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2026.06.03
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カテゴリ: 坐禅
「大智禅師偈頌講話」澤木興道 人に示す 抜粋

何百年かの後から見ても、軟千年の後から考えても、本当に明るい、本当に正しいという人は、一体どこにおるか。それは実際は、二宮尊徳など僅かに数えるだけしかない。

 こういう人たちは一体何をしたか。自分の考えを少しも混ぜてない。二宮尊徳は、人のためにばかりしている。自分のためにちょっともしておらん。わたしは、二宮金次郎みたいな頭のいいやつが、自分のためにするならば、どえらい悪い事をしておると思う。あのくらい精力家、精力絶倫、成田山で三七二十一日断食して、歩いて戻って来たという。歩いて来て、葛湯いっぱい飲んで田畑を見回る。それに、あれは頭の勘がいい。つまり、わたしのところでいうと、エレキという。茄子をちょっと食うても、アッ、今年は飢饉がある、という、第六感の働く男だ。そんな男でも、自分のためには一つもしていない。だから、碌な出世はしていない。そうして、ただ人のためばかりー。
 で、今もこの己を投げ出してー、己を投げ出す。懸崖に手を撤してー。だから無念無想とか、非思量とかいうことは、この懸崖に手を撤して工夫を下すことである。自分のためではない、功利的ではないことである。・・・・・・

金のある者も、ない者も、暑いときは暑い、寒いときは寒い、坐禅堂でジッと坐っておる姿が、本当に本来の真面目である。つまり釈迦と続き、達磨と続き、万人共通、 諸縁を放捨し、万事を休息して善悪を思わず、是非を管せず、心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図らず、ただ長連牀上の觜盧都(しとろ:柘榴の蕾)、これが只管打座である



(一)只だ他(かれら) の三祇劫空にして︑生死も涅槃も俱(とも )に寂滅なりと了達するが為の故に︒既に未だ這箇の田地に到らざれば︑切に邪 師の輩の胡説乱道(うせつらんどう )して︑鬼窟裏に引き入れられ︑眉を閉じ眼を合(あわ) せて妄想を作すべからず︒邇来(じらい)祖道衰微し︑此の流(やから) は麻の如 く粟(あわ) に似たり︒真(まこと) に是れ一盲の衆盲を引き︑相い火坑に牽(ひ) き入れるなり︑深く憐愍すべし︒願くは公(あなた) は硬く脊梁骨(せきりようこつ )を著(つ )け︑這 般の去就を作すこと莫れ︒這般の去就を作す底(もの) は︑暫(しばら) く箇の臭皮袋子を拘得し住(とど) めて︑便ち以て究竟と為すと雖(いえど) も︑心識紛飛 (ふんび )して︑猶(なお)野馬のごとし︒縱然い心識暫停すとも︑石の草を圧するが如く︑覚(おぼ) えず又た生ずるなり︒無上菩提を直取して︑ 究竟安楽の処に到らんと欲(ほつ) すとも︑亦た難からざらんや︒宗杲も亦た嘗 (かつ) て此の流 (やから) の為に誤らされる︒後 来(のち)に真の善知識に遇わ ざれば︑幾(ほとん) と空しく一生を過ごすに到らん︒每每に思量するに︑直 是(まさ)に叵耐(はたい )なり︒故(ゆえ) を以て口業を惜まず︑力(つと) めて此の弊を救う︒ 今 ま稍 や非を知る者有り︒若し径截(ただち) に理会せんと要(もと) めば︑須らく這の一念子の 地に一破するを得て︑方(はじ) めて生死を了得し︑ 方めて悟入と名づくべし︒然して切に心を存して破を待つべからず︒若し心を破処に存せば︑則ち永劫に破する時の有ること 無し︒但だ妄想顛倒底の 心︑思量分別底の 心︑生を好み死を悪(にく) む底の 心︑知見解会底の 心︑静(しずか )を欣い、鬧(さわがしき) を厭う底の 心を将(もつ )て︑一時に按 下(あんげ) して︑只だ按下の処に就 て︑箇の話頭を看 よ︒僧︑趙州に問う︑﹁狗子に還 た仏性有り也 無﹂︒州云く︑﹁無 ﹂と︒此の一字子は︑ 乃ち是れ許多の悪知悪覚を摧(くだ )く底の 器仗なり︒有無の会を作すことを得ざれ︒道理の会を作すことを得ざれ︒意根下に思量卜度





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最終更新日  2026.06.03 13:10:10


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