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2024.10.05
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
豊田市浄水町原山『開豊神社・神風特別攻撃隊 草薙隊之碑・十三塚』
長いタイトルで恐縮です。
この神社は先に掲載した日守神社から、南に続く上り坂を上り切った右側の浄水町区民会館の東隣に鎮座する神社。
すぐ北側には愛知少年院があり、昭和37年のお助け地蔵復興を支援した。

神社は南を向いて鎮座し、石の明神鳥居と拝殿・覆屋が一続きとなったもので、境内右側には開拓碑や神風特別攻撃隊 草薙隊之碑と十三塚が立てられています。
近年境内整備・社殿改修されたものと見え、境内・社殿は至って綺麗な状態です。

明治頃の鎮座地は伊保川右岸の丘陵地で樹林や荒れ地ばかりの一帯で、民家や神社の記は見られません。
この地が開かれたのは昭和に入ってからのこと、そのきっかけになったのが、旧海軍名古屋航空隊伊保原飛行場建設により変貌がはじまり、終戦後飛行場用地は払下げ、戦後の食糧難を補うため開墾し農地に開拓されて来た町で、神社も飛行場の跡地に鎮座します。
神社の南側に東西に真っすぐに伸びる道路が滑走路の名残を留め、境内には巨大な砲弾や錨が置かれ、訪れる者に戦争の愚かさを伝えています。

社地に兵器が安置されているため、神社は戦争と関りがあるように見えますがそうではないようです。
愛知県神社庁、西加茂郡誌、猿投町史など目を通すが社名はなく、開豊神社の創建時期、祭神について定かにならなかった。
戦争というより、「開豊」の名からこの地の開墾事業に伴い祀られた神社かと思われます。

社頭正面全景。

昭和44年寄進の鳥居に架かる額は「開豊神社」。

境内から見る社殿の全景。
参道左に手水鉢と一対の白い狛犬があり、入母屋妻入りの拝殿と切妻平入の覆屋が連なっています。
手水鉢と龍口。

拝殿前の狛犬は昭和44年に寄進されたもの。



戦後の昭和21年(1946)、この地に入植した人々により、伊勢神宮から分霊し伊保原神社を造営した事にはじまり、昭和44年(1949)に「開豊神社」に改称した神社のようです。
昭和44年の寄進物が多いのは改称時に合わせ寄進されたからでしょう。
額の平成29年は現社殿の改修年度かもしれない。

本殿は神明造で鰹木が6本、内削ぎ千木が付くもの。
祭神は天照大神と思われます。

かつて特攻機が飛び立っていった滑走路のあった社頭の眺め。

社頭右手の開拓碑。

碑文は以下。
「沿革
 この一帯は元名古屋海軍航空隊の飛行場跡で戦後国の緊急食糧増産対策の一環として開拓された土地である。
昭和21年7月多くの人達によって開拓事業が始められた。
 県追進農場で開拓技術を修練し十七人が地区内に居住した。
同年伊保原開拓農業協同組合が設立された。
 この土地は酸性が強く礫の多い粘土質土壌であった。
鍬一丁にたよる開墾は遅々として捗らず収入のない歳月が続いて苦闘の連続で多くの人が離農した。
 屡々挫折感をおぼえ乍らも歯をくいしばって頑張った。組合は設立以来各種事業を完成し26年漸く電灯がひかれた。 
その後開拓地としての整備も徐々に行なわれて将来に希望を見出した。
 30年代に入って営農が軌道にのりかけた矢先、伊勢湾台風に見舞われ大きな被害を受けたが組合員が一丸となって見事に災害復旧をし組合の経済発展を為し遂げて現在に至っている。
なお、33年和田ヶ池、36年愛知用水の完成により水田17ヘクタールが開かれたが開拓者にとって素晴しい光明であった。
 漸次入植し現在組合員数八一戸耕地面積170ヘクタール余漸くして近代的農業地帯を完成し周辺地区と肩を並べるまでに成長した。
これは偏に関係当局の暖かいご指導の賜であり心からの謝意を表しつゝ 茲に組合解散の記念を碑する 
 昭和46年12月吉日建立之  伊保原開拓農業協同組合」

神風特別攻撃隊 草薙隊之碑。
碑の前には日進日露戦争で活躍した巡洋艦三景の32㌢砲弾が置かれている。

砲弾の解説。

碑の傍らに名古屋海軍航空隊を語る碑が立っています。
「此の地は昭和17年4月1日開隊、昭和20年9月2日解散せる名古屋海軍航空隊の址なり 
昭和20年春 当地に於て神風特別攻撃隊草薙隊が編成され 4月5日・12日の両日各20機の九九式艦上爆撃機は鹿児島県国分基地に進出、菊水一号二号四号作戦に参加
 同月6日12日の三次にわたり沖縄本島西方泊地の米艦船に突入 未帰還28機、戦死56 
彼らが眠る沖縄の地が祖国復帰の日を迎うるにあたり 志の協力を得て豊田市在住の元海軍軍人本碑を建立し草薙隊ノ忠烈を永く後世に伝へんとするもの也
 昭和47年4月吉日 豊田海友会」

草薙隊之碑後方に置かれている錨と消火栓。


「特攻花 
 沖縄特攻の激しかったころ、九州南方の飛行場のまわりに黄色く咲き乱れていたこの花は、誰言うこともなく特攻花と呼ばれました。
特攻花は見ていました。
 みんな二十前後の元気な若者でした。
飛び立つ者の願いと見送る者の祈りを、花は聞いていました。
 今も、花は聞こうとする人には、聞こえる声でささやいてくれます。「ホラ、プロペラの音が、風の声が」 
慰霊50年祭の記念に、草薙隊が発進した第二国分十三塚原から種を譲り受けて育てました。
 和名「おほきんけいぎく」多年生草木です。  平成七年四月 草薙隊之碑保存会」

因みにオオキンケイ菊とはこの花です。
堤防などで良く見られる花で、群落を作り綺麗いなものです、人の都合から法面緑化で植えられらながら、繁殖力が強いから特定外来生物だそうです、都合のいい話です。

右の五省の碑と十三塚の石碑。

「十三塚のいわれ
 室町時代末期のものと推定される
径4㍍程と1㍍程の大小13個の塚より
 ある先年其の内の一つから永正の頃と思われる
経筒を発掘した(郡誌)大正8年に銅経筒と仏光背一つが出土したという。」
発見された経筒はその後行方不明となったようですが、「猿投町史」か「豊田市史」に目を通していた際に白黒写真で紹介されていました。


創建 / 昭和21年(1946) 
祭神 / 天照大神(推定)
境内社 / ・・・
所在地 / 豊田市浄水町原山
参拝日 / 2024/09/06
日守神社から車移動 / ​ ​​​​ 日守神社から車で南進・1.2分
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Last updated  2024.10.21 09:12:21
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