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2026.06.06
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カテゴリ: 報徳
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二宮翁逸話

37 二宮翁と水野越前守

翁を水野越前守に推薦したのは大久保公ではないということである。
大久保公は天保8年に薨去されたのである。
水野越前守に翁を推薦したのは相馬の家老草野正辰かまたは高野山の弁算和尚かであろうと思う。
草野と弁算和尚も二宮翁とは懇意にしておったのである。
故に翁が幕府の直臣になる導火線となったのはこの二人であろうと思う。
弁算和尚は高野山で立派な一寺の住職であったが、高野山を下って故郷の相模へ帰る途中自分の衣服を乞食に施し、己は乞食の衣服を着て飄然と帰ったということである。
この和尚は水野越前守が非常に信用した人であって、和尚はまた二宮翁をすこぶる尊敬したのである。
翁の江戸におられた時はしばしば安否を伺いに来たが、その時は決して奥に通らないで玄関から翁の安否を問うて変わりなしと言えば直に立ち去ったということである。


弁算和尚は夜話にも何回か登場する。

二宮翁夜話巻の2

【29】尊徳先生が弁算和尚に問うておっしゃった。
「仏が一代の説法は無量である。
しかしながら、区々の意があるわけではなかろう。
もし一切の経蔵に一言で題する時はどう言えばよいか。」
弁算和尚は答えて言った。経典に「諸悪莫作衆善奉行という。この二句をもって、万巻の一切経を覆うことができよう。」
尊徳先生はおっしゃった。
「そのとおりだ。」

二宮翁夜話残篇

【47】尊徳先生は日光ご神領の興復法の取調帳数十巻を指差しておっしゃった。
この興復仕法計算は、ひとり日光だけではなく、国家興復の計算である。
日光神領という文字は本当に素晴らしい。
この言葉は世界の事と見てもよい。
そうであればこの帳簿は計算帳と見てはならない。
これは皆一々悟りの道であり、天地自然の理である。
天地は昼夜に変じたり満ちたりして違うことがなく、偽りもない。
そして算術もまた同じである。
だから算術をかりて、世界が変じたり満ちたりするのはこのとおりの道理であるから決して油断できないと示していましめたものである。
この帳面を開くときは神の一を何であろうとも定めてみるがよい。
善でも、悪でも、邪でも、正でも、直でも、曲でも、何であろうとも定めて置いて見る時には、元によつて利を生み、利が返ってまた元となり、その元に利が付いて繰返し繰返し仏説にいう因果因果と引き続いて絶えない事、年々歳々このとおりである。
たとえば毎朝、自分が先に眼覚めて人を起こすか、また人に毎朝起されるか、この一事でも知ることができる。
人の世は一刻勤めれば一刻だけ、ひととき働けばひとときだけ、半日励むならば半日だけ、善悪邪正曲直皆この計算のとおり、1厘違えば1厘だけ、5厘違えば5厘だけ、多ければ多いだけ、少なければ少ないだけ、このとおりと皆180年間明細に調べ上げたものである。
朝早く起きた因縁によって麦が多く取れて、麦が取れた因縁によって田を多く作り、田を多く作った因縁によって実が多く取れて、麦が取れた因縁によって田を多く作り、田を多く作った因縁によって馬を買い、馬を買い求めた因縁によって田畑がよくできて、田畑がよくできた因縁によって田がふえ、田がふえた因縁によって金を貸し、金を貸した因縁によりて利が取れる。
年々このようになっているによって富裕者となるのである。
 そして富裕者が貧困になってゆくもまたこの道理である。
原野の草、山林の木の生長もまた同じ理なり、
春に延びた力によって秋に根を張り、秋に根を張った力をもって、春に延び、去年延びた力をもって今年太り、今年太った力をもって来年もまた太るのである。
天地間の万物は皆このとおりである
これを理論で言う時には、種々の異論があって面倒であるから、私は算術をかりて示したのである。
算術で示す時には、どのような悟道者でも、どのような論者でも一言も言うことができない。
天地が開けた昔、人も動物もまだ無い時から、違いがないこともって証拠として、天地間の道理はこのとおりの物であると、知らしめたのである。
決してこの帳面を計算と見てはならない。
数はごまかすことができない。
この数理によって道理を悟るがよい。
これが悟道への近道である。
弁算和尚がかたわらにあって次のように言った。
「これぞ本当の一切経である。仰ぐがよい尊ぶがよい。」

弁算は現在の小田原市中里で生まれた、つまり尊徳先生と同郷である。
ここに真言宗満福寺があり、そこに弁算の石碑があるという。
それによると
「弁算尊師は、字(あざな)は恵運、姓は剣持。
当村出身で満福寺9代の広弁あじゃりによって得度した。
年11歳で高野山の浄応師について学び、功を成して名をあげて高野山を退いた。
その後万国を遊歴した。
年68歳で江戸の老中水野の宅で法命を終えた。
DSCF1556.JPG
「傑僧弁算上鋼の碑」抜粋
弁算上人は老中水野越前の守忠邦、二宮尊徳等とも深い親交があり、それらは諸書により明らかであり、上人は弘化2年(1845)5月23日であり、68才を一期に水野家にて法命を終えたのである。
葬儀は水野家の屋敷にて立派にとり行われたと云い、埼玉県妻沼の名刹歓喜院の立派な宝篋印塔の傍らに今も手厚く葬られている。





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最終更新日  2026.06.06 00:00:11
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