ルッツとフリップでミスを連発してしまった。浅田選手はルッツ(外側エッジ踏み切り)でのwrong edgeを指摘される。ルッツを跳ぶとき、構えの軌道ではしっかり外側にのっているのに、跳ぶ瞬間エッジが内側に入ってしまう。これは今に至るまで矯正されておらず、したがって浅田選手がルッツを跳ぶと、どんなに高く美しく決めても、必ず減点されてしまう。浅田選手の場合は他のジャンプへの影響を懸念してか、ルッツの矯正を徹底させてこなかった。wrong edge判定の減点自体もえらく曖昧で、ときには1点だけの減点だが、3点減点される場合もある。明らかに内側で跳んだか、微妙だったかにもよるのだろうが、そもそも踏み切る瞬間のエッジははっきり見えない場合も多いから、減点の根拠も曖昧だと思う。3ルッツの基礎点は6点だから、3点も引かれたらルッツを跳ぶ意味がなくなってしまう。浅田選手の場合も試合によって、3ルッツのスコアは、5点(基礎点から1点引かれただけ)だったり、4.4点まで落とされたり、バラバラになっている。だが、減点の幅は試合によるとはいえ、浅田選手は3ルッツを跳ぶたびに必ず減点されることは間違いない。それに対して今回の安藤選手はショート、フリーも含めてwrong edgeでの減点はされなかった。ほとんどの他のトップ選手が矯正できないか、しないか、しようとして調子を崩すかだった今シーズンの状況を考えると、これは素晴らしいことだと思う。安藤選手の努力とモロゾフの指導力に拍手を送りたい。フリップはキム選手と同じくフラットな踏み切りで、完全に内側にのってもいないようにも見えるのだが、これは減点の対象になっていない(なぜなのかはよくわからないが、間違ったエッジにのらなければいいということなのだろう)から、とりあえず安藤選手はwrong edgeでの減点を克服したといっていいだろう。さて、プロトコルを見ると、安藤選手の今後の課題がわかる。まずショート最後のコンビネーションスピンのミス。あれはいたかった。レベル1の判定で基礎点が2点、そこからGOE(加減点)で減点されて結局1.94という得点にしかなっていない。せっかくフォアアウトのエッジで回るという難しい技術を入れているのに、ミスっては元も子もない。ちなみに浅田選手のコンビネーションスピンはレベル3(3点)にGOEで加点をもらって3.8点になっている。フリーでも安藤選手のコンビネーションスピンはレベル1だった。ただGOEで加点がついて2.7点にはなっていた。もう1つ安藤選手の失敗はジャンプの構成。後半に3T+2Lo+2Loの3連続をいれ、その次に2A+2Loの2連続をもってきた。今シーズンはたしか2A+3Tを入れるよう練習していたはずだ。ところがどうもセカンドジャンプのトリプルトゥループがうまく入らないようで、セカンドジャンプは得意のダブルループできた、ということだろう。それはそれでうまくいけばよかったのだが、3連続のジャンプで、GOEで減点されている。ダウングレード(回転不足で1つ下のジャンプへの基礎点が引き下げれらること)はないが、GOEで減点されるくらいなら無理にジャンプを3つつなげるより、3T+2Loと2A+3Tにしたほうが得点が稼げる。3T+2Loは安藤選手の場合、ほとんど問題はないから、あとは2A+3Tができるかどうかだ。今回のプログラムでは3回転+3回転が1度しかなかった。世界選手権でキム・ヨナ選手に対抗するためには、やはりセカンドジャンプにもう1度3回転をもってきてほしい(つまり2A+3Tを決めてほしい)。浅田選手はやはり、というべきか、フリーでトリプルアクセルがまたも抜けてシングルアクセルになってしまった。浅田選手は今シーズン1度しかトリプルアクセルを決めていない。これでは、「浅田選手はもうトリプルアクセルを跳べない」と言われても仕方がない。シーズン最初にMizumizuはこれをもっとも懸念していた(10月7日の記事参照)。もうハッキリ言おう。こうなったのは、先シーズンに「ステップからのトリプルアクセル」などという無謀かつ無駄な挑戦をしたためだ。結局のところ、ステップからのトリプルアクセルはリスキーにすぎた。ステップを入れるということは、助走のスピードがほとんどなくなるということだ。だから踏み切る脚の膝に非常に負担がかかる。負担がかかれば怪我の危険性も高くなる(実際、浅田選手はシーズンはじめにアクセルを踏み切る側の脚の膝を故障している。偶然とは思えない)。また、ジャンプというのは助走のスピードが大切なので、それがない状態で跳べば、着氷は乱れがちになる。今年から着氷の乱れの減点も厳密になったから、せっかくむずかしい入り方で跳んでも、着氷が決まらなければ減点になり、結果、「きれいに決めたルッツ」より低い点しかもらえなくなることは間違いない。アホらしいにもホドがある。日本では、このアホらしい挑戦を誰も批判しなかった(松岡某などはただ単に持ち上げて、煽り立てていた)が、アメリカの元世界チャンピオンで現解説者のディック・バトンは、はっきり「無謀な挑戦。あんなことはプルシェンコですらやらない」と呆れたように吐き捨てていた。ただでさえ15歳から16歳になり、体型が変わって跳べていたジャンプも跳べなくなる年頃なのに、たいして得点稼ぎにもならず、かえってリスキーになるだけ技を提案したコーチのアルトゥニアンは愚かすぎる。今シーズン浅田選手はステップからのトリプルアクセルはやめたが、結局トリプルアクセルの調子は悪いままで、試合ではほとんど成功していない。去年より悪いくらいだ。ルッツのwrong edgeも徹底的に矯正しなかったし、セカンドにもってくるトリプルループの着氷が若干ツーフット気味になる(あるいは回転不足気味になる)というクセも直っていない。今回のショートでも本人が「ちょっとツーフットしちゃった」と言っていた。プロトコルを見ると、GOEでの減点はなく、かえって加点されていた。つまりジャッジにはツーフットが見えず、ジャンプのスピードと高さを評価した加点ということだろう。確かにスローにしないと見えないぐらいで「ちょっとこすっただけ」だったが、国際試合のジャッジが見逃してくれるかどうかはわからない。実際、グランプリファイナルではフリーの見事な3F+3Loに対して減点してるジャッジが1人いた。スローで見てみると、最初のジャンプからセカンドジャンプに行くときに若干浮き足で氷をこすっていたかもしれない。それを目ざとく見たジャッジはすぐに減点した、というワケだ。また3F+3Tの3Tの質の悪さも気にかかる。グランプリファイナルのときも回転不足のような降り方だったが、今回も同じか、もっと悪かった。やはり浅田選手はトリプルトゥループがあまり得意でないのはハッキリした。今回も回転不足判定はなかったから、ダウングレードは免れ、GOEで若干(結果として-0.2の減点)引かれただけですんだ。だが、国際試合ではもっとジャンジャン減点してくるジャッジもいるだろう。今年の減点はやたらにオーバーだ。その結果グランプリシリーズで、ジャンプの回転不足がほとんど(というかまったく)なかったキム選手ばかりに高い点が与えられ、ちょっとでも回転不足と判定された選手は容赦なく減点されてひどく差が開いた。どちらかといえば、日本のジャッジのが常識的だと思うが、世界中のジャッジが同じように考えているとは思えない。ちなみにグランプリファイナルのときの浅田選手の3F+3Tの得点は8.9点、今回は9.3点。今回のほうがジャンプ自体悪かったにもかかわらず、減点がマイルドだったので、逆に得点は高くなった。繰り返すが、個人的には、減点もこの程度が常識的だと思う。あれをダウングレードで基礎点をさげて、さらにGOEで減点したら、信じられないような低スコアにとどまってしまう。だが、それが今年各国で行われたグランプリシリーズで起こったことでもある。今年のグランプリシリーズを見て、「なんでキム・ヨナばかりがこんなに点が高いの?」と思った人も多いと思う。それは成功ジャンプにオーバーな加点が与えられる一方、回転不足ジャンプをダウングレードして基礎点をさげ、さらにGOEで引くという二重の減点が厳密に行われてしまったことによる部分が多い。<明日は個人的に贔屓にしてる太田選手について、ゴーインにご紹介しちゃいます>
2007.12.29
礼文島は「花の浮島」とも呼ばれ、今では観光で食べている人も多くなった。本当に、花の時期の礼文島の美しさは筆舌に尽くしがたい。エーデルワイス、いやレブンウスユキソウもあちこちで咲いている。スリムな富士山のような利尻島が海の向こうに見えるさまは絶景そのもの(ただし花の時期は曇ることが多いので、見えない日のが多いかもしれない)。だが、この島はかつては、厳しい自然と対峙しながら魚貝やコンブをとって生活する人々の島だった(もちろん今でも、ここのウニは絶品だし、コンブ漁に携わっている人もいる)。そんな歴史を見せ付けられる風景がある。はちゃめちゃに壊れるだけ壊れて放置された廃屋のもつ凄みと迫力。厳しい自然の中での労働者の貧しく過酷な生活の営みが想起される。東京近郊では、こういうほったらかしの廃屋というのはあまり見ないが、北海道では結構ある。だが、ここまで絵画的に崩れた廃屋は、さすがに珍しいかもしれない。ここはクルマでは行けない場所。緑の崖が海にむかってくだり、その先は霧と海と空が一体になっている。低木すら1本もないことが、ここの過酷な自然を物語る。観光客向けには、あたかも花のための島のように宣伝されている礼文島の知られざる一面。
2007.12.28
秋になると作るデザートがある。洋ナシの赤ワイン煮だ。見たカンジは焼き林檎に似ているかもしれない。だが、ずっと手軽にできて、おいしい。1 洋ナシ(5-8個)の皮をむく。底を平らに切ると座りがよくなる。2 鍋に赤ワイン6カップ、砂糖1カップ、シナモンスティック1本を入れて、そこに洋ナシを並べる3 最初は中火、それから弱火に落として30-40分煮る。4 冷めたら、汁ごとタッパーに入れて冷蔵庫で冷やす。これだけ! 赤ワインは安いのでOKだ。アイスとマリアージュさせると、さらにリッチなデザートになる。以前ハーゲンダッツからメープルウォールナッツというナッツ入りのバニラ系アイスが出ていて、それと合わせると最高のマリアージュだった。だが残念ながらこの商品、今は見ない。洋ナシはラ・フランスのような「そのまま食べて、ねっとりと甘くおいしい」ものよりも、硬めで甘くないもののがおいしくできる。北海道の札幌近郊に仁木というフルーツの村があり、そこでは秋になると千両ナシという洋ナシが30個入って800円なんていう値段で売られていた。サイズは小さかったが、それにしても3個ではない、30個である。ラ・フランスのような高級洋ナシではないので、そのまま食べると甘みは少なく、シャリシャリとした食感。これが赤ワイン煮には最適だった。この千両ナシは、最初は緑っぽいのだが、すぐに黄色くなってきてしまう。赤ワイン煮にするにはちょっと黄色みを帯びたぐらいのものがよかった。東京ではあまり千両ナシは売られていない。ときどき見るけれど、1つ80円ぐらいする。なんだかな~。仁木の直売所で30個を800円で箱ごと買った贅沢は、東京では望むべくもない。どうも、こういう状況を考えると、東京の人間ってホントに豊かなのかな? と疑問に思ったりもする。
2007.12.27
トウキョウのイルミネーションがここまであちこちで豪華絢爛になる前は、「やっぱりイルミネーションはサッポロでしょう」と思っていた。サッポロといえば、雪まつりが有名だが、雪まつりの前に大通りを彩るホワイトイルミネーションも遜色ないほど魅力的だった。なにしろ、トウキョウにはない「雪」という最高の演出装置があるのだ。それも湿気を含んだ重い雪ではなく、サラサラの粉雪。もっとも好きだったのは、派手な大通りのイルミではなく、ちょっと横に入った「ふつうの道」の並木に飾られたネックレスのようなシンプルなイルミネーション。あまり観光客は歩かないが、吹雪の夜に、ここをクルマで夜通ると最高。雪が舞い、ネックレスのようなイルミネーションが風で揺れる。感激的美景だった。そして、BGMにふさわしいのはなぜか、3大テノールの歌うアリア。大声量で歌い上げるオペラ特有の過剰なまでにドラマチックな盛り上がりが、降りしきる雪にみょ~にマッチする(苦笑)。もちろん、大通りのオブジェを並べたイルミネーションも見事。この写真では、イルミネーションを寄り添って見ている2つの影が非常に気に入ってる。平和な幸福感に満ちている気がするのだ。観光客というのは普通は写真に撮る対象としては、もっとも味気ない存在なのだが、こういうシチュエーションでは別。誰だったんだろう、親子かな。光の柱は圧倒的な存在感できらめいていた。
2007.12.26
いや~、今日の都心の賑わいは凄かった。クリスマスイルミネーションなるものを見るか、とクルマで出かけたものの、名高い(?)お台場では渋滞に跳ね返され、そこから銀座に戻るのにも苦労した。東京のイルミネーションは今やりっぱな観光資源だと思う。あっちでもこっちでもきらびやかなイルミネーションが競うように光を放つ。こんな都市は世界中探しても他にはないのではないだろうか?地下鉄までとまってしまうロンドンのクリスマスは論外としても、パリのノエルもローマのナターレも、こんなに華やかなものではない。キリスト教徒にとってクリスマスは基本的に静かに家族と過ごすものだからだ。今年のイチオシは、なんといっても丸の内仲通りの「シャンパンカラーのイルミネーション」だと思う。えてして赤だの青だの緑だの、色をバラバラに使いすぎて品がなくなる日本のライティングだが、ここ仲通りに関しては、今年は「プチ・ジャンゼリゼ」といった趣きだ。温かみのあるシャンパンカラー一色で並木を飾っている。石畳の道を銀座方面から皇居に向かって歩くと、道の終わりにはカフェ・コヴァとペニンシュラ。エンポリオ・アルマーニをはじめとする流行最先端をいくショップが道に軒を連ねている。ジャンゼリゼのように広すぎて歩いて疲れるということもない。ヒューマンサイズで、道の反対側の店にもひょいと行けるのがいい。しかしなぁ… この通りの変貌ぶりには本当に驚かされる。ついチョット前までは、ここは古いドラッグストアだの雑貨屋だのがひっそりと営業してる、地味でイケてないエリアの代表みたいなところだったのだ。休日になると人なんてほとんど通らなかった。それがこの賑わい。今日は何があったのか知らないが、道に若い女性の大行列が出来ていた。あまりにたくさんの人が歩いていて、ビックリ仰天。思わず田舎者になって、「今日、お祭り?」と言いたくなった。表参道も「お祭り」だった。まったくどこからこんなにたくさんの人が沸いて出るんだろうね?写真は表参道ヒルズのファサード。絶えず変化する光の映像が、クールな都会の浮遊感とスピード感にぴったりマッチしている。ヒルズの中も、吹き抜けの空間がチカチカするホワイトブルーの電飾で飾られていた。だが、Mizumizuがもっとも表参道らしいと思う空間はほかにある。それがココ。冬でもヒーターつきのパラソルで、みな半ば無理やりオープンテラスのカフェを楽しんでいる。奥まったところにあるドアを飾る無数の小さな電球で彩られたアーチも美しい。ラルフローレンは、アメリカ風ヨーロッパ建築。ホント、日本じゃないみたい。昼は濃いブルーのオーニングがおしゃれな建物だ。しかし、こんなに電気使っていいものでしょうか? 発光ダイオードで省エネになってるとはいえ、こんなにあっちでもこっちでも派手なイルミネーションやったら、元の木阿弥では??ま、あれだな、そのへんのことはまた来年考えようっと。今はとりあえず、日本人のイルミネーションに対する情熱を堪能させてもらうことにして。しかし、これだけの驚嘆すべきイルミネーション、もっともっと宣伝してアジアから観光客を集めたらどうだろう? 洗練された親切なサービス、おいしい食事、何でも揃うショッピングゾーン、こうしたトウキョウの強みに、イルミが加われば鬼に金棒。ついでに大晦日は遅くまで店を開けて買い物客を呼び込むとか? インターネット時代の強みを生かして、アジアの若者向けに日本の「福袋」の紹介をドンドンして、いかにお買い得でエキサイティングなものかを伝えて興味を喚起し、ついでに元旦から店開けて売っちゃうってのも手だろう。そうすれば、年末年始を「トウキョウで過ごしたい」という外国人は増えるハズだ。やっぱり日本人はエコノミックアニマルといわれようが、ワーカホリックとそしられようが、働かなくてはイケナイのだ。かつて「好きなことが見つかるまでは」なんて甘いこといってフリーターになっちゃったワカモノは、ほとんどが年食って、今は「ただのワーキングプア」になっている。フリーターが流行り始めたときは、むしろそれを「新しい生き方」なんてもてはやす風潮もないではなかった。当時、ワーキングプアなんて言葉はなかったが、そもそもフリーター、イコール「限りなくワーキングプアに近い存在」だったのだ。行き先はほとんど見えていたはずなのに、それを厳しく教えなかったオトナも悪い。だが、景気がよくなってチャンスが増えれば、ふと気がつくと「ワーキングプア駅」で降ろされてしまっていた労働者も、それが終着駅ではなくなるかもしれない。やはり世の中は不景気よりも、景気がいいほうがずっといい夢が見られる。
2007.12.25
仕事ばかりで完全引きこもり生活の毎日。気がつけば世の中はクリスマス一色。23日は天皇陛下の誕生日だというのに、日本国民は完全に忘れている!?街に出てみると、お店は買い物客でいっぱい。クルマで吉祥寺に行ったら駐車場も空いてなくてスゴスゴ荻窪に引き返すハメに。荻窪のルミネに行ってみたら、こちらもクリスマスケーキを買うお客さんで大賑わい。ヒトが買ってるのを見るとやっぱり自分も買いたくなる。なんとも典型的ジャパニーズのMizumizuは、ケーキの物色にかかる。日影茶屋の「ブッシュドノエル」には惹かれるものの、「う~ん、でもやっぱり、味で選ぶなら「アベだよな」と行きつけのパスティッチェリアへ。ここはグルメ評論家の山本益博も激賞する荻窪の実力店なのだ。行ってみるとやはり時期が時期だけにお客さんで狭い店内いっぱいだった。キッチンでは、忙しく働くパティシエの姿が見える。いつもより頭数が多い気がする。「ブッシュドノエル」はなかったので、オーソドックスなクリスマースケーキをチョイス。生クリームの上質感からして、大量生産のケーキ屋のクリスマスケーキとは一線を画している。すっぱめの苺も存在感抜群。珍しく、焼き林檎を発見!「暖めて食べてるなら容器を替えてね」と言われるままに、器に移してラップをかけ、レンジであっためて食してみた。とってもよろしゅうございました。中までしっかり味がしみこんでいる。お酒もよく効いていて、すっぱい果実は大人の味。こういう変化球があるのもアベの楽しみ。近所にここまでおいしいパスティッチェリアがあるなんて、なんて幸福。できれば、美味しいパン屋もあるといいのだけれど。久我山に住んでいたときは徒歩3分の場所に、職人さんが1人でやってる極上のパン屋があった。荻窪はパン屋はたくさんあるけれど、だいたいが大手のチェーン店。まずくはないのだけれど、やはりもうひとつ少量手作りでなければ出せない「突き抜け感」はない気がする。例外は「ルクールビュー」の合鴨サンドかな。あれはヨーロッパ風の重めの味で、大変気に入っている(ただし売り切れるのも早いのでなかなかありつけない)。
2007.12.24
津和野でも印象的な「朱(あか)」に出会った。影まで紅く染まるよう。津和野ではおいしい創作和食を食べさせてくれる「岡崎食堂」がお薦め。やってないことも多いので、予約は必須。
2007.12.23
紅葉の「赤」だけではなかった。吉野では印象的な「緑」にも出会った。均等に並んだまっすぐな幹。そこに重たげな緑がかぶさる。林の闇に惹かれて思わず立ち止まると、一陣の風が吹いて緑の集合体を揺らし、そこにまた別の陰ができた。深い陰が撮りたくてシャッターを押した1枚。こちらは紅葉の絨毯、「赤」の世界。川辺ではお約束のスローシャッター。三脚をもっていなかったので、そこらに置いて撮った。手前には「だんご3兄弟(古い!)」ならぬ、「紅葉4兄弟」。
2007.12.22
吉野の秋。降るような紅葉。軒先に吊るされた干し柿は、どこか懐かしい情景。
2007.12.21
<昨日から続く>もっとも差が出たのは、「音楽の理解(曲の解釈)」で8.25と7.8。このあたりは納得せざるをえないかもしれない。0.45というのは、大した差ではないように見えるが、他の4つのコンポーネンツはもっと僅差だったから、実は勝敗を分けたのはここの評価なのだ。結果的にショート+フリーで239.1と238.94だったから、フリーで高橋選手が3Sを跳んでいたら「音楽の理解(曲の解釈)」でこの点差でも勝てた、というふうに見ることもできる。だが、それは非常に短絡的で一方的な考えにすぎない。スコアを検討すると、ランビエールが得意の4Tだけをきれいに決めていたら、たとえ高橋選手が3Sを跳び、ランビエールが不得意な3Aを多少ミスったままでもやっぱり勝てなかっただろうということになるからだ。ランビエールはやはり、相当の強敵だ。これまでのグランプリシリーズでは、4回転ジャンプを2度入れてきれいに全部成功させることができず、自滅していたというのに、高橋選手との直接対決で、4回転ジャンプを1度におさえ、連続ジャンプを増やして、いきなりここまでまとめてくるとは、なんとも憎いヤツ(苦笑)。つまり、ランビエールは自分の「難しいジャンプへの挑戦」というこだわりを捨てて、よりリスクが低くかつ得点の稼げる確率の高い3連続ジャンプを入れることでスコアをあげる作戦に出て、それが功を奏したのだ。今回ランビエールが後半に入れた3F+3T+2Tの3連続ジャンプは、10%増しの基礎点で11.88、きれいに決めたことで加点をもらってなんと12.68もの点数を稼ぎ出している。ランビエールにとってみれば、リスクを犯して4回転を入れるより、この連続ジャンプのほうがよほど効率よく、かつ確実に得点が稼げるのだ。そのランビエールに対して、モロゾフはどういう作戦で世界選手権に臨むのだろう? 4回転を2回入れるのは、今年の採点方法を見ると、あまりにリスクが高い。たとえ4回転を2回決めても、きれいに決まらなければ減点される(今年はジャンプの回転不足の減点が厳しい)。集中力を要求される4回転は体力の消耗が激しいから、たとえ4回転だけは決めても、後半でのジャンプでミスが誘発されかねない。高橋選手の今回の最後のバテ方をみても、4回転2度は体力的にもたないかもしれない。となると、ジャンプはこのままで、得意のステップでレベルを上げるよう努力し(今回ステップでレベル4は取れなかった)、ミスをしないように仕上げていくというのが最善の策かもしれない。3回転サルコウの精度を上げるのも大事だ。高橋選手はサルコウをよく失敗する。あとはショートでどのくらい点を稼げるかにもよるだろうから、もしかしたらショートに4回転を入れてくるかもしれない(それもショート後半のステップの運動量を考えるとかなりリスキーだが)。どちらにせよ、今回のランビエールのフラメンコの振り付けや音楽の解釈に対する高評価を見ると、もしかしたらランビエールのミス待ちかも…などという考えが頭をよぎる。「完璧なフラメンコを見たい」と書いた本人としては、複雑な気分だ。しかし、日本のマスコミの短絡的な大ワザ信仰はいいかげんにしてほしい。安藤選手といえば「4回転解禁か」、高橋選手といえば「フリーで4回転2回跳ぶか」にばかり関心を寄せ、不必要に煽り立てている。難しいジャンプを跳べば勝てるわけではない。しかも、今年に関して言えば完全にそうだ。それよりも、難しいジャンプを跳んだときのリスク(回転不足でのダウングレード+GOE減点という極端な減点、体力を使うことによる他のジャンプへの影響)を、フィギュアを知らない視聴者向けに詳しく解説すべきではないのか。ついでにお手つきは回転さえ足りていればダウングレードなしでGOEのみの減点だから、見た目の印象ほど低いスコアにはならないことも説明しておくといいだろう。今回のフリーでのランビエールの4回転でのお手つきも、回転が足りて降りていたということで、GOE(ジャッジがジャンプやスピンなどの個々のワザに対して行う加点もしくは減点)のみの減点となり、極端な減点はされなかったのだ。あそこで回転不足で降りてきてお手つきしていたら、一挙にダウングレードで基礎点が5点引かれていた。そうすれば、まったく文句なく高橋の勝利だったのだ。ルッツとフリップのwrong edgeについて、スケート靴をもってきて、まがりなりにも説明を行ったのはNHKだけだった。とはいっても、ジャンプで一番見分けるのが難しいのがルッツとフリップだ。一般の人はルッツとフリップどころかトゥループとフリップの違いだってわからないかもしれないから、wrong edgeといわれて理解できる人はほとんどいなかったかもしれない。だが、説明されなければ、そもそも誰も何もわからない。滑稽なのは、6種類のジャンプの違いも今年のルール改正も、何も理解していないのに、したり顔でコメントしているテレビのワイドショーのコメンテーターだ。ただ、マツコ・デラックスだけはなぜか(苦笑)、かなりフィギュアに詳しかった。「真央ちゃんの振り付けをタラソワがやったのは知らなかったけど、タラソワは有名よ。たしか男子のオリンピックチャンピオンだったヤグディンのコーチをして有名になったんじゃないかしら」とすらすら話していた。タラソワを知っているというのは相当なものだ。実際にはその説明はちょっとばかり間違っている。タラソワはヤグディンの前にもう1人、クーリックというオリンピックの男子チャンピオンを育てている。それにタラソワはアイスダンスでは多くのチャンピオンを世に送り出し、「チャンピオン製造コーチ」としての名声を欲しいままにしていた。ともあれ、いい加減な知識しかないくせに、「とりあえず何かえらそうにコメントするだけ」の識者が多い中、マツコ・デラックスのような存在は貴重だ。まだ先の話だが、バンクーバーオリンピックでランビエールが再びこの「ポエタ(フラメンコ)」を持ってきたら…? そのときは、高橋選手は「オペラ座の怪人 バンクーバーバージョン」で対抗するしかないかもしれない。荒川選手がトゥーランドットで2004年世界女王と2006年オリンピックチャンピオンの座に輝いたのは偶然ではない。もっといえば、荒川選手はそのほかの曲では世界選手権のメダルは1つも獲得できなかった。さらに縁起の悪いことを言うと、トゥーランドットで世界女王になった翌年、荒川選手が世界選手権9位と惨敗したときの音楽は「ロミオとジュリエット」だった。オリンピックチャンピオンになったことで皆忘れているが、世界の舞台でコンスタントに表彰台にのぼっていたのは、荒川選手ではなく、同年代の村主選手のほうだ。本当にその選手のキャラクターにハマった、傑出したプログラムというのは、それほど頻繁には作れないのだ。
2007.12.20
トリノでのフィギュアグランプリファイナルの男子フリーが終わった数時間後(つまり日本では明け方)、朝のニュースで知る前に結果を見ようと、ISUのサイトにアクセスした。今回は高橋選手の優勝が濃厚で、かなり期待していた。ショートで2位につけていたランビエールは今シーズンはフリーで自滅することが多く、これまで成績があがっていない。苦手の4回転を跳ばずに他の要素を正確に決めることで今シーズン絶好調だったウィアーもショートで失敗して4位に沈んでいる。となれば、高橋選手が日本人初のグランプリファイナル優勝者となるのは、ほぼ間違いないのではないか。期待を胸に順位表を見た。--あれっ......最終順位は1位ランビエール、2位高橋とある。がーん!負けちゃったのか。ということはジャンプで失敗したってことかな? さっそくプロトコル(詳細な成績表)を見る。フリーの総合得点はランビエール155.3と高橋154.74と、えらい僅差だ。プロトコルを見れば、どんなジャンプを跳び、失敗したか成功したかがすぐわかる。さっそくエレメンツを確かめる。フムフム、ランビエールったら、これまで4回転を2度入れて自滅してきたものだから、4回転を1回に抑えたんだな。そのかわりそこに3連続ジャンプを入れてるじゃないの。その手で来ましたか、ナルホド。ジャンプは回転不足によるダウングレードや転倒はなかったようだが、トリプルアクセルと4回転トゥループでGOEが減点されている。ということは、あまりきれいには決まらなかったということだね。で、高橋選手は? と見るとずらりとならんだエレメンツにダウングレードもGOEでの減点もない。最初のジャンプは3T、4T、3A。すべてGOEの加点をもらっている。ただ1つ3回転のサルコウが2回転になっている。とはいえGOEの減点はない。じゃあ、ジャンプはすべてきれいに決めたということじゃない。それじゃ、一体何で負けたんだ? 簡単にいえば、技術点では勝っていた(ランビエール76.2、高橋77.34)。だが演技・構成点で負けている(ランビエール79.1、高橋77.34)。さらに演技・構成点の5つの要素を詳しく見ると、「スケート技術」はまったく同じ。「演技力」では高橋選手のほうがやや点が高く、「要素のつなぎ(つなぎのステップ)」「振り付け」「音楽の理解(曲の解釈)」でランビエールのほうが高かった。うう、そうか... ランビエールは今年も去年と同じポエタ(フラメンコ)をフリーに持ってきた。このプログラムがあまりに衝撃的に素晴らしいかったことは、Mizumizu自身が7月18日のエントリーで記事にした。その中で、「今シーズンもう一度、あのフラメンコを滑ってほしい」「あのフラメンコをミスなく滑ることができたなら、おそらく帝王プルシェンコが復帰してきても、ランビエールには勝てない」「来年の世界選手権ではランビエールは去年以上に大きい存在として高橋選手の前に立ちふさがりそうだ」と書いたのだ。一部で噂されたプルシェンコの復帰はなさそうだが、なんとランビエールは、Mizumizuの期待どおり、今年もフリーで引き続きフラメンコ(ポエタ)をすべり、Mizumizuの予想より早く、世界選手権の前にグランプリファイナルで高橋選手の前に思いっきり立ちふさがってくれたワケだ。7月の記事を書いた時点では、今シーズンの高橋選手のフリーはまだどんなものになるかわからなかった。今年のフリーは「ロミオとジュリエット」。悪くはないのだが、去年の「オペラ座の怪人」ほどのドラマ性はなかった。いくらモロゾフ(高橋選手のコーチ兼振り付け師)だって毎年毎年ウルトラ素晴らしいプログラムは作れない。「オペラ座の怪人」がインパクトがありすぎ、あまりに高橋選手にハマリすぎたということもあるが、今年の「ロミオとジュリエット」はメッセージ性が足りない。高橋は「ロミオ」のイメージではない。荒川静香が「トゥーランドット(氷の姫)」ではあっても「カルメン(野性的な情熱の女)」でないのと同じだ。それは皮肉にも、ランビエールがEXナンバーで映画の「ロミオとジュリエット」の音楽(ニーノ・ロータ)を使い、白いバラをジュリエットになぞられて、自身がロミオになりきって演技して見せたことでなおさら際立ってしまっている。高橋選手彼自身も「ロミオを演じるというより、音楽を表現する」と言っている。だが、このスタンスがかなり曖昧で、もう1つこちらに迫ってくるものがないのだ。一方のランビエールのフラメンコ(ポエタ)は、おそらく後にも先にもこれほどのプログラムは作れないだろうというくらいの傑出した芸術性を備えている。それは成熟した大人の世界観であり、ダンスによる情熱のほとばしりだ。これを表現できるのは、その恵まれた容姿とスタイルも含めて、現在のところランビエールをおいてほかには考えられない。ランビエールのフラメンコがどんなにスゴイかということは7月の記事を読んでいただくとして、テレビで実際の演技を見る前は、「あのプログラムを大きなミスなく滑ったんなら、負けても仕方ないか」と思っていた。だが、実際のランビエールの演技は、悪い意味で期待を裏切るものだった。ジャンプがかなり調子が悪い。ジャンプに関しては、もしかしたらランビエールは全盛期を過ぎてしまったのかもしれない。3A(アクセル)ではステップアウト、4T(トゥループ)ではお手つきと着氷がひどく乱れた。4回転のかわりにもってきた3連続は成功したが、おそらくは最初のジャンプを3 Lz(ルッツ)にしたかったであろう連続ジャンプは2Lz+3Tになった。ほかは大きなミスはなかったが、このジャンプの失敗は演技全体の印象を大きくキズをつけるものだった。そして、高橋選手の演技はというと、全体的に大きなミスはなく、よかった。後半の3Sが確かに2Sになっていたが、ジャンプに関してはランビエールをはるかに凌駕していた。演技が終わった時点で、解説の佐野稔が高橋の金メダルを確信したような発言をした。佐野は間違っていない。誰だって、あの出来だったら高橋が勝ったと思ったはずだ。Mizumizuも「ええっ? これで負けたの?」と信じられない気分だった。高橋本人に言わせれば、ステップを含めて細かな失敗があった(たしかにサーキュラーステップでは少しトウがつっかかったようになっていたし、ストレートラインステップではターンが不完全な部分があったかもしれない)ようだが、プログラム全体のまとまりからしたらランビエールよりよかったと思う。ランビエールのフラメンコは、7月にも書いたが、超絶技巧すぎる。あそこまでステップからスピンから難しいものを入れ、上体や腕の複雑な動きを最初から最後まで入れたたら、ジャンプに集中できないのは当たり前なのだ。案の定、ランビエールはやはり今回もジャンプに精彩を欠いていた。なのに、高橋選手が負けた。完璧ではない、「あの程度」の出来のフラメンコに...... 7月の記事でフラメンコを絶賛した本人が言うのも変な話かも知れないが、実のところ、Mizumizuはかなりショックだった。繰り返して言うが、ランビエールがほぼ完璧にプログラムをまとめたのなら、たとえ高橋が同様に完璧にすべって負けたとしても文句はない。だが、今回大きなミスなくまとめた高橋が、目立つミスをしたランビエールに負けたことに落胆したのだ。あのフラメンコが革新的に素晴らしい振り付けだったことは間違いない。それはステップへの評価にも表れている。誰しも「高橋選手のステップは世界一」と思っている。だが、今回の技術点を見ると、CiSt(サーキュラーステップ)もSlSt(ストレートラインステップ)もランビエールのほうが得点が高い。レベルは両者とも3で基礎点は同じだが、GOEでランビエールのほうが加点をもらっている。その結果、CiStは4.1と4.0、SlStは4.1と3.8。さらに演技・構成点の「要素のつなぎ(つなぎのステップ)」もランビエール7.6、高橋7.4。つまりは得意なハズのステップでランビエールに負けてしまったのだ。スピンで負けるのは仕方がない。ランビエールの強みはスピンだからだ。だが、ステップで負けたというのには、Mizumizuはボーゼンとなった。多少ミスはあったが、高橋選手のステップの構成も超ハイレベルなものだ。そのステップの天才・高橋をもしのぐステップを取り入れたあのフラメンコ・プログラムの超絶技巧ぶりを、ジャッジがいかに評価しているかを見せつけられた気がしたからだ。あくまでダンスとしての芸術性に主眼がおかれ、「レベルを取りに来た」点数稼ぎの構成をしたステップではなかったにもかかわらず。<明日へ続く>
2007.12.19
ダウングレードってのはそんなに点数変わるの? と思われる向きもあるかもしれない。答えはイエス。めちゃくちゃ変わる。以下がジャンプの基礎点だ(後半に跳ぶと10%増しになる)。 3回転 2回転ルッツ 6点 1.9点フリップ 5.5点 1.7点ループ 5点 1.5点サルコウ 4.5点 1.3点トゥループ 4点 1.3点つまり、45度回転が足りないとみなされただけで、3回転トゥループを跳んで4点かせいだつもりが1.3点にしかならず、さらにGOEで減点までされるといういことだ。しかも、そのダウングレード判定が解説をやっている元選手(つまりはプロ)が見ていても、しばしばジャッジの判断と食い違うことがあるくらいわかりにくいのだ。角度によって回転不足に見えたり見えなかったりということは確かにある。基礎点を判断する回転不足ダウングレードがこのように、判断の正しさがかなり微妙なのに減点が大きいということも問題なのだが、それだけではなく、基礎点を判断するジャッジとGOEのプラスマイナスをつけていくジャッジは別で、みながバラバラに自分の仕事をすることから起こるのではないかと思う変な現象もある。たとえば、NHK杯で武田選手はトリプルフリップ(3F)で転倒した。この転倒も、「回転不足のまま転倒した」とみなされたのでダウングレードされて基礎点がぐっと減った。Wrong edge判定もくらい、GOEでも当然減点された。そのうえ、転倒は別枠でマイナス1点と決まっているから、さらに引かれる。その結果どうなったかというと、武田選手は3F単独で0.7点しかもらえず、最後にそこから別にマイナス1点を引かれているから、3Fで転倒しただけで、結果としてなんと「マイナス」0.3になっているということになるのだ! 変すぎる。それならはじめから「転倒ジャンプは0点」としたらどうだろう? そのほうが公平だし、わかりやすい。一方、ファイナルでのキム選手は3ループでモロにコケた。ところがプロトコルを見ると、ダウングレードによる基礎点の減点はなかった。GEO(これもマイナス3をつけてるジャッジとマイナス2のジャッジがいた)でひかれてジャンプのスコアが2点、最後に転倒でマイナス1だから、まあプラス1にはなった、ということだ。武田選手のコケとキム選手のコケに差があったとは、到底思えない。それにフリップのほうがループより基礎点は高いのだ。にもかかわらず、こういう変な点のばらつきが起こる。ポイントは「回転不足かどうか」にあり、しかもその判断が(基準はハッキリしているが実際には)きわめて曖昧だというのが問題なのだ。この「やたら規定が厳しいわりには、理不尽な2重の減点があり、最終的には変なことになってしまう」技術点の採点方法に加え、ジャッジの自由裁量による演技・構成点のワケわからなさも、またとびっきりだ。演技・構成点とは「スケート技術」「要素のつなぎ(つなぎのステップ)」「演技力」「振り付け」「音楽の理解(曲の解釈)」という5つの要素をジャッジが0.25刻みでつけていく。GOEもそうなのだが、グランプリファイナルの場合は、10人のジャッジがいて、そのうちの7名の点数をコンピュータがランダムに抽選し、その7名の中から上下1名ずつの数字を引いて残り5名の点数の平均点を出す。この点が妙に高い選手と変に低く抑えられる選手が決まっている。荒川静香は「演技・構成点は技術点に比例しますから」と言っていたが、今年に限っていえば、そうでもない。ジャンはこの点が低い。それはまだ若いから仕方がないのかもしれないが、中野選手などは、ロシア杯がそうだったのだが、トリプルアクセルも決め、彼女としてはほぼ完璧に近い演技をしても、この点がのびてこない。今回のファイナルのショートでは観客からブーイングも起きていた。おもいのほか低い点だったからだ。だから浅田やキムには全然歯が立たない。もちろん、中野には「スケートがのびない」という欠点があるのは間違いない。スケートのひとこぎひとこぎがのびていかないし、演技中の姿勢も悪いかもしれない。全体的に手の表現の優雅さも足りないだろう。だが、だからといって、キムが8点近くもらうところを6点台しかもらえないほどの差があるのだろうか? こういうのが「お決まり」になってしまっては、キムや浅田が失敗し、中野が完璧な演技をしても、中野は絶対に彼女らに勝てないということになってしまう。そもそも中野選手のフリーの「音楽の理解(曲の解釈)」に対して、5.75をつけてるジャッジもいれば、7.25をつけてるジャッジもいる。こんなにバラバラなのは、それだけ「テキトー」だという証左ではないのか?新システムは「木を見ていって山を判断する」というスタイルだ。旧採点システムは「あくまで山全体をみて判断する」システムだった。だから旧システムでは、全体の出来やまとめ具合が重視されたから、中野選手にもチャンスはあった。ところが、今はジャンプをコケてもキム選手に高得点がでるのが半ば「お約束」になってしまった。1つ1つの点数を見ていけば、「そういうものかな」と思えなくもないのだが、結果として圧倒的な点差が出るのを見ると、これはやはり問題だな、と思わずにはいられない。まさに木を見て山を見ないシステムではないだろうか。そもそも、このシステムが導入されたのは、オリンピックの審判買収疑惑からだ。あのときアメリカのマスコミは、これでもかというぐらいロシアペアの着氷の乱れを繰り返し放映し、「ミスがあったのに、ノーミスのカナダペアより得点が高かった。これぞ不正の証拠」と決めつけた。「オイオイ、フィギュアは着氷が決まるか決まらないかだけじゃないよ、それにオリンピックのカナダペアのプログラムって、2年前のものじゃん。また『ある愛のうた』かよって思わないわけ?」などとMizumizuは思ったものだ。ところが、今のシステムでは、着氷の乱れどころか、お手つきしても、たとえコケても、ノーミスでまとめた選手より点が出てしまうことがある。しかも、どうもその基準が安定しない。総じていえば、新システムの餌食になって、見ための印象より低く点をつけられているのは、アメリカの女子選手だ。だが、誰が得して誰が損しているといったこと以上に、なんといっても一番の問題は、「一般のファンが見て、なんでそんな点差になるのか、納得がいかない」ことだ。プロトコルを詳細に見れば、(上に述べたように突っ込みどころは満載だが、それでも)、それなりに点数には筋は通っている。ルールにのっとって出された点には違いないのだ。だが、フィギュアはごく一部の専門家だけが見るものではないはずだ。一般のファンが見て、きれいだな、まとまっているな、という印象は旧採点システムではそれほど裏切られることはなかった。裏切られたとしても、誰が低い点をつけているのかは一目瞭然だった。だが、このシステムでは、あからさまでないだけに、非常にわかりにくく、一般のファンはしらけてしまう。今回の女子のフリーは浅田選手がトリプルアクセルを含む、多彩なジャンプを決め、大きなミスはなかったにも拘らず、ループでモロにコケたキム選手と点差は僅差だった。ということは、キム選手がコケなければ、浅田選手よりずっと高い点が出たということだし、もっといえば、キムが失敗しない限り、浅田はキムに勝てないということだ。浅田にはトリプルアクセルもある。キムはセカンドにトリプルトゥループしかもってこないが、浅田は今回、セカンドにトリプルトゥループ(実は回転不足だったとはいえ)に加えトリプルループまで決めた。それなのに、勝てないほど、キムは超ウルトラ素晴らしい選手なのだろうか? 今年のキムのジャンプへの加点や演技・構成点の高さを見ると、そういうことになる。もちろん、浅田が勝てないということは、他の誰も勝てないということだ。キムが悪いとか下手だとかいってるわけではない。キム選手は素晴らしい。ジャンプは大きさがあるし、独特の表現力もある。ポーズはとても美しい。だが、足りない部分もある。キム選手のステップには細かさが足りない。ルッツは完璧だがフリップはやや怪しい(完全に外側に間違っていないのは確かだが、かといってしっかり内側で踏み切ってもいないように見える、つまりフラットに見えるのだ。「内側で踏み切る」のがフリップなのだから、内側にのらずにフラットで踏み切ったってwrongではないかと思うのだか、フラット踏み切りの場合は減点にはならず、キム選手の場合はジャンプそのものの大きさが評価されて逆に加点までもらっている)。ただ滑って行くときはスピードがあるが、浅田選手のような細かくすばやい動きはできない。肩の柔らかさは抜群で腕の動きは大きく美しいが、身体の柔軟性では浅田選手には劣る。メリハリをきかせた動きは独特のムードがあるが、エッジづかいの躍動感では物足りなさもある(もっともそれを言ったら、トリノで金を獲った荒川選手だって、すばやい動きはできなかった)。プログラムの密度も薄い気がする。だから、キム選手が、他の選手をぶっちぎるほどの圧倒的な点が出るほどの選手なのかと聞かれたら、「……」となってしまうのだ。だが、実のところ真のフィギュアファンを自認するMizumizuとしては、点よりも何よりも、浅田選手のあの素晴らしい振り付けのショートプログラムの完璧な演技が見たい。それが一番重要なことだ。今シーズンは、まだ1度も完璧な演技を見てない。もし今年あの演技を完成することができないのなら、来シーズンまでかけて完成させてもいいと思う。ランビエールはフリーのフラメンコ(ポエタ)を2年がかりで仕上げた(しかも、まだ完璧とはいえない)のだから、それも十分アリだと思う。今回の浅田選手のグランプリファイナルのフリーは、本当に素晴らしい出来だったと思う。トリプルアクセルも一応決めたし(一応、というのは、ジャッジによって加点してる人と減点してる人がいたからだ。減点してる人は着氷をツーフットと見たのだろう)、セカンドのトリプルループも回転不足(10/7の記事でも指摘したように、これは最近になって抱えてしまった課題だった)にならずに決めた。終盤で、片足で滑っていったあとに跳ぶ(これは本当に難しいのだ)3連続ジャンプの最後のダブルループも回転不足を取られずにすんだ。課題だったトリプルアクセルとセカンドのトリプルループを見事に決め、さらに今回新しく入れた3回転フリップ+3回転トゥループも一応降りたのだから「すごい」としかいいようがない。ルッツのwrong edgeは仕方ない(シーズン中の今、無理に矯正してフリップまで調子を崩しては元も子もないからだ)。だからこそ、ショートの完璧な演技をMizumizuは首を長くして待っているのだ。
2007.12.18
フィギュアスケートのグランプリファイナルが終わった。女子の結果は1位がキム、2位が浅田だった。今年になって少しルールが変わり、wrong edgeと呼ばれるルッツジャンプとフリップジャンプの踏み切りのときのエッジの使い分けの誤りの減点が厳しくなった。実は女子選手ではこの2つのジャンプのエッジの踏み分けがうまくできない選手が多い。ルッツはエッジの外側、フリップはエッジの内側を使って踏み切るのだが、ルッツのように構えていてフリップのように跳んでしまう選手(浅田選手はこれだ)とフリップなのにルッツのように外側エッジで跳んでしまう選手がいる。これを厳しく判定して正しいジャンプを促そうということだ。これは方向性としては正しい。その結果、今年は浅田選手をはじめとする多くの選手がルッツもしくはフリップで、「一見綺麗に跳んでいるように見えても」、wrong edgeであるということで減点されている。もっとも顕著なのはアメリカの女子選手で、ほぼ全員がこのwrong edge減点の血祭り(笑)にあげられてしまい、点がのびなかった。浅田選手のルッツもそうだ。逆にルッツを正確に踏み分けられるキム選手は、その「大きさのある」ジャンプの質を評価され、基礎点からGOE(加減点)での加点をもらい大きく得点をのばしていた。1つのジャンプで、たとえば浅田とキムのルッツでは、2点ぐらい違ってしまうこともあった。話はズレるが、このwrong edgeは矯正が大変らしい。安藤選手はシーズン前に徹底的にフリップの矯正をした。その結果ショートではwrong edge判定はされなかったが、フリーでルッツとフリップが大荒れになってしまった。NHK杯の安藤選手のフリーのひどい失敗は「肉親が亡くなった精神的なもの」などともいわれているが、実のところ矯正による部分が多い。少なくともフィギュア関係者はそう思っているはずだ。無理に直そうとするとちゃんと跳べているもう1つのジャンプまで崩れる、だから浅田選手は今のところ無理にルッツの矯正をしていない。安藤選手はインタビューで繰り返し、「フリップの矯正をしていたらルッツの調子が悪くなった」と話していた。さて、今シーズンの判定に話を戻すと、回転不足もより厳しく判定するようになったらしい。だが、今年のこの回転不足判定の厳密化は、新採点システム始まって以来というぐらいの混乱をフィギュア界にもたらしてしまったと思う。もともと、複雑でわかりにくい新採点システムなのだが、今年は特に「実に変な現象」が頻発し、一般人が見ていてさっぱり理解できないような点が出るようになった。妙に高い点が出るかと思えば、異様なまでに低い点が出る。見た目の印象と順位がずいぶん違う。おそらく見ている人は、「なんでこんなに点が低いの?」「なんでこんなに点が高いの?」と疑問に思ったことも多いのではないかと思う。Mizumizuもだ。その多くは、回転不足判定のときの点数に由来している気がする。グランプリファイナルで一番気の毒だったのは、アメリカのマイズナー選手のショートだ。マイズナーは3回転ルッツ(3Lz)+3回転トゥループ(3T)を一応決めた。3回転フリップ(3F)も降りた。だから全体としては、一番ミスが少なかったにもかかわらず、点数はのびなかった。キム選手はショートで3回転フリップでお手つきをしたうえにセカンドジャンプが1回転になってしまった。これほど目立つ失敗をしたにも拘らず、得点はキム選手のほうが上だった。この謎はISUが試合後に発表する「プロトコル」と呼ばれる詳細な成績表(PDFファイル)をネットで入手すればとける。実はマイズナー選手は、3Fにeマークがついている。これはwrong edge、つまりフリップなのに、ルッツのように外側のエッジで踏み切ったということだ。これによって、GOE(加減点)で減点された。wrong edgeというのは、クセなので、直しにくい。だが、一般人が普通にみてわかるほどのwrong edgeというのはほとんどない。よほど注意して見なければわからないだろう。だが、ジャッジは誰がwrong edgeのクセをもっているか知っているので見逃してくれないのだ。さらにマイズナーは、3Lz+3Tの3Tで回転不足を取られた。回転不足というのは、回りきらずに着氷したということで、一応エッジが45度以上回転が足りずに降りてきてしまった場合に、ダウングレードといって、3回転であっても2回転判定とする、というふうにルールで決められている。ところが、「お手つき」はダウングレードの対象にはならない。回転不足のままお手つきしたと判定されたらダウングレードだが、一応回ってお手つきした場合は、3回転なら3回転として認められ、基礎点が与えられる。浅田選手がショートの連続ジャンプでお手つきをしたにも拘らず案外点が下がらなかったのは、一応3回回って手をついた、といういことで、2回転へのダウングレードを免れたためだ(そのかわりGOEでマイナス2からマイナス3減点されている)。ところが、手をついてもいないマイズナーは、2回目のジャンプが回転不足だということで、ダウングレードで基礎点を下げられ、さらにGOE(加減点)でマイナス1からマイナス2をつけられた。一般人がみて、どっちがひどい失敗に見えるかといえば、明らかに浅田のお手つきだ。回転不足は、よほどのフィギュアファンでないと瞬時にはわからないのではないだろうか。解説の「元選手」ですら、「回転不足のように見えた」「回転不足を取られるかもしれない」と判断が曖昧なまま説明している。それだけ微妙なものが多いのだ。さて、マイズナー選手の連続ジャンプだが、最初の3Lzジャンプは降りて、2度目のジャンプが回転不足になったというだけで、基礎点をダウングレートされ、そこにGOEの減点が加わり、結局最終的なスコアが5.9になってしまった。これは明らかにオカシイだろう。というのは、3Lzジャンプ単独での基礎点だけで6点あるからだ。マイズナーは3Lzに回転不足の3Tをつけたがために、3Lzは問題なく跳んだにもかかわらず、3Lz単独での基礎点より低い点が付けられた、ということだ。これでは2重の減点ではないのか。逆にキム選手の場合は、フリーで3F+3Tの連続ジャンプを見事に決めたことで、9.5点の連続ジャンプの基礎点にGOEでの加点が加わり11.5点もの点を稼いでいる。基本的には3Lz+3Tのほうが3F+3Tより難しい。なのに、マイズナーはセカンドジャンプが若干回転が足りなかったということで(回転が足りないジャンプは高さや幅が足りてないからなので、当然GOEも減点になる)、5.9という、3Lz単独の基礎点(6点)にも満たない点しかもらえなかった。いくらなんでも、連続ジャンプを跳んでるのに、単独ジャンプより点が低くなるなんて、ワカラナすぎる。こんなジャッジをされてしまったら、選手としては動揺するのは当たり前だ。マイズナーがフリーで3度も転倒したのも、この厳しい減点で精神的な圧迫感を受けたためではないかと思う。また、浅田選手のフリーの3F+3Tのセカンドジャンプは、Mizumizuには回転不足に見えた。解説の荒川静香も「少し回転が足りなかったかも」と言っていた。ところが、プロトコルを見ると回転不足でのダウングレードはない。スローで再生された2度目のジャンプはやはり、明らかに回転不足に見えたが、角度によるのかもしれない。つまり、あの「回転不足に見えて、荒川静香もそう言ってしまったトリプルトゥループ」は、基礎点を判断するジャッジには回転不足には見えなかったということだ。変だなあ… まあ、日本人としては嬉しいけど。<明日に続く>
2007.12.17
札幌郊外に前田森林公園という大きな公園がある。冬の間、ここでは「歩くスキー」の道具を無料で貸し出してくれる。札幌中心部の中島公園にも同様の公共サービスがあるのだが、郊外の前田森林公園のほうが、雪も綺麗だし、コースも長く、規模も大きい。本当に自然の林の中にいるような気分を味わうことができる。ナナカマドの実は、もうだいぶしおれている。こうなると落ちる寸前ということだ。日が差してくると、積もった純白の雪の上に、林の影が徐々に濃くなって浮かびあがる。ハッとする情景だ。林の写真をちょっと加工して距離感のない版画風にしてみた。歩くスキーは、Mizumizuのような超初心者でもそこそこ楽しめる。だが、ベテラン市民の速いこと速いこと。中には腕におぼえのある障害者スキーの人もいて、これまたすごく速い! 腕2本しか使っていないというのに、脚と腕4本使って歩いてる(滑っている?)こっちが1周する間に2回ぐらい軽く追い越された。もちろん、速い人が来ると、お邪魔にならないようによけるようにしていた。
2007.12.16
春夏秋冬、それぞれに美しい美瑛だが、空気の澄んだ秋は山がよく見える。春や夏は天気がよくても見えないことが多い気がする。ただ、農作業が全部終わってしまった後、つまり冬の直前の美瑛は、土ばかりになってしまうので、その時期だけは避けたほうがいいかもしれない。拓真館のそばの丘にのぼって、くつろいでみた。小さなストーブ(コンロではない)をもって、直火でエスプレッソを入れてみる。大自然の中で飲むエスプレッソは「たいへん美味しゅうございました」。
2007.12.15
美瑛の美観を作ったのが土地の農家の人々なら、その美を「発見」したのは写真家の前田真三だといっても過言ではあるまい。この1人の天才写真家によって、美瑛の風景は全国にひろまった。前田以降、同じような風景写真を撮る写真家が続出したが、追随する者は誰も、前田の影響から逃れることはできない。今、美瑛はアマチュアの写真家にも人気の町だ。基本的にこの田舎町にあるのは、丘と木と畑と山なのだが、春夏秋は言うに及ばず、冬の寒い時期でも、丘の中腹にポツンと立っている木が見えたり、林越しに大雪山が見えたりするところ、つまりには前田真三風の写真が撮れるであろう場所には、必ず重そうな三脚が並んでいる(太陽光線が望むカンジになるのを待っているのだ)。前田作品を展示している拓真館で、写真を見ていた一眼レフを肩からさげた初老の男性が、「すごい!」と1人でつぶやいてるのを見たことがある。そう、前田真三は本当に凄い。誰だって、その写真を見れば「すごい」と思わずにはいられない。緊張感のある構図、風景写真でありながら現実を超えた(としか思えない)美しい色彩、そして何より強烈な光(それは太陽光だけではなく、時には自動車のヘッドランプだったり、夜家屋にともる灯りだったり、あるいは月の光だったりすることもある)の効果。そうしたものをすべて含む前田作品は、だがそれだけでは説明できないような凄みを放っている。それはもしかしたら、写真家の主眼が「風景」を超えたもっと大きな自然の力、つまりは日々刻々と変化する「気象」そのものに向けられていたからではないかと思うことがある。風景写真家はたいてい、雨の日は待機する。だが、実際に前田真三を知る人たちによると、彼は雨の日でもカメラをもって出かけていったという。単に美しい風景を撮るだけなら、当然晴れた日のほうがいい。それも太陽があまり高い位置にないときのほうがよい写真が撮れる。だが、前田はそうしたセオリーは踏襲しなかった。その行動は、西洋絵画史における先駆的な風景画家とされるターナーの行動と不思議と一致する。ターナーの時代、風景画は名所をただ美しく再現するための手段にすぎなかった。だから風景画家は晴れた日にしかスケッチに行かない。だが、ターナーだけは、雨の日でもスケッチブックを手に出かけていたという。そのターナーが、のちに「気象をとらえた」と評される、光と大気をドラマチックに表現する画風を完成させ、それまで一段低くみられていた風景画そのものの地位を引き上げたのは周知のとおりだ。前田作品も、よく見ればさまざまな気象が写真の中に捉えられているのがわかる。暗い雲が空から重くのしかかり、全体にどんよりとした風景の中で、一瞬差してきた強い太陽の光線に照らされた風景を撮ったものもかなりある。つまり、ここで前田が撮りたかったのは雨があがって日が差してくる、気象変化の一瞬なのだ。そうした意味では、めまぐるしく天気の変わる美瑛は前田にとってうってつけの場所だったのだろう。一番象徴的なのは、「大雪幻想」という作品だ。これは前景に雪の平原、中景に林、背景に大雪山を配した写真だが、前景の雪の平原は全体的に暗くなっている。夕暮れどきらしく、後ろの山は薔薇色に染まり、かつ陰影がはっきりしている。そして不思議なことに、雪原ほぼ一面に、ダイヤモンドのようなきらめきが散らばっている。これについて、ある評論家が「手前の雪原のきらめきは後から加工したものに違いなく俗悪」と書いた。確かに加工したものとしか思えないような幻想的な風景だ。だが、その言葉を前田は「自然も写真も知らぬ者のざれごと」と、明解かつ辛らつに否定してみせた。前田によれば、雪が降った直後に急速に晴れ上がり、気温が下がり、かつ強い斜光が雪原に当たると、雪片がダイヤモンドのようにきらめくことがあるのだという。「大雪幻想」の雪の平原にちらばるきらめきは加工して作ったものではないのだ。確かに、雪原がダイヤモンドを散りばめたように輝くのを、Mizumizuも北海道で見たことがある。だが、どういう気象条件でそうなるのかは知らなかった。こうしたダイナミックに変化する気象が生み出す一瞬の奇跡を捉えるという意味で、前田真三はまさしくターナーと同じ方向性を持っていた。ターナーも「自然を強調しすぎる」と酷評される一方で、有名な「吹雪――港の沖合いの蒸気船」という作品を描くために、マストに自身を数時間縛りつけ、嵐を観察した、などという伝説も残っている。前田真三は1年の半分以上は美瑛に住んでいた。だから、たとえば冬、狂ったような嵐が来たら、その次には奇跡のような晴天が来るのはわかるだろう(実際にMizumizuも体験したことがある)。真夜中の美瑛で、吹雪の音を聞きながら、この風がやんだら、どこにどんな霧氷の華が咲くだろう、雪の質感はどんなふうになるだろう。もしかしたら、まだ誰も一度も見たことのない「美」を明日は自分が「発見」するのかもしれない… 前田はそんな期待感や高揚感を持つことで写真を撮り続けてきたのではないか。そうした情熱と野心がなければ、美瑛はただ住むには淋しすぎるし、寒すぎる。「情熱と野心」と書いたが、前田作品の持つある種の凄みを見ると、もしかしたらそれは「執念」「情念」と言ったほうが正しいかもしれない。そうした「念」にとらわれてしまうと、世俗的な快適さだとか便利さだとかいったものは、何の意味ももたなくなるのかもしれない。風景を撮るとき、ある程度のレベルに達したたいていの人は、ここはと思った場所を決めて、後はイメージ通りの光が当たるのを長々と待っている。だが、前田真三は「自分は待つことはあまりない」と言っている。歩き回りながら見つけた風景をただ撮るだけなのだと。確かにそれは彼自身が自分を語る言葉としては真実なのだろう。だが、「その一瞬」に出会うためには、自然を、風景を、そして気象を知ったうえで、予測あるいは想像をする必要があるし、それを会得するまでにはずいぶん時間を使って経験を積まなければならないだろう。たとえば、「夕焼けの塔」では、とんがり屋根の塔が印象的な白い建物の向こうで、黄色と赤に鮮烈に染まった夕焼けの空が写しだされているが、前田自身「長年丘を撮っていても、本当にすばらしいといえる夕焼けに出会ったのはほんの数回」だと言っている。その数回のうちの1回がこの写真だということだ。期待していても「肩透かしをくらうことも多い」のだという。「夕焼けの塔」を撮ったときは、たまたま近くで撮影しており、空の状態を見て、その場所に急行したのだという。それはつまり、「どういう条件になったら、どこで撮るのがいい」ということがあらかじめ頭にあるということだ。そのパターンをできるだけ多く自分の中にストックするためには、なるほど「歩き回る」必要があるのだと思う。だから、前田作品が見せてくれる奇跡的に美しい一瞬は、やはり偶然の産物ではなくて、待ちに待った必然の一瞬であり、テクニックであり、観察眼であり、情念であるのだと思う。そして、それこそが写真家・前田真三の他の追随を許さない風景写真家としての才能なのだ。そうした情念に自然が答えてくれたのではないか、とすら思うことがある。たとえば、晴れた冬の日、白樺がすっくと立っている写真がある、その背景には、実に絶妙の位置に、しかも何気なく、雲が浮かんでいる。雲相手に、「ちょっとそこに浮かんでてよ、もうちょっと右に寄って…」などと頼めるわけはない。にもかかわらず、まるで雲と語り合ってその位置にいてもらっているようにさえ見えるのが前田作品なのだ。きれいなだけの白樺の写真ならいくらでもある。だが、こういう「脇役」とのバランスまで絶妙に捉えることのできる独創的な写真家というのは、やはりそうそう出るわけではない。写真はいろいろ見ているつもりのMizumizuだが、少なくともまだ、他の風景写真家からここまでの深い情念を感じたことはない。こうした前田作品の放つ強いエネルギーは、拓真館に来るアマチュア写真家にも伝わるのだ。その証拠に、拓真館を出たとたん、あたかも自身が前田真三になったかのように、意気揚々と三脚を立てはじめる写真愛好家たちをよく目にする。美瑛に来て拓真館に寄らない人はほとんどいない。1人の天才の情念は、たとえその本人がこの世を去っても作品の中に永遠に残り、見るものに影響を与え続ける。春の今日も、夏も今日も、秋の今日も、冬の今日も、美瑛に行けば必ずいる、丘のあちこちで1人で真剣に本格的なカメラを構えている人は、だから、前田の情念が呼び寄せたと言ってもいい。彼らの姿を見るとき、いつもMizumizuは思うのだ。「この丘に、前田真三は今も生きている」と。DVDビジュアル・プレミアム#前田真三の映像世界#拓真館から美瑛・上富良野の風景へ#Sinzo#Maeda’s#Landscape#Movie&Photo#Works前田真三 遥かなる丘(DVD) ◆20%OFF!
2007.12.14
秋の美瑛の風物詩。あっちにもこっちにも「ロール君」がいっぱい。ちょっとした丘に登ると、美瑛の「パッチワーク」が楽しめる。傾斜地の畑は、耕すのが大変で、丘を平らにする計画もあったらしい。今も危険な「丘」での農作業は土地の人々の間で問題になっているという。この美観は、観光客から直接利益を得るわけではない農家の人々が作り上げたものだけに、外部の者としては、なんとも言えない気持ちになる。
2007.12.13
それはベネチア・メストレの安ホテルでのできごと。妙に中国人労働者の多いホテルだった。廊下でみかけた掃除婦はのこらず中国人、朝食をとるためにレストランに入ったら小柄な中国人のウエイターが近寄ってきた。その中国人ウエイター、ニコニコしながら、「There…」とレストランの隅を指す。そっちへ行け、ということらしい。見ると、大きめのテーブルにすでに4人ぐらいのアメリカ人とおぼしき青年が数人並んで座っている。はあ? 合い席しろってこと? 見回すとレストランのほかの席はガラガラだ。なんでだよ。当然納得できないMizumizuは英語で、「他に空いてるテーブルがたくさんある。なんでそっちへ座ってはいけないのか」と聞いた。向こうの席に詰めて座らされているアメリカ青年がこっちに視線を投げてきて、目が合った。すると、中国人は「はあ~ん?」と首をかしげ、また「There…」と同じ席を指す。なんだ、英語が通じないのね。じゃ、最初からイタリア語で喋れよ、とさっそくイタリア語に切り替えて同じことを言った。ところが! 中国人ウエイターは、またも「はあ~ん?」と首をかしげ、なおも「There…」と同じ席を指す! が~ん、イタリア語も出来ないワケ? イタリアで働いてるのに??完全にアタマにきたMizumizuは再度、さらに大きな声で、「他のテーブルは空いている。どうして私たちが座ってはいけないのか、説明してほしい」とイタリア語で詰問した。場が一挙に険悪になる。後ろの「典型的日本人」の連れがオロオロして、「いいじゃない。向こうに座ろうよ」などと言い出した。ジョウダンではない。別にワガママを言っているわけでも、無茶な要求をしてるワケでもない。ただ、ウエイターの理不尽な「指示」に説明を求めてるだけだ。すると、キッチンからイタリア人の女の子がすっ飛んできた。「こちらへどうぞ」と空いてる席に案内する。当然だ。「どうもありがとう。ご親切に」と言って着席。女の子にカフェオレを頼んで、ゆったり食事をした。食事中に観察していたら、その中国人はいわゆる「(注文をうける)給仕役」ではないことに気づいた。お客が食べたあとの皿を片付け、テーブルクロスを替える係だったのだ。言葉がまったくできないことからして、イタリアで働き出してまだ日が浅いということだろう。その「ボクはできるだけ働きたくない」風ノロノロの勤務態度は、呆れるばかりだった。テレビがついているのだが、それを見ながら、わざとか? というようなゆっくりのモーションで面倒くさげに後片付けをし、新しいクロスをかけるときも、シワになっていようが、ゆがんでいようがおかまいなし。はは~ん、つまり、客を合い席にさせてしまえば、自分がより動かなくてすむ、と計算したワケね。さすが中国人。目先の自分の利益にずいぶん聡いこと。あとから恰幅のいいドイツ人の中年夫婦がやってきた。なんとかMizumizuを合い席にもっていこうとした中国人は、こちらのキツイ態度に凹んだのか、あるいは怖そうなドイツ人にビビったのか、何も言わなかった。ドイツ人夫婦は当然ながら、自分たちの好きな席に着き、注文を聞きに来た女の子にコーヒーを注文していた。気の毒なのは、純朴なるアメリカの青少年たちだ。キッチンから近いテーブルに合い席でキツキツに座り、大人しく食事をしていた。Mizumizuたちのやり取りを見ていたから、なにも合い席を了承する合理的な理由などなかったことには気づいただろう。次からは、変なことを指示してくるウエイターには注意しようネ。イタリアでは珍しくないからネ。イタリアのウエイターにはトサカに来ることが多い。今日はとりあえず、ベネチア・メストレで発見した中国人編だが、今後も不定期かつ唐突に性悪ウエイター列伝は連載の予定。請 御期待! 再見!
2007.12.12
きのうヘイゼルグラウスマナーの紹介記事を書いて、久々に同ホテルのHPをじっくり見てみたら、料金がかなり上がっているのに気づいた。「リーズナブル」と書いたスタンダードツインで23100円になっている。ここには3回泊まりに行ったが、最後に行ったときで18000円台だったような記憶があるから、5000円上がったということか。2万超えて、北海道のあの場所で、リーズナブルといえるかどうかちょっと微妙になってしまった。実はだんだん知名度が上がったらしく、4度目以降は予約が取れなくて行けなかったのだ。もともと部屋数が少ないせいもあると思う。だから料金は最近ではなく、もうずっと前から上がっていたのに気づかなかっただけかもしれない。ここはレストラン。ウッディな内装は温かみもあり、雰囲気もよい。ディナーは宿泊料金とは別なのだが、ほかに食べる場所も近くにないから、だいたいここでディナーをとるのはお約束になる。味はというと…実は、3度行って毎回ほとんどメニューが同じだった。しかも、だんだん量が少なくなった(苦笑)。そのうえ、サラダの野菜のちぎり方なんかが、「いかにもアシスタントがやりました」風に雑になってきたのは残念といえば、残念(初期の頃はあまりお客さんもいなくて、アシスタントを入れる必要はなかったんだろう。最初に行ったときは宿泊客はMizumizu組だけだった)。だが、その後は逆にアシスタントも仕事が上達したかもしれないし(笑)、基本的に味はよかったので試してみる価値は大。朝の窓の外の景色は道東の自然そのもの。林の中のレストランのようで、都会人には嬉しい空間だ。ところで、このヘイゼルグラウスマナーだが、3度目に行ったとき、たまたま燕尾服の支配人がいなかった。そーーしたら、スタッフの「緩み」ぐあいは目を覆うばかりだった。朝食事に行ったら、前のお客さんがべっちょり汚したクロスのかかったテーブルに、平気で案内する。「汚くありません?」と言ったら、他人事のように、「そうですね」だって。冷静に論評してる場合か~!しかし、別のテーブルのクロスも微妙に汚かった。ふつうテーブルクロスってのは、1組1組替えるもんじゃないのかね? ヨーロッパではそれが常識だと思うのだが。さらにチェックアウトのとき。規定のチェックアウト時間ぎりぎりまで、部屋でゆったりしていたのだが、なにやらドアの外でおばちゃんのおしゃべりの声が聞こえる。荷物をもって出て行ったら、掃除のおばちゃん(メイド)が2~3人で、Mizumizuたちの部屋のドアの横の床に座りこんで、タバコをプカプカすいながら、くっちゃべっているではないか!Mizumizuたちが思いのほか出てこないので、部屋の外で座り込んで待っていたということらしい。が、しかし! そんな態度のメイドがあっていいもんだろうか?ヨーロッパのホテルで、てきとーーに仕事するメイドはイヤというほどみているが、いくらなんでも床に座り込んでタバコ吸いながらおしゃべりをして、客が出て行くのをドアの外で待ってる輩には、これまで世界のどんなホテルでもお目にかかったことはない。平均的に労働者の質が高いと信じられている日本だが、もはやそれは「神話」にすぎないのだろうか? 常識で考えたって、恥ずべき態度だと彼女たちは思わないのだろうか? ゲストがまだ部屋にいるなら、メイドは目立たない場所で部屋が空くのを待つべきなのだ(あまりに当たり前すぎて、書いててむなしくなるが)。支配人がいるときは、さすがにこんなことはなかったから、あの日はたまたまだったのだろう。だが「上」がいないといきなりコレ、というのがますます情けない話だ。あの態度では仕事だって推して知るべし。使うほうは大変だろうと支配人には同情したくなった。
2007.12.11
摩周湖のあたりに行くときは、川湯温泉に泊まるのが定石だろうけれど、温泉旅館に飽きたらちょっと足を延ばしてみる価値のあるホテルが標茶にある。ヘイゼルグラウスマナーだ。摩周岳をバックに、木々の間に見える一軒屋がソレ。相当辺鄙なところにあるから、日が落ちる前に行かないとたどりつけないかもしれない(笑)。北海道ではいわゆる輸入住宅を多く扱っている業者に「しんたくダイワ」というのがある。そこが建てた大きめの家みたいなホテル。客室は8室しかない。なんでもオーナーは都心の開業医だそう。馬も飼っていて、乗馬もできる。到着すると、燕尾服の支配人さんがお出迎えしてくれる(こともある)。1Fはロビーとレストラン、それにラウンジ(上写真)がある。ここで読書などしてくつろぐことができる。木の羽目板の壁に木製のサッシュの窓、カーテンはストライプファブリックのバルーンスタイル、床は絨毯、家具はジョージアンスタイルのアンティーク。と書くと「ほぉおお~」だが、実はココ、写真ではわからないと思うが、壁のカンジとかは案外アメリカンな「はりぼて」風なのだ(苦笑)。だからここに来ると「しんたくダイワ(の輸入住宅)だな~」と思ってしまう(再苦笑)。お部屋はスタンダードツイン(写真)が一番リーズナブルでお薦め。台の高い、いかにもアメリカンなゆったりとしたベッドは、「よっこらしょ」とのぼるカンジ。窓の外は林と野原が広がっていて、夜はちょっと寂しい。でも都会から来ると感動できる。隣の家が見えないなんて、すご~い! ことではないか。(明日に続く)
2007.12.10
阿寒国立公園にある大きな湖といえば、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖だが、阿寒湖の周囲には温泉街が広がり、宿泊して楽しめる観光地になっている。湖の中から温泉が湧き出ている場所がある。写真で湯気が上がっているのはそれだ。そうした場所の1つで、足を浸している白人の女の子がいたので、「熱くない?」と聞いてみたら、「ちょっとね。でも大丈夫」と答えた。ニュージーランドから来たという。「東京は人ばっかりで、クレイジーな感じがしたけど、ここは好き」だという。そういえば、倶知安のあたりはオーストラリア人やニュージーランド人がこぞって別荘を買うので、一部の地価が高騰したらしい。南半球の人たちが日本の土地を買いに来る時代になるなんて、世の中、本当にどう変わるかわからない。鮮やかな夕焼けになった。阿寒湖といえば、マリモ。お土産屋には「小マリモ」がたくさん売られている。Mizumizuも買った。だが、このお土産のマリモは自然に丸くなったものではなく、実はただ単に手で藻を丸めただけだという。そんな気はしていたが、実際に「手で丸めてる」作業場をテレビで見たときは、ちょっとメマイがした(笑)。以来買ってきたマリモに対する愛着もすっかりなくなって、そのうち捨ててしまったのだった。
2007.12.09
北海道で一番美しい沼(とMizumizuの思う)オンネトー。オンネトーとはアイヌ語で「老いた沼」「大きな沼」という意味だそうだ。確かに、沼としては大きい。湖と言ってもいいかもしれない。だが「老いた」とは? 魚が棲んでいないことと関係しているのだろうか? いろいろ調べてみたが、「老いた沼」のいわれを明確に説明した資料は見つからなかった。あるいは単にオンネトーとはアイヌの人たちにとっては、「大きな沼」を指すのであって、その単語に「老いた」という意味もある、というだけのことかもしれない。オンネトーは酸性が強く(湖底から硫黄が染み出しているとか)、魚は生きられないらしい。ウィキペディアには「サンショウウオとザリガニが棲息している」と書いてあるが、土地の人によれば、それも10数年前に絶滅したという。そういう意味では、「老い」を通り越した、死の沼(湖)なのだ。これは一番ポピュラーな展望スポットから撮った写真。背後にそびえるのは、左が雌阿寒岳、右が阿寒富士(確かに富士山に似ている)。観光バスはここの景色を見せて帰ってしまうことが多いようだが、それはあまりにもったいない。なぜなら、オンネトーは別名「五色沼」とも呼ばれ、時間や場所によって刻々と湖面の色を変えることで有名だからだ。上記の展望スポットからもっと奥に入るとキャンプ場がある。さらに、東岸(上の写真でいえば、湖の向こう側)には遊歩道もある。晴れた夏の日にオンネトーに来る機会があったら、絶対にキャンプ場、できれば遊歩道まで行くべきだ。そこには・・・こんな神秘的な色の、澄んだ湖水が隠されている。底に沈んだ倒木は横たわった白い骨のよう。少しばかり残酷で美しい眺め。まさに、「死の沼」かもしれない。五色沼の別名どおり、場所と時間によって色が違って見えるのだが、やはりもっとも美しいのは上の写真のようなターコイズブルーだ。この奇蹟のような色彩は、奥のキャンプ場、あるいは遊歩道(のキャンプ場の向かい岸あたり)まで行かなければ拝むことはできない。この輝きに惚れ込んで、湖のわきのキャンプ場でキャンプまでしてしまった。しかし、泊まったのは真夏の8月だったというのに、夜はえらく冷え込んで、ひどい目にあった。道東を甘く見てはいけない。夏でも野外で泊まるなら、ダウンパンツは必携だろう。それと泊まってみて気づいたのだが、朝のうち、つまり太陽があまり高くない時間帯は、湖水の色も上の写真ほどの強烈な印象はない。キャンプ場や遊歩道の木々の間から、湖面が宝石のような輝きで迫ってくるのは午後1時から4時ぐらいまでの間のような気がする。それも、冬はダメだった。曇った日もダメ。曇っているとただの灰色の沼だ。やはり強い夏の日差しのもとでだけ、類まれなターコイズブルーの色彩を放っていたように思う。
2007.12.08
北海道で写真の被写体として魅力的なのは美瑛だが、ドライブして感動するのは「阿寒国立公園」だ。阿寒国立公園は摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、オンネトーなどの湖が含まれる広大な地域。公園指定区域に入るととたんに景色が変わるのがわかる。やはりいろいろな規制をかけて景観を守っているのだろう。特に川湯から摩周湖へ向かう林の道、美幌峠から屈斜路湖にくだる道、雄阿寒岳・雌阿寒岳をのぞみながら走る阿寒湖周辺の山道は壮大の一言。ただ、写真におさめるとなると難しい。あまりに壮大なパノラマが360度展開するので、ポイントが定めにくいのだ。スケールが大きすぎて写真ではその広さが表現しにくい。美瑛は実のところ箱庭的なところで、道東の国立公園地域に比べたらチマチマしたものなのだが、写真にすると実際以上に広くのびのびと変化にとんだ場所に思えるから不思議だ。今日ご紹介するのは、屈斜路湖。クッシーがいるなどという「伝説」も今はもう聞かなくなった。氷に支配された鉛色の湖面に白鳥がさびしく一羽…と、思いきや実はこんなに集まっている。まさしく白鳥の湖。近くのレストランで食事をしていたら、窓の向こう、林の中を2羽の白鳥がサーッと横切って飛んでいくのが見えた。なんとも、できすぎの演出だった。あんな光景は東京暮らしの人間には、そうそう拝めるものではない。今では懐かしい、超レアな想い出だ。
2007.12.07
冬の摩周湖は、寒々として観光客もまばら。湖面に氷が張っていた。摩周湖のぐるりは断崖。一般人は湖畔に近づくことは出来ない。上から眺めるだけだ。だからどのくらい水が澄んでいるのか実感はできない。秋の初めに来たときは、こんなだった。水は確かにきれい、に見える。周囲の山は鏡に映したよう霧の摩周湖というが、3~4回行って毎回湖面が見えた。霧で見ない摩周湖というのも1度ぐらい見てみたい!? いや、なにも見えないのは、やはりつまらないのかな…
2007.12.06
豊頃の「はるにれ」は写真におさめなかったのだが、幕別の「オーベルジュ・コムニ」の部屋からみえた木もなかなか立派だった。コムニは都会的なクールでモダンな建物。でも、ちょっと寒々しく感じた。もともとこういうところに来たがるのは都会の人間なのだがから、北海道らしくウッディでぬくもりのある雰囲気にしたほうがよかったのでは? とも思った。しかも、ここ、建物の外に出ると…こんな感じで牛クンがくつろいでいる。でも、レストランはこんなふうにまるっきり都会的。夜は窓の外の景色があまり見えなかったのだが、朝食を食べにいって驚いた。窓の外には、こんな風景が広がっていた。これは文句なしに凄い!でも、「窓の向こうではない」外には・・・こんな感じのモノが…これでレストランの窓から見える草原(?)を走り回るアトラクションをやってくれたら、都会人にはウケルかも? なにせ、ここは、ぬかるみが多く、あまり散歩して楽しい道がない。「何もしない贅沢」とかってパンフに謳っているのだが、あまりに何もすることがない。幕別には他に見所もないし。退屈なので、こんな写真を撮ってみたりして。部屋のテーブルに置いてあったガラス製のペンホルダー。なかなかオシャレ。HPをのぞいてみたら、さすがに「何もしない」といっても限度があることに気づいたのか、オイルテラピーとマッサージもはじめたらしい。テラピーねえ…どうもトラクターやら牛クンやらのイメージが強くて、オイルテラピーってカンジの場所でもないと思うのだが、体験してないのでなんともわからない。テラピーだのマッサージだのなんて、都会にいくらでもあるものをやるなんて、逆に個性がなくなってしまう気もする。トラクター体験試乗のほうがオモシロそう。まあ、あくまで個人的見解だが。やたら写真が多いのは、感動的な場所だったからではなく、他にやることがあまりになかったからう~ん。もうちょっと遅めの時間に着けば、時間をもてあますこともなかったかな。やはり温泉あり、和食・洋食のレストランありの帯広の「北海道ホテル」のようなワケにはいかない。まあ、田舎のオーベルジュなのだから、ちょっと利用の仕方を間違えたということかもしれない。
2007.12.05
10代のころ強い印象を受けた絵本がある。はるにれ姉崎一馬の「はるにれ」。絵本ということになっていたが、実際は1本の木をテーマにした写真集といったほうが正しい。文章はない。草原にポツリと立つはるにれの木を四季の移ろいとともに追ったもので、北海道の景色をまったく見たことのない子供の憧れをかきたてる、魔法のような自然美に溢れていた。そのはるにれが帯広方面の「豊頃」というところにあると聞いて、訪ねてみたくなった。ついでに近くにおいしそうなオーベルジュでもないかと思って調べたところ、あったあった。幕別の「オーベルジュ・コムニ」。クルマなら十分にまわれる距離だった。そこで札幌からクルマで、まずは帯広に行きランチを取って、豊頃に足をのばし、はるにれを見て、幕別へ行く計画を立てた。豊頃のはるにれは、結論からいうと、ほとんどタダのはるにれだった。町はずれの草原にポツンと立っており、確かに姿は整っているし、絵本で見たあの木には違いないが、実際に目の当たりにするとそれほど珍しいものとも思えない。あの写真絵本で見た、四季折々の驚異的な美しさは、姉崎の発見した… というより、作り出した美なのだ。姉崎はこの1本の木の写真集を制作するために何年もかけたという。子供のころはそんなこととはつゆ知らず、「すごくきれいな木があるんだなあ」と思っていただけなのだが、今ならわかる。魔法をかけられたように美しい木がいつもそこにあったわけではない。あれは、写真家の情熱と忍耐と観察力と想像力とテクニックの賜物だったのだ。というわけで豊頃のはるにれの木の写真は撮らずに幕別へ移動した。興味のある方は、姉崎の写真絵本でご覧ください。「こんな木があるのか!」と感動すること間違いなし。普通に撮った写真ではそういう感動に水を差しそうだ。オーベルジュ・コムニの夕食は、フレンチのフルコース。トマトとにんじんのクーリー。野菜は地元のものだけを使っているという。カルパッチョにも野菜がふんだんに使われていた。白身魚(名前は失念!)のポアレ。十勝牛のステーキ。これも野菜で肉が見えず…(苦笑)。デザートはイタリアのサンタ・アガタの星つきレストラン「ドン・アルフォンゾ」で食べたものとそっくりだった。ここのフルコース、見た目はきれいなのだが、どうも全体的にインパクトがなかった。カルパッチョにも肉にも魚にも、野菜がタップリのっているというのは、ヘルシーなんだろうけど、個人的にはあまり好みではない。しかも… 実はその日は帯広のお気に入りのホテル「北海道ホテル」のお気に入りの和食レストランで会席をコースで食べてしまったのだった。つまり、あまりお腹がすいていないところに、魚と肉の両方が出るフレンチのフルコースを夕食に食べるという暴挙(笑)に出てしまったワケ。大失敗…次にコムニに行くときは、昼は軽めにしなくては。
2007.12.04
こちらはまた、別の機会にクルマで美瑛を訪れたときの写真。クルマだと美瑛はあっという間に回ってしまう。自転車ではなかなか観光スポットにたどりつけない感があるのだが、クルマだと逆にうっかり通りすぎてしまう。よく言われる台詞だが、「日本じゃないみたい」。ヨーロッパの田園風景のようだ。今NHKがまた、さかんに「千の風になって」を宣伝している。●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)秋川雅史/千の風になって」番組では上のようなCDジャケットの写真が出ていたのだが、どうもコレ、美瑛、もしくは美瑛近郊で撮った木のような気がしてならない。そのうちに「千の風の木」などと呼ばれるのかな。「千の風」といえば、新垣勉は歌わないのかな、となんとなく思っていた。ら、あったあった。やはり歌っていたのだ。新垣 勉新垣 勉『千の風になって』どうして秋川雅史から新垣勉を連想したかというと、ふたりとも「テノール」ではあっても舞台のオペラで聴くのはちょっとどうなのかな、でも、オペラのアリアを歌ってもポップス系を歌ってもそれなりに華のある歌唱のできる歌手じゃないかな、という印象があったからだ。新垣の場合は「オペラの舞台」に立つには身体的なハンディが… というのがある。秋川の場合はちょっと違って、あくまでオペラ好きの私見なのだが、彼の声はテノールとしてはちょっと陰影がありすぎる。オペラにおけるテノール歌手の役柄というのは、理想主義的な騎士とか、若干青臭い青年とか、ある種の型がある。テノールとしては伸びていかない秋川の声域では「オペラのテノール歌手」としてできる役柄がどうも思い浮かばない。テノールとしては高音に伸びがないとはいっても、バリトンのような重厚な声でもない。だからこういうポップス系の歌をクラシック的な歌唱で聴かせるのが、秋川には一番合っているのではないかと思うのだ。「私のお墓の前で…」という歌い出し。「お墓」という、およそふつうの歌では考えられないフレーズも秋川の気品と陰影のある声だとピタリとはまる。では、新垣の場合は? 新垣は、声の質自体は、秋川よりずっと正統派のテノールだ。日本人にはちょっとないくらい明るいカラッと乾いた高音が出せる歌手。だから、新垣が「千の風」を歌うと、秋川のような陰りはないかわり、空の高さや吹きわたる風のスケール感がのびのびと表現されているような気がする。どちらにしろ、これほどヒットしたのだから、いろいろな人がいろいろな声で歌うだろう。それぞれの個性を楽しんでみたい名曲ではある。実は個人的に一番歌ってほしいと思っているのは「青戸知」。バリトンなのだが、テノールよりの伸びのあるリリカルな声で、実際のところ声質では、日本でも指折りのオペラ歌手だと思う(ただ、見かけはパパイヤ鈴木みたいなんだけど… 苦笑)。そして圧倒的に「うまい」。コンサートで歌ってくれないかな、と妄想している。メールでも出してみようか。
2007.12.03
「セブンスターの丘」と並ぶぐらい有名な美瑛の「ケンとメリーの木」。遠目には1本の木のように見えるのだが、実は2本並んでいる。通称「ケンメリ」。これも自動車のCMで使われてから有名になった。「それで…?」と言いたくなるような気がしなくもないが、うねうねした畑の向こうに見えるポプラは、そういわれてみればそれなりに清々しい。この木の立ってる畑の持ち主が、「おじいちゃんが植えてくれた木がこんなに有名になって嬉しい」とニコニコしながら話しているのをテレビで見たことがある。植えた本人は、この2本のポプラが日本中から人を集める観光資源になるなんて、想像もしていなかっただろうな…こちらは、名もない畑。先日も書いたように、途中で道に迷い町はずれのさびし~い場所に行ってしまった。道を聞こうにも人っ子一人歩いていない。風の音だけを聞きながら撮った1枚。
2007.12.02
時間を少しさかのぼって、夏の終わりに美瑛に行ったときの写真から。このときは、電車で札幌から美瑛に行き、貸し自転車を借りて回った。美瑛までの電車に揺られながら気づいたことがある。旭川からの電車で座席は対面式だったのだが、みな、なぜかきちっとつめて座席に座らない。肘掛に腰を下ろしたり、座れそうな席があっても立ったままだったり、思い思いの場所で仲間とおしゃべりをしている。あまりきゅーきゅーに詰めて座るのは好まないように見受けられて、東京とは違うなぁ、と思ったものだ。また、会話にも笑ってしまった。「今日は暑いな~」「ホント暑いよな~」とさかんにため息をついている。ちなみにその日の最高気温、たった25度ですゼ。。南国東京から来たMizumizuには涼しい夏の終わりだったんですけど。また美瑛に着く直前に、広い田んぼを埋め尽くすように飛ぶトンボを車窓から見て驚愕した。圧倒的な数だった。さて、美瑛で自転車を借りたものの、思った以上に美瑛町は広かった! おまけに観光ポイントを示した絵地図は、相当テキトーなもので、それを見ながら走ったら見事に迷った。やっとたどり着いた「セブンスターの丘」。タバコのCMに使われて有名になったらしい。残念ながらそのCMは憶えていない。ここで感動したのは、丘の上に整然と並んだ樹木の列と何もない天空の醸し出す透明な空気感だった。こちらは「新栄の丘」とかで、一応見晴台があった。なんとなく義務感でパチリ。美瑛の丘のもつ「パッチワーク」的な魅力が実感できる場所ではあった。動く絵文字使ってみましたヨ>夢二さん
2007.12.01
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