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先週末、久しぶりに訪れた伊豆高原の地、先ずは温泉に浸かりリラックス。宿の食事を楽しみ大いに飲んだ。その後場所を部屋に移して深夜まで語らった。その中で一番面白かったのが内接円と外接円の話。この話をしてくれてた彼は世界的に有名なアーティスト。その理想の世界のスケールの大きさに先ずは感動した。そんな彼が語ってくれた高校時代の教師の話から始めよう。ありきたりの話だが彼の教師が言ったこととは「人間の成長とはあたかも川の上流にある尖がった石が川の流れとともに下流に流れだんだん丸くなっていくこと」だと。彼はこの考え方に真っ向から反対した。教師の言っていることは三角形ならだんだん角が取れて丸くなっていくこと、つまり「内接円になれ」と言っていると考える。ところが彼の考えは全く逆の発想で角は削らずにその角に引っかかったものをどんどん身に付けて丸くなっていくこと、つまり「外接円になる」ことが成長だと考える。ここで面白いのが外接円と内接円との違いは正三角形だとその差は小さいのに、不等辺三角形になればなる程その違いが大きくなると言うことだ。リンク先の青い円が外接円で緑が内接円だ。ポイントAをドラッグしてみると面白い。正三角形に近い三角の時には内接円が大きくなり、外接円が小さくなる。一方歪な不等辺三角形になると内接円が小さくなり外接円が大きくなる。彼曰く不等辺三角形(天才型)の人間は大きな外接円を描くチャンスがあるのに日本の教育は小さな円に削ってしまうと言うのである。とても面白い考えだと思った。
2005.11.28
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さて、082は別に天皇制反対論者でもなく、ある意味では皇室を持つ日本文化の懐の深さは世界に誇るべきことだと思っている。しかしこの272億円言う予算や都内の中心にある皇居が適当かと言うといろいろ考えてします。憲法第88条には「すべて皇室財産は国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」とある。つまり天皇家は不動産を所有することは原則としてできない。皇居や御所は国有であり、天皇家はそれを国から借りているわけである。そうなるとその家賃が問題となろう。実は「昭和天皇の課税遺産額は18億6911万4000円」しかなかったそうだ。その殆どが金融資産で香淳皇后の相続は寄付金を除いて7億はあるはずなのが非課税範囲外つまり2億円以下になっていたことからすると今生天皇が受け継いだ額も当時より大幅に下がっていることが推測される。つまり格安の家賃で皇居にお暮らし願うのは納税者に納得しがたいことであり、かといって実勢価格を支払う経済力は今の天皇家にはないのである。そうなると道は一つ。もっと家賃の低い場所に暮らして頂くしかないのではないだろうか。例えば天皇家の皆様に都心から離れた何処かの保養地にお住まいになって頂けば宮内庁費や皇宮警察本部予算も何十億単位で減らすことが出来るだろう。先日書いたように天皇家はこのままでは断絶の危機を迎えることになる。女帝を認めることがその解決方の一つであるのだから大いに議論してもらうのが当然だろう。と同時にこのような経済的現実をもう一度見つめなおす時代が来ているように思われる。
2005.11.25
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「天皇家の財布」という本があるそうだ。それによると、日本の2003年度の「皇室費」(宮廷費、内廷費、皇族費)と宮内庁費を合わせると184億4490万円となる。天皇や皇族の活動資金である「皇室費」には宮廷費、内廷費、皇族費の3種類があるそうだ。宮廷費は、皇室の公的な活動に使われ、同年度は63億6193万3千円。皇室の公的予算と言う訳である。一方内定費は、生活費を含む天皇家の私的費用だ。定額制で1996年度以降3億2400万円。簡単に言えば天皇家のサラリーみたいなものだ。皇族費は、天皇家以外の宮家のプライベートな費用で、宮家のサラリーと考えてもらうとわかりやすい。以前書いたように現在は秋篠宮、常陸宮、高松宮、三笠宮、寛仁親王、桂宮、高円宮の七家、計18人の皇族がいる。同年度の総額は2億9768万円である。加えて宮内庁費と言うのがある。同年度は114億6129万円。その約八割が1090人の職員に対する人件費と手当だそうだ。皇宮警察本部予算と言うのがありこれを合わせると2003年度で272億8105万4千円となっている。1億2千7百万人で割ると一人当たり214円である。
2005.11.24
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さて、ここまでの話を纏めると、天皇家には皇統断絶の危機を回避する為に宮家という代々皇族の身分の保持を許された一家の制度がある。簡単に言うと本家(徳仁皇太子の家系)が途切れても、継承することの出来る家系のことである。現在は、秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の五宮家がある。ここで問題なのは上記全ての宮家で男子は1965年の文仁さま以来男子が誕生していないと言う事実である。つまり折角の宮家制度が役に立たない状態になってしまっているのです。その解決策は幾つかあると思うので少し並べてみよう。先ずは養子。これはごく最近話題になった黒田慶樹さんなどが該当する。つまり紀宮清子さまが黒田家に嫁がずに黒田慶樹さんが天皇家に養子となり新たな宮家を作るということである。現実には本年11月15日に逆に紀宮清子さまが天皇家を出てしまったのでもう遅い事になるのですが、愛子、眞子、佳子さまたちの配偶者には今後の手続きしだいで可能性がある。同じように、女子皇族により宮家を創設する事も考えられる。これは普通結婚に伴って宮家を創設する訳だから、養子と同じように思えますが、その前に独身で宮家を創設する事も考えられる。また、1947年戦後GHQの影響下で皇籍離脱を強制的に強いらた宮家が11あります。これらの旧宮家を皇族に復帰させる事も考えられます。ただ60年近く経った今全ての旧皇族を戻すと言うのでは現実性が低いのでかなり面倒な解決策だと思う。そして最後は女帝容認と言うわけです。これは男女平等から言っても当然だと思うので一番簡単な解決策ではないだろうか。話をまたイギリス王朝に戻せばエリザベス女王が現在英国の女王であることにイギリス人は問題提起していないと思う。やはりこれが将来あるべき日本の姿ではないだろうか。
2005.11.22
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イギリスの皇室の話をした序でに日本の皇室の話をしてみたい。最近では女帝を巡る論争が激しいのだが、その話に触れる前に継承順位を確認しておこう。今上(裕仁)天皇には三人のお子様がいるのは良く知られている。徳仁(皇太子)さま、文仁(秋篠宮)さま、そして清子さま(紀宮=黒田さん)である。なので継承順位は皇太子が一番、秋篠宮が二番である。また今上(裕仁)天皇には常陸宮正仁さまと言う弟がいて彼が継承順位三番目となる。その次となるとかなりややこしい。昭和(裕仁)天皇には弟が三人いるが末弟の三笠宮崇仁さま以外は他界されている。つまりこの御年90歳と言う方が四番目である。その三笠宮家には三人のご子息が居られ、長男三笠宮寛仁さまが五番目、桂宮宣仁さまが六番目、そして三年前にカナダ大使館でなくなられた三男高円宮憲仁さまが七番目であった。こう言っては失礼だが、四番目の三笠宮崇仁さまはご高齢なので実質的に三笠宮寛仁さまが四番目と言うことになりそうである。一番目の皇太子から見るとおじい様(昭和天皇)の甥っ子と言うことになる。俗に言う五親等と言う間柄だ。秋篠宮さまが二親等、常陸宮正仁さまが三親等と比べると大分離れた存在である。しかも三笠宮寛仁は今上天皇と同世代であり三笠宮家の三代目に当たる世代は昭和天皇家の三代目と同じく皆(計五人とも)女性なのである。さて、今上天皇は1933年生まれ、例えば昭和天皇と同じ年(88歳)まで後懸命だと2021年に皇族継承が行なわれる。その時点で御懸命なのは恐らく、秋篠宮さま(56歳)と常陸宮さま(86歳)、三笠宮さま(75歳)、桂宮さま(73歳)となる。問題は上記四名には誰も嫡男がいないと言うことである。もし徳仁天皇が88歳になる2048年には継承者は恐らく秋篠宮さま(83歳)のみである。しかもご高齢であり継承しても数年。しかもその後の継承者は誰もいないことになる。言い換えれば現在の継承者六人がいなくなった時点で天皇家は絶えることとなっている。
2005.11.21
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ここで少しキングエディーの経歴を知って欲しいと思い検索して出てきたのがこのページ。とても判り易いので時間がある時に是非読んでみて欲しい。さて、082がこのキングエディーに惹かれているのは彼のダンディズムだと思う。とにかく、ダンディズムってその言葉自体カッコいい。ダンでリズムは、もとはフランスの王侯貴族の軟弱なファッションに対する、イギリスジェントルマンの質実剛健さを表したファッションから来た思想である。同時にそのファッションの根底には「狩猟」や「スポーツ」が深く関わっているので、必然と「シンプルな機能性」、ウールに代表される「保温性」や「柔軟性」が要求されている。このファッションが思想となる時、質実・剛健さを兼ね備えた人間性、合理主義、思いやりや柔軟な思考を基本しているのではないだろうか。「ファッションは政治だ」と言った言葉の裏にはこう言ったはっきりとした思想を感じる事ができる。そんなキングエディーの語った言葉に、彼が退位した時の抜粋がある。上記サイトでも紹介されている「私は国王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能である、愛する女性の助けと支えなしでは...」と言ったそうだ。「王冠を捨てた世紀の恋」と言うと質実剛健とは少しかけ離れているような感じがする。しかしその心の中には人間としてあまりに当然の「愛する女性からの助けがなければとても戦っては行けない」と言うシンプルなメッセージが隠れている。社会正義の為に戦い続けた男、キングエディー。「戦いつかれた男を救うのは女の愛だ」と言っているように082には聞こえる。
2005.11.18
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たまたま最近買った本の中にキングエディーについて幾つか書いてあったので、今日はその本から少し引用してみたい。例えば彼のファッション感覚。ワイドスプレットの襟に合わせて結ぶ太目のノットは今でもウィンザーノットと呼ばれるそうだ。彼のファッションはマスコミからの注目をいつも集めていた。そんな彼がこの結びをしていたので名づけられたらしい。またグレンチェック(あるいはグレンプレイド)と言うスタイルのスーツがある。これは元々スコットランドのごく限られた地域で使われていた格子模様の一つであるが、彼がスーツ柄として採用すると社会にセンセーセションが巻き起こった。たった一人の男が着ていたことで、今ではブランドメーカーが挙ってこの柄をつかっている。皆紳士・婦人スーツのスタンダードの一つとして欠くことの出来ない柄になったしまたのだ。全くの余談だが、このグレンチェックのモチーフになった柄が千鳥格子と呼ばれる柄である。これは犬歯に似た柄なのでハウンドツースとも呼ばれている、082の大好きな柄なので一言付加えておこう。退位後の晩年の彼はあまりマスコミの前に出ることはなかったらしいが、それでも彼のファッションはトレンドセッターとして一ヵ月後には貴族間で、半年後にはロンドンで、次のシーズンにはアメリカで流行したそうだ。退位した王様がこれ程までに社会影響をもたらしたかを考える時、彼の存在感が如何に大きかったかを知ることができる。
2005.11.17
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とても好きな英国人がいる。と言ってもはるか雲の上の人なのだが。「キングエディー」という愛称で北米人にはとても人気の男、「ウィンザー公」と言ったほうがわかる人も多いだろう。正式名はなんと、エドワード・アルパート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デビット・ウィンザーと言う、とんでもなく長い名前らしいのだが1894年6月23日生まれ、二十世紀最大の英国皇室スキャンダルの主役だろう。彼の父は泣く子も黙る「King Geroge V」。彼は英国王室の正式継承者、1936年英国王エドワード8世となりそこからキングエディーと言う名前になった。ここで大切なのはキング・エドワードではなくエディーである事だ。もちろん正式名ではないが北米人の多くがそう呼びたがるのだ。彼は英国王であるにも関わらず、アメリカ人シンプソン婦人と恋に落ち結婚の為に退位(つまり王様を辞めて普通の人になった)した男である。そんな彼のダンディイズムについて少しづつ書いてみようと言う気になってきた。082が始めてキングエディーに接したのは、今ではメリディアンの系列に入ったカナダ・トロントにある「King Edward Hotel」であった。このホテルは88年のG7の際、我が国竹下首相が滞在した事でも知られるが地元ではホテル自体を「キングディー」と親しみを込めて呼ぶこともしばしばだ。ともあれそんな北米で人気の彼について、近年話したのが今日の話の切欠である。ビクトリアの法律家の友人N氏はやはりキングエディーと彼を呼んでいた。その彼に以前から気にしていたキングエディーについて聞いてみた。上記の概要はこのN氏から聞いたのが最初だった。つまり現代のチャールズ&カミラ以上の話が20世紀の前半にあったのである。しかもチャールズと違いエディーは王位についた人物である。
2005.11.15
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社会全体に対する悪のことをさしていう言葉。一般的に社会でそう認められてしまうとそこに税金をかける事がある。そう言った経済用語(?)でもある。例えば公害をおこす工場の廃棄物に対する課税、ガソリンの消費に対する課税、違法行為全般の罰金もそうであろう。賛否は別として、酒税やタバコ税もそのうちに入る。これを逆転の発想で行なっているのがマリワナの自由化。法的に認めてしまってその分いっぱい課税してしまえと言う考え方である。さて、以前働いていた某国の会社でこんな問題が起こった。喫煙者への給料を一律非喫煙者と比べて1割低く抑えると言うのである。理由は会社負担の保健が高いこと、始業時間中に必ず喫煙休憩が入ること、などである。確かに経営者側からすると正論のように思えるが喫煙者の社員にはたまったことではない。結局裁判になりその結果5%(請求の半分)の賃金カットを喫煙社員に求める会社側の勝利となった。喫煙者かどうかを決めるニコチン検査は社内の健康診断で調べられ今後一年間の内に随時判断され一年後の賃金から適用されるようになった。何人かの優秀な喫煙社員は感情的になり会社をかわることになった。一方、新たに会社に入る人たちの多くは非喫煙者と言うより嫌煙家が多かった。一年経つ前に変化の兆しが見えた。会社の成績が向上しだしたのである。今まで喫煙しない社員が、喫煙社員が昼休憩のあと遅れて戻ったり、午後勝手に休憩時間を取っていることに不満を覚えていた。そんな社員のやる気を呼び戻す事になったのが一番の効果だった。一方社員の中には賃金を取り戻す為、そしてこれを機に健康体になろうと喫煙を止める人もいた。その結果、翌年ニコチン検査をパスした社員は給料が5%アップする事になった。社会的にも話題となり同じような規定を設ける会社も増えてきた。それどころか官公庁も「喫煙者に同額の給料を払っているのは違法ではないか」と言う有権者からの集団訴訟が持ち上がる結果となった。当然喫煙に関わる法律がかわり、公共の場所はもとより、街の歩道での歩きタバコは完全に違法となり罰金が課せられることになった。レストラン内や、電車や飛行に内の喫煙は出来なくなった。他の先進国でも十年ほど送れて同じような動きが始まりいまや世界的規模で何らかの対策が行なわれるようになった。実はこの切欠を作った会社の社長には裏話があった。つまり彼自身が喫煙者で一年を待たずに5%の給与カットを自らと役員に課した。その上で喫煙を止め一年以内に非喫煙者認定を受けて以前の給与に戻った。彼の英断が今では世界的規模の社会運動の一つとなった。まさに「源流の一滴」となった人物である。
2005.11.14
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ここ二年くらいテレビも新聞も殆ど見たり読んだりしないことは以前話したような気がする。テレビは殆ど興味がなくなってしまったが、新聞の政治や社会欄も特に読見たいと思うことが少なくなっている。ニュースで一番よく読むのはスポーツ欄かもしれない。スポーツに惹かれるのは勝ち負けがハッキリしているからだと思う。またプロ意識がハッキリしているのもスポーツ界の良さの一つだろう。教育にスポーツを取り入れるってもっとあっても良いのではないだろうか。団体競技を通じて学ぶチームワークは社会人になってからとても役立つ。特に経営者には組織の動きが良くわかる最高の擬似体験ではないだろうか。瞬時の判断、行動と結果の因果関係、戦略を試したり、プレーヤーを入れ替えたり、スポーツの要素がこれ程経営に直結してるのはとても面白いことだろう。プレや-の立場からもリスクを犯したプレーに対する責任は人生学の勉強となるだろう。だから、本当の教育を社会性も含めて語るならスポーツは絶対外せないテーマだと思う。以前からジーコジャパンを書いているのも、そんな意味合いがないわけではない。そんな折、最近とんでもない話が飛び込んできた。その名もスポーツアカデミー。広大な五百万坪もある土地を大自然の中に買い取った企業家グループが教育事業に参画する為に協力を要請してきたのだ。オリンピック選手やプロスポーツ選手を育てる為の組織を作り出そうと言うのである。直ぐにビッグビジネスに繋がりそうな話だが信念を確り持ってやって欲しい。スポーツほど良い教育はないのだから。
2005.11.11
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なんか情けない言葉だけどそれなりの意味のある言葉ではないだろうか。なんて言ってる自分がそうなのだけどその心を少し書いてみたい。実は「高校中退組み」である。一般的な公立の普通校に通っていた。普通に進学すると思い出来るだけ良い大学に行けるよう勉強し様と思いつつ、それ程勉強もせずに過ごした高校時代だった。高三の夏アメリカへの交換留学制となりスポーツに明け暮れた一年を過ごし帰国後高校を中退した。その後地元の大学にアメリカの高校の卒業証書で受験をして何とか合格する事が出来た。折角入った大学も殆ど授業にでることもなくバイトで資金が溜まった三年生の夏、ゼミの教授に相談することもなくまた「中退」した。周りの人には後一年ちょっとで卒業だからもったいないなどと言われたがその時も僕にはもう十分すぎるくらい機が熟していたように思える。それは海外の大学に留学するのだからそれ程のこともなかったのだが今と違いそれなりのリスクはあった。その後苦労して卒業した大学の証書を持って就職したがその会社も一年経つ前に転職する事になる。正直言って会社を替わるときはもう誰にも相談することもなくそんなものだろうと言った感じで直ぐに行動に出ていた。結局そんなことで人生転機が訪れるのは当たり前だと実感出来るようになったような気がする。永遠なんてこの世にはない。この世で確かなものは死と税金だそうだ。さて、そして転機がまた僕にも訪れようとしている。今回はそれないに色んな人に相談したような気がする。いずれにしても答えば決まっている以上相談の意味合いは少し違うのかもしれないが。
2005.11.10
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今週の水曜日また円卓会議に出席した。前回以上の難題を抱えての会議一時期はどうなるかと思いながらのここ数ヶ月であったが、何とか無事難局を乗り越えた気がする。経営者が夫々の意見を述べて意見が分れている時、最後は同じ目的意識を共有していると言うことを唱える事は大切だと思う。その目的の為に最善の道はどうかと言うことを踏まえ正論を唱えれば何時か他のみなからも賛同を得られると思う。少なくともここ数ヶ月はそう思いながら何とか難局を乗り切ろうと考えてきた。その結果一人、二人と賛同者が増え会議ではほぼ全員一致で議題を通す事が出来た。結ういつ反対していた最後の一人は株主の最善を思い最後まで妥協しなかっただけでむしろ僕の意見に最も近い人だった。会議の話をしても詰まらないので今日は最後まで反対していた彼に着いて少しだけ欠いてみたい。実は彼は30年以上前に数学者として教授職をしていた時代がある。その彼が当時最先端分野の科学として出てきたコンピューターサイエンスに注目。オックスフォードでコンピューターサイエンスを学びカナダで初めてのコンピューターサイエンスの学部を立ち上げた人物だ。その後その技術を使い会社を立ち上げ成功を収めている。元々アイルランド移民の彼は大英帝国の歴史文化に大いに誇りを持っていて前前会の会議の時にはチャーチルの話で大いに盛り上がったものだった。その彼が今回イギリスで聞いてきた話がまた面白かった。確かケンブリッジ大学だと思うのだけどアイザック・ニュートンが使っていた研究室がまだあるそうだ。そこで彼曰く「ニュートンの研究室は今どうなってると思う」と聞いてきた。大切に保存されてるかと思いきや、今も違う研究者が普通に研究の為に使っているそうである。歴史的場所として保存説研究室として使いつづけているそうである。なかなか面白い話ではないだろうか。
2005.11.08
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東京にお住まいの方は良くご存知。東京の営団地下鉄が「東京メトロ」になってもう二年近くになるそうだ。でも「なんで?」って理由を説明してもらったことはないと思う。この辺りはリンク先のご挨拶に書いてあるので興味があれば読んで下さい。ここで書きたいのはその名前について。株式会社化することはいいけど、名前がメトロならそれに相応しく営業して欲しい。恐らくメトロとはパリの地下鉄と同じ名前なのだがメトロポリスを略している言葉でもある。じゃいったいメトロポリスって何なのと言えば「首府。首都。ある地域の政治・経済・文化などの中心となっている世界的な大都市。大都市。巨大都市。」まさに東京に相応しい言葉である。元々東京文化圏を一つの得意な文化と考えた方がいいと思っている。日本が単一文化だと考えるには東京は余りにも特異すぎるだろう。学生の頃名古屋から東京に向う新幹線の中でヨーロッパならこの電車を降りる時に「国境が変わっていても不思議ではない」と思ったりしたものだ。さてそんな東京メトロポリス色んな特徴があるのだが、その一つが眠らない都市。だったら24時間営業を東京メトロにはお願いしたのだ。ここ十何年「不況」と言う名の元に増やしつづけるタクシーの台数。数だけ増えて赤いメーターを点けたまま走っている車が多いのは皆も気付いているだろう。下手をする空のタクシーだけで渋滞している街中の交差点も多い筈。だったらいっそ東京メトロの24時間営業で深夜タクシーの需要なんてなくしてしまえばいい。その分浮いたお金は消費者が深夜、早朝の食事代などに使えばいいのだ。どちらの経済効果が高いかは簡単にわかる。地下鉄の営業に合わせて、24時間開いてるカフェを東京メトロの中に作って営業してみては如何だろうか。絶対に流行ると思うけど。
2005.11.07
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大きな波動が動き出した。恐らく十何年ぶりの動きだろう。なんか思わせぶって書いちゃったけど実は株式市場の話。なーんだそんなことって言わずに聞いて欲しいんだけどこの波動が見える人にはかなりの意味があると思う。みなも知っているけど八十年代の後半は俗称バブルの時代って言われているんだ。当時社会人していた人には懐かしい時代。簡単に言うと銀座の接待が数人でうん十万って世界。人気のレストランは一晩で満席を三回転くらい回していたり、不動産の融資を掛け目100%以上で出してたり、株の中味も見ないで投資したり、美術なんて知らない人が絵を買ってた時代。そんなわけの分んない世界のわけの分んない数字が当時の株価だとすると、その数字すら越えようとしている株価もあるってことがとても大切な話。実は都内の不動産の供給が当時以上だったりするのも事実。当時は護送船団と呼ばれた日本経済が猫も杓子も上げ相場に乗っていたけど今は勝ち組みと負け組みの境がハッキリしている。勝ち組みは負け組みに足を引っ張られない分揚げ足も早い。大波がいよいよきたよって感じ。この違いを知る眼力を持っている人が勝ち組みに入る可能性のある時代。是非ともこの波動の動きを見極めて欲しい。なんて思いながら少しずつ株の話をしてみたいと思えるこの頃です。
2005.11.04
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投機の話をもう少ししてみよう。投資はとは資本リスクをとってもリターンを求める行動をさす。つまり投資家は投資した資金が回収できないリスクを持ちながらもリターンを追及する人である。では投資家と投機家ではどう違うのだろうか。投機とは先日も書いた通り「機に投ずる」ことを察す。また、「投資値する機が熟した」と言った意味合いもある。逆に考えるとこれ程の機会はないので投資しないわけには行かないと言うことにもなる。機に投ずる為には、その機会を待つ忍耐力と、その機会を判断する為の鍛錬と、その機を捉える行動力が必要なのだ。つまり以上は投機家になる必要条件なのだが、充分条件ではない。では何がまだ足りないのだろう。投機は投資と違い短時間で大きなリターンを得る事も暗示されている。つまり投機に値する機会は大きなリターンがあってこそ投機となりえるのだ。そこで投機家になる充分条件は「捉えた機会に最大の力を集中できること」が必要となる。これが出来れば投機家なおのだ。つまり、投機家とは、機会を捉える為に、日々精進しながらチャンスを待ち、いざ機会が訪れたと思えばそのチャンスに全身全霊を捧げるが如く力を集中する人をさしている。
2005.11.03
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最近「ウォーレン・バフェット」についての本を読んでいる。彼はとても興味の持てる人物だ。1930年生まれの彼は今年75歳である。彼を表現する言葉が幾つかある。3兆円を越える「資産家」が今は一番相応しい言葉だろう。そんな彼は10代の時から起業した「アントレプレナー」でもある。グレアム・ニューマンの元、その投資学・手法を磨き、バフェット・パートナーシップで総資産5百万ドルまで資産をのばした「資産運用家」でもある。その資本を元に繊維産業で苦しむバークシャー・ハザウェー社を買収した「投機家」でもある。そのバークシャーハサウェーを投資会社として蘇らせ、多くの「一流企業の主要投資家」として、あるいは敵対的買収者ではなく「ホワイトナイト」として活躍する。彼の投資銘柄にはワシントンポスト、GEICO、ディズニー、コカ・コーラなど馴染みの深い会社があり、その「経営者」としても深く関わっている。また1991年には不正取引で苦しむソロモンをワシントンとの太いパイプで救った「救世主」としてその名声を高めた。彼の活躍がなければ、現在GEと並ぶ世界最大企業の一つとなったシティートラベラーズグループの基礎の一つが消え、世界最大の金融機関も誕生しなかっただろう。彼の投資手法は非常に明確で分り易い。しかしその投資哲学の根底には投機と言う言葉が強く感じられるのである。投機とはあたかも短期的利益を追求した博打的表現で悪いイメージを持つ人も多いかと思う。しかし投機とはもともと仏教用語で「師弟の心機が投合すること」を意味する言葉である。投資世界の言葉に言い換えれば「気に投ずる」あるいは「投資する機は熟した」と言ったところだろう。バークシャー・ハザウェイに投資したバフェットがまさにそうだった。この辺りの話はまた後日語ってみよう。
2005.11.01
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