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2018年11月29日
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カテゴリ: 訃報、消息
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 勝谷 誠彦氏は1960年12月6日、兵庫県尼崎市出まれ。
 開業医の家に生まれる。
 灘中学校に入学。
 灘高校を卒業し早稲田大学第一文学部に入学。
 文芸春秋に入社し、週刊「文芸春秋」時代に、不肖
・宮嶋を生み出す。
 文芸春秋社退社後はフリーのコラムニスト。
        ​
57歳 公式サイトが発表
2018年11月28日 8時5分
スポニチアネックス / 
 コラムニストや写真家として活躍した勝谷誠彦(か
つや・まさひこ)氏が28日午前1時48分、生まれ故郷
の兵庫県尼崎市で死去した。 57歳だった。
同日、公式サイトで発表された。
        ​
 公式サイトには
「勝谷誠彦は11月28日に死去いたしました 
 勝谷誠彦は、2018年11月28日午前1時48分、
 生まれ故郷の尼崎で57歳の生涯を閉じました。
 生前、応援していただきました皆様、お世話になっ
 た皆様に厚く御礼を申し上げます。
 どうもありがとうございました。」
 と記された。
        ​
 勝谷氏は8月21日、毎朝メール配信する有料配信
コラム「勝谷誠彦の××な日々。」で「腹痛と膨満感
で、3分ほども座ってられない」「まえ屈みだと、
右脇腹に激痛が走る」などとつづり、緊急入院。
 アルコール性の劇症肝炎と診断された。
 …(略)…
        ​
 1985年、早稲田大学卒業後、電通に入社し数ヶ月で
 退職。
 文藝春秋に入社。
 写真週刊誌 『エンマ』の記者、その後 『クレア』、
 『週刊文春』、『文藝春秋』、『マルコポーロ』等
 の担当を歴任。
 『週刊文春』の記者時代、「女子高生コンクリート
 詰め殺人事件」(1989年)の加害者少年らの実名を
 報道した。 当時の編集長は花田紀凱。
 1996年、マルコポーロ事件で出版局 第二文庫部 次
 長に異動。
 マイナーな漫画の文庫化の仕事を最後に文藝春秋を
 退社。
 退社後、コラムニストとして取材や執筆、講演活動、
 メディア出演などを行なった。 
        ​
 「利権談合共産主義」と名付けて日本政治、社会・
経済体制の構造を批判。
 国家、政治家、官僚、マスメディア、国民が互いに
癒着して、利権政治や談合政治を行っていることを批
判した。
        ​
 共産党も嫌いだったが、朝日新聞の報道姿勢、主張
を批判、茶化したコラムは出色だった。
        ​
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最終更新日  2018年11月29日 20時00分07秒コメント(0) | コメントを書く
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