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NHKラジオ放送から流れてくる、日曜朝の「文学のしずく」。それは「枕草子」であった。そこで、静かに戸田菜穂さんの「枕草子」の朗読を聞いた。 人の朗読を自分として、殆ど聞いたことはないので、ひとしおその声が耳に残った。 「枕草子」の文の一言一句はきれいである。殊に「春はあけぼの」を始めとして、名文である。朗読を朝のふとんの中で、うとうとと聞くのも味わいの深いものがある。 冊子を見る度に、いつも心に残る名文がある。ここでは、春を間近にして、本文だけではあるが挙げることにする。 木の花は(三七段) 木の花は、濃きも薄きも紅梅。 桜は、花びらおほきに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花 は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでし。 卯月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、 花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう 心あるさまにをかし。-略― 人間は一生のうち、必ず満開の花に包まれる時がある。但し、花はさくらの花でなくても良い。 ・・・ ひと口メモ ・・・ 地震・山火事・戦争・自殺・強盗殺人・虐待など多いが、これは人間に対する神の怒り、天の怒りではないだろうか。
2011/02/24
昨年末にわかったことだが、A(女)先生は亡くなられていた。先生も80歳を超え、年齢的にはその死を受け入れられるが、私はかなりのショックを受けた。 大学卒業後、教職を少し経験されて、私たちの高校へ赴任されたようだ。服装や言動を見ていると、女生徒と同じような感じだった。 先生と廊下で会う時は、にっこりした笑顔で接してくださったことは本当にうれしかった。 先生を思い出していると、次のことが強烈に私の目に残っている。ある日、高校とかなり遠く離れた田んぼの中の道を、A先生とB(男)先生が手をつないで、市街地の方へ向かって歩いておられた。私はその後姿を見るなり、二人の雰囲気をつぶしたら酷と思い、すぐに自転車を逆方向に走らせた。私には何とも言えない情景で、これは私の胸にしまうことにした。 二人は未婚だし、当然、恋愛感情の高いものがあったと思う。私は社会人一年生だった。表は先生であるが、裏は女性であり、A先生は表裏を行き来していたのだろうか。 今、あの時を思っても、何も残っていない。どんなやさしい、そしてきれいな先生であっても、人界に実在しないとなれば、人界でのことは全てが死とともに終わっている。 ただ、手をつないで歩くA先生は、あの場で私がA自身に声をかけてほしかったと、にっこりほほえんでおられるような気がする。
2011/02/12
昨年末、同窓生のA君が亡くなっていることがわかった。奥さんの言葉によれば死因は肺ガンであったとのこと。自覚症状はなく、セキがよく出るようになったので、医院に行ったところ、ガンの転移が激しく手の施しようがなかったとのこと。 年齢では、私と同じく高齢であったが、ガンでなければ、まだ生きられたであろう。 中学校では、私とA君は同じクラスだった。彼とは学習成績が拮抗しており、競争の相手であった。彼はテストの採点結果を異常に気にしており、点数が私に負ければ、不機嫌で、何かにつけて私にあたってきた。 友達だったが、気が許せない友達で、A君とは打ち解けず、さみしい思いだった。それぞれ中学校を卒業し、別々の高校へ進んだ。ある日、A君は次のことを私に言った。「物を使うのを節約し、物を大切にすることを言うが、そうすると品物が売れなくなり、経済がだめになる。」とのこと。 ライバルA君は自分の言った言葉を今は忘れて、土の中に静かに眠っている。懐かしさで一杯である。 ―ひと口メモ― 悪人である私が死んでも、地獄・極楽の世界から、私を誰も迎え に来ないと思う。しかし、どんな状況であっても、母だけは迎えに 来るに違いない。
2011/02/09
小学校の入学式が終わってから、しばらくたって、参観日があった。この日はお母さんもきれいにし、親子一緒に登校した。私も母と一緒だったが、少し緊張した空気が学校全体に漂った。この日は校門の近くに立つ二宮尊徳(像)も、児童一人ひとりを見つめているようだった。 親子一緒に教室に入り、授業が進んだ。ところが、O君はむずむずしたり、ざわざわした。やや参観の雰囲気をこわした。状況を見たお母さんはO君の側に行き、身体をただし黒板の方を見るように言うのだが、なかなかきちんとした態度にならなかった。お母さんがずっと側につくことにより、O君は平穏になった。小学校のころは、O君と私は仲も良く、気のよい友達でいつも笑顔だった。いわゆる気の合う友達というところだ。 O君とは高校に入学しても、同じクラスだった。ある日、5人くらい気の合う連中が集まって雑談している時、H君がO君に「お前何をしに学校に来てるんや」と言い放った。この言葉にみんな動ずることもなく、平然としていた。 O君等は一般生徒が弁当を食べるころには昼食を終わっていた。彼等は4時間目の終わりころになると、机の引き出しみたいな所に弁当をかくし、わからないように食べた。今でも、その時のことはしっかり覚えている。 私は、学校の帰りに、時々O君の家に立ち寄った。お母さんは大変喜ばれ、お茶や時にはおやつを出されることもあった。自分の子とよその子供を同じように扱った。 彼は、今はこの世にはいない。勉強は出来ない生徒だったが、みんなから好かれたO君は、気がよく気の許せる友人だった。O君はあの世から私を迎えにくるだろう。きっと彼は楽しみにしているに違いない。こんな良い彼を、神は置き去りにはしない。
2011/02/01
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