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アントレプレナーと言う言葉がカタカナ用語になって久しい。だけど本当の意味での起業家が今の日本にどれだけいるのだろう。多くは起業家といわれる肩書きのサラリーマンだったりする。例えば、大企業の資本を入れたベンチャーの雇われ社長さんなどがそうだろう。アントレプレナーをネットで検索すると出てくるのは「アントレプレナーとは何かを伝えるページや、そのノウハウ、目指す方の支援」等など嫌と言うほど、ああしろこうしろと教えてくれる。元々誰かの本に書いてあったり、学校で習ベル事をするのなら、アントレプレナーとは言わないだろう。人のふんどしで相撲を取るようなVBは言うまでも無い。最近起業家の精神とは創造性の中にあるのではないかと思いアーティストに対する興味がある。そのことはまた後日書くとして、同じ学ぶでも、例えば「恩師から学ぶ」と言うのは少し違う意味合いがあると思う。それは先人からの知恵を受動的に教わるのではなく、能動的に学ぶという事に違いがあると思うからです。ある意味では先人の真似をするのではなく、むしろそう言う方から良い所を盗み取る位の意気込みがあった方が良いのではないだろうか。こう言った自主的発想や行動の原動力を持ち備えている人こそが起業家と呼ばれるべきだろう。
2005.05.29
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今週は不思議と美術との縁があった週だ。水墨画展を見に行ったのが最初。最近水墨画は顔料の多彩な彩りで西洋画風の水墨画もある。画材も西洋画にあるような葡萄やテーブルに並ぶワイングラスとボトルなんて物もあった。だけど白地に黒墨で描かれるモノトーンの世界に惹かれる何かもあるように思われる。そして昨日は「ルオー」の収集家と会食した。不思議なランチだった。還暦を廻った彼はいわゆるリタイアメントエージ。普段なら何を目標に生きて行こうか悩む世代である。ところが二十年以上も前から絵画の収集を始め、定年を機に絵画関連のNPOを立ち上げた彼にはコンサル会社の仕事と合わせて暇を弄ぶ時間など無いと言っていました。彼が発起人を勤めるNPOの活動を通じて集まったメンバー80名程が夫々のコレクションを持ち合って開く展覧会や若手のアーティストの個展のプロデュースを通じて集まったお金をそのまま国際機関に寄付されているとか。絵画につき物のパトロンの世界、なぜか起業家に対するエンジェル投資家とダブって見えてしまう。自分も何時か絵画の収集や若いタレントのサポート役になりたいと思う。しかし日々余裕のない今の生活ではまだ先の事としか言い様がない。ただ少しでも実現に近づける為にこう言う文章を少しづつ書き綴っていきたい。彼曰く「絵の収集は自分探しの旅のようなもの」だそうです。僕もそんな旅を何時の間にか始めているのだろうか。そんな気持を抱きながら今夜のアートイベントも楽しんでみたい。
2005.05.28
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昨夜は最近知り合った教育者との懇親会となった。間もなく四十路を迎える好人物である。彼の学校に夕方から出かけた。小さな教室の中は寺子屋的雰囲気と知識への渇望が満ち溢れていてとても新鮮だった。部屋の中の幾つかの壁紙から学べる面白い事を書いてみよう。「自和」と言う言葉があった。最初の漢字「自」は己であり。個性を持つ事を子供に勧める教育を表している。また、自己責任を持てる子の教育も含まれている。その中で「自然」と言う言葉が使われていて僕の目を惹いた。この言葉だけ音読みが「じ」ではなく「し」と発音する。そして自然のままで居る事が己のままで居る事を教えてくれる。もう一つの漢字「和」は勿論、協調性を教育する「自」に対峙する言葉である。ただし個性を否定するのではなく、むしろ個性を持つことが「和」を作る必要条件になるのだと思う。元々個性のない集団に「和」は必要がないからだ。またこの言葉は輪を示唆していて輪廻の世界すらも暗示してくれる。和みの「和」、そして僕たちの済むこの国が大和の国であり、僕たちが和人であることすら思い出させてくれた。なんと凄い言葉が小学生の教室に書かれていたものだ。子供を教育する事はすなわち己を教育する事に繋がるのではないだろうか。その後近くの江戸風情の残る居酒屋に場所を移し杯を酌み交わしながら話が進んだ。その続きはまた後日書いてみよう。
2005.05.27
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縁があって、とある「水墨画会展」を昨日観てきました。驚きなのはそこに招待してくれた方がなんとその会の「大賞」を取っていた事でした。その後その方と同じく本年古希を迎えた僕の友人の三人で銀座に出向き、ささやかな祝いの宴席を持ちました。そこでの話で気になった言葉を幾つか書いてみようと思います。教育事業を最近手掛ける事になりこの友人ともご縁が出来たわけなのですが、彼が事在るごとに言う言葉が「木を育てるのに50年、人を育てるのに100年。教育は100年の計」です。その彼が今夜こんな事も行っていました「望遠鏡と顕微鏡を兼ね備えた人物は一万人に一人居ないだろう」と。同時に「かみそりと鉈を使える男」とも言っていました。洋の東西を問わず「切れ者」とか「シャープエッジ」とかという表現で有能な人を表現するけれども二種類の刃物を使い分けると言う表現はあまり聞かない。つまり、剃刀で髪は切れても木は切れません。逆に鉈では木は切れますが髭はそれません。このように二つの刃を使い分けれる人物も少ないと。実はこの方幼少より政治を志しておられたとか。近年多くの政治家と接触する機会が増え、その政治家の資質を語っている時に出てきた言葉が上の二つです。永田町には「木を見て森を見ぬ」政治家が如何に多いか。「百年の計」を持った徳目の政治家が切望される時代が来ている。この時代の風を何故皆感じようとしないのでしょうか。奇しくも今夜大賞を取られた方の父親も教育者で在ったとか。新しい教育を是非捜し求めていきたいものです。
2005.05.26
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昨夜は三十代一人、二十代二人との飲み会をした。渋谷では希な落ち着ける空間で柑橘系やベリー系の焼酎を中心に楽しい飲み会となった。二人の女友達の内、一人は学生でもう一人はその学生の先輩。4月に入社したばかりのピカピカの新入社員である。就職先は中堅の金融機関。まったく馴染みのない世界ではないので話を聞いてみる。詳細は分らないし、分りたいとも思わない。だけど概要は矢張り旧世紀のノリの営業、社内活動を強いられている様子。例えば、役員室のゴミ拾い、掃除、お茶周りの仕事などなど、アルバイトの子のお茶を入れてあげている僕の身からするとなんとも幸せな役員が今時居たものだ。ただこの一見HBSでも出ていそうに見えるスタイリッシュな彼女の立場からするとたまった物じゃない。彼女は俗に言う「総合職」と言う族に属していてゴミ拾いや金曜の夜の強制居酒屋は「馴染まない」そうだ。そんな生活が一月程続き先が見えてきてしまうといわゆる「五月病」と言う精神病が発病するらしい。そんな彼女に少しアドバイス。ポケットサイズの小さな手帳を買う事。そして、嫌な仕事を頼まれてもニコっと笑い「はい」と返事する。ただしやる前にはその仕事の日付時間内容を簡単に手帳に書き留める。しょっちゅう頼まれるのでしょっちゅう書き留める事になる。その内この不利人な上司が聞いてくる、「何を書いているんだ?」と。その時は何時も以上に笑顔を作って「入社以来、何時もどんな仕事をしているか書き留めています。これも勉強の一つですから。」と応える。まあ、僕たちの飲み会はこの後セクハラだのアルハラだので結構盛り上がったけれど、五月病に悩む新入社員の皆さん、偶には視点を変えて日々の生活を見つめなおして見てはいかが?さーてこの友人手帳を買って付けるだけの勇気があるでしょうか…。そしてこのノート作戦、もし上手く行ったらまた日記に載せて見ます。その時の上司の反応何か分ると面白いかもね。
2005.05.25
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この数年面白い交友関係がどんどん広がっている。外国で出会った第三国からの友人を通じて世界中の友人が出来た。中南米、北米、東欧、中東、アジア、巡り巡って日本人の友人。その海外在住の日本人の友人が今日本に短期滞在中。しかもここ数日居候中である。10歳程年下の彼の魅力はその人柄。いわゆる「和み系」。一日共にしていても飽きる事が無い。その彼を連れ出し都内を散歩した。関西出身の彼は東京に数年住んだ事もあるそうだが、僕の「徘徊する東京」は知らない。普段見ない東京の側面を次から次へと紹介させられていく。こんな密な東京文化に多少「消化不良」を起すのではと懸念しながら一日歩いた。でもこの自由発想能力の高い友人は最後までへこたれる事無く着いて来てくれた。唯一の泣き言は「歩きすぎでふくろはぎが筋肉痛」になった事だとか。これだけ歩けば、それも分らなくもない。主な訪問地-東郷神社-森英恵ビル(LaMaisonDuChocolat含む)-青山墓地-恩師の事務所-日銀-日本橋三越(デパチカ含む)-彼をして関西よりも良いと言わしめたお好み焼き屋-JazzBarにてのRecord鑑賞会
2005.05.24
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そんな訳で「もう確り四十代に足を踏み込んだな~」と思える年代になって今一番楽しいのがこの世代間の違いを肌で感じ取れる事だと思う。親や子供と言った直接的付き合いで70代の人の考え方、或は10代の人の考え方を一般よりもずーと深い関わりで見ることができる事。そして社会生活を通して日々同世代は基より50代、30代と密接な公私に渡るお付き合いが出来ている事。また、60代の友人がここ数年でグンと増えて良く食事会や飲み会をともにしている事。一方、20代の友人も多く出来てその人たちとの交流に大いに刺激を受けている事。これらの世代間の交流において恐らく60代と20代の方々が感じる世代間のギャップを感じる事無く本当に両世代との関係を上手く使い分けながら日々の生活を楽しんでいると思えることである。簡単に言えば他の世代の人たちとの一番中間点にいるのが楽しいのだと思う。一般的によく言われる「不惑」の魅力とは、この様な社会的優位な位置付け二起因するのではとふと考えたりもする。世代間のコミュニケーションを上手く使いこなす、そのリーダーシップが魅力なのだろう。
2005.05.23
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実は西暦で言うと1960年代の生まれである。幼少の頃はまだ19世紀の人間が存在した時代である。もしかすると江戸時代の生き残りの方たちに見つめられた事くらいあるかもしれない。それはともかく、まともに付き合った世代は明治後半の人。恐らくもう十年前後前に亡くなられた方たちである。彼らはいわゆる戦前、戦中の人間であり彼らと一緒に杯を交した経験が今の人生の中で大きな財産の一つになっていると思う。そして自分の前の世代、昭和一桁或は戦前生まれの日本の歴史上でもまれに見る転換期、混乱期、貧困期、を経験した「ど根性」世代の人たちである。彼らとは、まさに親子・親族関係を通して多くを学ばせてもらった、と言うよりは彼らの経験・語らいが僕の肉体・魂、つまり「血と骨」となっていると思っている。21世紀に生まれ育つ次の世代の人たちには経験できない「20世紀後半の世界からのメッセージをここで少しだけでも届けることが出来たら」との願いを込めならが、このブログを続けてみようかと言う気になりかけている。今の時代では判り様もない「頑固イズム」を「ネオ頑固イズム」と言うオブラートで包みながら少しずつ飲み込んで貰えうみたいに…。
2005.05.22
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サイトで「頑固」イズムを語る以上、頑固の定義が判らなくてはいけないと思い、辞書を引いてみた。すると:(1)他人の意見を聞こうとせず、かたくなに自分の考えや態度などを守る・こと(さま)。例:「―なおやじ」(2)病気などが、なかなか治らない・こと(さま)。例:「―な咳(せき)」な~る程、「思ったとおり」ってな分けないか。僕の語りたい頑固イズムは「頑なに自分の意見にこっしするのではなく、確りとした自分の価値観を持ち、その価値観で確りとした責任ある行動を取ること」だと思う。そしてその価値観とは「普遍の物ではなく、日々己の中で進化する物であり、時と場合によっては180度の方向転換すらありえる」物である。そこで「ネオ頑固」イズムが出来上がったと言うわけである。
2005.05.22
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最近Blogの世界に紹介され取りあえず立ち上げてみた。結構何も言わないのに勝手に色んな人が見に来てくれているのが怖い。本当は別の目的でサイトを立ち上げたいんだけどこれだとかなりヤバイかも。今凄く悩んでいる事がある。数日前友人に相談したけどあまり解決にはならなかった。ブログも問題解決の一つの方法と思っているのだけど、もう少し様子を見てみよう。
2005.05.22
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21世紀ももう五年目に入り旧世紀との価値観の違いがだんだん大きくなっている今の時代に古き良き物を忘れない為、二つの世紀の掛け橋になる為に生まれたネオ頑固イズム。その会員番号082がネオ頑固082なのです。
2005.05.21
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