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旅行記もそこそこに、思いつくまま鉄道ネタを少々。 一応出版業界に身を置く者として日々ダレた営業(?)をしているが、自分が今年1年どれだけ本に金をかけるか、計算しようとしている。で早速1月には大量に本を買い込み、しかも例の如くメトロ神戸で発見した樺太のゴツイ中古本を数千円出して買ったりで、3ヶ月で既に万を軽く越えている。そんな中で今年1月に出版された「将軍様の鉄道」という今ホットな半島の北半分の国の鉄道の本を最近購入した。発刊当初に既に存在は知っていたが、どこかの新聞(家ではA紙だが、出張ばかりしているのでどこか地方紙だったかもしれない)にも書評として載り、マニア的要素だけではなく、かの国の実情を知る上でもかなりの資料らしいと聞き及び購入したのだ。著者が個人で調べた情報も大変多いらしく、「こんな写真が流出していいのか」と言う感じのものまで載っていたが、まだ読み始めたばかりなのでゆっくり楽しみながら読むことにする。しかもDVDまでついて1995円は安い。うちもこんな本を出せば、もうちょっとマシな出版社になるのに。 もう1つ。かの関口知宏氏が今年も旅に出る。今度は中国の一筆書き最長ルートらしい。2004年の日本列島一筆書きでは12000キロだったが、中国はその数倍らしい。さすがは偉大なる中華大陸。○沢東主席マンセー(国が違うようですが・・・)。起点は昨年開業したばかりの、世界最高地点(標高5000m以上らしい)を通る、チベット鉄道のラサ。正月に同じN○KBSで放送された鉄道である。その放送を見た時、最新技術を駆使して凍土の中に路盤を整備し、高山病対策を万全にした列車を特別に製作し、すばらしい景色の中を走行する様を見て、いろんな感慨を得た。今度はそれ以外の中国大陸を合わせて、関口さんに旅してもらえるのだから見ものである。例によって恒例の生中継があるが、海外なので毎週日曜に1週間分まとめての放送になるらしいが、まあじっくり楽しむことにしよう。それにしても熱中時間といい、アニメ夜話といい、どうも最近のNH○BSにはマニア心をくすぐる担当者がいるのだろうか。こんな番組を作り続けるのなら個人的には受信料は惜しくない。
2007年03月28日
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この旅の最終日。2つ目の旅の目的、この3月末で廃業する一戸駅弁の山口松山堂「ロースカツ弁当」を味わう。 盛岡駅8時55分発の東北本線転換の第3セクターIGRいわて銀河鉄道八戸行に乗車。盛岡駅のIGR改札はJRと離れ、駅の隅に追いやられている。盛岡~好摩間はJR花輪線の列車も乗り入れるし、そもそも長距離列車が第3セクター後も走っているにもかかわらず、改札が別になっているとは。 IGRの列車はJR東の「ローカル用走るンです」こと701系と同系車。発車待ちの間に花輪線からの盛岡行キハ52+キハ58系という渋い列車が着く。駅構内には他にも701系があちこちに留置してある。優等列車や長距離列車にに使用する車両が見当たらない。当たり前か。 IGRの列車は「ワンマン運転」となっているが、実際には無人駅の切符販売や集改札業務をする車掌が乗っている。ドア扱いこそしないが、車内放送も担当している。これじゃ立派な「ツーマン運転」である。なぜワンマン扱いにしているのか分からない。盛岡駅発車後、3駅ほどは盛岡の郊外の住宅地を走る。新しい駅もあり、第3セクター転換後に新設されたようである。線路の横にはずっと細長くJRの用地が続く。最初はJRの盛岡運転所で、続いて保線施設や資材置き場やらが、ずっと続く。おそらくその頭上にある東北新幹線の高架橋建設用地がそのまま鉄道用地になっているのだろう。新幹線がやがて去り、郊外の風景が丘陵田園地帯になる。盛岡市内にはほとんど見かけなかった雪が少しずつ見えてくる。途中好摩で花輪線が分岐、それ以外の駅ではほとんどポイントが無い。単調な配線になっている。しかし対向する列車は新幹線には全く関係の無い長編成の貨物列車が多い。旅客列車よりも多い。新幹線が開業し第3セクターになっても、東北本線は首都圏と北海道を結ぶ貨物の大動脈である。第3セクター転換に伴って貨物会社が支払う線路使用料を巡って揉めたという話を聞いたが、それは結局どうなったのだろうか。 峠に差し掛かり、雪景色の奥中山高原駅に着く。まだ東北本線が非電化だった1960年代までは貨物はD51の重連で、旅客はC61に補機を付け峠を越えていた奥中山は撮影の名所だった。今は旅客列車は軽装の701系電車、貨物も新鋭電機EH500牽引に代わって、苦労した峠の面影は少ない。 一戸には10時ちょうど着。かつてはその奥中山を越えるため機関区もあったので構内は広い。一戸町の玄関口なので地元NPOの駅員もいるし、キオスクもある。以前はこのキオスクでも駅弁を販売していたらしい。駅から線路沿いにある山口松山堂に向う。小さく、店の看板には「一戸名物とんかつ弁当」の文字とシンボルのブタの絵が描かれてある。前のショーケースには各種弁当のディスプレイも置いてある。古びた昭和の雰囲気はかなり良い感じである。店というより事務所に入るような扉を開け中に入ると、事務机に書類が積まれ、壁には雑誌の紹介記事の切り抜きなどが貼られ、生活感というか人間の存在感が溢れている。その机の上に「奥にいますので声をかけて下さい」とのメモがあり、奥の調理場に入り声をかけると、おばさんの返事が返ってくる。覗くとちょうどタレから引き上げたロースカツを切っているところであった。ネット情報によると、かつては様々な種類の駅弁を調整し、一戸はじめ近隣の各駅や特急列車への積み込みを行い、東京駅でも販売をしていたとのことらしいが、最後には看板商品の「ロースカツ弁当」のみに縮小していた。また販売箇所もこの店だけになっていたのだろう。新幹線が開業して一戸に特急列車が来なくなり、2002年の冬に大雪災害の対応で店主さんが体調を崩し、いよいよ続けることが出来なくなったらしい。 ロースカツ弁当を2個購入し、おばさんに廃業することを聞いて大阪からやって来たと話す。残念です、と言い、後に続く言葉が出ない。それ以外に言葉が無い。出来立ての弁当を持って店を出、外部を撮影する。後ろ髪を引かれる思い満載で次の盛岡行の列車までの時間を駅前をうろうろして潰す。同じ列車で来た同好の士と思われる2人組がいたが、彼らも私より後に行ってきたのだろう、駅の待合室でロースカツ弁当の包みを開けて撮影をされていた。 一戸10時53分発盛岡行に乗車。車窓から山口松山堂に別れを告げる。おそらく再び来ることはまず無かろう。盛岡行も当然701系だがこちらはオールロングシート。行きの車両は一部クロスシートもあったが、こちらは無し。そしてこれもまたワンマン運転扱いながら車掌が乗っている。なぜだろうか?盛岡に近付くにつれ乗客は増えていき、盛岡に着くころには立客も大勢いる。2両編成では辛い。 盛岡着11時56分。東北本線の上り一ノ関行12時11分発に乗り換えるが、改札口が別で、一旦駅から出なければならない。JR改札口の前に「駅弁屋旨囲門」があるのでとりあえず覗く。しかしあまり品揃えが無く、早々にJR在来線改札に入る。JR改札内はかなり寂しい状況であった。かつては駅弁屋がワゴンで販売し、立ち食い蕎麦やキオスクもあったであろうホーム上には自動販売機しかない。新幹線が開業した並行在来線の凋落振りを象徴している。乗車した一ノ関行も相変わらず701系2両編成ロングシートでこちらは正真正銘ワンマン。既に一杯の人で席は埋まっている。12時11分発車。IGRもそうだが、「元」大幹線東北本線だけあり、スピードが出ても乗り心地は悪くない。乗客の乗降は結構各駅であり、減ったと思ったら都市(といってもそんなに大きい街ではないが)の駅について乗客が乗り込むを繰り返し、一ノ関着13時40分。当然ロングシートで駅弁など食えず、しかも立ったまま。ホームに降り立つと目の前で駅弁屋さんがワゴンで売っている。残り1個の「前沢牛ハンバーグ弁当」を購入、おじさんも全品売れ引き上げていく。跨線橋を渡り接続の小牛田行の1番線に行くと、立ち食い蕎麦屋が。昼飯として天ぷら蕎麦を食う。そこにも駅弁が積まれてあった。 一ノ関13時54分発小牛田行も701系ロングシートワンマン2連。もういい加減にして欲しいがこれもJR東の「特急とグリーン車以外は全てロングシートにしてしまえ」戦略のせいだろう。またも座席は全て埋まっていたが、最後部の眺めの良い所は確保する。石越14時16分着。くりはら田園鉄道に向う。 くりはら田園鉄道(通称くりでん)も3月末で廃止の運命。これにダイヤ通りだとギリギリ往復して大阪の自宅には23時ごろに帰ることが出来る。接続のくりでんは14時20分発、しかしくりでんのホーム上には人だかりが出来、周辺にも撮影のマニアな方々や、地元の人々が群がっている。で20分になっても列車が来る気配さえない。駅の放送によると相当の遅延が発生しているようである。情報が混乱しているがどうも2、30分ほどの遅れのようである。はっきりしない遅れでは大阪に帰れるかどうか分からなくなるので、くりでん乗車は断念することにした。仮にもう1泊するとしても着替えが無いし、月曜からの仕事に備えて日曜はゆっくり家で休みたい。ようやく来た列車にマニアな人々や地元の人々が乗車し、細倉に向けて去っていった。くりでんの石越駅は昨年に無人駅になった旨張り紙がしてあったが、惜別乗車の対応のため切符やグッズを販売する臨時売り場が出ている。折角来たのに乗れなかったからせめて記念のグッズだけでも購入することにする。売り場を物色し、くりでんの廃止記念の本を購入。DVD付きで5000円だが、まあレールの撤去費用にでも使ってください。 15時ちょうどの一ノ関行に乗車、やはり701系(以下略)。一ノ関から新幹線で東京へ出る。一ノ関駅で跨線橋を通って2・3番ホームを見下ろすと、先ほどのおっちゃんが再びワゴンに駅弁を置いて売っている。どうやら補充したようである。新幹線乗換えコンコースのお土産屋で会社用、自分用の土産を購入し、今回の旅は帰るだけとなる。一ノ関から東京まではガラガラの「やまびこ62号」自由席(ただしこまちタイプ車両側に乗車、そうかE2系側に乗った方が乗り比べられたのに)、その中で「ロースカツ弁当」を一つ食す。残りは「前沢牛ハンバーグ弁当」共々帰宅後に夕食としていただいた。そして東京駅で崎陽軒のシウマイとシウマイまんを購入し「のぞみ153号」で新大阪へ帰還、旅が終わった。 この旅では多くの惜別に、分かっていたことだが触れてきた。結果として宿題を少しはこなした感がある一方で、それを遥かに越える虚無感を感じた。特に一戸では。このまま無くなっていいのか、あまりにも惜しいが自分にはなんとも仕様が無い。廃止される鉄道に対してはなぜかそこまで感じたことは無かったが、それに付随する様々なものがなくなると思うと寂しいし、虚しい。鉾田でも、阿字ヶ浦でも、一戸でも、盛岡でも進むにつれ強く思った。盛岡で泊まったホテルも、その土地に以前は盛岡駅弁の村井松月堂があったことを知ったのは旅が終わってからであったが、このこともより一層その感を強くした。そして東京駅でも。東京駅は駅としての機能以上に様々なものが付随しすぎた感がある。JR東の「えきなか」商売の最たるものであろう。無駄なスペースを有効活用するのは構わないことであるし、人が集まって賑やかになり、金が動くのも経済の理論からいって大変喜ばしいことである。その一方で旅のターミナルの風情が別の方向に行ってしまうことが寂しいのである。新幹線以外の長距離列車がほとんど無くなったこともそれをより一層感じさせるのだろうか。これは上野駅でも言える事なのだが。それに「走るンです」が幅を利かせ、普通列車からクロスシートが姿を消したことも理由かもしれない。かつては湘南電車は80系や153系の2扉クロスだったしなあ。 と、こんな感想を持った自分はやはり古い人間なのだろうか。
2007年03月24日
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というわけでやっとのことで旅の続きを。 この日も天気はバッチリ。旅をするには持って来いの、暑からず、寒からずの晴れ。部屋の窓から見える太平洋から朝日が昇る。真東を向いてはいないので直接日光は入らないが、その方が体には優しい。朝風呂に入って、朝食バイキング。相変わらず朝からよく食う。バイキングだとどうも目の前のメニューに目移りし、元を取るため食べ過ぎる。売店で土産を買い、宿泊の特典の干物共々家に送る。でないと持ち歩くと傷むからね。 大洗駅8時40分発の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の鹿島神宮行に乗るつもりだったが、のんびりしているうちに時間が過ぎたので次の9時27分発にする。大洗駅へのホテルの送迎は10時頃の列車に合わせているとのことで、無理を言って9時過ぎに送ってもらう。大洗駅売店で駅弁「漁師徳爺のめんぱ」を購入。事前情報では大洗駅の駅弁販売時間は9時からなので、9時27分発に合わせたのもこれが原因の一つ。大洗着の列車は2両編成であったが、目の前で1両切り離す。ちょうど水戸への朝ラッシュの後大洗への回送なのだろう。列車は丘陵地帯の畑の点在する中を進む。砂丘が元なのであろう、砂地の地勢のようである。鹿島神宮着10時24分。 ここからはJR鹿島線に接続なのだが、次は11時34分。同じ駅の同じホーム(1面のみの高架駅)のくせに、すこぶる接続が悪い。ちなみに大洗を1本後の列車でもこの11時34分発に接続になる。一方大洗8時40分発の場合は鹿島神宮9時39分着で、鹿島線10時12分と、1本後の列車とのちょうど中間に発車する意地の悪さ。事前調査で分かっていたので、そこで駅前からバスに乗る。鹿島神宮10時45分発銚子駅前行関東鉄道バスである。この路線も1~2時間間隔の運行のローカル線である。街中を通ったり、工業地帯の後ろになるだろう国道を走行したり、畑や住宅の点在する中を通ったり、工業地帯の団地群の中を通ったり、変化に富むようで実はあまり変化の無い中約1時間半ほど乗車、利根川の河口を長い橋で渡り茨城県から千葉県銚子市街に入り、銚子駅前12時12分着。多分起点から乗車したのは自分一人だろう。 ここから某事件ですっかり有名になった銚子電鉄に乗車する。12時40分発外川行を待つ間になんと会社から電話が・・・。結局これはすぐに済ませるが、今日は世間はただの平日であるという現実に引き戻される。JR銚子駅の改札を通り、2・3番線ホームに渡ってさらにその先にある銚子電鉄のりばへ。特徴ある建物があるが、特に改札や売店があるわけでもなく車内で車掌から1日乗車券を購入。銚子から外川までの往復運賃620円と同じなのでお得。しかも犬吠駅の売店で濡れ煎1枚の引換券も付く。これ以外にも特典はあるが、時間の都合もあるので使わなかった。外川着12時59分。古い駅舎で趣がある。 駅舎の内外ではなにやらたくさんの人がウロウロして駅舎に「JR発足」なる飾り付けをしている。なんかの撮影であろうことは想像に難くなかったが、あまり気にせずに外で記念に駅舎を撮り、来た列車で帰ろうとすると、その中から一人の男性が声をかけてきた。・・・・・・ふむふむ、どうやら某民放(関東6ch、関西4chの局)のドラマ撮影だそうで、それも「特急田中○号」という、噂に聞いたことのある作品で、なるほど納得。そのエキストラとして国鉄がJRに替わる時に駅舎で写真を撮る群集の中にどうか、と。時間があまり無いのと、テレビに出るようなガラではないので(まあ顔は映りません、とは言われたが)、「まあ気が向いたらまた来ます」と言い残し、折り返し13時7分発銚子行に乗車。 次の駅犬吠に下車。売店で濡れ煎を貰って、さらに買おうとするも、マニアではなくハイキング客でかなり多い人々。駅舎自体結構大きく、濡れ煎の工房(この時は閉まっていたが)があったりする。駅前には廃車体を利用した店(これも閉まっていた)があったりする。とりあえず犬吠崎の灯台が見えるところまで歩いてみる。遠方に眺めて写真を撮り駅に戻る。灯台まで行かなかったのは言うまでも無く時間が無いからである。やっと人が減った売店で濡れ煎を貰い、お土産も購入し、13時45分発の銚子行に乗る。先ほどのようにハイカー達がたくさんいる。どうもツアーの団体一行らしい。行きの車両とは違い、元営団地下鉄銀座線車両である。途中仲ノ町駅には車庫もあり、小型電機も鎮座している。ここが銚子電鉄の心臓部だが、時間が無いので下車せず。銚子着14時2分。結局ドラマのオファーはお断りした形に。この日は盛岡まで移動するために時間に厳しい行程だったので、時間に余裕があればこんな機会もないので、ひょっとして戻ったかもしれないが。 銚子14時17分発の「しおさい12号」で東京へ向う。房総特急は183系という印象はすっかり古いものであったようで、257系が完全に幅を利かせている。その車内で遅い昼食として大洗で購入した「漁師徳爺のめんぱ」を食す。それまでは昨日購入したたい焼きで食いつないでいたのだが。銚子を出た列車は途中千葉県下の駅にこまめに停車し客を拾っていく。特急らしい走りになったのは複線になった佐倉から。しかしそれも千葉からは逆に列車本数が多いせいか流して走る。それにしても銚子から千葉の手前まで田園と丘陵が車窓の大半を占めていたのに、千葉駅には急に都市の中に入る。そのギャップはすさまじい。そこから急に首都圏の中に飛び込んだ感じである。すれ違う列車も数倍になり、「走るンです」だらけになる。東京着16時1分。 次の盛岡へは16時56分発の「はやて27号」で、全車指定席。ここでは接続時間が出来るのでのんびり窓口に行ったら、行列が。またもや今日は世間では週末金曜日であることを実感。並んだ末に取った席は「はやて」が3人席の真ん中しかないので、併結の「こまち27号」の通路側席となる。これで席を確保し、駅弁売店へ。「駅弁屋旨囲門」も人で一杯だったが、これといったものが無かったので別のNRE売店へ。ここで予約無しで購入できる最高額駅弁(と言われる)「極附弁当」3800円を購入、新幹線内で夕食にする。「はやて・こまち27号」は速達列車でしかも週末の夕方の列車のためほぼ満席なのだろう。乗ったこまち側の16号車も一杯。仙台で大幅に下車するが、乗る人も多い。次の盛岡でもたくさん下車し、秋田行なのに秋田まで行く人は少ないようである。私も当然下車。そして「こまち」と「はやて」の切り離しを他の客と見物してから、駅を出て駅前のホテルに投宿した。もっともその後再度駅に向かい、色々駅とその周辺を散歩したのだが。それにしてもやはり関東より東北の方が気温が低いことを実感。
2007年03月23日
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3月21日より24日まで関東東北へ惜別旅行を敢行した。 3月21日といっても、「サンライズ」で大阪から東京まで夜行で移動するので、21日はほんの僅かしか旅をしていないが。その21日夜23時過ぎに自宅を出発する。0時34分発の「サンライズ」に乗車するので1時間前に出発。最寄り駅を23時18分発と思っていたのだが、春分の日でダイヤは土曜休日。なんと23時台は18分発だけ平日と違い13分発だったのだ。初っ端から躓きを見せ、とりあえず缶コーヒーで落ち着きを取り戻してから次の33分発に乗車。これで余裕時間がいきなり無くなった。天王寺乗換えもギリギリで、もし逃したら間に合わなかった。ふう、危ない。 天王寺発車後すぐに日付が変わり、大阪駅では最終の野洲行と西明石行の快速を見送る。これで加古川どころか、もっと手前の人も帰られへん時間になってもうたわ。そのうち大工事中の大阪駅10番線に「サンライズ」到着。以前仕事で本社に行く時に使った際は11番線であった。この時は静岡県内の大雨で岡崎駅で足止め、結局浜松に臨時停車し、新幹線に乗換えて東京に向ったものの、大遅刻をしてしまった。そのリベンジでもある。 今回は「サンライズ出雲」の方のソロに乗ったのだが、まあこれは別に「瀬戸」の方でも良いのは言うまでもない。ただ前回は同じソロでも上段の個室だったが、今回は下段。上段は階段部分から上がってベットに入る形なのと、展望がいいので狭さを感じなかったが、下段は上方の圧迫感がかなりある。寝れば一緒なのだが、居住性は上段が良い。それでも寝たまま行けるのは有難い。東京到着は7時8分なので寝巻きには着替えず、そのまま寝る。と言っても悪い癖で列車で寝るのが勿体無いと思うせいか、寝ては起き、また寝るの繰り返し。おかげで昼間には眠気が・・・。 東京から上野に移動、まだ朝が早いのか、ラッシュにはかからないのが幸い。それでも東京駅はかなりの人で埋まっている。やっぱり人多すぎ。上野から7時33分発の東北本線小金井行で小山へ。2代目走るンですは快調に走るが、やはりロングシートで長時間はしんどい。それでもラッシュと反対方向であるので座れるだけでも有難いのか。反対方向は東京へのラッシュで大変。どの列車も15両編成もあるのに満杯にして東京へ向う。小山着8時53分。 そして水戸線は9時34分発なので、ここで遅い朝食として12・13番ホーム上の立ち食いそばを食う。あとは駅構内をブラブラして時間を潰してから水戸線で下館へ。北関東のだだっ広い田園地帯を走る。これもロングシート。9時55分下館着、10時ちょうどの関東鉄道常総線水海道行に乗換え。下館と言えば、反対の北方向に出る真岡鉄道のSL列車が有名だがこれはまた別の機会に乗ることにしよう。 常総線列車は単行ワンマンディーゼルカー。広い平野をひた走る。筑波山も見える。水海道で取手行に乗換え、ここからは複線区間で本数も大幅に増える。取手に向って首都圏の通勤圏らしい。途中守谷駅はつくばエクスプレス接続駅となり、近代的。周辺はこれから開発されるのだろう。10年後には一変してるだろうな。取手着11時16分。入れ替わって発車する水海道行は元国鉄キハ30系で、これも今は随分数が減った。 すっかり首都圏の衛星都市に逆戻りし、今度は常磐線で2駅の佐貫に移動し、同じ関東鉄道の竜ヶ崎線に乗車する。これも2駅で終点竜ヶ崎。思った以上に人が多く、結構大きな街なのにビックリ。4分ですぐ折り返す。この竜ヶ崎線の車両は線内の駅が全て同じ方向(佐貫から竜ヶ崎に向って右側)にしかホームが無いので、運転台が竜ヶ崎側は右、佐貫側は左と特殊構造をしている。また自転車の持ち込みが出来るらしく、高校生の集団が自転車を載せていた。で、竜ヶ崎駅で駅員に「ホームで(自転車に)乗らないで」と注意されていた。 佐貫に戻ってから再び常磐線で土浦へ。列車はちょうど土浦行で、車内は結構空いていた。まあ15両編成なので昼間から混んでいると困るのだが。土浦では到着した下りホームにしかない駅弁屋(富貴堂)で駅弁を購入。3種類のうち「うなぎ飯」1000円を購入。元々は土浦に近い霞ヶ浦や北浦のうなぎを使っていたのであろうが、売店の張り紙には「愛知県一色産うなぎ」と。地元ではもうほとんど採れないのだろうか。まあ、虚位表示でないことは分かるが。あと土浦といえば全国屈指の暴○族の街として有名だが、別に駅からは出ないのでK君情報の駅前のたまり場の某ハンバーガー店には行かない。15分ほどで次の列車が来る。土浦からは常磐線も本数が減るが、相変わらず10や15両編成グリーン車込み。しかし30分に1本のためか、今度は混んでいる!まあそんなに長い時間乗らないが。石岡13時27分着。 ここから3月末で廃止となる鹿島鉄道に乗車。鹿島鉄道線ホームには既にマニアな方々で混み合っている。待合室では記念グッズ販売をしており、自分もなにか買おうと物色、すると模型が目に入る。2万5千円か・・・、痛い出費だが迷った挙句購入。そしてホーム上には張り紙が。撮影に関する注意書きである。同社HPでは「撮影禁止」とされていたが、どうも少し緩和されているようである。それにしても13時36分発に接続のはずだが、35分になっても来ない。マニアな方々の影響で遅れているようである。ようやく到着した列車からもマニアな方々が一杯下車し、替わってホーム上のマニアな方々が乗り込む。自分も遅れないよう乗る。昨年訪問時にも乗った戦前製キハ07の生き残りである。他の車両も乗ってみたかったが、まあ仕方ない。ほどなく合図も無く発車。遅れを取り戻すべくなのであろうか。途中の各駅にもあちこちマニアな方々が乗車、下車を繰り返し、撮影していらっしゃる。終点鉾田着14時28分予定から15分ほど遅れ。しかも到着間際、繰り返す警笛に小刻みな停止移動を繰り返す。ホーム先端にいらっしゃったマニアな方が線路上にはみ出して撮影していらっしゃったようである。ようやく到着後降りたマニアな方々も撮影、自分も混じって1枚だけ。駅や周辺にはマニアな方々で一杯。やがて折り返し準備後、その方々を乗せて発車する。普段からこれだけ乗っていれば廃止にはならなかっただろうに。 自分は本日最大の目的である、鉾田駅の立ち食いそばを食することに。先にゴツいおっさんが大盛りのうどんを注文し、さらにマニアの方がやはり大盛りでそばを注文していたが、自分は普通盛りで月見そばを注文。ここのおばちゃんは廃止騒ぎにウンザリした感じ(あくまでも見た目)で、近所の知り合いと思われる人がたい焼きを買いに来た時も、「さっきも(警笛)一杯鳴らされてたよ」と会話していた。その近所の人も「みんなたい焼き食べながらお茶飲んでるわ」と。おかげでたい焼きは在庫僅少。隣で大盛りのそばを食べてたマニアの方は空気を読めず、「お土産に」とその会話で分かるはずの在庫の無い芋餡とクリームのたい焼きを注文していた。自分は「今あるのでいいので」と白餡2個を確保し、退散。 駅舎を遠方から撮影し、おそらくもう2度と来ることの無いであろう、鉾田駅舎に別れを告げ、今度は鹿島臨海鉄道新鉾田駅に徒歩で向う。15分ほどで鹿島臨海線の高架が見え、到着。打って変わって人気が少ない、ひっそりとした駅である。それでも同線の中では数少ない駅員配置の主要駅である。15時26分発水戸行乗車。車内で土浦で購入した「うなぎ飯」を食す。昭和60年に開業した比較的新しい路線で、開業80余年で廃止となる先ほどの鹿島鉄道とはまるで別物の高規格路線をディーゼル列車は快走する。 水戸で三度常磐線に乗車し、グリーン車が無いため上野口から撤退した501系通勤車で1駅隣の勝田へ。そこから茨城交通湊線に乗車。ここも2008年に廃止を検討しているとの報道がある。途中那珂湊までは夕方ということもあるのか単行ながらも比較的乗客も多い。勝田と那珂湊は平成の大合併よりも前に合併し、ひたちなか市となっているので今は同じ市内ということだが、実際は両市街は別々。那珂湊には車庫も併設し、既に使われていない車両や、旧国鉄色にされた骨董品のような車両が留置されている。ここからカーブを繰り返し、終点阿字ヶ浦着16時58分。かつては海水浴客で賑わい、国鉄上野からも臨時直通列車も運転されたこともあるが、今は広い構内に無人となった古い駅舎が残り、錆びた側線には廃車が並んでいる。長いホームも持て余し、単行の気動車が端っこにひっそりと折り返し待ちをしているだけ。一通り撮影後、帰りの切符を買おうとするが、券売機がなんと旧札のみ対応。当然新札しかないので券売機の表示通り運転士に申し出て旧札に換えてもらい切符を買う。なんともはや、これが利用者の減った鉄道の現実か。その折り返しに乗り、勝田に戻る。2列車使用で、乗っているのは新鋭車。那珂湊で交換したもう1列車は旧式車両。こっちに乗りたかった・・・。勝田から水戸に戻り、さらに再び鹿島臨海鉄道に乗り、大洗へ。迎えに来てもらったホテルの車で宿泊先の茨交大洗ホテルに到着。そう、先ほど乗った茨城交通のグループである。茨城交通自体は県内でも大きな会社のようで、水戸市内などに路線バス網を張り巡らしている。で、夕食には楽しみにしていた鮟鱇鍋と人生初の納豆料理に挑戦し、広大なる太平洋を眺めながら就寝。
2007年03月22日
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旅に出ます。哲人旅もとい一人旅です。別に傷心旅行でも、昇進旅行でもありません。ただ去り行くものへの哀悼というものです。もっと言えば「消える前に行かねば(食わねば)」旅行です。旅の哀愁はあまりありません。せっきーのようなロマンでもありません。人とのふれあいも多分あまり無いでしょう。このクソ忙しい年度末に厚かましく2日も休暇を取って「なんか文句ある?」と開き直ります。でもクソ忙しく乗り継ぎを繰り返し、駅弁をあさり、駅そばをすするでしょう。夜行列車から通勤列車、ローカル線、JR、第3セクター、盲腸線の私鉄、新幹線までなんでも乗ります。旅の詳細は終わってからから書きます。
2007年03月21日
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ネタの無さと、忙しさと、面倒くささにかまけて、気がつけば1ヶ月も書いてなかった。まあネタの無さというのは半分言い訳で、無いことは無いと言ったほうがいいのだろうが。 で、何を書こうかと思ったのだが、この日記の主体である鉄道ネタは今月下旬に初めてと言っていい、体以外の理由での有給で大旅行を計画しているのでその時にネタが溢れるほど出るだろうから省略する。といってもそれこそ今は鉄道ネタが無い。 この1ヶ月の間にあった出来事と言えば、会社への愚痴が8割を占める状態であるが、わざわざ日記で書くほどのことでもない。まあ、営業所を潰した本社が、デカイ口を叩くくせに今回の斡旋活動をまともに準備もフォローも出来ていないというだけである。営業所で一人でやってた仕事を本社に何人もいるくせにその10分の1も出来ていないというだけのことである。 所詮は世間知らずで、部下の掌握も出来ない、マイナスの計算だけは上手い部長と、編集から飛ばされて(我が社では編集部門と営業部門にはカースト制度なみの差別がある)、営業のことは何一つ知らない副部長と、嫌いな部下の席を露骨に自分から見えない場所に移動させ、自分の仕事しかせず、組織では上だけを見ればよい、と公言して部下を一切省みない、専務の腰巾着の課長が仕切っている部署である。結果は知れていることではあったが。客を客と思わない態度は会社を間違いなくマイナスの方向に持って行ってるのに、それに気が付かないというか・・・。あ、そうか、マイナスの計算だけは得意やったなあ。 結局会社の愚痴になってしまった。この日記を会社の人は見て無いと思うけど、別に見ててもいいし。実名だけはさすがに僅かな優しさで控えてやったがね。どうせ我が(元)営業所の面々は出世しないのは間違いないし。その証拠にこの3年間、営業所のメンバーで昇級昇格したものはほとんどいない。本社では特進の連続やけどね。 あーあ、結局会社の愚痴になったわ。本当なら事務所費問題とか、書きたかったのに(嘘)。
2007年03月11日
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