2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全5件 (5件中 1-5件目)
1
この日は全員の部屋に朝6時半にモーニングコールが入ると事前通告。その時間ちょっと前にちゃんと電話が鳴る。と思ったら同室の御仁がさっさと電話を取る。 このモーニングコールでバッチリ目が覚め、いそいそ準備。御仁は昨晩も相変わらず凄まじいイビキを掻いていらっしゃったが、モーニングコールを取ったはずなのに、未だに寝ている。まあいい。こちらは早目に朝食へ。 昨日に続き和洋中折衷バイキング。しかし一流ホテル(だと思う)なのでウェイターのサービスは良い。コーヒーは入れてくれるし、いらない食器もどんどん下げてくれる。いつも泊まるような安いビジネスホテルとはやっぱり違う。そしてこの日は洋食のおかずで中華粥を食す。 部屋に戻ると、まだ同室の御仁は寝ている。こちらの帰ってきた音で気が付いたのか、やっと起きてシャワーを浴びて準備をしだした。で、こちらはのんびりしていると、朝食を取ってそのまま集合場所に出ると、慌しく部屋を出て行った。こちらは最後の確認だけしてゆっくり出ようとすると、なんと忘れ物があるではないか。後で持って届けることにする。 ロビーに出てチェックアウトをしてバスに。その前にホテルの写真を撮っておく。高層ホテルなので1枚に収まらず、上と下に分けて撮影。こちらの個人的な記録のために撮るので気にしない。 9時に出発。市内の土産物店へ向う。1階はなにやら色んな展示物が置いてあり、そこの従業員が説明する。どうやら一部には値段が付いているようである。2階は様々な土産物があるが、装飾品類には大して興味は無いので食品だけを見る。中国システムでたくさんの店員がうろうろして客を逃さないようしている。とりあえず上海蟹プ○ッツを140元で購入するが、後で空港で見たら108元で売っていた。トホホ。社長・副社長と共に休憩コーナーでお茶を頂く。なぜだろう・・・。一服すると、T先生が茶器を買っていた。さすが、凄いとこに金を使われる。 外に出ると、既にうちの社員が一杯ウロウロしている。そして目の前には乗合のトロリーバス・バスが溜まっている。どうやら市バス(多分)の一時滞留所になっているようである。当然総裁と共に撮影に励む。バスに乗って待っていると、T先生が外から呼んでいる。近くにコンビニがあり、カップラーメンを買ってきた、とのこと。関口さんの旅を見ていたら、現地のカップラーメンをよく食べていたので、中国のカップラーメンを食いたい、と言っていたのを覚えていたようだ。こちらも店ごとに見ていたが、やはり土産物店ではお目にかかれない。秘かに希望していた「今麦朗」ではなかったが、辛そうなパッケージである。後ほどゆっくり味わおう。 そこから空港に向う。上海駅近くを通るが、上海駅は見えにくい。なんとか撮影しようとするが、上手く収まらない。せめて駅前を走ってくれたら・・・。盛んに走っている市バス(?)の表示に「*」が付いているのが多い。その後に「空調」と表示が出ていることが多いのでどうやら冷房車ということなのだろう。たまに「*」表示が無いバスは窓が開いていることが多い。そしてLED表示車も多い。こんな所に注目しているのは自分ぐらいのもんだろう。 高架道路から郊外に出る。高速道路に入ると、横をリニアが並走している。走ってきたら撮ってやろうと構えるが、あまりにも速いので収まらない。写った写真にはただのコンクリートの桁が写っていた。そして昨日の栗の残りを食べながらホテルのサービスに着いていたオレンジジュースを飲み干す。 空港に到着、わずか3日であったが上海を去る。天気は良かったがスモッグ感は最後まで晴れなかった。おのおのチェックインするのでいつの間にかバラバラで、いつもの営業所のメンバーだけになる。そして空港内の店で最後の土産巡り。人民元を消費するべく珍しそうなものを物色、キュウリ味とトマト味のポテチを購入。一体どんな味がするのだろうか。空港内のフードコーナーでは天ぷらそばが。しかし価格は60元もする。そんなに金の余裕は無い。本屋でも物色し、中国の鉄道の本でもあればと捜すも見当たらず。ここでは鉄道趣味と言うものはほとんど無いのか、それとも空港の小さな店にはたまたま無かっただけなのか。 いよいよ飛行機に。帰りは天候が良くあまり揺れずに済む。ジェット気流にも乗り機内食のシーフードカレーを食べ終わったら既に関空が近付いていた。
2007年10月21日
コメント(0)
この日は7時過ぎに起床。同室の氏は昨晩遅くに帰ってきたみたいだが、こちらはいつ帰ってきたのか分からない。ただ思ったより凄いイビキなのはビックリした。その同室の氏はまだ白河夜船で、こちらは早々に準備して朝食を取りに行く。和洋中折衷のいろいろバイキングで、焼鮭をおかずにパンを食うという暴挙を達成。 9時前にロビーに集合し、朱家角ツアーに出発。このツアー参加者は20人ほど。最初参加者名簿には副社長やら専務やら役員どもの名前が並んでいたのでビビッて(いろんな意味で)いたのだが、M副部長も急遽一緒に行くとのことでホッとする。 市内から高速道路で郊外にある朱家角に向う。上海市内の高架道路は無料だが、阪神高速を走ってるみたいな感覚。それにしても柱が細いし、桁も薄い。アメリカでも同じようなもんだったので、日本だけが逆に地震対策などで太い柱になっているのだろうか。 走れども走れども高層ビルや高層マンションがあちこちに立ち並んでいたが、ようやく市街地を抜け、有料の高速道路になり、田園地帯になる。当たり前だが日本離れした風景である。小1時間ほど走って高速を下り、朱家角へ入る。古い街並みと水郷の観光地なので観光客が多い。駐車場の目の前に郵便局と役所を発見。悪い癖である。 駐車場から歩いて街並みに入っていく。その途中に古い家があり、皆で覗き込む。普通に住民が住んでいて一角でお茶を飲んでいる。ガイドが話すと簡単に入っても良いとのこと。関口さんもこんな感じだったのか。細い路地の中を歩くが、バイクや自転車やリヤカーがけたたましく人を押しのけ走る。これはいかにも大中国、人民万歳である(意味不明)。 途中店で粽を買う。ここの名物らしくあちこちに粽を売る店があるが、ガイドがその中で一番美味しい店を紹介し、皆で分け合うので5個(1個3元)購入となる。しかしなぜか皆警戒してあまり食べない。自分はM副部長と共に「現地のものを食って腹痛を起こす」べくそれぞれ1個ずつ食べ、さらに残りの半分も食う。誰も食べないのは残念だが、まあまあいける。ビニール袋で包んで多少脂っこいのは難点。あと残念ながら(?)腹痛にはならなかった。あちこちの食堂の店先には生け簀があり、いろんな物体がいる。鯰や海老はともかく、金魚までいる。あれも食材なのか・・・。 太鼓橋みたいに急勾配の石橋を渡って水郷の向こう側に渡る。そこの喫茶店で休憩、古い建物を改装した2階で向こう側の古い家並みを見ながら皆それぞれお茶やらコーヒーやら頂く。その向こう側の建物は傾きながらもびっしり建っているので、どれか1軒でも撤去したら並びの他の建物は全部倒れそうな感じである。隣ではN係長が熱心に中国語のメニューを併記している英語と見比べながら解読している。「法式」はフランス形式、「美式」はアメリカ形式、「日式」は日本型という意味である。だからどうと言う事ではないのだが。 一服終えてから舟着場に向かい、小舟で水郷の中を進む。食堂の窓がすぐ横にあり、いらない部分なのか、窓から捨てたりしている。そして水は相変わらず汚い。しかし水面を進むので風は涼しくて気持ちが良い。他の船やら岸やらにぶつかりそうになってもぶつからない。棹1本で上手いこと操船するもんである。別の着き場に上陸し、6人乗りなので4隻ほどに分かれているので後続を待つ。その横でカラの弁当箱を持ってきて汚い水郷の水で洗っている男の人がいる。ホンマに大中国人民は凄いなあ。 バスで朱家角を離れ、再び高速道路で市内に戻る。絹工場の2階に大食堂があるという所で昼食を取る。団体(それも日本人)が多い。それ向けの施設なのだろう。食事が終わり1階に下りると、絹製品製造の見学コースとその直販店になっている。格安の値段で絹の布団を売っているが、後で聞いた話によると布団よりもそのカバーの方が高額だったらしい。2人ほど布団を買っていた。 入り口の門のところで屋台を出して栗を売っている人がいる。入ってくる時からいい匂いをさせていたが、M副部長が店を出てから買いに行く。おすそ分けをもらったが、炒り立てで甘くて旨い。そこで自分もFさんと買いに行く。10元でビニール袋1つ。栗の売れ行きを見てか、道の向こうのみかん売りもこちらにやって来て試食させるが、栗だけでいい。さらに物乞いみたいなおっさんが中国語を話しながらこっちに空き缶を差し出すが、やる気は無い。みかんの皮を入れてやろうかを思ったが、怒るだろうからやめる。 再びバスで市内の繁華街南京路に向う。ビルに引き込む物売り(押し売り)が多いので気をつけるようにとのこと。バスを降りると早速見知らぬ人が我々の集団の中に入り込んでくる。無視してM副部長を含む4人でウロウロする。デパ地下にも行くが、こちらのデパ地下は食料品売り場が無いも同然であった。さらに一人がなにやら薬を求めて薬の専門店に行くが集合時間ギリギリでなんとか間に合う。そして途中トロリーバスが走ってきたのでバッチリ撮影に成功。 バスでさらに移動、今度は夕食会場近くの上海で唯一ともいえる観光スポットらしい豫園に向う。別のツアーの情報よりこの日はかなりの混み合いらしいとのことで、くれぐれも気をつけるようにとの達し。バスを降りて豫園に向う途中は変な物売りや物乞いだらけ。と、突然向こうから物売り達が走ってくる。どうやら向こうから取締りの警察が来たらしい。 豫園とその周辺は人ごみが激しい。豫園に入ると外国人観光客が多い。我々もその一部なのだが。庭園になっており、人が少なければ落ち着けるのだろうが、如何せん人が多すぎる。さらに時間を潰すため、喫茶店に5人ほどで入る。Wさんがバナナジュースを飲むが、濃すぎてストローを通ってこないらしかった。残念。 時間となり夕食会場に入る。今度は社長が不在で席順は役員一般男女の区別無く完全くじ引き。幹事が覚悟を決めた人から、と言ったので一番槍でくじを引く。どこからとも無く「さすが」と言う声がするが誰か分からない。結局9人掛けの席は両側がそれぞれ副部長(Mさんではない)で、9人全員が男というむさ苦しい構成となる。まあ、飯が食えればこちらは気にしないが。別の席では誕生日が近いおっさんが賑わっている。ちょっと引く。 食後にさらに移動、今度は上海雑技団の公演を見る。観客はやはり外国人だらけ。テレビで見たことはあっても、実物は凄い。やっぱり生で見るのがいいもんである。最後のバイクは一番ビックラこいた。あの球形の金網の中(ラーメンマンとバイクマンが闘ったような)に2台入るだけでもすごいのに、最後は5台も入ってよく交通事故?が起こらないもんだ。後ろの人(うちの社員)の会話(ツッコミ)にはちょっと笑った。 終了後全社で雑技団と記念撮影とのこと。なんと我が社の前に2つも日本の団体が同じく撮影していた。日本人の団体は皆おなじかよ、とツッコミ入れたくなる。 ようやくホテルに戻る。バラバラと分かれていくが、いつしか自分一人。ワシっていつもこうやな。この日も夜の街に繰り出した面々とは違い、日付が変わらないうちに寝る。
2007年10月20日
コメント(0)
今年は会社の創立65周年記念として、中国上海へ社員旅行が行われた。5年単位で海外に社員旅行に行くが、自分は今年で10年目なので2回目である。で、2回とも中国である。周辺の人達は中国に行くことをあまり歓迎していないようだが、自分としてはどうせ海外に行くなら中国の方がいいと思っている。三国志好きでもあるし、日本人のくせに若干中華思想拝趨のけもあるからだろう。もっとも旅行に行くならまずは国内であるのだが。風習の違いとか、なにより言葉の壁が自分にとって負担だからである。中学の頃以降英語(≒外国語授業)アレルギーが身に付いているからだろう。なにより最大の壁は飛行機にならなければならないということである。これに関しては国内でもそうなのであるが、あの狭い座席に、地に足の着かない不安感、天候不順の時の揺れも不安を掻き立てる。墜落したら一発でお陀仏。そんなことを同僚のT君に話したことがあるが、「一発で死ねるなら、その方が現世の苦しみから苦痛無く逃れられる」と言われたことがある。 前置きは置いといて。今回の日程は、金曜日から日曜日の2泊3日で、当然その前後には仕事が普通にあるという、強行日程である。この日金曜日朝早くから関空に向う。「はるか5号」は9両編成で、自由席はほぼ満席。なんとか座席を確保する状況で、朝早くから飛行機に乗る人が多いことを物語る。 飛行機に乗り、出国する様々な手続きが相変わらず鬱陶しい。特に液体物の持ち込み規制など事前の準備が鬱陶しさをかきたてる。この日の日本は天候が悪く、飛行機は揺れる。この揺れる感覚は全く気持ちが悪い。食事も上手く喉を通らない(結局全部食べたのだが)。大陸が近付くにつれ天候は回復し、上海は好天であった。中国の簡体字が日本で無いことを実感する。 上海空港で本社組と合流してリニアモーターカーに乗車する。このリニアの駅で本社組と待ち合わせするのだが、本社の新人社員1人がいないらしい。どうやら成田ではぐれて、東京にいるとか。これで伝説を作ってしまったな。こちらは師匠と久しぶりに再会し、ベンチでひたすらマニア会話をする。 リニアに乗車する。掲示によると朝と夕方~夜は最高時速300キロ、昼間は400キロ出すらしい。空港と上海市街地の端を結ぶ2駅およそ30キロの区間を7分ほどで結ぶとか。例の行方不明事件のせいか、列車が後のものになったのか、座席に座れない。日本のリニアでは高速運転のために全席指定着席制度にするらしいと聞いたが、こちらではお構い無しか。乗務員もたくさん立っている。まあ、立ったまま時速400キロなど滅多に体験出来ないのでそれはそれで貴重なのであるが。その車内でも師匠(あらため総裁)とマニアな会話満載。その高音から「こいつは吊り掛け式か」とか「初期のVVVFみたい」とかほざく。 下車してからバスで市内へ。それにしても晴れているのにすっきりしない。スモッグなのか空がぼんやりしている。市内各地の工事の影響なのか、排気ガスのせいなのか。 市内のテレビ塔に上る。上海のシンボルなのか。とにかく高い。ガイドは地震はあまり考慮していないみたいなことを説明するが、そんなこと言うたら怖いやないか。エレベーターガールは中国語と英語で説明するが、あいにくこちらはどっちも理解できない。展望台には「北京1320キロ」とかとんでもない距離の案内が書いてあるが、当然見えない。 テレビ塔を下りて、河岸の公園に向う。ガイドの足が速い。後々分かったことだが、早足で歩かないと変な物売りに捕まったり、道路を横断したりする時に危険なので早足になるのだろう。ここでは赤信号でもクルマの合間を人が道路を横断する。大阪以上にデンジャラスな交通マナーである。で、その河岸の公園から向かいの旧租界などの古い建物が見える。上海のビュースポットの一つらしい。そこからバスで河岸のトンネルをくぐり、その歴史のある建物の中を走る。トロリーバスが走っているのがポイント。 市内のお茶屋に向う。色んなお茶を日本語の解説付きで飲ませてくれるが、やはり最終的にはお茶の販売。やや強引なところが大中国。5年前のお茶が未だに残っているので、隣の総裁共々抜け出す。お茶うけのお菓子が旨かったのでこれを売ってくれたら買ったかもしれないが。 市内をさらに走行してホテルに着き、部屋で一服してから夕食のパーティー会場へ向う。65周年記念パーティーとのことで、このためにラフな服装は禁止である。部屋にいてもやることが無いので早々と向うと、ロビーに4人ほど難しい顔をしながら打ち合わせをしている。ここまで来て仕事かよ、と思う。 記念パーティーといってもいつもとさほど変わらない。社長の挨拶やら、永年勤続者表彰とか、まあ一般的な会社の宴会と変わらない。で、くじ引きの席順の結果、自分の隣にはアメリカ研修旅行の団長M副部長。この人とは結構くだらない会話をする仲であり、この時も「本社の新人達は誰が誰かよく分からない」と言うようなことを言うと、「今年はさそり座が多い。うお座(自分)とさそり座は相性が良いから顔合わせをしよう(M副部長は全社員の星座も研究しているらしい)」と2人で新人たちの席に挨拶に行く。その時皆にM副部長は「この会社で唯一の親友」と自分を紹介してまわる。こちらも負けじと「新人の御師匠です。よろしくお願いします」と言いまわる。そしてなぜか握手。う~む、相変わらずわけが分からず楽しい人である。写真の時には肩まで組んで撮影。M副部長曰く「去年のアメリカ旅行の時サンフランシスコで怪しげな寿司屋でスパイダーロールを一緒に食べた時以来の楽しさ」だとか。その後1年半も楽しいことが無かったらしい。 もちろん総裁とも相変わらずくだらない会話炸裂。総裁は以前は旅行の幹事をしていたので、今も手伝いで写真撮影などをしている。そして激写される。別に週刊誌には載らないが。 終了後、一部の人は夜景を見に行ったり、マッサージ(下半身とかそういうのではなく、女性も受けられる普通の)を受けに店に繰り出したり、元気である。こちらは早々に部屋に戻り、NHKBSが映る(日本人観光客が多いホテル)ので中国に居ながら「シブヤディープA」を半分寝ながら視て、風呂に入り日付が変わる前に寝る。
2007年10月19日
コメント(0)
体調が悪い。朝起きたら、昨晩の冷え込みのせいか、それともここ最近の精神的な不安定なせいか、くしゃみと頭痛。当初近鉄百貨店の北海道展と、昨日購入した近鉄2250系の鉄道コレクション用動力とパンタでも買いに行くかと考えていたが、断念する。今日は10月14日、言わずと知れた「鉄道の日」。そこで在宅のまま鉄分補給することにする。 まず恒例の番組、11時半から「鉄道模型ちゃんねる」、そして正午からは「中国鉄道大紀行」。その後、多分鉄道の日なのでどこかの局で鉄道番組でもやってるだろうと捜すと、「鉄道マニア倶楽部」をやっていたのでそれを見る。向谷氏と川島氏の中年おっさんコンビが妙にそそる。ワシも20年もするとこんな感じになるのだろうか。 その後さらに捜すと案の定、ヒストリーチャンネルで「鉄路の昭和史」なる番組を長時間に渡って放送していた。戦前のかなり貴重そうな映像や、戦後の様々な映像を流していた。満鉄の観光旅行案内やら、戦後すぐの教育啓発用映画や、ニュース映画や、戦時中の日本占領下のアジア各地の鉄道に関する映像やら、たっぷり楽しむ。いや楽しむと言うより勉強する。いろんな感情もあったが、言葉にしにくいので省略する。簡単に言えば感動した。3時ごろから見始めて夜の9時まで目一杯見る。 そして夜9時、いよいよメインイベントの「熱中時間 鉄分補給スペシャル2」をたっぷり堪能する。この番組に出る熱中人達はまさにバイブルである。こんな熱中人になりたい、羨ましい。すばらしき熱中人達に、ここ最近人間不信気味だった自分に多少の人間の素晴らしさを見た気がした。まあ、でもこの会社の上層部には今後一切こんな感情を抱くことは無いだろうが。結局行き着く先はここか。
2007年10月14日
コメント(2)
毎年恒例である「鉄道の日」記念の乗り放題切符の西日本版(1日乗りまくって3000円)でこの日出かける。今回の行き先はあまり「食べ鉄」には絡まない、乗り潰し系である。 大阪から新快速で姫路へ向かう。高架工事中の駅構内で播但線乗り場前の売店で名物「おかめ弁当」を購入。おなじみの1品だが、パッケージがおかめの顔に変わっていたので購入する。購入後播但線乗り潰しを開始する。103系2両編成で、本来はワンマン仕様だが乗客が多いためか、車掌も乗っている。姫路市街地は高架されているので103系とあいまって大都市を走っている感覚と変わらない。しかしそれも2駅で地上に降り、田園風景の中を走行する。秋祭りの季節なのか、神輿やら山車やらがあちこちで法被を着た人達に囲まれている。駅に着くたび少しずつ降りて行き、福崎で大量下車。そして少しずつ山中に入って行き、終点寺前に着く。向かいのホームで接続する、キハ40和田山行に乗り換え。ここまで乗車していた客のほとんどが乗り換えるがすっかり減ったので、2両編成の乗客が単行になっても余裕で座れる。 平地が無くなり、山中に入っていく。銀山の生野を過ぎ、分水嶺を越えて盆地に入っていく。ほどなく和田山に到着、以外と時間は掛からなかった。ホーム上の駅そば・駅弁売店は休業中。外まで行く時間も無いし、おかめ弁当もあるので購入せず、トイレだけ使って、接続の山陰本線福知山行に乗車。車内でおかめ弁当を食しながら京都兵庫府県境の車窓を眺める。 高架になった福知山駅で下車。それにしても味気ない駅になってしまった。ホーム上にあるのは待合室と自販機のみ。高架下もちょっとした店舗が数件あるだけで、駅弁も無く、駅そばも無い、だだっ広いコンコースは人もさほど多くなく寂しい。横ではまだ地上駅の北近畿タンゴ鉄道の高架工事中であったが、これが出来ても賑わいはさほど無いだろう。駅前も福知山運転所跡地の再開発事業中でこれといった建物も少ない。寂しげな地方都市の風景でしかない。 時間待ちだけをすごした後、福知山線篠山口行に乗車。何度か見た田園風景の中谷川へ。それにしてもこの周辺はいずれもかなりくたびれた113系ばかりで、物足りない。117系あたりが走ればまだマシなのだろうが。本来は旧客編成が一番なんだが。 谷川から乗り潰し2線目加古川線に乗車。125系の単行は発車時間がまだまだだが、運転士までばっちり待機している。ガラガラだったので駅前をウロウロして時間を潰す。がしかし、何も無い駅前である。仕方無しに列車内で待つと、やがて下り普通列車と上り特急北近畿が到着する。ハイカーたちが大挙この単行列車に押し寄せ、たちまち満員。優先座席に確保していたこちらは、周りがじいさんばあさんばかりで若干肩身が狭い。やがて発車し、初乗車にもかかわらず見慣れた風景の中を進む。途中西脇市あたりでの増結を期待するも、それも無く逆にさらに大量の乗車で車内は通勤ラッシュみたいに。播州平野に出て、広々とした中を進む。途中粟生は神戸電鉄を北条鉄道に接続するジャンクションでここもわりと人の流れがある。加古川を渡り、次の目標厄神駅に着く。満員の中人混みを掻き分けやっとのことで下車する。 今度は来年の春で廃止予定の三木鉄道に乗車する。少しずつ日が傾きつつある中、駅の周辺をウロウロして時間を潰す。厄神駅の北側にJRの電留線がある。真新しいので、おそらく加古川駅西にあった加古川気動車区の留置線を移転させたものだろう。厄神止めの103系2両編成がこの電留線に入って折り返している。その脇に三木鉄道の線路が走っており、やがてそこから気動車が姿を現す。単行だが乗車人員は充分余裕がある。車内には沿線の小学生が描いた三木鉄道の絵が掲げてある。それもあと半年で路線自体が無くなる。 日が暮れていき、加古川線上下と接続して発車。第3セクター転換後に出来たと思われる停留所をいくつか過ぎるがほとんど乗降客は無い。通学生がほとんどなのだろう。10数分で終点三木着。こじんまりとしているが立派な駅舎があり、駅員もいる。駅前はここも秋祭りで祭り風情の人々で溢れている。駅周辺をぐるりと歩く。けっして人口は少なくないし、神戸へ向かう神戸電鉄線は15分間隔で運転している。それなのに廃止になるということは旅客流動とマッチしていなかったからであろう。県都であり、100万都市である神戸市と、京阪神の1ベッドタウンである加古川市では当然流れが違う。かつて貨物輸送が主流だった時に海側に出られる加古川へのルートの方が良かったのだろうが。 すっかり日の暮れた三木駅から帰りの乗車。その前に駅で「三木鉄道せんべい」を記念に購入。風情ある駅舎であるが、おそらくもう来ることはないだろう。帰りの列車は祭り帰りの人々で結構座席は埋まっている。途中の停留所では客がいないと扉は開かない。そのためか一組の家族が降りそびれる。「停まってないよな」という声がしているが、ちゃんと停まってましたよ。普段乗っていない証拠でもある。 三木鉄道に別れを告げ、厄神で接続の加古川線加古川行に乗車。厄神始発の103系2両編成なのでゆったり座れる。加古川線ぐらいの長さの路線なら103系でも気にならない。だが、125系単行の混雑を見ると、その運用の方に103系でも2両編成を投入して欲しいところである。すっかり暗くなった中を加古川駅の高架橋に入り到着。乗換えで階段を下りると中間改札がある。103系が走っていてもローカル線には間違いない加古川線と、新快速が15分間隔で爆走する山陽本線とではやはり大きな違いがある。ここから先はいつものアーバンネットワークなのである。ちなみにその改札内コンコースにもまねき食品の立ち食いえきそば屋があったことを確認。大阪まではまだ道のりがあり、先を急ぐので割愛してそれまでのローカル列車三昧の旅を終えた。
2007年10月07日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1

