MoMo太郎日記

MoMo太郎日記

2022年07月31日
XML
カテゴリ: 気になる風景
文豪として知られ陸軍の軍医総監も務めて、脚気は「脚気菌」による細菌感染症であるとする説にこだわっていた(→→→ こちら )森鴎外(本名:林太郎)は、一時期、この北千住に住んでいたそうです。
大正通り探索のついでに森鴎外が住んでいた、橘井堂医院(きっせいどういいん)の場所を訪れてみました。

北千住にある旧日光街道に沿った千住本町商店街の千住ザ・タワー付近の交差点を線路にむかって左折すると、

橘井堂医院跡にある記念碑がありました。

「森鷗外旧居 橘井堂森医院跡」の石柱があり、

「千住の鴎外碑の碑文」には、小説「カズイスチカ」の一説が引用されていました。

森鴎外と北千住の関係について説明が書かれていました。
3枚の説明板があったのですが、重なって全文が見えません。またそれぞれの板は固定されていて全文を読むことはなかなか苦労します。


明治12(1879)年に父静男が南足立郡医となり千住に転居して、後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業しました。この頃、林太郎は東大在学中で下宿先にいましたが、大学を卒業した明治14(1881)年には下宿を引き払って千住に住み、医師として父とともに医療活動に従事しました。この頃の様子は小説『カズイスチカ』に描写されています。
「鴎外」という号は、現隅田川の白髭橋付近にあった「鴎の渡しの外」(かもめのわたしのそと)という意味で、林太郎が住んでいた千住を意味しています。


ちなみに、 白鬚橋 付近にあった「 鴎(かもめ)の渡し 」は吉原を指す名称でもあったそうで。遊興の地には近寄らず、遠く離れて千住に在るという意味も込められているのでしょうか。

註1)  鴎の字は、「メ」ではなく「品」ですが環境依存文字であるため「鴎」を使用しています。
註2) 説明板の 白髭橋 の表記は間違いで、正しくは 白鬚橋 です



【つづく】


人気ブログランキング

「大正通り」を探そう(その4) 北千住と森鴎外





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年07月31日 17時29分27秒
コメント(18) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

プロフィール

MoMo太郎009

MoMo太郎009

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

飲めばどんどん痩せ… New! super☆makoさん

ケイトスペード バッ… New! お買い物中毒【悪女】ハイブランド購入品♪さん

🍑新作「忘れな草を… New! 神風スズキさん

参加国がどんどん減… New! あけやん2515さん

いつの間にか木曜日 New! mamatamさん

遅れ馳せながらアジ… New! ヴェルデ0205さん

渋沢栄一ゆかりの酒… New! まちおこしおーさん

死ぬよりも生きてい… New! 歩世亜さん

皇居周辺うろうろ New! やすじ2004さん

今年はプリムラの夏… New! dekotan1さん

コメント新着


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: