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アメリカではカールスバッド、イタリアではカステラーナ。前者は世界自然遺産で、後者はヨーロッパでも有数の鍾乳洞。海外では、この2つの素晴らしい鍾乳洞に行ったことのあるMizumizu。カールスバッドでは、その洞窟空間の巨大さとその中に広がる多彩な鍾乳石の世界に圧倒されたし、カステラーナでは、白く輝く鍾乳石のこの世のものとは思えない美しさに感激した。日本では山口の秋芳洞。ぽっかりと空いた洞窟の入り口で人々を待ち受ける百枚皿を初めて見たときの驚きは、今も覚えている。臼杵の風連鍾乳洞は規模は小さいものの、鍾乳石の繊細な美しさでは秋芳洞を凌ぐという人もいて、行ってみたいと思いつつ、なかなか足を伸ばさないままでいた。今回ついに訪問。臼杵市内からは少し距離があるが、夏はわりに朝早くから開くので、2日目の金明孟宗竹を見たあとに組み入れた。しかし、夏期の営業時間、ネットでは朝8時となっていたが、臼杵市内で入手したパンフレットでは9時になっている。電話で確認したら、8時半からだという。ちょうど8時半過ぎに着いた。明るい緑がしたたってくるような山の中にある。天候に恵まれた早朝だったので、空気は際立って清々しく気持ちがよかった。秋芳洞ほど観光地・観光地しておらず、こじんまりとしている。洞窟入り口に隣接する施設(お土産など売っている)は非常に古く、昭和40年代という雰囲気。チケット売り場の横に、古いがカワイイ絵地図を見つけて、パチリ。地元の青年団がこの鍾乳洞を発見したときの探検口が、現在の入り口の横にある。人ひとり通れるかどうかの小さい穴だった。入り口から続く通路は、鍾乳洞とは思えない。ただの坑道のよう。だが、これが逆に探検の雰囲気を盛り上げる。徐々につらら石、石筍などの鍾乳石が現れるが、通路は狭いまま。だが、その通路の狭さが、最後に「竜宮城」と名付けられた、ドーム型の空間に出たときの感動を演出することになる。この最後の空間は、実に素晴らしい。天井からは無数のつらら石が垂れ下がり 白く輝く鍾乳石も。 そして、気の遠くなるような時間をかけて作られた石柱も。ヘリクタイトという、側方に向かって結晶が成長する珍しい鍾乳石があるとかで、看板もあったのだが、目視ではよくわからなかった。 上からのつらら石と下からの石筍がドッキングしたこの鍾乳石(写真左)は、高さが7メートルにもなるとか。ちなみに石筍が1センチ成長するのにかかる時間は100~130年だそう。神秘的な造形に彩られたドーム型の地中空間は、間違いなく一見の価値がある。見上げても、見回しても、新鮮な驚きが。洞窟という制限された空間ゆえに、閉じ込められたような息苦しさもあり、そのなかに広がる無限とも見えるような造形美の間で、眩暈のような感動が胸を満たす。階段がしつらえてあって、そこをのぼれば、より近くから鍾乳石を鑑賞できる。下から見上げて、空間の広がりを楽しむのもよし、階段をのぼって、細部の造形を間近に見るのもよし。残念ながら写真では、風連鍾乳洞の有機的な空間美が伝わらない。出来上がった写真を見るとそれが残念に思え、逆にあの空間の中にまた立ってみたいという憧憬が掻き立てられもする。また行きたい、風連鍾乳洞。そして、まだ見たことのない沖縄の玉泉洞にも行きたくなった。風連鍾乳洞にも玉泉洞にも愛媛の山内浩氏の名前が見える。ケーブに並々ならぬ関心と情熱をもった、優秀な先人のおかげで、私たちは今こんなふうに楽しんでいる。
2014.06.24
臼杵市内で一泊し、翌朝は早朝に出発。金明孟宗竹(きんめいもうそうだけ)と風連鍾乳洞を見て、稲積水中鍾乳洞、祝子川渓谷を周り、夜は延岡にというスケジュールを立てた。風連鍾乳洞の近くの金明孟宗竹自生地区をルートに入れたのは、ほんの気まぐれだった。金明孟宗竹というのは、「黄金の竹」とも言われる孟宗竹の突然変異。「大分県臼杵市野津町大字王子岩瀬」というのが自生区の住所。ナビに案内されて田畑の中の駐車場に車を停める。金明孟宗竹を見に行くと自動的に(?)見ることになる重文の石塔を見て…まあ、この由来に興味のある人は自分で調べてください。ちゃんと自生地区に行けるかな? と少し心配だったのだが、案内板もあって、場所はすぐにわかった。早朝で人はいなかったが、きれいに手入れされた田畑がこの山里に住む人の勤勉さを伺わせた。金明孟宗竹についての看板も設置されていて、説明は非常にわかりやすい。説明文によれば、この突然変異の竹は西日本に多いという。金明孟宗竹には「キンメイチク型」と「縦じま型」の2種類の縞模様があるのだが、ここ臼杵のように双方が同じ場所に自生しているのは非常に珍しいのだとか。こんもりとした竹林に足を踏み入れると、そこはもう「かぐや姫」の世界。想像以上に縞模様がくっきりと鮮明で、これが自然のものとは信じられないほど。まるで人工的に描いたようだ。かぐや姫のいた黄金に輝く竹というのは、完全なる空想ではなく、昔からこのような突然変異の竹があり、そこから着想を得たのではないだろうか。そういえば、「真名野長者伝説」でも臼杵には「黄金のもの」がたくさんあり、淵には黄金の亀がいたとある。金明孟宗竹がこの地に生えたというのも、臼杵の黄金伝説と無縁でないのかもしれない。確かに、2種類の縞模様の竹が仲良く並んでいる。左が縦じま型。右がキンメイチク型。筍から竹に変身するときには、すでに綺麗な模様ができている。自生区はよく手入れされている。早朝の初夏の空気は清々しい。風のわたる音と、鳥の声だけが聞こえる。周囲を取り囲むのは、見たこともない実に見事な模様をまとった竹、竹、竹… まるで相談でもしたかのように、まとまって生えている。想像以上に不思議で、美しい竹だった。さほど広くはない空間だが、ここだけが魔法にかかったよう。先に進むとたちまち魔法は解け、竹林は普通の緑の竹に変わる、引き返せば人の気配ただよう山里の田畑にすぐに戻れる。磨崖仏と鍾乳洞という、臼杵で名高い造形美にこの色彩美を加えて、「臼杵の三大美」と呼んだらどうだろう。辺鄙な場所だが、磨崖仏から鍾乳洞へ行く途中にあって寄りやすい。臼杵に行くなら是非お立ち寄りを。ところで、駐車場で野外のトイレに寄ったのだが、清掃が行き届いているのに驚いた。タンクの上に造花まで飾ってある。顔も知らない、この山里の誰かの「おもてなし」の心に触れた気がした。まだあまり人が来ないから、逆にきれいに保たれているのかもしれない。この美しい竹が今よりもっと有名になり、多くの人が訪れるようになっても、掃除してくださる土地の人たちの心遣いに応えるように使ってほしいもの。
2014.06.20
別府が「壁」になって、臼杵まで足をのばそうと思えないでいたのには、臼杵の温泉事情もある。臼杵は元来、温泉のない街だ。唯一の天然温泉が臼杵石仏のそばにある「薬師の湯」。だが、「地下1,300mから湧き出ています」という説明書きを読めば察しがつくとおり、わざわざ深く掘って温泉水を汲み上げているわけで、放っておいても湧き出てくる他の九州の有名な温泉地とは、事情が違う。それでも温泉は温泉。夜になって行ってみた。施設・設備はまだ新しく、値段のわりにはきれい。露天も解放感がある。混んではいたが、お客は皆礼儀正しく、常に他人の迷惑にならないか気を使っているようだった。地元民らしい子供連れも多かったのだが、こちらの進行方向に自分の子供がいたりすると、すぐに叱って通るスペースを開けさせる。公共の場での子供のしつけに非常に厳しい。あるいは、少なくとも、「自分は厳しくしている」ということを親が他人に見せている。その徹底ぶりに少し驚き、「そういえば、昔はこうだったよなあ、日本って」と思いつつ、「子供なんだから、ちょっとぐらい周りに迷惑かけるのは当たり前なの!」みたいに子供を野放しにするヤンママが増えてしまった大都会の事情を思って、嘆かわしい気持ちにもなった。こういう自分中心の態度はヤンママに限らない。人にスペースを譲るどころか、自分の歩く方向に人がいてぶつかったら、ぶつかった自分ではなくそこにいた相手が悪いというような顔をして、相手が自分より弱い女子供だと見るや、すかさず怒鳴りつけるようなオヤジもいる。電車にのれば、肘をつかって人を押しのけ、自分のスペースを確保するの当たり前だし、小さな子供をもつ親は総じて、自分の子供が迷惑行為をするかどうかより、見ず知らずの他人が自分の子供に危害でも加えないかと警戒している。そんな人に慣れてしまった東京人としては、何かと「あっ、すいません」「あっ、すいません」とよけられると(なんという伊香保との違い…)、「いえ、なにも謝ることはないんです。わざわざどかなくていいんです。脇を通りますんで」とでも言いたくなる。それでいて、相手に堅苦しさをを感じさせないのが九州人の不思議なところ。露天からは、星がきれいに見えた。聞きなれない方言を聞きながら、ゆったりとリラックスするMizumizu。鏡と手洗いシンクに有田製の絵付けが使われていた。文化の裾野の広さというのは、こういうところに出る。更衣室の隅のこんな場所をスマホで撮ってるMizumizuに、不思議そうな目を向ける地元民。喜楽庵でも、トイレの手洗いシンクに、エビと蕪、つまり喜楽庵の得意とする海と畑の幸の絵付けがあった。ブルー一色で濃淡を使って甲殻類と野菜の特徴を表現しており、並々ならぬ力量を感じさせるものだった。おそらくは一級の職人の手描きだっただろう。絵の流儀は有田のもののように思えた。過去の優れた文化遺産、古い街並み、美味しい食事…いい街だった。また1つ、九州で好きな街ができた1日になった。
2014.06.16
喜楽庵の至福の夕食は続く。えんどう豆の汁もの、アワビ入り。豆のほんのりとした甘さがいい。アワビはコリコリしているイメージがあるが、ここでは意外にも柔らかだった。和風ポタージュは、西洋のそれのようにぼってりと重くなく、それでいて味わいは深い。この腕前には、「う~ん」と、唸ってしまう。お造りは、タイ、伊勢海老、ウニ。醤油はもちろん、九州の少しどろっとした甘味のある醤油。やっぱり刺身には、九州の醤油だよなあ…。このコクが生の魚の身と絡み合い、絶妙のハーモニーに。唯一、ウニだけは、本州・九州・四国のどこで食べても北海道を凌駕できないが。そして、出ました。「夏のフグ」こと、オコゼの刺身。オコゼの刺身は初めて食べたが、淡白な味わいの中に、甘さがあり、柔らかさの中に歯ごたえも感じる不思議な食感。素晴らしいでしょう。オコゼは、古来「山の神」が好むという逸話がある。ただ、それは味ではなく、外見に理由がある。山の神は女でしかも醜いため、自分より醜いオコゼを見ると喜ぶのだという。…絶句。とことん、女性をバカにした作り話だ。最近はもうこんな話を知っている人も少なくなったが、山の神にオコゼを奉納して、山の幸を手に入れたり、ご利益を得た話が、九州の日向地方や和歌山県南部に伝わっているという。関東ではあまり馴染みのある魚ではないが、太平洋に面した九州の東部から同じく太平洋に面した紀伊半島にかけて、わりあい身近な魚だということだろう。こちらが絶品のタイの縁側。骨が綺麗に突き出している見かけは、むしろ「骨付きラムの香草焼き」の思い起こさせた。切り分ける前のブロックがこんな感じだ。食してみれば、またもこれが信じられないほどの逸品。身は、骨に近づくにしたがって違った味わいを呈する。ゼラチン質のようなぷくぷくとした味わいが、しっかりとした肉厚の身の中に隠れていて、脂と肉本体がえもいわれぬ味覚を生み出す。味付けは、やはり九州らしく甘味に寄った甘辛。最高に好みに合っている。テーブルで小躍りして喜ぶMizumizu。揚げ物は、アワビ。小鹿田焼(おんたやき)の皿に、貝殻の器がのり、そのうえにアワビと鮮やかなパプリカを配している。色彩感覚も素晴らしい逸品(写真は色が悪い・・・残念)。味ももちろん秀逸。見た目で一瞬「シイタケの天ぷら?」などと思ってしまった。食べてみたら、アワビだった(笑)。やはり、とても柔らかい。柔らかいのだが、締まっている。日本人の言う「美味い」は「甘い」とかつてほぼ同義だったという説があるが、なんとなく納得する。豆も、アワビもオコゼも、みなそれぞれに違った甘さがあり、それが「美味い」と思う。素材のもつ繊細な甘さを舌が見つけ出す。これがまさしく、「美味しい」瞬間。ご飯が出てきて、またも九州米の美味しさにノックアウトされた気分。味噌汁は、骨付きのオコゼが入っている。出汁は(あの見かけのオコゼからは想像もできないくらい)、上品。骨付きの魚は、注意して食べないと危ないのだが、タイの縁側同様、骨に近づくにしたがって、食感が変わり、その変化があまりに素晴らしく、舐めるように食べた(笑)。考えてみれば、フランスではジビエといって野生の鳥獣の肉を食べる。肉質のよくなる秋がジビエの旬だ。他のヨーロッパ諸国でも同様の食文化がある。日本ではこうして旬の魚を採って食べる。ヨーロッパでは骨付きの肉を好んでメインディッシュに出す。こんがりと焼いた皮から、骨に近い部位までの食感の変化を楽しませる。臼杵で出された骨付きのタイもオコゼも、発想は同じだと気付く。メインになるのが肉か魚かという違いはあるが、東も西も、洗練された食文化は同じ着目点をもっている。骨付きの魚の味わいを堪能できる舌をもって大人になれる日本人は、幸せだと思う。デザートにはヤッパリ、あの昼食べた和菓子が出た。これはまったく同じ味だった。果物は、ふつう。最後のあたりで仲居さんから、「どなたのご紹介で?」と聞かれたので、「ネットで。評判がいいので」と答えると、驚いた様子だった。地元の常連の紹介で来るのが普通な店なのだろう。臼杵は全国から観光客を集めるに足る観光資源をもっている。ここの魚もその一翼を担うにふさわしい。そして喜楽庵は、ヨーロッパのミシュラン星付きレストランにも決して引けを取らない。「ヨソモノ」が増えても、「地元で揚がった旬の魚」を中心に、その日にメニューを組み立てる姿勢は、かわらずにいてほしいもの。ローカルに徹することで、グローバルな知名度をもつ店に匹敵するクオリティを維持することができるはず。
2014.06.13
臼杵は漁業のさかんな街。有名な関サバは、フランクトンが豊富で潮流の速い豊予海峡で捕獲され、大分市の佐賀関で水揚げされるサバを言うが、その佐賀関は、臼杵から見ると半島の反対側。地理的に極めて近い。豊予海峡が古来、速吸之門(はやすいなと)と呼ばれていたことはすでに書いたが、日本書紀では、東征に向かった神武天皇が、ここで「一人の海人(あま)」に会っている。神武天皇に「お前は誰か」と聞かれると、海人は、「土着の神で、珍彦(うずひこ)と申します。曲(わだ)の浦に釣りにきており、天神(あまつかみ)の御子がおいでになると聞いて、特にお迎えに参りました」と答える。そして神武の水先案内を務め、その子孫は天皇家に近く仕えることになる。豊予海峡が昔からよい漁場だったことがわかるエピソードだ。そして、このあたりの勢力が、古来から天皇家と密接に結びついていたことも。こうした場所に近い臼杵の魚が美味しくないわけがない。そして、よき素材・長き歴史あるところには、美食文化が根付いている。ミシュランで星を獲得した「臼杵ふぐ山田屋」はここが本家。だが、ミシュランで星を取るとお客が殺到して、味とサービスが落ちる傾向が。地方の「名店」は、特に大都市圏からの観光客の増えるシーズンは最悪なことになる。そこで、ネットでほかの料亭を探し、「喜楽庵」に行き当たった。ネットでの口コミもいいし、佇まいも歴史を感じさせる。山田屋のように「支店」がなく、地元密着の姿勢が好感がもてた。電話で予約して、料理の相談をする。フグは季節がら天然物はないが、希望があれば、養殖を出すという。高級店・名店での「偽装」がはびこる世の中。きちんと「天然」「養殖」を分けて説明してくれることに、当たり前といえばそうなのだが、安心感を覚えた。この時期は、オコゼが揚がるとかで、オコゼを薦められる。オコゼかあ… 「夏のフグ」とも呼ばれる魚だが、実はあまりピンとこない。高級魚と言われても、そうですか? ぐらいだ。オコゼは鮮度で値段が違うと言ってもいい。外見がごついうえ(こちら)に毒もあり、さばくのが難しい魚だ。あまり食べたことがないのだが、この際、料亭のお薦めどおりにしてみることにした。嗜好が細分化し、外食産業のすそ野が広がるにしたがって、視野の狭い、主観的な「コストパフォーマンス」でしかお店を見ないお客が増えてしまった。お金を払うのは確かにお客で、それはそれで敬意を払われるべきだが、逆に料理を供する相手に対する敬意も大切だろう。元来、料理人のほうが素材の美味さはわかっている。味覚が優れていなければ、プロの料理人としてやってはいけない。腕の立つ料理人がいいと言うものを食べてみて、どこがいいのかを食べるほうが考える…そういう態度が、もうちょっとお客のほうにも必要ではないかと思うこともしばしば。あとは、伊勢海老がお薦めだとのこと。伊勢海老は5月に入ると禁漁期に入るところも多いが、臼杵の伊勢海老の漁期は長い。ただ、その日に揚がるものによって内容が変わる可能性があるという。「絶対に出す」と確約しない姿勢に、逆にまた好感を覚える。内容は変わるが、値段はあらかじめ決めておく。7000円ぐらいから用意できるというが、だいたい一般的な1人1万円(サービス10%、税は別)でお任せにすることにした。あまり混まない、早めの時間で予約。臼杵の観光を終え、時間通りに伺う。緑あふれる門から入り、古いが、よく手入れされた玄関を開けると3人分のスリッパがきちんと並べられていた。椅子席を希望していて、テーブルのある個室へ通される。明らかに「ヨソモノ」のMizumizu一行に、仲居さんは、どういったタイミングで食事を出すべきなのか、若干とまどっているようでもあった。まずは、にぎやかな海の幸・山の幸のハーモニー。黒豆、ごま豆腐、クルマエビの焼き物、鴨肉。さりげなく、昼に食べた、「クジラの背に似せた」和菓子もついていた(笑)。しかし、微妙に違う気もしたのは、気のせいか?特に甘辛く味付けたクルマエビの焼き物が気に入るMizumizu+Mizumizu母。さすがに九州の味付けだけあって、甘い。関西より甘い。関東とは…正直、Mizumizuは、関東の和食は嫌いなのだ。西に比べると、ずいぶんと田舎っぽく尖った味だ。「歴史と伝統」の差が、東と西の和食にある気がする。<続く>
2014.06.12
城下町・臼杵の風情を求めて、八町大路から二王座歴史の道を歩いてみた。八町大路で、ふとこんな店に目が留まる。昔からある店のよう。もともとは布屋のようだが、自作の服を所狭しと並べ、しかも…作った店主の方は、なんと84歳だとか。布屋だけあって、使ってある生地はなかなか。入って話を聞いたら、80歳を超えてから裁縫を始めたという。そのポジティブなバイタリティに感服。値段はめちゃ安。試着させてもらうと、布の肌触りが昔風で、気持ちいい。なんとなく、お祖母さんに縫ってもらったものを着ている気分になり一着購入。オンリーワンの臼杵の思い出になった。二王座歴史の道には、寺と武家屋敷。石畳、しっくいの壁、灰色の和瓦。風情のある道だが、閑散としていて、あまり歩いている人もいない。GWなのに(苦笑)。唯一人が集まっていたのが、ココ。茶房・長屋門。江戸時代は稲葉家分家の門だったとか。ここも稲葉家のレガシーか。きれいな庭を見ながらお茶ができるよう。食べた方のブログは、こちら。古びた落ち着いた雰囲気もいい。さきほど稲葉家下屋敷のほうでお茶をしたので寄らなかったが、次回もし臼杵に来たら、ゆっくりしてみたい店。
2014.06.11
臼杵石仏を堪能したあとは、臼杵市内に入って城下町を散策。まずは稲葉家下屋敷へ。1600年から270年にわたって臼杵を統治した稲葉家。廃藩置県にともなって東京へ移住したのだが、その際に臼杵での滞在所として建てられた。今残る建築は近代のものだというが、武家屋敷の様式を色濃く残している。屋敷本体から見る、手入れの行き届いた庭園が気持ちいい。わたる風もさわやかだった。ここにはカフェ(茶房・下屋敷)が併設されており、希望があれば、庭園を見ながらの飲食も可能だというので、上の写真のように庭を間近に見ることのできる「御居間」でいただくことに。ペリエで割る粋なカボスジュース。花形の器にたっぷり盛られた、季節ものだという苺のアイス。このアイスがまた、めっぽういい味だ。生の苺のつぶつぶ感もあり、アイスそのものも上品で丁寧な手作りの味。ここのスイーツは、地元の料亭・喜楽庵が提供しているとか。なるほど、納得。季節の和菓子。黒っぽく見えるのはクジラの背中に見立てたものだとのこと。こちらも非常に丁寧に作られている。自然な甘さと、素材感のある食感。本来の苦味がしっかり生きているアイス抹茶でいただく。GWとはいえさほど混んでおらず、庭を独り占めにしながら、ゆったりとスイーツに舌鼓を打つMizumizu一行。Mizumizu+Mizumizu母は、こういう時間がことのほか好き。団体旅行や慌ただしい観光旅行ではできない贅沢な時間。そばにひと手間かけた、一味違うお菓子があると、時間はさらに贅沢なものになる。し・か・し…実は、夜はこの料亭を予約してあるのだ(苦笑)。もしかして、デザートに同じアイスか和菓子が出るのでは…ま、でも美味しいから2度食べてもいいよね、ということで強引にまとめる。このカフェで少々驚いたのは、お店の人の目の届かない場所で飲食していいと言いつつ、しかも代金が当たり前のように後払いだったことだ。そんなにお客を信頼していいのですか?食べるたけ食べてコッソリ出て行こうと思えば、いくらでもできそうだ。庭を見ながら待っていると、当たり前のようにお盆にのせて、うやうやしく運んでくれる。ほんの一瞬だが、この屋敷の主の気分を味わえる贅沢。東京のこじゃれた有名店で、当たり前のように「食べる前に払い」「自分で席に運ぶ」ことに慣れてきているMizumizuとしては、ここ臼杵・稲葉家下屋敷のカフェの、正反対の当たり前に恐縮してしまった。食べ終わったあとは、もちろん自分たちでお盆をカフェに戻す。別に言われなくても、そうしようと思う。管理の行き届いた気持ちのいい空間に、食べ終わったものを残しておく気にはなれない。こうしたお互いに対する敬意と礼儀が、日本の良さだと改めて思う。庭園を通って、旧平井家住宅も一応見学。上級武士の住宅だというが、総じて質素。この居室は、簡素な空間の中の「円と四角の視覚的効果」が面白かったので撮ってみた。
2014.06.10
臼杵の石仏見学のガイド氏が、最後のあたりでこんな伝説を話してくれた。「昔、顔に醜いできもののできた都の玉津姫が、夢のお告げにしたがってこの地へやってきて、臼杵の水で顔を洗ったところ、きれいに治った。そして炭焼きで生計を立てていた小五郎青年と夫婦になり、のちに青年は長者となった」。記憶ベースなので、ガイド氏が語った話と多少違うかもしれない。この伝説は、大分県に伝わる「真名野長者伝説(まなのちょうじゃでんせつ)」と言い、いくつかバリエーションはあるもののだいたい次のようなストーリーになっており、臼杵磨崖仏の由来を語っている。顔に痣のある都の身分の高い姫(玉津姫)が仏のお告げに従って豊後国深田(臼杵)に来て、貧しい炭焼き小五郎と出会い、金色の亀がいる淵の水で体を清めると痣が治る。2人は結ばれて財をなし、美しい娘ができる。娘は身分を隠して来ていた皇太子時代の用明天皇と結ばれるが、即位した用明天皇を追って都にのぼる途中で亡くなる。姫の死を悲しんだ長者(炭焼き小五郎)が岩崖に仏像を彫らせた。実際には、石仏は12世紀ごろの作だから、6世紀の用明天皇(聖徳太子の父)とは関係がない。だが、大分市坂ノ市にある萬弘寺は用明天皇の病気平癒を祈願して建てられたとされており、同じく用明天皇の病気平癒のために聖徳太子が完成させたという説のある法隆寺と同等の伽藍配置を持っていた可能性が指摘されているから、このあたりには用明天皇につながる「何か」があったのかもしれない。そんな伝説に思いを馳せながら、石仏見学を終えて駐車場に戻ると、「後藤製菓 製造直売所」とデカデカと書かれた店舗の前で、一人の青年が客引きをしていた。パッと見ると、女性顔負けの色白美肌の青年!ちょうど、ここの水で美肌に戻った姫の逸話を聞いたところだったので、玉津姫の生まれ変わりが!とは、さすがに思わなかったが、「臼杵の水は美肌効果があるのか?」などと思ってしまった。店内に入ってみると、この店の臼杵煎餅は、岸朝子選「全国5つ星の手土産」に選ばれたそうではないか。ちょっとばかし…いや、相当、くたびれた本の表紙の写真は、六花亭(北海道)の「マルセイバターサンド」(笑)。六花亭は大好きな店なので、ここ後藤製菓の煎餅も好みに合うかもしれない。試食させてもらったのだが、メインの生姜味の煎餅が今一つ…のような気がした。黒糖味のほうが気に入ったのだが、パッケージのデザインに石仏が使われている生姜味の煎餅を外すわけにはいかない。色白美肌の青年も、客を逃すまじとそばに張り付いて、「生姜が使われているのは、昔この一帯で生姜が取れたので…」などと、熱心に説明してくれる。とても感じがいい。…なんという、伊香保の直売子宝饅頭屋との違い…ということで、両方がミックスされているものを購入。どちらかというと、味より石仏のデザインパッケージに惹かれて買ったというのが正直なところ。で、試食時にはさほどでもなかったこの臼杵煎餅だが、あ~ら、不思議。家に帰って、食べれば食べるほど、だんだんに好きになってきた。特に、最初は違和感のあった生姜味にハマってきた。不思議と飽きがこなかった。むしろ、あればあるだけ食べてしまいそう。食べているうちに思い出したが、この臼杵煎餅、子供のころに誰かにもらったことがある。そのときは、むしろ嫌いで食べなかったはずだ。ものすごく「変な味」だと思った記憶がある。昔嫌いだと思った煎餅が今は好きになった。たいして関心をもたなかった臼杵が、とても興味深い場所になってきた。これも伝説のお姫様の神通力…ではなく、ただ単に加齢による味覚と旅の嗜好の変化だろう。ちなみに、臼杵では、後藤製菓以外の場所では、とびぬけて色白美肌の人には会わなかったのだった。
2014.06.08
本州から高速で臼杵(うすき)に車で行く場合、ナビでは大回りの鳥栖経由を案内されることもあるのだが、Mizumizu一行は、宇佐を通って行く距離的に近いルートを選択。九州の東側は高速がつながっていないので、わかりにくい。途中一車線しかない道もあり、渋滞になると逃げられない。何度も通っている道なのだが、今回は東九州自動車道に入って苅田北九州インターでおりるつもりを、その先に高速がのびていて(2014年3月に苅田北九州空港/行橋間が開通したらしい)、行橋まで行ってしまった。行橋インターは少し内陸に入ったところにあって、おりたあとに本来のるはずだった国道10号線に復帰するのに少し時間を食ってしまう。10号に復帰したあと、椎田道路→(また)10号→宇佐別府道路、日出ジャンクションで別府方面の大分自動車道へ。GW後半連休の初日なので、別府までの渋滞を心配したが、混んだのは宇佐別府道路にのる前の一車線の道。宇佐からはスイスイだった。少し早めに出発した甲斐があった。これがもう少し遅かったら、別府の直前でまた渋滞…なんてこともある。午前中には臼杵に着いて、さっそく向かったのは国宝・臼杵石仏。1995年に国宝に指定された磨崖仏(まがいぶつ)群だ。磨崖仏とは岩壁に直接掘った石仏を言う。九州は磨崖仏で有名だが、臼杵の磨崖仏が価値が高いとされるのは、それがレリーフではなく、丸彫りに近いものであり、全体のフォルムやディテールの表現も優れているからだ。それを可能にしたのは、阿蘇山の大噴火に由来するこのあたりの岩石の性質。溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)は軟らかく、加工しやすい。以前、国東半島の熊野磨崖仏を見に行ったとき、たどりつくまでが大変だったので、臼杵磨崖仏もどんなところにあるのか若干不安だったのだが、行ってみたら、穏やかな陽光の降り注ぐ山里のほとりだった。4群に分かれている磨崖仏だが、間をつなぐ坂もたいして急ではないし、普通に歩くと20分ほどで見学ができる。ガイドも無料でお願いできる。Mizumizu一行は頼んだ。臼杵の磨崖仏は、地元の伝承では用明天皇の時代に作られたとされていたようだが、その後の調査・研究で、平安末期から鎌倉時代にかけての作であることがわかっている。伝説はたいてい、かなり大げさだ。トータルで60体余ある石仏のうち、59体が国宝に指定されている。中国大陸様式の仏像の特徴である、ずんぐりとした体躯の石仏群(向かって右)の横に、朝鮮半島様式の特徴である、首が長くほっそりした顔立ちの石仏群(左)が。大陸様式と半島様式が並んでいる珍しい例。…というようなことを、ガイドが説明してくれます。こんな童子のような仏像も。「山王山石仏」群の中の通称「隠れ地蔵」。綺麗な顔立ちをしている。臼杵で一番の美少年石仏。軟らかい石なので、その分傷みやすい。今は外気に触れる状態になっているが、今後空調設備を入れることが決まってるらしい。野外にあることで、植物(特に苔)の繁殖にともなう仏像へのダメージも相当らしい。そして、これが臼杵石仏群の白眉、古園石仏。このスケールは圧巻だった。さすが、国宝~~ まだそれほど有名じゃないけど、これは凄いな~~と思いつつ、ふっと修復前の写真を見ると…えっ、こんな状態だったんですか?中央の大日如来像の頭部は、さらし首状態だし、他の仏像も傷みが激しく、ほとんど壊れてしまっている。どこまで修復するか、なかんずく大日如来仏頭をそのままにするのか、元来あった位置に戻すのかで激しい論争があったらしいが、戻すことが国宝格上げの条件だと文部省が通達したことで、決着を見たそうだ。「修復派」の根回しが効いたということだろう。国宝指定を決定づけた、修復後の大日如来仏頭(中央)。修復が本当のところ、どこまでオリジナルの姿に近いのか、実は新たな創作になってしまってはいないのか。そうした問題は美術品の修復には常につきまとうが、臼杵石仏の価値を認めた研究者が中心となって、時間をかけて丹念に行った作業のおかげで、国宝のお墨付きをもらい、より多くの人々が「見たい」と思うものになったのは確か。エアコンで温度管理されるようになると保存にはいいが、野外にあるからこそ「磨崖仏」がもつ、荒々しい魅力が薄れてしまうようにも思う。行くなら、今のうちがチャンスかもしれない。まだ、全国的にはそれほど知られてない、国宝・臼杵磨崖仏。
2014.06.06
2014GW後半は、3日の土曜日から6日の火曜日までが連休。そこでまるまる3泊を使って、山口を起点に自家用車での九州旅行を、またも直前に計画するMizumizu。今度は母と弟と。まずは、行きたい場所を考える。九州はよく行くのだが、別府から南には案外足を伸ばせていない。行ったことがあるのがせいぜい阿蘇までで、この2大観光名所が「壁」のようになっていて、それより南は、「また次に」と先延ばしになってしまう。だが、今回は3泊できるから、憧れの神話の町・高千穂についに行こうと決心する。天岩戸や山幸彦/海幸彦の伝説を子供のころ読んで聞かせてもらったMizumizuには、高千穂こそ日本の原点。記紀に見る日本の神話は、スケールが大きく、旧約聖書、北方大陸神話、南方海洋神話との共通点も指摘される興味深い文化遺産だ。天孫降臨神話の瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)を導いた猿田毘古(彦)の伝説は、日本の広い範囲に広がっている。バリ島に行ったときは、猿が、その身軽さを生かして神のメッセンジャー役を果たす神話劇を見て、猿田毘古命との共通点を強く感じた。漁をしていて比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて死ぬという猿田毘古命の最期は、いかにも亜熱帯以南の海の民が考えそうなストーリーだ。そもそも始祖王が山頂に降臨するという伝承は、朝鮮・満州などの大陸神話に広く分布しているという(岡正雄他3氏『日本民族の起源』より)。Mizumizuが抱く長年の疑問は、その地がなぜ、「なぜ、高千穂なのか?」ということだ。天孫が降臨したという山が、具体的にどれなのかは諸説ある。古事記では「竺紫(つくし)の日向の高千穂のくじふるたけ」日本書紀では「日向の襲の高千穂の峯」どちらにも共通する地名が「高千穂」だが、必ずしも今の高千穂町(宮崎県)近辺の峰を指すものではないかもしれない。実際、霧島神宮(鹿児島県)は、天孫降臨の地を神宮の背後にそびえる高千穂峰だと主張する。宮崎県西臼杵郡にある高千穂町よりさらに南だ。古事記によれば、降臨した瓊瓊杵尊は、「此処は韓国(からくに)に向ひ、笠沙(かささ)の御前(みさき)に真来通(まきとお)りて、朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照る国なり。かれ、此処はいと吉(よ)き地(ところ)」と言ったらしい。笠沙というのは、鹿児島県の笠沙町にある野間岬(あるいは宮崎県の延岡市の愛宕山だという説もある)。韓国が文字通り朝鮮半島ということになると、朝鮮半島に面していて、笠沙の岬にまっすぐ通じているという、わけのわからない場所になってしまう。一方、日本書紀では、高千穂の峯に降りた瓊瓊杵尊は、「くし日(ひ)の二上(ふたかみ)の天の梯子から」「痩せた不毛の地を丘続きに歩き」「良い国を求めて、吾田(あた)国の長屋の笠狭崎(かささのみさき)に着いた」とある。韓国云々は出てこないが、南九州由来の地名はやっぱり出てくる。瓊瓊杵尊の孫である神武天皇は、127歳まで生きたことになっていて、とてもその存在すべてが史実とは思えない。だが、日本書紀の神武天皇の東征ルート、「速吸之門(豊予海峡)→(筑紫の国の)宇佐→(筑紫の国の)岡水門→安芸国→吉備国→浪速国→河内国」は、非常に具体的だ。宇佐まで北上し、そこからいったん西の岡水門(現在の福岡県遠賀郡芦屋町船頭町)に入って、稲作地帯をおさえて食糧調達をし、そこから本格的に東征に向かった…と考えれば筋が通る。一方、仮に、最近広く信じられている、天皇家のルーツは朝鮮半島にあり、日本を平定しつつ稲作を広めた…というのが本当で、王朝の始祖である神(の末裔)が降臨したという伝説の山は実はもっと北にあり、後の政策上の理由で、それを南部に「移した」としたら、それをわざわざ「日向の高千穂」にした理由は何なのか。天皇家のルーツが半島にあるというのは、Mizumizuにも説得力がある。だが、なぜそこに「高千穂」が関わってくるのかは大きな謎で、飛びついてみたくなる説には会ったことがない。高千穂は単に「高い山」の意味だとして、天孫降臨の地が現在の福岡県の日向峠のあたりだという説もある。天皇家が朝鮮半島から来たと信じるなら、始祖神話の山は半島に近い北九州のあたりにあったほうが納得しやすい。だが、瓊瓊杵尊の孫である神武天皇まで、ずっとそのあたりを統治していたのだとしたら、神武天皇が東征するのに豊予海峡を通り、宇佐へ行ったという日本書紀の記述とは辻褄が合わない。日本書紀の記述が信用できない?たしかに、古事記の方では、神武天皇は「高千穂宮」にいて、「日向を発って筑紫」へ行き、「豊国の宇佐」へ到り、「竺紫(ちくし)の岡田宮」に移り、そこから上って「阿岐(あき)国」から「吉備」。そこからなぜか「速吸之門」に行き、「浪速の渡」に上ったことになっている。豊予海峡が入ってくる位置がおかしい。学術的には日本書紀のほうの記述が正確だと考えるほうが普通だろうが、あるいは日本書紀が何か意図をもって、辻褄合わせを行ったということにしたとしても、日本書紀にはない「高千穂宮」という記述が古事記にはちゃんとあるのだ。ここでは高千穂が「高い山」の意味だとは思えない。高千穂という具体的な地名だろう。こうやって記紀に出てくる地名を見ると、やはり天皇の祖先は南九州にいたか、そうでなくても、非常に深い縁があるとしか思えない。朝鮮半島から来た天皇家の始祖が、北九州からいったん南へ移動したのだろうか(だとしたら何のために)? あるいは南九州にいた勢力が北上して半島から来た勢力と合体したのが天皇家のルーツなのだろうか?「高千穂」は、単純に天皇家のルーツを朝鮮半島にできない「足枷」にもなっている気がする。謎多き神話の里・高千穂。そこが今どんな場所なのか、まだ行ったことがない。楽しみを先延ばしにするように、これまで行かずに取っておいた。写真で名高い高千穂峡も、新緑のシーズンに行くのがベストだろう。…というワケでルートを考える。山口が起点だから、熊本から西へ行く阿蘇経由ルート。あるいは、別府を通り過ぎて延岡方面まで南下し、そこから東へ折れるルート。この2つが車では行きやすそうだ。一番道が簡単なのは、高速で熊本まで行く前者のルートだったのだが、熊本から阿蘇にかけて、ホテルがないないない…GWの10日前からバタバタ探しても、4日の日曜日の宿はそうそう見つかるものではない。ましてメジャーな観光地である熊本・阿蘇では。そこで、別府素通りルートを考えた。別府の南、高千穂の北で、観光してみたい場所を探す。臼杵なんかどうだろう? まだ行ったことがない街だ。国宝の磨崖仏もあるし、美しさでは秋芳洞を凌ぐという風連鍾乳洞もある。港もあって海の幸が美味しい街らしい。3日の土曜日は、まだわりあい宿も空いている。よし、ここでまずは1泊。次はホテルを探しやすそうな延岡で1泊。もっともホテルの予約を取るのが難しいGW後半の日曜日だったが、おあつらえ向きに、Mizumizu母の好むビジネスホテルである「ルートイン」のシングルが3つ空いていた。最後に高千穂で1泊。最終日の6日は南阿蘇を通って、日田まで北上し、日田でうなぎでも食べて、あとは高速で山口へ。というわけで、出発の朝。山口を午前6時半に出た。
2014.06.05
せっかく伊香保に来たのだから、夕食は取って帰りたい。急に思い立って来た日帰り旅だから、あまり食事処を調べる時間はなかった。石段街で評判のいい店でもあればと食べログをチェック。一部ヤラセがあるとか、食べログだけで高評価で地元では全然知られてない店もあるとか、批判もある食べログだが、ネットの情報というのは、もともと玉石混交。玉を石と言ったり、石を玉と思いこんだりする人もいる。実際に自分にとって「玉」なのかどうかは、やはり足を運んでみなければ確認しようがない。石段街にある店で目についたのが「ティーレストSARA」というカフェだった。名前はカフェだが、投稿で美味しいと書いてあるのは「しょうが焼き」や「週末限定のチーズバーガー」。しょうが焼きにチーズバーガー??なんとも不思議な取り合わせだが、昼がうどんなので、この手の庶民的な味がいいかもしれない。石段街の上のほうにある店は、苦労もなく見つかった。立地は抜群だ。しかし、この入口…食べログを読んでいなかったら、わざわざ温泉街に来て、まずこういう店には入らないだろうなあ…天井の低い店の中は、いかにも作りが古く、置いてあるテーブルや椅子もチグハグで統一感がない。「代官山のカフェだと言っても通じちゃう感じ」と書いている人がいたが…それは、ないでしょう。美味しいという評判を知らずに入ったら(知ってて入っても)、「観念するか」と、諦めの境地でメニューを広げるかもしれない。「いらっしゃいませ」と、それだけ文字にすれば普通だが、若干「木で鼻を括ったような」言い方の女性に迎えられ、「ガタッ」と雑にメニューを置かれる。Mizumizu+Mizumizu連れ合いが頼んだのは、食べログで美味しいとあった2品と、表の看板で「じゃらんのおすすめ」とあったワッフル。まずはチーズバーガー。見た目は普通だ。しかし、一口食べてみて、「んっ!? これは美味しい!?」こういう簡単なもので、「美味しい」と思わせるのは難しいと思う。だが、そうなのだ。まずパンが美味しい。表面がかりっとして中がもっちり。そして肉が美味しい。噛むとじゅわっと肉汁の広がる、上質な風味。惜しみのない厚さで食べごたえもある。言うまでもなく、チーズと野菜とソースも美味しい。つまりは、チーズバーガーをチーズバーガーにしている素材全部にスキがないのだ。こちらが、しょうが焼き定食。ついてるうどんを一口食べて、Mizumizu連れ合い、「ん? 昼のうどんよりうまい…?」あーあ、言っちゃった。昼は水沢うどんの有名店に行ったのに(苦笑)。こちらが、しょうが焼き。いい感じに焼けているが、見た目は普通だ。だが、食べてみると一味違う。厳選素材だというのはメニューにも書いてあるが、濃い目の味付けも、「隠し味は何?」と、聞きたくなるようなひねりが効いている。ありそうで、ちょっと、なかなかない味だ。そして、ワッフル。見た目は、正直、たいしたことない。電子レンジでチンしただけの、シナッとした出来合いワッフルみたいだ。ところが、ところが…あれっ?食べてみると、これが不思議にイケるではないか。予想に反してワッフルは、もっちりといい感じの食感。添えらているアイスもホイップもベリーも、ちゃんとしている。作り手の味のセンスの良さを、食感と味覚で感じられる店だった。結局料理はセンス。しょうが焼きとかチーズバーガーとかワッフルとか、統一感のないメニューを頼んでも、これだけ、そこここに作り手のセンスが感じられた料理も珍しい。「美味しい、美味しい」を連発して完食したMizumizu+Mizumizu連れ合い。支払いのころには、最初は「やっぱり群馬の女って…」と思わされた女性の態度もほぐれてきた。また伊香保に行ったら寄りたい店になった。これだけの料理のセンスなら、他のメニューも期待できそう。
2014.06.03
温泉饅頭の発祥の地は、伊香保らしい。詳しい話は、「勝月堂」のホームページを読むと書いてあるのだが、かいつまんで言うと、明治のころに勝月堂の半田勝三氏が地元の「伊香保に新しい名物を」という声に応えて考案したのが、茶色い温泉の湯の花をイメージした饅頭で、それが各地に「温泉饅頭」として広まっていったのだそうな。温泉地で温泉饅頭を好んで買うかと言えば、そうでもない(苦笑)Mizumizuだが、元祖の勝月堂「湯乃花饅頭」は食べてみることにした。石段街の一番上のほうにある、きれいな店構えの勝月堂。店員も笑顔で、はきはきと感じがいい。バラで1つ買って、店の外でパクリ。感想は…ふつうに美味しいお饅頭ですね。質の悪い饅頭にありがちな、くどさや、カサカサ感はなかったが、特に大感動することもない。それこそ今となっては、よくある温泉饅頭。由来にまつわるエピソードを聞かなければ、ブログに取り上げることもなかったかもしれない。ところが、勝月堂よりさらに上のほう、石段街が終わって、伊香保露天風呂に向かう道の途中に、古い店構えの饅頭屋があったのだ。店にいるのは夫婦2人。その場で製造・販売するスペースがあるだけの文字通り最小限の店。元祖湯乃花饅頭に対抗したのか、元祖子宝饅頭と名乗っている。まあ、ネーミングはどうでもいい。どっちが何の元祖でも。饅頭で大事なのは、味でしょ。こちらでも、当然バラで売ってもらえるだろうと思い、「すいません、バラで買えますか」とご主人に聞くと、「いいですよ。いくつ?」と逆に聞かれたので、「1つ」と言ったら、「えっ」と物凄く不機嫌な顔をされた。「1つじゃ売れない。2つから」ぼそっと言うので、「じゃあ、2つ」と2つ買うことに。バラ売りというのは、通常1つずつ売ることだと思うのだが、この店だけは違うらしい(苦笑)。この露骨な態度と「下の店より安いです」という、卑屈な手書きの宣伝文句に、ハズレかな~ と覚悟したのだが、一口食べて…えっ、これは美味しい!つやつやと黒光りしている皮は、もっちりとした食感が素敵だし、しとやかな風味がしみている。餡も甘すぎず、いい感じだ。ほっぺたが落ちるほど…などとは言わないが、とても好きな食感と味で、もっと食べたくなった。そこで…箱で買いました。賞味期限が短いので、自宅に戻ってから、余りそうな分は1つ1つラップにくるんで冷凍し、後日少しずつ自然解凍で食べた。もちろん、風味は落ちるが、家で食べるおやつとしては十分。知名度から言えば勝月堂だし、店もずっときれいだし、客あしらいも比較にならないぐらい上だが、味で言えばMizumizuは子宝屋に軍配を上げる。本当に手作り少量生産というのが、舌で納得できる。饅頭好きではないMizumizuだが、また伊香保に来たら、必ず「子宝屋」の饅頭を箱でリピートするだろう。
2014.06.02
水沢うどん→伊香保露天風呂→榛名神社→榛名ロープウェイと回って、いよいよ伊香保温泉といえばココ、の石段街にやってきたMizumizu+Mizumizu連れ合い。おお~、賑わっている。「THE温泉町」と言いたくなる、これぞ名湯・伊香保の風情。こちらが伊香保で入ったもう1つの温泉。「石段の湯」。立地の良さで知られる共同浴場。伊香保には「黄金の湯」と「白銀の湯」という2種類の泉質があるのだが、この「白銀の湯」というのがクセモノ。1996年に開発されたもので、成分こそ温泉だが、ほとんど効能はないと言われている。観光客が増え、温泉の供給量が間に合わなくなったことが「白銀の湯」の開発のきっかけ。名湯・伊香保の湯はあくまで古くからある「黄金の湯」なのだ。伊香保に来たのなら、設備はよくても泉質の悪い「白銀の湯」よりも、規模は小さく、清潔度は落ちても「黄金の湯」に入りたい。というわけで、立地もよく、黄金の湯かけ流しだという「石段の湯」を2番目(そして日帰り旅の最後の)温泉に選んだ。石畳の温泉街をそぞろ歩き、饅頭や食事をすませたあとに入浴したのだが、この「石段の湯」、入ってみて意外なことを知った。かけ流しはかけ流しなのだが、なんと「塩素消毒」をしているという。えっ?その表示にかなりテンションの落ちるMizumizu。源泉から遠く、温度が高くないたいめに、雑菌が繁殖する恐れがあるということだろうか? 詳しい人に聞いたわけではないから、はっきりわからないが、かけ流しの温泉が、塩素消毒するとは予想外だった。別に塩素臭がするということはない。言われなければ、単純に源泉かけ流しの100%温泉だと思っただろうから、きちんと表示があるのは良心的(というか、消毒の有無表示は義務だが、全国の温泉施設すべてが、忠実に義務を順守していると思えないのだ)だが、ネットの観光案内では、そこまで書いていないのがほとんど。共同浴場だから混んでいて、温泉地に来たゆったり気分も味わえずに終わった。露天がないのは承知の上だった。最初に野趣あふれる露天風呂に入るから、2番目は体が洗えて、かけ流しならいいだろうと思ったのが、あまりに共同浴場・共同浴場しすぎていて、伊香保まで来た甲斐がない気がしてしまった。こんなことなら、「黄金の湯」を引いている温泉旅館あるいはホテルの日帰り入浴を利用すればよかったかな? しかし、伊香保は水道水を温泉と偽って営業していた温泉旅館が大問題になったことがあり、それがたとえごく一部だったとしても、いまだに印象がよくない。あまり下調べをする時間もなく決めてしまったのだが、立地の良さのほかは、東京からわざわざ来て入るほどの浴場でもなかった。泉質だったら、源泉に一番近い「伊香保露天風呂」が最高だろう(ただし、体を洗ったりはできないが)。伊香保で塩素消毒かあ… 効能豊かなお湯というイメージだったのに… そう考えると、山口に散在している「俵山温泉」「柚木慈生温泉」「(川棚)小天狗温泉」など、素晴らしいじゃないですか。俵山温泉は、旅館のほとんどが内湯をもたずに少ない効能豊かなお湯を守っている。そのすぐれた泉質を、「西の横綱」と言う人もいる俵山温泉の共同湯には、消毒なしのかけ流し浴槽がちゃんとある。柚木慈生温泉は、体を洗うのもやっとの小さな温泉で、お世辞にもきれいとは言えないが、炭酸ガスその他の有効成分を大量に含む、全国でも珍しい泉質。小天狗温泉は、厳冬期に加温するのみの、源泉100%かけ流しの含弱放射能泉。ここも小さな旅館の温泉で、一度入ってどうということもなかったが、「本当の温泉」を守る姿勢が素晴らしい。とはいえ、伊香保の温泉街の風情と賑わいは、見て、歩いて、楽しめた。一晩泊まってもいいかな…という気持ちにもなった。車の通らない道が、温泉街のメインストリートになっているというのもいい。石畳の道を横に折れて入っていくと、旅館がある。こういう立地は最高だろう。古い伊香保町の絵図もあった。それを見ると、昔はこの石段がもっとずっと横に広かった様子。夕方になってくると、宿泊客が浴衣でそぞろ歩き始める。日帰りの身とすると、なんとなくうらやましい。急な高低差のある道の眺めは、変化に富んでいておもしろい。歩いている人にも風情がのり移るようだ。階段を登りつめると、神社があり、その先をさらに歩くと、「伊香保露天風呂」に行ける。やはり東京に住んでいたら、一度は来ないと、伊香保。楽しい温泉街散歩だった。PS:伊香保の「黄金の湯」を引いている旅館は以下:http://www.ikaho-koganenoyu.net/
2014.06.01
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