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先日話した新たな邂逅から新しい言葉と出会うことが出来た。それがこの「出すぎた杭は打たれない」。よく言われるのは「出る杭は打たれる」。その日本文化の象徴的格言の向うを張った表現がとてもいい。凄く単純で凄く分り易い、ある種のKISSだろう。
2005.12.26
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なかなかTVを見ることもない082のとある日曜の朝、TBSの「風をよむ」と言う番組を見る機会があった。取り上げていたトピックが「相撲」。外国人力士とか人気低迷と言うアングルから国技の事を憂える番組構成だった。082がメディアに対する辛口なのは周知の事実。今回も番組の「心配だよね…」的アプローチに非常に不満が残った。ともあれパネリストの一人幸田真音さんの総括が一つの救いだった。番組の問題は日本のジャーナリズムにありがちな感情嗜好。事実を整理追求せず視聴者の感情・フィーリングにアプローチするなんちゃってジャーナリズム。番組がしないのでここで問題を整理してみよう。・国技の意義定義・相撲の人気・相撲の国際化日本の伝統文化を「スポーツ界」で表現すると相撲と言うことになる。このこと自体ちゃんとした定義がないといけないと思う。例えば最近別問題としてスポーツくじ「toto」の事業(赤字解消)問題がある。「toto」については別な機会に語るとしてここでの売上はサッカー界を超えて広くスポーツ振興に役立てると言うことになっている。実際にはオリンピックで勝てそうなアスリートやスポーツ全体の育成のために使われている。しかし国技である相撲にここでの売上が使われるとは聞いたことがない。どんなスポーツでも組織だった運営が反映の基盤になるべきだ。そう言った意味で各界の部屋制度が経済的基盤を持っているかと言う問題が大きい。ここでは「国技」と言う大前提を受け入れて公的資金(税金・スポーツ振興くじのうりあげ等)を使う対象と考えて話を進めたい。スポーツにはイベント・エンターテインメントとしての魅力が必要だ。そのための組織力と力士の魅力・実力がかぎになる。力士については消耗品(名前が売れ出して10年持つかもた無いか)と言う事実を理解して次の力士の養成・発掘が非常に大切になる。話が多少それるが最近ではプロ野球界もその経営が非常におぼつかない。国際化の流れの中での巨人中心のお山の大将的経営からメジャーリーグ中心のプロ野球のAAA化についていけていない。何れの問題も長期的・マクロ的発想の欠如に問題点がある。話を相撲に戻し幾つかの改革案を提示してみたい。・「国技」と言う切り札をもとに全国各地の公立小中学校(全校ではなく地区に一つづつ)を設け裾野を増やす。・資金源、組織(協会と相撲部屋の経済的つながり)の整備。・イベントの整備。年六場所の見直し(オフシーズンを設けて力士の体の整備期間を作る)。国内外の巡業の位置付け整備。日本の伝統文化である相撲。今の危機を逆手にとって国際化に打って出て欲しい。そのことにより相撲の国際化、日本文化の世界進出。その延長線上には以前語った日本のODAもあるのではないだろうか。
2005.12.23
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モルスタの有名経済評論家ロバート・アラン・フェルドマン氏の造語だそうだ。彼は日本の宿痾をCrisis(危機)が起きるとResoponse(反応)し、Improvement(改善)を図るが、一定の成果が出ると気が緩みComplacency(怠慢)になりまた聞きに陥ると説明している。この四つのサイクルがCRICサイクルと言うことだ。さて2005年も終り、新しい2006年が始まった。株式市場も16年ぶりのブル相場を迎えている。サイクル脱出はならないかも知れないが景気は良くなってきそうな予感がする。
2005.12.19
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スポーツに精神論を持ち込まない事はいいことだろうか。そんなことをふと考えさせられる出来事があった。勿論スポコン(もう死語なのかな)まがいのトレーニング程無意味なことはないと思ってきた。つまり練習や訓練は合理的な方法がいいと思う。しかし、いざ試合になった場合は気持の強い方が勝てるチャンスがあるとも思っている。082がスポーツやアートの世界から来る独創性に惹かれている話はよくする。またフットボールのゲームにおける経営学も良く話しに使っている。果たしてその中に精神論を持ち込んでもいいのだろうか。少し考えてみた。きっかけは先日まで行われていたトヨタカップ決勝での話。ご存知のようにあのリバプールの猛攻(シュート21本、コーナーキック17本)をしのいで1-0で勝利したのはブラジル・サンパウロ(因みにシュートはたったの4本)である。1981年から24回を数えたトヨタカップが今年から6大陸の勝者のトーナメント方式に変わったことがこの話の根底にある。つまり第25回トヨタカップ=第一回世界クラブ選手権なのだ。去年まではヨーロッパと南米のチャンピョンチームだけが戦っていた「ただのトヨタカップ」だった。結局今年も決勝はヨーロッパ対南米となったけれども、準決勝で2得点したクラウチを始め5人のスタメンを入れ替えて戦ったリバプールに対し、南米ブラジルのサンパウロは同じスタメンのまま。サンパウロのアウトゥオリ監督は試合前選手に「人生をかけて戦え」と選手を鼓舞している。一方試合の数日前に父を無くしたリバプールのベニテス監督は彼の全てを尽くした「戦術」をこの試合にぶつけてきたのだろう。その結果が上記の5人のスタメン変更。方やサンパウロは「精神論」だ。勿論ジーコ監督の故郷ブラジルは世界のサッカー王国だ。その国で最初の世界一のクラブを決めると言う試合に勝った選手は一生その国ではヒーローでありつづけるチャンスを貰うことができる。その意味で「人生をかけて戦え」はまんざら精神論だけではない。後半のリバプールの怒涛の攻撃を片腕セーブや接触プレーを乗り越えて鬼神の如く自軍のゴールを守りつづけたサンパウロのゴールキーパー・セにはまさに「人生をかけて」戦っていたのではないだろうか。何れにせよその「人生をかけて戦え」といった言葉に反応した選手達が、戦術、戦力で勝ったチームに勝った事実が大きく歴史に刻まれてしまった訳だ。さて、2006年日本代表「合理的練習」と「強い精神力」で勝ちつづけてくれるだろうか。
2005.12.16
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どれだけ業界の規制が撤廃され、参入障壁がなくなっても業界の慣行を急に変えることは出来ない。それが既存の人間関係なのか、伝統的商法なのか、夫々の業界で異なるだろうが、どの業界でも多少の差はあれそう言うことになる。例えば、近年のITやバイオの業界等では業界内の慣行(霧)に商機を阻まわれることなく成功した例だろう。新しいパイオニアがもたらす技術や革新にIPがあれば既存の慣行を超えて成功することも比較的容易だろう。一方誰かのIPを使ってビジネスモデルだけで勝負しようとすると非常に難しいくなる。例えばWintelの世界。彼らは夫々の分野でIPがずば抜けていたと言うよりもそのビジネスモデルが素晴らしいからここまで商業的成功を収めたと言った方が良いだろう。Wintelのビジネスモデルはまたの機会に譲るとして、その成功すべきビジネスモデル(西洋的発想の経営)を他の市場や業界に持ち込めば上手く行くかと言うとそうでもない。なぜならその業界特有のもやもやとした霧が案外無形のバリアになって新しい商機や経営を阻もうとするからである。一緒になって働いてくれる人たちが何か新しい経営に移行しようという意志が働かなければ何も出来ないのだ。多少の経営能力があれば、むしろこの無形のバリアの存在の理解度が経営手腕と評価されたりする。逆にどれだけ経営能力があっても無形バリアを理解できなければ商機が失われてしまうだろう。
2005.12.12
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最近不思議な「邂逅」がまた起ころうとしている。数週間までは名前も顔も知らない人なのに、もう随分と色んな話をしている。馬が合う人とはどれだけ話しても飽きないのが不思議だ。言い換えれば馬が合わない人と話をするのはそれだけで余分なエネルギーを消費していると言うことかもしれない。何れにせよ無駄なエネルギー消費がない分だけ話の本題に集中できる。そんな新たな友人の長年活躍してきた業界の話を聞く機会を得た。理路整然とした説明から幾つかのヒントを得ることが出来た。そんな話を続けるうちに、今まで082が語ってきた起業や経営の話の中にあるもやもやとした「霧」の存在を思い出した。ここで言う霧とは、上手く言葉にあらわすことは出来ないがもやもやとしていて視界を遮るもの、「発想や視点の違い」と言ってもいいかも知れない。例えば、日本人的発想と外人的発想の違いと言ったところだろう。この違いを日本市場での経営にあてはめると、日本人的発想は先ず「日本経済の中で如何に経営をするか」を考え、外人的発想とは「如何に経営を日本経済に活用するか」と言ったところだろうか。日本人的発想を持つ人は、先ずその経営対象になる業界の構造つまり現状を知った上で経営を考える。これは有形無形のバリアも含めてのことだ。逆に言うとこう言った市場調査を怠っては何も上手く行かないのだ。話の焦点がずれてしまったが、ではいったい無形のバリアとはどんなものなおのだろうか。一昔前に叫び続かれた規制緩和や参入障壁はもう過去の遺産になっている業界が殆どだろう。たとえ取り残されている産業も今後長くその構造が続いていくとは思えない。ここでさしている無形バリアは、実は人々の心の中にある気持なのだ。だから霧のようなもやもやなのだ。
2005.12.09
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面白い言葉に出会った。「森の中の海」これって以前書いた「OXYMORON」じゃないと気付いたのは家に着いてからだった。オキシモロンとは「ありそうでありえないもの」或は「存在自体が矛盾するもの」と言う意味である。だから森の中には海は存在しないのでオキシモロンだ。それはともかくその矛盾した「不在」に何らかの神秘性、魅力を感じてしまうのは082だけだろうか。元々存在するものには魅力は感じないものかもしれない。素晴らしい絵画を見るときその描かれた絵の中の実在を見るのではなくそこから生まれる想像の世界に魅力を感じるのではないだろうか。経営だって同じことだろう。誰でも判ることをしていたのでは勝ち残ることは出来ない。普段存在しないことを創造していくことがこれからの勝組みとなるのではないか。例えば「陸を走る船」一昔前にはオキシモロン。今の時代ならそれ程無理な創造物ではないだろう。そんなオキシモロン産業を育てる経営者がいても良いのではないだろうか。オキシモロン株を探してみるのも面白いかもしれない。来年の一つのテーマになりそうな気がしてきた。
2005.12.05
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最近友人との話によく出てくる言葉である。バブル崩壊後十五年。経済の中勢波が大きなうねりで上昇しようとしている。今年の始めに日経平均が15000以上を誰が予想していただろうか。それが現実になった今、来年以降の経済をどう読むのか。今の株式市場を見れば18000もまんざら夢ではないだろう。では何故そう言う状況になったかのかを確り検証してほしい。経済の二極化と言われて久しい訳だが例えばこの日経平均は東証一部上場企業の内選ばれた225社の株価を加重平均して計算している。ここで大切なのは「選ばれた」と「加重」と言う言葉である。つまりここ数年の間に平均株価の選定銘柄は弱い会社の合併や倒産で入れ替えが行なわれて来たと言うこと、そして元気のない会社の株価は低迷し(加重が減り)元気な会社の株価が伸び(加重が増え)ている。経済構造とは元々循環する仕組みになっているので、今のような状態で元気な会社が収益を上げ元気のない会社が足を引っ張る度合いが減ると全体では良くなる。また経済がそこまで好転してくると足を引っ張っていた会社ですら経営状態が良くなってくる。さて来年の株式相場、何処までプル(強気)でいられるだろうか。ここは大きな地殻変動を確り見極めながら相場を張ってみては如何なものか。
2005.12.02
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