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「コスモス札幌46」40周年記念号からの二首選 No.2後藤美子「私が短歌を作るのは多分自分自身のため、自己充足のためなのだ。」と書かれている言葉に賛同しながら先立たばかく葬れと言ひ合ふは戯言に似てかなり真剣ある年配になると、どの夫婦でもそういうことを考える時があるが、戯言めかして言わないと、どうも真剣になりすぎていけない。1988年だったか、札幌の歌会にうかがったときに、共に経む残りの日々を語りつつ夜桜ほのと白き下ゆくという一首をだされ、鈴木英夫先生が「特に下の句が達者な歌」だと絶賛されたのを覚えているが、夫婦の話題も、こうして少しずつ変わっていくのだろう。生まるるも死ぬるも選び得ざること花色あはしシリアの薊上の句から下の句への展開がすばらしい。こういう風に詠めたら、歌が深くなるのだろう。学ばねば!さかい廣指まろく結ぶ両手のやさしくて阿弥陀如来像母のごとしも阿弥陀如来さまのあたたかさ、やさしさとよく表現された一首だと思う。モンゴルの大草原のそこここにエーデルワイス丈低く咲く名前は有名だけれども、実際には灰色がかった小さな花を咲かす地味なエーデルワイス。丈も低い。この花をモンゴルの草原でみつけた作者は、知り人に合ったような親しみとなつかしさを感じられたのではなかろうか。佐川節子*ひといろに空と海とが溶けあいて春の予感のプルシャンブルー春の予感は、こんなにも明るく広い。詠い出しが魅力的だし、収め方もおしゃれ。われよりも寂しげにしてももいろの脚もつ鳩が日向を歩むしみじみとした一首。「われよりも寂しげにして」にドキッとする。作者の色彩感覚が、歌の中でうまく場所を得ている。島上鉄雄亡き父の秘話をうからに語らひて二十三回忌法事を修すここで語りつたえておきたいこと、記憶を分かち合っておきたいことがたくさんあるのだろう。二十三年間を経て、悲しみに懐かしさが加わったのがよくわかる作品。炎天の木陰に仮り寝のライオンはむくろのごとし動くともせず暑さには強いはずのライオンでも、元気がなくなるほどの暑さ? それとも、必要な睡眠時間ががなち猫科独特のリラックス状態? ねそべってじーっとしているライオンの上には、別の時間が流れているような気がする。清水芳洞教育とは教はりしことおしなべて忘れし後に残るものをいふ何度読んでも含蓄のある言葉。さて、私の場合は、教わったことを忘れたときに何が残ったのだろう。また、先生としての私は何を教ええたのか? そして家庭教育の場で、母親としての私は子供にどんな教育ができたのか・・・・・。本当にその通りであろう。電子辞書、昆虫図鑑を調(ととの)へてあひつぐ孫の奇問に備ふなるほど、なるほど。もしかすると、奥様は、「あ、オバアチャンはわからないから、おじいちゃまに聞いてね。」と上手に逃げていらっしゃるのかもしれません。新保彌代枝ソプラノがささやく如く歌ひ終へ肩のレースのしんと揺れ止む歌っていたときは、ささやくように歌っていたときですらかすかに揺れていた肩のレースが、歌い終わって「シーンと揺れ止む」。この歌はコスモスに出たときから、大好きな一首だった。歌の終りが視覚的に捕らえれていて惹かれる。助走ばかりしてきたやうな六十年踏み切るときを次々逃してとてもよくわかる感覚。思い切って、もっともっと思い切って何かをやってしまえばよかった! (No.3 に続く)
May 31, 2007
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昨日、カナダから届いたニュースによると、「はしかにかかった旅行中の日本の女高生がバンクーバーで入院」とのこと。同行の生徒多数は 次の旅行地、ロッキー山脈の中の町、バンフで1時足止めのうえ、強制検査を受けることになったそうである。東京の大学生たちの間にはしかがはやり、あちこちで休校になったりしていたのは知っていたけれども、大学で流行しているのであれば、高校で流行しているのも十分に考えられる。きっと、この女高生は、潜伏期だったのだろう。カナダでは、日本より以前から、はしかを罹患するのは「やばん」みたいな感覚があるようで、私が子供たちの予防注射の記録を学校に提出したとき、「はしか」のことを聞かれ、「うちの子供ははしかは済みましたから、予防注射はしていません」といったら、「まあ、あきれた」みたいな対応を受けたのを思い出す。そういう雰囲気から考えると、おそらく、カナダには予防注射の効力が薄れてしまって、免疫の弱っている人が日本よりもたくさんいるのではないだろうか。この件、日本でテレビを見ている限り、少しもそのことは報道されていないけれども、もしかすると、カナダ以外の国にも、こうしてひろがっているのではないだろうか。少しでも広がりが少なくて収められるとよいのだけれども・・・。
May 30, 2007
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「コスモス札幌46」40周年記念号を読んでいる。全員の「散文と短歌20首」が軸になっていて、その他に故人の追悼や、会員の歌集評、リーダーの後藤美子さんによる40年の歴史をしるした「メモ」などが、掲載されている。札幌支部は、私たちの会の2倍の年月を勉強されてきただけあって、その記念号はさすがに立派だ。 感想に代えて、みなさんの作品の中から2首選をしてみた。植村浩司黒パンを賽の目にきり味噌の具にしてみたら何とオッケーなんというアイディア。しかし、スープにいれるクルトンと思えば納得がいく。「何とオッケー」は楽しくて笑ってしまう。ほろほろといつかきかなむわがにはのちかきはやしにえぞやまどりら全部ひらがな表記の一首。「漢字+ひらがな」のほかの19首の中で、この一首は視覚的にはやわらかいが、存在感がある。工藤資遊患者らのみじろぎもせぬ待合室空気しだいに重くなりたり下の句の感覚がよくわかる。重病、もしくは重病かもしれないので診断を待つ人の多い病院だろうか? 五欲ややあはくなりつつ目のうろこそこばく落ちて余生ほのぼのまだまだ開ける悟りがあるらしい。余生をこういう風に考えるのが、ほのぼのと暮らすコツなのだろう。 久保啓子透きとほるばかりの青葉そよがせて楡の木下の風は匂へり 札幌の青葉と風のすがすがしさが、よく表現されているとおもった。みづいろは露草、赤はサナエタデ、黄はノボトギク、されど刈るなりかわいい花達の名前をならべて、最後に「されと刈るなり」という展開が面白い。薔薇の栽培をなさっている作者は、雑草に惹かれることはあっても、心を強くもって刈り取らなくてはならないのだろう。いちいち感傷に浸ってはいられない。仕事だから・・・。 久保田静子五十年夫漕ぐ自転車に乗る如しペダルに足をのせゐるだけか夫唱婦随のご夫婦でしょうか。最後が疑問形で終わるところに、作者の気持ちの屈折を感じとった。 電線に椋鳥止まり数百羽あたま揃へて夕陽見送る壮観!結句の写生が興味深い。(バンクーバーでも、こういう光景をみたことがある。) No.2につづく
May 29, 2007
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国立新美術館に、クロード・モネの展覧会を見に行った。 モネの睡蓮はもちろん美しいけれども、そのほかに、「かささぎ」(雪に光があたった風景)とか「日傘をさした婦人」(入場券にプリントされている絵)とか、その場面にさしている光がとても魅力的な作品がたくさんあった。「目に見えるけれども形がないものを描く画家だった」と解説で言っていたが、実際、霧の絵などには、何色ともいえない微妙で奥深い色が使われていた。が・・・・そろそろ頭が古くなったせいか、新しい建築である美術館の建物が、外観も内部もどうもしっくりこない。印象派と言っても、モネの絵はやはり、もうすこししっとりとした背景でみたいような気がする。とてもとても大きい建物の全景をカメラに収めるためには、となりの大学の構内にはいらなくてはならないくらいだった。 帰りに、木々の新緑の美しい乃木神社にお参りした。 新旧の建物&庭が並立する乃木坂である。
May 28, 2007
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コスモス5月号その1集より 私の好きな歌 No.2決断はこれで良かつたのだらうか真夜に覚むれば春の雨の音(井亀八寿子)夜中に目が覚めているといろいろなことを考える、大きな決断をしたあとは特に。雨の音を聞きながら、ベッドのなかで考えこんでいる作者。五線譜をでんでんむしが這ふごとく子のバイエルはゆつくり進む(久保田智栄子)比喩が楽しい。まさに時分の花。でも数年後には、すばらしい演奏が聞こえてくるのかもしれない。ハート型の人参添ふる煮物ありバレンタインデーの病院食に(森山宣子)入院生活を少しでも明るくしようとする心遣いがうれしい。こんな病院はきっと働きやすい雰囲気の明るい病院ではないだろうか。一生をダンディーに生きし義兄なり「愛する妻へ」と遺言結ぶ(世良弘美)英語ならそのくらいのことは書けるにしても、日本語ではなかなか・・・。ほんとに、かなりダンディーなお義兄さまだ。ミキサーで作りし夕餉のとろろ汁ネット短歌のやうな味せり(藤本千鶴子)ネット短歌とひとくくりにする内容には多少の意義があるけれども、作者の考えていることはよく現れている比喩だと思う。大正二年生まれの母は九十四小さく小さくなり給ひけり「もう少しゐてね」といへば「分かつた」と九十四の母は言ふなり(毛利朋子)母上との、おちついて暖かい関係がよく表現された一首。私の母は大正元年生まれ。八十二歳でなくなったときには、すでに小さく小さくなっていたっけ。作者の母上より一年早い生まれだけれども、「もう少しゐてね」と頼めばよかった。暖冬に慌てた鶯「ホーホケ」と鳴いてはみるが「ホケキョ」にならず(田上かつみ)「ホーホケ」と鳴いた鶯がいじらしい。がんばれ、がんばれ。
May 27, 2007
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若いときには考えられなかったようなことだが、姉の27回忌のお経をあげていただいた。思いはいろいろあるのだけれども、まあ、それはそれとして、涼しい風の吹き抜ける本堂で、じっとお経を聞いていると、日ごろの不信心ふりとは別に心に落ち着きが生まれるような気がした。27年といえば、世代交代の起こっている期間。当時の姉の年齢にうちの子供たちがなり、父母の年代に私がなっていて、その当時にはわかったようでわからなかった父母の気持が、今になって、身にしみる。遠くに住んでいるので、普段は供養もままならないが、「残された方の気持ちは、他の者には計り知れないものでありますから、どんな形でご供養やお祀りをされても、それは供養しお祀りをする方の心のとおりにするのが一番よいことです。」と、方丈さんが言ってくださったので、肩の荷を少し降ろし、両親にも申し訳が立つような気持ちになった。当然といってしまえば当然の言葉だが、しかるべき人がしかるべき場所で、しかるべき口調で言うと、言葉が言葉以上の力を発揮するように思う。
May 26, 2007
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コスモス5月号その1集より No.1 私の好きな歌認知症アルツハイマー習慣病わが父母の辞書には無かりき(岡崎つぎみ)そういえば・・・・駆けくらべ走ると言はす「とぶ」と言ふ願望強き甲斐のことばは(佐野弥生)あ、願望だったのか!私も静岡県御殿場ですごした子供時代には、「かけっこ」のことを「とびっくら」と言っていたのを思い出した。原宿を孫の少女と歩くときわれ確実に庇はれてをり(三輪房子)いつのまにか、おばあちゃまを庇うようになった孫娘さん。それが若者にはホームグランドであればなおされのことだろう。わが入院過去のこととし伝へたり娘にはなすべき育児のあるを(渡辺佐千)私の母もそういう人だった。娘としては「そうには違いないのかもしれないが、何かできるかもしれなかったのに」とさびしいのと、気遣いがありがたいのと半々。申告を終へ来て税金かからぬを喜びはたまた哀しむ老父は(紺谷加代子)わかる、わかる。税金のかからないのは収入の少ないことだし・・。一生懸命働いて得た収入に、「え?」というほど税金のかかった時代にはわからなかった感懐。校正はちよくちよく間違ひあるが良し見た甲斐ありと思へるほどに(達知和子)心の余裕を感じる一首。なるほど、一つもペンをいれるところが無かったりしたら、見逃しているのかと不安になるだろう。歌会中ひつそりこつそりメール来ぬ一浪の子からの合格メール(秋本多恵)こういうお知らせは、何をしているときに受け取ってもうれしい。歌会のお仲間は、作者が急ににこにこしだしてびっくりしていたかもしれない。
May 25, 2007
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大手町に行ったついでに皇居の方に行ってみたら、大手門のそばに人だかりがしていて、新聞社のカメラまでいる。「?」と思って近づくと、白鳥の雛がお父さん白鳥にまつわりつくようにして、泳いでいて、たくさんの人が「まあ、かわいい」などと言いながら写真をとったりしていた。もちろんたしかに、白鳥の雛はかわいいのだが、私はそういうかわいくてあどけないものを見るときの、人々のやさしい顔が好きだ。白鳥父子を見ている人たちは、みんな、いい表情をしていた。 一方、おかあさん白鳥は、まだこれから孵る卵を守って枯れ草で作った巣に座っていた。時々首をのばして、あたりの草を巣に加えたりして。 あと何日かのうちに、この雛には兄弟ができるのだろう。いいな。
May 24, 2007
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青梅雨の枇杷の木ずゑに楫(かじ)の音(おと)のつばらつばらに蜘蛛の糸見ゆ(高野公彦『渾円球』)びわを食べた。何を感動しているのか・・と自分でも思うけれども、この季節に日本にいたことが本当に少ない私としては、実にひさしぶりの出来事である。皮をすーっと向いて食べるジューシーな味は格別。東京に住んでいたころには何とも思わなかったのがもったいない。10個くらい、卵ケースのような容器に入っているのを買ってきたのだが、夫と二人で「おいしいね」と食べているうちに、あっと気づくともう3個しか残っていない。「次に食べるのはいつのことかわからないのだから」と、あわてて写真を撮った。「カナダでびわは食べられないか?」というと、そういうわけでもない。お宅に植えている方もあるようだし、輸入されていないこともなく、家でも、ひと月くらい前、近所の香港系の店で特売になったのを買ってきたことがある。一般的に食べられている果物ではないけれども。「カナダで買ったびわはまずいか?」というと、さあ、どうなのだろう。私の買ってきたのに限って言えば、格別においしいというわけには行かなかった。最近は、通信手段も運送手段も発達して、どこにいても何でも食べられるようになったけれども、あまり遠距離の旅をしたものは、やはり疲れている。(びわは、千葉県でたくさん採れるようだから、この際、千葉まで食べにいこうかしら。)
May 23, 2007
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武蔵野支部歌会に行った。今回の高点歌は花蕾むランの葉を拭くみちのくに父祖法要の旅を終へきて(佐藤典子)核を持つ国に援助をなす非理のああ被爆国日本の現実(三枝英夫)の二首が同点だったが、お二人の譲り合いの上、コスモスに報告する歌を譲り合った結果、佐藤さんの一首に決まった。二首とも、先生格の方々の作品だけあって行き届いていて、会員の層の厚さを感じさせられた。武蔵野支部では、多くの票が入っていても作者が欠席の場合とか、先生方の票が入っていない場合は、正式な「高点歌」としないので残念だったが、怪我で欠席された作者のなはとびの子の縄借りて若き母が二重跳びする春の公園(小島静子)の一首は、先生の票が人見・金田・佐藤の三票も入り、一般会員の分もいれて合計15票の得点があり、実は今回第一番の人気作品だった。(私の一票も入っていた。)互評では、「気持ちのよい歌」「さわやかな光景」「楽しいところをうまく捕らえて描写している」などほめ言葉が続いたあとで、宮英子先生が、「取らなかった理由」を話された。「(前略)・・・・よい歌だとは思いました。でも、とらなかったのは、「春の公園」が安易でまだ動くからです。おなじ春の公園でも、作者が「そのそばを通った」とかの表現だったらよかったのだが、このままの構成だと、「春」でなくても、「秋」でも「夏」でも成立してしまう。これは、陥りやすい短歌の落とし穴です。・・・・(以下略)」ふーむ・・・・。そういうことか。何度か読み直して、なるほど、本当に難しいものだと思った。秋の公園 でも、夏の公園でも、冬の公園でも、頭に浮かんでくるものは違ってくるが、それぞれに一首を成立させてしまうことばであることはたしかだ。「その言葉でなくてはならない『一語』をみつけだして、ジグソーパズルのようにピタリとはめ込んでいく」・・・そんなことが、私にもできるようになるのだろうか。これまで私が詠んだたくさんの歌の中で、「動かない」ことばだけで成立するものが何首あっただろうか・・・・???
May 22, 2007
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コスモス6月号を入手。バンクーバーの会員の作品は、以下のとおり掲載された。粟津三寿紅の薔薇の花びら散らしたるバージンロードは砂浜の道浜辺なる椰子の木陰に海軍の真白き服の花婿が待つ青き眼の婿とよりそひ笑まひたる娘のレイが浜の陽に映ゆ奥山和子山肌を怒涛のごとく駆け下る豪雨に溶けたる睦月の雪が二百年崖にそびえし赤杉がどつと倒るる二〇〇七年風を切り野原を駆けし猟犬も老いて歩調が我に近付く金淑子冬木より蘇りたる辛夷の芽早やこの年も春を引寄す沈丁花に逢ひて歓び近よればカナダの花は薫放たず佐藤紀子呼気吸気通過させつつシュノーケルはシューッシューッと音静かなり(さぞ水泳が得意な作者だろうと思う方は、なるべくその誤解をとかないで下さい。)実印に妣の使ひし水晶の印にふたすぢ罅が入りたり(「妣」はこの場合、「はは」と読んでください。「亡くなった母」の意味で、便利に使っていますが、ほかの部分に比べて少々古い字であるのが、困ったところ。)菫いろ内に庇ひて虹の弧が春まだ浅き空を彩る菅原美知子孫ジェフリー日本語習ひ祖母われの歌集読みたしと云へば嬉しきワイキキの砂浜年ごと狭まると夫は語りて陽を背に晒す悠久に流れて止まぬフレーザー河及川島と佐藤島浮く田中澄江春先の温泉郷は静かなり湖上を走る船影も見ずスタイルも色もとりどり水着着て老人達は声若返る鉢植の沈丁花を地に移ししが今年は花つけ仄かに匂ふ鳴海とし子丸ごとにキャベツ煮込みて綿入れの鍋帽子を掛くゆつくりお休み復刻版「戦争特集」給はりぬずしりと重き女の気持ち三十年をみなの記録生生しき「沖縄の声」に慟哭聞ゆ松山晨子望みしにあらねど役割の逆転せし夫とわれの日常生活考へれば四十年を住み来たりて厖大な量の塵をためたり頼み来し四十半ばの女医さんがこのほど退職宣言をされぬ
May 21, 2007
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東京に来た。この時期の東京は実にひさしぶり。隣のマンションにある大きなユリノキに花が咲いていたのに、初めて出会った。(6階だてのマンションよりも、高い樹である。)TULIP TREE というだけあって、カップの形をした赤い筋の入った黄色い花が空を向いてたくさん咲いている。3階の窓から眺めると、花のかわいらしさも格別で、到着早々うれしかった。生前、ここに住んでいた母が、ユリノキの歌をたくさん詠んでいたのが思い出される。
May 20, 2007
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バンクーバー短歌会5月例会。今日の高点歌は、かすむがに春は来にけり連翹の目立たぬさまに黄色増しつつ (岩崎輝子)・上の句がよい。今年の春は、例年とちがってゆるやかに来たが、その様子がよくでている。・小さな花が少しずつ咲いて、目立たないほど少しずつ黄色が多くなっていく連翹の咲き方をよく観察している。(今年はとくにそうであった。)などの意見がだされた。会の詠草は、毎月、その前回の集まりで提出するようにしているので、今回分は4月はじめまでに詠んだ歌が出される。長くて暗い冬の終りと春の到来を実感している時期だけに、春の喜びを歌った作品が多い中、誕生日に空から雪のプレゼント「素敵じゃないの」四月の二日(田中澄江)と、最後の雪を歌った作品もあった。満89歳の誕生日にこんなに明るく軽妙な一首が詠めるなんて、「素敵じゃないの」
May 19, 2007
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「電脳日記・夢みる頃を過ぎても」(短歌人、藤原龍一郎氏の日記)を見ていたら、5月12日の欄に、さりげなく渋谷にまわって、ムルギーの卵入りカレーを食べる。という記述があった。ま! まさか、あの「ムルギーの卵入りカレー」がまだあるわけじゃないでしょうけど・・・と思ったけれども、検索をかけてみると、道玄坂2-19-2 とあるから、どうも「ムルギーの卵入り」しか注文させないオジサンのいた、あのカレー屋さんが、まだ同じ場所で営業しているらしい。若き日に友らと行きしカレー屋の名を見てピリリと記憶中枢もう40年以上も昔になるけれども、学生時代に渋谷で映画を見ると、かならず仲間同士で寄った店がムルギー。「ムルギーの卵入り」以外を注文したがるヤツは、客とは認めない・・・みたいな雰囲気の、でも、なんだか好感の持てる店だった。〈映画を見おやつにカレー〉・・・当然にコロコロ娘でありしわたくし「五つの銅貨」を見た日もムルギに行きたりき コルネット吹く真似をしながらデキシーのリズムとどこか似合ひたり ムルギの店は薄暗くつて食べるのは決まつてムルギの卵入り 他には何かあつただらうか当時、一緒にカレーを食べた仲間の一人には、故人となった姉も居て、二人でムルギカレーを再現しようと何度か家で実験したこともあった。お値段は、大学の学生食堂よりは高いけれども、町で食べるものとしては安かったくらいだったか?あの店がまだあったなんて・・・。藤原氏も私とたいして変わらない年代のように思うから、きっと昔からのゴヒイキなのだろう。今年は、その当時の仲間の一人でもあった姉がなくなって27年。5月26日には菩提寺で二十七回忌のお経を上げていただくことになっている。(つまり、またまた短期間ながら東京に行くということ!)法事の前に、姉を偲ぶ意味でも、ムルギの卵入りのお店に行ってみなくては!もし、昔のままのおいしいようなそうでもないような味と、庶民的なような排他的なような雰囲気だったら、きっと夫も懐かしがるだろうと思う。他に、そんな風にして姉や仲間たちと一緒に行った店には、新宿のエッセンというドイツ料理の店があり、エッセン・ライスをよく食べた。ホワイトソースのかかった干し葡萄入りドライカレーライスのような感じの一品。こちらの店の方は、もうない・・・だろうと思うが・・・・・You never know!
May 18, 2007
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今、黄花藤(gold chain)が見事だ。昨年5月28日の欄に植物園に黄花藤を見に行って、花のトンネルの写真をUPしたのを思い出し、VanDusen 植物園のウェブサイトを開いてみたら、トップページに、黄色まばゆい黄花藤のトンネルの写真が出ていた。(数日前には、まだこんなに見事でなかったから、もしかするとこれは昨年の写真かも・・・・しれない?)この植物園とあまり離れていないのに、「うちのご近所」のお宅にある黄花藤は、既に今が花盛り。毎年ここのお宅の方が、植物園よりも1週間は早いような気がする。 このお宅、門の内側にもたくさんの黄花藤が咲いていて、それこそ植物園より見事なくらいなのだが、写真は、生垣の外にはみ出して咲いている花だけを撮らせていただいた。 そよ風にゆらゆらと揺れている黄色の花鎖(房という感じはしない)は、全体をみても華やかだが、一つ一つをみても、フリージアを小さくしたような感じで、またかわいらしい。
May 17, 2007
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塩野崎宏氏の歌集『海峡』(短歌新聞社 新現代歌人叢書43)を読んだ。塩野崎氏は「純林」の編集人て、横浜歌人会、神奈川県歌人会、日本歌人クラブでもご活躍であり、バンクーバーの短歌会で、1996年に鈴木英夫歌集『壁画』鑑賞の冊子を作った時に、丁寧な感想を神奈川新聞に書いてくださって以来のご縁である。「海峡」は、作者の故郷、函館の南に広がる津軽海峡をイメージしてつけられたタイトルである由。「・・・・・生まれ故郷には縁が極めて薄くなった実感がある。」とあとがきにあるが、やはり心のよりどころになるのが故郷というものなのだろう。以下に、特に心に残った15首を選んでみた。「海峡」より 15首選 孫たちとその父母去りて夕日ありボジョレ・ヌボーの紅美しきにぎやかだった時間の後の落ち着いて静かな夫婦の時間。私も、少しずつこういう心境がわかるようになってきた。「孫たちとその父母」と、あくまでも孫たちが来ていたことた主眼なのも、おじいさまらしくて楽しい。 子供にて自転車を貸さざりし悔い残る洞爺丸台風に死せし従兄弟に青函連絡船の洞爺丸が台風で沈没した時のことを、なんとなく覚えていたが、調べてみたら、1954年、多分作者25歳くらいの頃。なくなられた従兄弟さんもそれに近い年齢であったのだろう。若くしてなくなられた従兄弟さんを思うとき、大事だった自転車を貸さなかった子供心のことも思い出された。「子供にて」と詠みだしてはいられるが、子供ながらも貸さなかったことが多少心にひっかかっていらしたのだろう。そうでなければ、ずっと覚えていはしないのだから。こういう悔いは、きっと誰にもいくつかはあるのだろう。 十五年ぶり交換の洗濯機優しくあれよ古妻のため私の父も、テレながらそんなことを言って、母の誕生日に乾燥機とセットになった洗濯機を買ったことがあったっけ。その名も「愛妻号」だったりして。洗濯を手伝うのではなく、洗濯機を買いかえることをするというのが、いかにもある年代の日本の男性らしくて、親しみが持てる。 左手の小指に打鍵することをひそかに誇りとせしことありき打鍵は英文タイプライターのことだろう。昔の手動タイプでは、アルファベットの字と、コンマやピリオッドの字では打鍵の強さを変えないと、コンマやピリオッドのところは、紙に穴があいたりしたものだ。また、字は同じ力でたたかないと濃淡が出来てしまう。たとえば、左手の小指でたたくのは、a,q,zなどで、人差し指で打った字と同じ濃さで出るには、多少の訓練がいる。最悪の場合は、二本指だけで済ませる人もいる中で、左手の小指もちゃんと使って打鍵することを、「ひそかに」誇りとして、カチャカチャピーン(ピーンは、改行のときのレバーの音)と英文を打ちまくっていらしたビジネスマン塩野崎氏を、何十年か後に、思い出していらっしゃる。私までなつかしくなった。ちなみに、打鍵で一番使いにくいのは、左手の薬指。これを使いこなしたら、「ひそかに」どころかもっと誇りだったかもしれない。今日の、コンピュータのキーボードにくらべると、思えば厄介なもので、タイピストの中には腱鞘炎が職業病として知られていた。リュウマチになった人もいたっけ・・・・ 冬外套に身を包み帯剣せし幼年校生徒我ら死を知らずして電車に乗りき幼年校は、陸軍幼年学校のこと。小学校を終えてから入る軍人養成の学校だが、成績優秀でなければ入れなかったと聞いている。でも、まだまだ少年だから、命がけの軍人になる覚悟はできているとはいいながら、本当にはまだ「死」がわかっていない。本当に「死」とか「命がけ」ということがわかってくるには、まだもう少しの年月が必要なのに、思えば勇んでいたものだった・・と思われているような気がする。 喉元を過ぎればすべて熱くなく心筋梗塞 未来完了一字空けのあとの「未来完了」に、実感がこもっていると思う。病気もそのときは大変だけれども、無事に直ればじきに苦しさを忘れてしまう。そうでなければ、人間は経験を重ねるたびにその重さに押しつぶされてしまうのだろう。 掃除婦のバタバタノック看護師のハキハキノック朝が始まる「バタバタノック」「ハキハキノック」の擬音が生き生きとしている、まだ入院していらっしゃるときでも、ご病状が回復傾向にあって、気持ちが明るくなっていらっしゃる時期だと思った。イチローのヒット記録をまづ伝ふ平和なる日のニュース宜しきイチローのヒットもすばらしいけれども、それ以上に緊急なニュースがないということは、もっとすばらしい。 六本の前歯を並べ忿りをり怒髪なべては天へ向はす「怒髪天を突く」とは言うけれども、全部というわけではないですよ。それはそうでしょうが、そのように詠まれるところがユニークだ。にんげんの子どもとかもの親子とが土手の上下に会話してをる「にんげん」がひらがなになっているところが好きだ。対等に友だちとしての会話が運んでいるにちがいない。 福引の賞品に得しミニ水仙黄色は花の中ほどに濃し「黄色は花の中ほどに濃し」で、福引の賞品にもらったミニ水仙を、じっくりと眺めている作者の姿が思われ、暖かい。 ウェブスターの辞書とバーバラ・タックマンの大作がごみ置場に重ねられをりさすが先輩!(塩野崎先生と私は、年度はだいぶ違いますが、大学の同窓生です。)こういうものが捨てられていると、腹が立つところは私も同じです。でも、拾って帰っても、家に帰れば同じものがあったりするから・・・ 節分の朝丹沢は富士を載せ山肌の雪ややに薄らぐ丹沢山塊の上に見える富士を「富士を載せ」と詠まれているが、なるほどそういう感じがする。下の句も、同じように白い雪でも「ややに薄ら」いでいる丹沢の、春を迎える様子の観察に、作者の春を待つ心も投影されているように思う。 満月の出は私鉄駅の屋根の上くれなゐ色にゆるりくつきり「くれなゐ色にゆるりくつきり」!私も、満月が出るのを何度も見ているが、まさにこういう感じだ。この終り方も、そのまま月の動きを見ているような雰囲気で効果的だと思った。勉強を続けたら、こういう言葉がでるようになるのだろうか・・・ 黒き四角の几帳面なる貨車恋し台車ばかりを見るのに慣れて「几帳面なる」という形容に笑ってしまった。台車にくらべて、四角い貨車は、そういわれてみればたしかに「几帳面なる」感じがしてくるから不思議だ。
May 16, 2007
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宮英子歌集『天蒼々』より、ヒマラヤの青いケシを歌った一連の作品のうちの5首。( )内はルビ。(すなわち、「青いケシ」と書いて「メコノプシス」と読む。)係累に似てとしながく思ひたる青いケシ(メコノプシス)をブータンに訪ふチユレーラ峠四千メートルの沢のなぞへ草がくれ咲く青いけし(メコノプシス)は沢深く踏み登りきて一輪の花びら青きケシにひざまづく一茎は花終るべく一茎はつぼみ垂れたりヒマラヤの青いケシ茎立ちの細くあえかな青いケシただ四本のみ、はなびらふるふ1995年から1997年くらいのことだったろうか。まだ日本では見ることのできなかった青いケシをたずねて、宮英子氏は、コスモスのグループの方たちと、チベットにでかけられて、たくさん青いケシの歌を詠まれた。私もいつかは青いケシを見たいものだと思っていたところ、2005年5月、コスモスの先輩方がバンクーバーに来られたときに、ビクトリアのブッチャード・ガーデンにご案内したら、そこに、昔、ヒマラヤから種を持ってきてずっと大事に育ててきたという青いケシ(メコノプシス)がちょうど花季で、初めて見ることが出来た。。その時に見た説明書によると、某英国人(名前をもう思い出せない)が、ヒマラヤから種を持ち帰って王室に献上すると共に、個人的親交のあったブッチャード夫人にプレゼントし、それが英国国立の植物園とカナダのブッチャードガーデンで栽培されたのが、原産地以外での栽培の最初の試みだったそうだ。(下の写真は、2005年にBuchard Gardenで撮影した青いケシ) さらに昨年、ご近所のヴァンデュッセン植物園に黄藤を見にいったら、そこにもほんの数本だが、青いケシがあり、花季を迎えていた。こちらは、種をブッチャードガーデンから分けてもらったのだそうだ。(下の写真は、2006年VanDusen Botanical Gardenで撮影した青いケシ) 家から15分もドライブをすればチベットの青いケシが見られるとわかった私は、今年も買い物に出たついでに、ちょっと立ち寄ってみてきた。植物の多くが、どうもカナダにくると、茎太くたくましくなってしまうらしくて、英子先生のお作のように、「茎細くあえか」とは行かないけれども、その分、元気に今年も花を開いていたのがうれしい。沢をのぼり、瓦礫を踏んで、標高3500を越えてみる青いケシとはやはり風情は違うのだろうが、まあ、次善の策として、近くでみられるものは見ておこう。背景が違っても、せめてその花の実物を見ていると、歌への理解の届き方が違ってくると想うし。そういえば、外見が少し違うけれども、私の所属しているゴルフ場にも、青いポピーが咲いている。 こちらの方は別に特別扱いもされていないし、珍しいというものでもないらしいけれども、鈴蘭に混じって植えられていて、なかなか可愛らしい。(下の写真)私は、こんな風に、何気なく自然に咲いているポピーも好きだ。
May 15, 2007
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三歳の孫より貰ふトーマスのカード6枚「Happy Mother's Day!」大切なトーマスのカード祖母に呉れ「大事にしてね」とトムは得意気「オバアチャンはダディーのマザーでグランマはマミーのマザー」とトムは理解す「オバアチャンにもマザーがいるよ」は理解せず笑ひこけたり三歳児トム「トーマス」はアニメの主人公である機関車の名前で、日本でもかなり人気が高いキャラクターだ。少子化時代の三歳児だから、玩具はたくさん持ってはいるが、トーマスのカードは、中でもお気に入り。一時期大流行したポケモンのカードやベースボールカードと同じように、買ってもらったり、友達と交換したりしていくうちに、いつしか1セット揃うというもので、トム君には大事な財産である。昨日は、母の日。その大事なコレクションから6枚を選びだして、大事に握って持ってきたトムは、Happy Mother's Day !と、カードを差し出した。「大事におうちに持ってかえりなさい」などと、いつも言われているようなことを私に言いながら、上機嫌。いつも何かプレゼントされるばかりだった三歳児も、人にものを贈る楽しさがわかってきたかな?孫からの贈り物は、これが初めて。 うれしくびっくりしたババの日であった。(興奮がさめた今頃、惜しくなってしょんぼりしているのではないかしら?)三度目の母の日を迎へる子の妻にその好物の「どら焼き」を焼く三歳のトムの手を引きナンシーは今「母盛り」 時に厳しく
May 14, 2007
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今の時期、花水木のようにたくさんはないけれども、白い花(本当は苞)をつけるめずらしい樹に、ハンカチノキがある。白いハンカチのような苞が、風にひらひらとゆれて、さわやかに美しい。 一人でこの樹をながめていたら、すぐそばに若い男女が立ち止まり「めずらしい樹ね」「あんまりみたことないね」と日本語で言葉を交わしたものだから、つい、「ハンカチノキ、handkerchief treeって言うんですよ。」と、口を出してしまった。先方は、ちょっとおどろいたようだったが、だいぶ社交的な方たちで、にこやかに少し話しをして別れた。思えば、ふだん、こんな風に知らない人と話したりする私ではないのに、花の美しさとおおらかさに、ふっと木がゆるんだようだ。花の樹の下に来あはせ目の合へば見知らぬ人とも言葉を交はす 二年前のこの時期、コスモスの先輩方が8人でバンクーバーに来てくださったときも、ちょうどハンカチノキが、ヒラヒラとハンカチをふるように揺れていて、実は、私のこの樹に関する知識は、この先輩方から学んだことからの敷衍である。白き花を青葉もろとも揺らしつつハンカチーフトリーに午後の風吹く(旧作) >大きな木に咲く花は、たいてい何の花でも、写真に撮ろうとすると逆光になって、暗くなってしまうのが残念なのだが、ハンカチーフトリーの花は垂れ下がる感じなので、実物に近い色の写真がとれてうれしい。枝先の苞がひらひら揺れるとき木漏れ日が葉にちろちろ踊る若緑を花にも少し映しつつハンカチーフツリーは高くそびえるハンカチーフトリーの白き花びらが若葉の緑(あを)にかすかに染まる
May 13, 2007
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見も知らぬ人のブログにわが歌の引かれ語られ不気味なる世や(来嶋靖生 歌壇3月号)な・る・ほ・ど・・・・・・ そうだろうなあ・・・。(私も、毎日のように勝手にそういうころをしているのだけれども・・・・作者の立場から考えていなかったと反省。)来嶋氏からみれば、私などは本当に100%どういう面からも「見も知らぬ人」だ。ということは、私が上の一首を引用してこう書いていること自体、まさに氏にしたら「不気味なる世」の現象の一つ。その上、ブログにはある程度の匿名性があるから、余計に不気味なのかもしれない。しかも、今まで、氏の歌を引用したことのない私までも、この歌を読んだら却って引用したくなったりしているので、皮肉な話だ。でも、よく読むと、来嶋氏は「不気味なる世や」と詠まれてはいるが、「嫌だ」という主観的言葉は使わないで、結論は読者に委ねられているので・・・・「不気味な世にはなったものだけれども、それも「短歌の後輩の勉強のための有名税」として、許して(あるいは諦めて)いただいている一首と解釈したら、わがまますぎるだろうか?私も、公表された短歌だけを、必ず著者名と、(わかる場合は出典も)添えて引用するようにして、不気味性を最小限にとどめるようにする。
May 12, 2007
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「歌壇」4月号 特集 色彩のある短歌 の「銀色の歌」に文屋亮さんの『月ははるかな都』からいにしへの月の光を浴びしゆゑ君に生ひたる銀のたてがみ(文屋亮)が掲載されていた。 『月ははるかな都』青緑と白の色調の中に銀の文字と銀の入った月をあしらった美しいカバーのかかった歌集だ。(テーマ性を考えると、装丁も見逃せない。)山埜井喜美枝氏の評には銀色のたてがみを光らせ優駿に変じた君は、はるかな都にかけて行くのか。前掲の作品を読んだ長塚節の年齢とあまり変わらない作者。次集が待たれる。とあった。第一歌集の作品が、こういう特集で一流の作品に並んでもど堂々としていて、しかも「次歌集が待たれる」とまで言われるのはよほどのことだ。自分も好きだった歌集のことなので、私もうれしくなった。ちなみに、長塚節の「前掲の作品」とは、そのページの最初にあげられていた以下の一首である。白銀の鍼(はり)打つごとききりぎりす幾夜はへなば凉しかるらむ(長塚節 『長塚節歌集』)「コスモス」からは、高野公彦氏と小島ゆかり氏の作品が掲載されていた。雨ほそく降り込む池は瓏銀(ろうぎん)のひかり帯びたり寒き札幌(高野公彦 『地中銀河』)小紋潤装丁のカバーが、いくつかのSHADEの銀色ばかりで構成されている『地中銀河』の第一首目。これもまさに「銀色」のうた。チョコレートのぎんがみありき雪山で死にたるともの遺品の中に)(小島ゆかり)『憂春』)チョコレートのぎんがみが、リアルでその分さびしい。「ぎんがみ」とのひらがな表記にも思い入れを感じる。
May 11, 2007
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花水木は、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州の州花。英語ではdogwood という。今年は、例年よりも少し遅れたけれども、今、白い花をたくさんつけている。花水木真白き花を咲かせたり 少し遅れた春を知らせて「ドッグウッドは勝手に伐つてはいけない」と市の条例にあると聞かさるわが庭のドッグウッドが枯れし春慌てて同じ木を植ゑたりき晴れた日は特に輝く白き花 辛夷、石楠花、花水木など遠めにはきらきら積もる雪のごとドッグウッドが満開となるキリストが磔刑を受けた時の十字架は、この木で作られたという伝説(?)がある。なんでも、当時のこの木はもっと大きくてまっすぐだったのだが、磔刑の十字架になって以後、キリストが、現在のあまり大きくない、枝の曲がった木に変えてしまったのだ・・・という。そして、その十字架を思わせるために、花は四片の花びら(ほんとうは、苞)からなっているのだそうだ。磔刑に纏はる話数々をベストセラーの聖書が伝ふ自らの意思ではなきに罰を受く十字架(クロス)にされしドッグウッドはのびのびと天に向かひて咲きてゐしドッグウッドを見られぬ無念キリストの逆恨みでもあるまいが弱者は更なる弱者に当たる(このあたりの解釈はちょっとひねくれているかもしれないけれども・・・・) 残念なことだが、花水木にかぎらず、白い花が白くて美しい期間は、他の色の花に比べて短い。 遠目にはまだまだ美しい純白の花も、近寄ってみると、花びらの周囲が茶色くなっていたり、花びらが皺っぽくなっていたりする。「20代の前半の美女だと思って近づいてよくみたら、66歳だったようなもんだ」と、身近にいる某男性が言う。(セクハラだ!・・・じゃなくて、age harassementではないかっ!)近寄れば盛りをすぎて茶の混じる真白く見えしドッグウッドに一週間ドッグウッドは耀けり それで満足なのかもしれぬ
May 10, 2007
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バンクーバー短歌会の作品を、理想的には毎月一度、作品が揃わなかった場合には揃うのを真って、地元の邦字新聞(週刊)であるバンクーバー新報に送っている。以下は、今回送付した作品である。バンクーバー短歌会会員作品題詠「旅」フイルムに詰まりし旅の思ひ出の三本分のハッピータイム(希)われに来て翅を休める暇さへも疲れし旅のこころ慰む(とみこ)機上より見るスペインの赤茶化し大地よ金の朝陽さしそむ(友)中国産牛蒡なりこれ日本に買はれカナダに売られて来たり(奈津)クリスマス帰省の子のためキッチンの火元確かめ空港へ向ふ(ふみ)時折は旅のサイトを開き見て画面の町にしばしを遊ぶ(みき) はるばると小樽の旅は川沿ひのガラス細工に裕次郎の船(淀) 母を連れ父の眠れる沖縄に旅し額づく平和の礎(よしこ)黒珊瑚の首飾り身に付けるたび偲ばるるのはタンタラスの丘(蓮仁) 夫よりの土産の一つに「旅枕」我が好物に思はず正座 (註「旅枕」は菓子の名前)(茜)でで虫のやうな私にいく度も友はフランス旅行の夢語り継ぐ(あき) 「冬みどり」ここで生まれた季語と聞く新芽萌え立つハワイへの旅(唐)成田にて旅客機のドアが開くとき「日本の匂ひがする」と子の言ふ(沙羅)幼きも老いも共々家追はれ避難民出づ望まぬ旅へ(たまき)自由題ごみ袋の重さをひきずり捨てにゆく独りの暮しにかかせぬ作業ぞ(虹)潔癖な理論はさあれ「宥す」ことも身に添ひはじめ子らは中年 (のりこ)壮健な夫が倒れて大変なり運転出来ぬが一番困る(みちこ) 妻の里丹波の栗の若き芽がカナダの庭の陽溜りに生ふ(粟)四十余年カナダに生きし日系われ伝へるべきは伝へたり子に(市) 白髪になりて似合ふと友が云ふ赤いスエーターを着た我を見て (すみえ)
May 9, 2007
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たましひが暗いところにゐるやうだともかく熱き一杯のお茶(佐藤慶子 コスモス5月号)ああ、まるで今朝の私のようだ。どこが悪いというのでもないが、なんだか身体的にも精神的にもどうにもならないような感じで、自分で自分が思うようにならなかったが・・・今思うと、あれは「たましひが暗いところにゐ」たからに違いない。私も、とりあえず「どっこらしょっ」と立ち上がって熱い紅茶をいれて、ベランダに出てゆっくりと飲んだのだが、あれはなんとか魂をあかるい所に呼び戻そうとする「あがき」だったのかな?さらにこの一首は、口語がとても効果的に使われている点でも成功していると思った。「やうだ」は、この場合比喩ではなくて、推量だとして解釈した。何があったのか、あるいは私のように別に何もなかったのか、そこは一首からだけではわからないが、とにかく、どうにもならないような状態のときでも、こんなにぴったりの表現がみつけられるなんて!!これから当分、私の愛唱短歌になりそうだ。(よく考えてみると、この一首が、もし10年前の「コスモス」に出ていたら、こんなに私の気持ちにぴったりこなかったかもしれないし、作者の佐藤慶子さんも、10年前だったらこういう内容の歌はお詠みにならなかったかもしれない。「その年齢にならなくてはわからないこと」というのは、こういうことかな?・・・ちなみに、作者の佐藤慶子さんと私は同じ年齢である。)
May 8, 2007
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にんげんの水行の跡すべて消し海はしづけき光の平(たひら)(高野公彦『水行』)高野公彦氏の『水行』が出されたのは1991年なので、もうだいぶ以前の話になる。早速購入して読み、すっかり感動した私は、誰かとその感動を分かち合いたくて、当時、バンクーバーの歌会で一緒に勉強していた鵜沢梢さんに、「読んで、読んで」と押し貸しをした。数週間して、「よかったわー。ありがとう」の言葉と共に帰ってきた本には、黄色い付箋がはられて、うたびとの推敲の跡すべて消し歌はしづけき言葉の平(たひら)(梢) ---高野公彦のパロディー、『水行』を読みてと書かれていた。いくら推敲を重ねた作品だとしても、その跡をすべて消して、さっと生まれた歌のような顔をしている短歌たちが、それぞれをしづかに主張しながら並んでいるのが、この歌集・・・心憎い感想文であった。(昨日の、くまんぱぱさんの書き込みに関連しての「思い出」でアリマス。)
May 7, 2007
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5月4日の欄にUPした宮柊二の「わが庭の鈴蘭咲く」の一連、ルビのあり方が気になって調べてみたら、その後、歌集『藤棚の下の小室』の「昭和三十九年」の項に「鈴蘭」として入っていて、そちらには、よくわかるルビの振り方になっていた。推敲のあともあって興味深いので、改めて、「藤棚の下の小室」より五首をUPする。鈴蘭白玉(しらたま)の滴(しづく)のごとき清(すず)しさにあした匂ひて鈴蘭咲けり明らかに影ともなひて留(とど)まれる夜の露したし鈴蘭の葉に鈴蘭の花に屈(かが)めば杳(とほ)き若き日に思ひたること無しとせず CF. 鈴蘭の花に屈めば若き日に杳(とほ)く憶(おも)ひしこと無しとせず (初出)旅人(たびびと)のごとも静けさ鈴蘭の小花(こばな)垂(た)りつつ咲けるほとりに鈴蘭の傍(わき)にきたりし庭鳥(にはとり)が葉に載る露を飲みて去りゆく
May 6, 2007
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花水木が美しい季節だ。マロニエの大木が白い花をつけ始めた。スノーギースも、もう北に行ってしまったらしく、いつのまにか声が聞こえなくなった。白頭鷲も帰ってきて来て、修復成った巣にこもりはじめた。と、まあそういう情景の中で、今日は、9羽のかわいい子を連れたママさんダックに出会った。さあ、みんなちゃんとついてくるんですよ!ママが1歩あるいたら、みんなは3歩歩くのよ!誰かが写真をとってるみたいだから、ちゃんと首を伸ばして!もうちょっとだから、がんばってねっ。 あ、ママより先に出ちゃだめだって言ってるじゃないの。 そうそう。みんないい子ね。
May 5, 2007
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宮柊二の、すずらんの花を歌った一連を読んだ。初出は、昭和39年6月、「すずらん」北海タイムス社。わが庭の鈴蘭咲く白玉(しらたま)の滴(しづく)のごとき清(すず)しさにあした匂(にほ)ひて鈴蘭(すずらん)咲(さ)けり明(あき)らかに影(かげ)ともなひて留(とど)まれる夜(よる)の露(つゆ)したし鈴蘭(すずらん)の葉(は)に鈴蘭(すずらん)の花(はな)に屈(かが)めば若(わか)き日(ひ)に杳(とほ)く憶(おも)ひしこと無(な)しとせず旅人(たびびと)のごとも静(しづ)けさ鈴蘭(すずらん)の小花(こばな)垂(た)りつつ咲(さ)けるほとりに鈴蘭(すずらん)の傍(わき)にきたりし庭鳥(にはとり)が葉(は)に載(の)る露(つゆ)を飲(の)みて去(さ)りゆく どれも好きだが、特に一首目と二首目からは、何年たって読んでも、その時の鈴蘭にあてはまるであろう、色あせることのないさわやかさを感じる。三首目は、「若き日のならざりし恋」関連のことだろうと推察しつつ・・・・四首目は、「旅人のごとも静けさ」がよく理解できないでいる。また、もう少したってから読んでみたい。五首目、昭和39年の東京でも、郊外の方ではまだこういう情景があったかと懐かしい。(私はその頃府中市に居たが、当時の府中市は、そんな風であった。) 「庭鳥」でありえた時代に、すずらんの葉に溜まった水を飲んで去った鶏は幸せだ。引用のときは、ルビも原作通りにということを教わっているので、上記には、どの漢字にも、全部ルビがついているままの表記にしたけれども、「全部にルビ」には、私としては抵抗を感じる。宮柊二の判断というよりも、北海タイムス社の方針だったのではないだろうか。 試みに、ルビのほとんどを取り除いてみると、そのほうが見た目からの理解は届きやすい。わが庭の鈴蘭咲く白玉の滴のごとき清しさにあした匂ひて鈴蘭咲けり明らかに影ともなひて留まれる夜の露したし鈴蘭の葉に鈴蘭の花に屈めば若き日に杳く憶ひしこと無しとせず旅人のごとも静けさ鈴蘭の小花垂りつつ咲けるほとりに鈴蘭の傍にきたりし庭鳥が葉に載る露を飲みて去りゆく
May 4, 2007
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「少しづつみんなで無理をしてみませう」説得上手の裕子さん言ふ(コスモス五月号)「裕子」は仮名だが、バンクーバーの短歌会の仲間の一人のこと。(日本人女性の名前を歌に出すときは、私の場合「裕子さん」に統一している。)「少しずつみんなで無理をしてみましょう」というのは、ある話し合いの席で結論がなかなか出せなかった時に裕子さんが言った言葉だが、なかなか建設的な、人をその気にさせる言葉ではないか!ところが・・・・「これ、あなたのことよ」と言って裕子さんにこの一首を見せたところ、彼女は、「え? これ私が言ったの? 本当? 私もこの歌は読んだけど、なかなかいい言葉だから今度使わせてもらおうと思っていたのよ」と驚いてみせた。言った本人というのは、そんなものなのかな・・・・・?
May 3, 2007
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子には子のわれにはわれの〈拡張子〉ありて異なる異なるはよし(風間博夫 コスモス五月号)なるほど、なるほど。そういうふうに考えればよかったのか!すばらしいお父さんだ。親の立場から見ても、子の立場からみても、互いの(拡張子〉が異なると考えてみると、わかってくることが増えそうだ。拡張子が異なれば、心を開くべき〈ソフト〉も違うはず。自分の心を開くべきソフトで、子供の(あるいは親の)心を開こうとしても、開くとは限らない。(夫婦だって、「おっと、あの人と私では拡張子が違うのだわ」と心を落ち着かせ、相手の心を開くソフトを見つけてから話をすれば、離婚率が減るかもしれない。)さらに、作者が第五句で「異なるはよし」と、異なっていることを肯定しているのも好きだ。「異なることを尊重しながら、互いを見守る」という姿勢が、子としての自分にも、親としての自分にも、理想的なのだろう。・・・・「手前味噌」ということもあるから、実際にはなかなか難しいけれども。「拡張子に関係なくファイルを開きます」と宣伝している「自在眼」のような人が、カウンセラーになってくれたらいいのだろうな。「〈拡張子〉はコンピュータに馴染みのない人にはわかりにくい言葉だと思うが、それを使った作品が「コスモス」誌に載っていること自体、コスモス誌上の用語変遷の記録としても、意義があるのではないだろうか。
May 2, 2007
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昨年5月14日の日記で、近所のショッピングセンターに美しい藤が咲く話を書いた。 大きくて美しい花房がたくさん下がっていて、心を豊かにしてくれるような藤だった。上の写真は、昨年の花季に撮ったものである。今年も、そろそろ花が咲く時期だと思って、行ってみたが、藤棚の上には、茶色の蔓が見えるだけで、葉もでていない。今年は、気候が悪かったから遅いのかと思ったが、それにしても遅すぎる。よく見ると、ショッピングセンターの周囲をぐるりと囲み、入り口を花の門のようにした藤棚の柱の部分が、妙にあっさり、さっぱりしている。近寄ってみたら、さっぱりしているのも道理。地面から棚に這い上がる部分が全くなくなっているのである。驚いて、棚を下から見上げると、機械的に全部切ってしまったと見えて、藤の切り口が下を向いたままむきだし。">えーっ? とさらによく見ると、それでも蔓はまだ死んでいないらしく、芽が出ているような箇所がいくつかある。こんなことって、許されてよいものだろうか! と、久しぶりに腹が立った。でも、よく考えてみると、30年前には本当に田舎だったここも、今や、大変な地価高騰の影響下にあるし、古くからあるこのショッピングセンターも、あまりはやっていないレストランその他がひっそりあるだけだし、駐車場もいつもガラガラである。再開発の時期に来ているのかもしれない。現に、私だって、ここでお金を使うということは、ほとんどないのだから、サポートしている客の一人であるというような大きいことはいえない。やはり時代の流れとしては、仕方がないのかなあ・・・。それに引き換え思い出されのが、昨年末、墓参に行った時に見た福岡県黒木町の大藤。何世代もの人々に守られての樹齢600年。花のないときに見ても実に見事な木だった。検索してみると、今年は、あまりに見事に咲いたので、藤祭りの期間延長までしているようだ。同じ藤なのに、あまりにも境遇が違いすぎて、かわいそうでため息もでない。
May 1, 2007
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