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高校時代の同級生のオジサマ方5人にお付き合いいただいて、夫と私の総勢7人で高崎の太平洋ゴルフクラブでプレイ。プレイも楽しかったが、会話が面白かったので、短歌のメモがたくさんできた。このところ、ずっと風邪が抜けなくて、体調が悪かったのだが、ひさしぶりに広いところでよい空気の中での一日で、すっきりした気がする。これって、転地療養かな? 行きの車中から見えた妙義山。複雑な形をしていて・・・ フェアウエイもラフも枯れ色 前のグループ、がんばれ!遅いんじゃないの?・・・なんて。
November 30, 2007
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宮柊二記念館短歌大会(その2)一般の部の最優秀賞については、25日にUPしたので省略し、そのほかの一般の部特別賞をUPする。選者賞(来嶋靖生選)若鮎のやうな看護師が一瞬を息つめてわが腕に刺す針(神林敏夫)選者賞(小島ゆかり選)障子あけて月煌々とさす畳ひかりの川をわたる虫あり(吉岡泰三)魚沼市長賞父征きて帰らぬ地より来るという黄砂は父の墓石につもる(松井君子)新潟日報社賞にわとりを掴みて袋に押し込めり八千二百羽病に非ず(中村美恵)宮柊二記念館長賞たらちねの黄粉碾きます石臼の音にも似たり春の遠雷(星野武二)白球が太陽の中に吸い込まれ転ぶ私と銀のラケット(藤川玲子)黄の帽子カバンの揺れて水張り田を列の学童逆さに歩む(藤井重行)少女の日よく手伝ひき稲扱き機麦扱き機雪の資料館に見つ(中島真砂子)少しづつ心ほどけて二歳児の「へ」の字の口が「一」の字になる(佐藤紀子)私の作品も末席で賞をいただいたのだが、「具体の力」ということで褒めていただいた。選評のなかで、小島ゆかりさんは、子供の歌を詠むときの教訓として、・・・すぐに頭の中の世界、言葉の世界にはいってしまうと必ず失敗する。イメージの中で大人が作り上げた子供の世界は、事実としての現実の子供の世界とはいつも少しずれてしまい、大人が考える理想の姿になっている。けれども、ちゃんとみている歌には、子供のありのままの姿が描かれ、頭の中で描いた子供の姿よりも何倍も魅力がある。・・・と述べられた。小島ゆかりさんの作品には、具体として目に見えるものの奥にある目に見えないものを掬いとって、感性ゆたかに歌われるものが多く、そこが魅力的であるのに、具体だけの私の歌も褒めてくださったのには励まされ、これからも、おそれずに時々は孫歌にも挑戦してみようという元気がでてきた。
November 29, 2007
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東京都文京区の白山上の交差点。歩道の端の方、車道ぎりぎりにエンジェルトランペットのピンクの花がいくつか咲いていた。花の木があるにしては想定外の場所だし、その木が花を持つにしては少し季節が遅いような気がするし、排気ガスの多いところだし・・少々、びっくり。インターネットで検索したサイトには、日本での花時は6月から9月と書かれていたから、やはりちょっと気まぐれなのかもしれない。
November 28, 2007
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松本清張「菊枕」を読んだ。(「七曜」所属のNさんの影響だと思う。)「菊枕」は。杉田久女の20歳から57歳までをモデルにしたといわれる小説で、仮名(かめい)は使ってあるし、あくまでも小説なのだから、心を抑えて読まなければならないが、著者が松本清張であれば、引き込まれるのはしかたがない。・・で、しっかりそんな気になって一息に読んでしまっての感想は1) 短歌にも、俳句と似たような魅力・魔力があるから、あんまり引き込まれてしまうと、社会人としてあぶないぞ! 用心、用心!2) 明らかに俳句結社「ほととぎす」だと思われる結社が、「コスモス」という名前で登場する。かならずしもよいことばかりが書いてあるわけではないので、「コスモス」会員の私としてはなんとなくしっくりこない。「菊枕」が発表されたのは昭和28年。コスモスの創刊も昭和28年だから、こういう一致は仕方がないのに、それを「?」と思うあたり、私もすでに社会人としてちょっとおかしい。用心、用心!3) 「菊枕」の主人公がどの程度久女本人であるかは別として、KYの人の典型のようで哀しい。 最近ではMKY(まじ、空気読めない)という表現もあるらしいけれども、そのために、自分で自分の人生を難しくしているようだ。4) 結果的にみれば、 フラストレーションの多い生活だっただろうけれども、結局、久女は久女なりに最善の選択をしたのだろうし、他の生き様が、久女にとってこれより幸せなものであったとは思えない。もし、私が短歌にご縁ができる前にこの本を読んでいたら、まったく違う感想を持つかもしれないし、短歌でなく俳句にご縁ができていたら、また違う感想を持ったかもしれないと思うけれども。
November 27, 2007
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東京駅の近くの八重洲ブックセンターに入ろうとして、ふと見ると、入り口に私よりだいぶ大きい、金色の二宮金次郎の像が立っていた。今まで何度も入ったことがある店なのに、気付かなかったのは、注意力の不足としかいいようがないが、日本人と読書の関係の原点はこのあたりにあると、本屋さんのどなたかが考えていられるのだろう。周囲の情景とミスマッチなのが、妙に新鮮で、ふしぎな雰囲気を出している。東京の本屋の前に金色の二宮像が薪負ひて立つ平成の二宮像は首かしげ穏やかな目を本に向けをり(東京駅前八重洲ブックセンター前にて) そういえば、ロサンゼルスの日本人街 鬼塚通りで見た二宮金次郎像にもびっくりした。排気ガスいっぱいの交通量の多いところで、泰然として、少し太った金ピカの金次郎さんが、悠然と本を読んでいたっけ。あと最近見た二宮さんは・・・明治記念館の今はレストランになっている「明治憲法発布の間」。こちらは、かなり小さい地味な像が、しかし存在感が妙に大きく収められている。でも、昔とちがって、学校にはあまり見かけないように思うが、どうなのだろうか?
November 26, 2007
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第十三回宮柊二記念館 全国短歌大会に出かけた。今回のヒットは、なにといっても、一般の部、最優秀賞。亡き父の酔ひて踊れる影のごと八海山の夏の雪形(平澤憲一)夏になって八海山に残った雪の形が、亡くなったおとうさんの影のように見える。しかもそのお父さんは、酔って踊っていらっしゃるときの影だ。なんと暖かくて、なつかしい作品だろう。お父上と作者の関係も、お父上の人柄も、大きな八海山の姿のなかに偲ばれて、心打たれた。作者の平澤氏は記念館の館長さんなので、辞退を申し出られたのだが、選者の先生たちが、「名前見ずに選んだのだし、どの歌を選ぶということも選者の力量をためされることなのです。誠心誠意選歌にあたったのだから、辞退しないでください。」と説得され、今回の受賞になった由。選者の来嶋靖生氏は「おとうさんが酔って踊っていらっしゃるところというのが、一首をユニークにし、作者の気持ちがよくでている」と評され、小島ゆかり氏も、「これはまぐれではありません。館長さんは岡崎康行先生のお教室に通われて、日ごろから熱心に勉強をしていらっしゃいます」とのべられた。こういう館長さんが、宮柊二記念館にいてくださるのは、宮柊二にとっても、英子夫人にとっても、コスモスにとっても、とてもうれしいことだと思った。(私は、今回、宮柊二記念館長賞をいただいたのだが、この作品と、館長さんのお人柄に接してみると、「館長賞」のありがたみが増したような気がしている。)
November 25, 2007
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コスモス12月号の、最終ページの「資料集」の欄に高橋安子氏・福島県文学賞受賞 受賞式は11月3日福島市にてという記述がある。高橋安子氏は、20年くらい前になるが、3年間ほどバンクーバーに住んでいらしたことがあって、バンクーバーに短歌会を作った方である。さっそく高橋さんにお祝いの電話をしたいところだったが、23日までは電話をできる状況にないので、とりあえず、バンクーバーの友人何人かにメールで「ご注進」。さらにインターネットで検索してみたところ、福島県文学賞は、本県文学の振興を目的に昭和23年に創設され、県民の皆様の作品発表の場として親しまれてきましたということで、高橋さんが受賞されたのは、短歌部門の文学賞で、作品名「厨はわが領」。 籐やすこの名前で発表されている。高橋さんは、以前、「おいしいものがあれば、夫も子供も家に帰ってくる」という話をされていたことがあり、台所仕事にもいろいろ工夫をこらし、おいしいお料理を作っていらしたから、きっとよい作品であったことだろう。来年になれば、作品集が販売されるようなので、その時は逃さずに買おうと楽しみにしている。私たちの会には「おかあさん」である高橋さんが、活躍してくださるのは、子供たちにとってもとてもうれしいことである。22日夜になって、高橋さんにお電話して伺ったところによると、福島文学賞の短歌部門は、50首詠で、選者は小池光氏。高橋さんは、今回初めて応募され、一回で受賞されたそうだ。
November 20, 2007
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上と下てんでに自己を主張して〈ゑ〉の字今にも暴れ出しさう 18日のコスモス東京歌会に提出した私の一首。これについて、奥村晃作先生が、一応褒めてくださってから、とても勉強になるお話をしてくださった。つまり、この歌には、この一首だけでの独立性がない。内容的にみて、狙いは「気づきの歌」ということだろうが、それには、その内容が、誰が見てもそうだと納得できるものでなくてはならない。したがって、もし、ここに、たとえば(墨山展を観る)とかの詞書きがあったとすれば、一首として成立するであろう。帰宅してから、早速インターネットで高田墨山を探しだし、墨山の書の写真を見ることができた。墨山は、漢字を書く方らしく、その仮名書きを見つけることはできなかったが、實に堂々として風格と趣きがあり、しかも勢いよく元気な字である。なるほど、この方がもしひらがなの「ゑ」を書かれたら、いかにも上と下が自己主張して意見決裂のあまり暴れだしそうな字(よい意味で)であり、これはさすがの添削だと、改めて感心した。実は、この〈ゑ〉、私が自分で筆を持って練習してみて、なかなかうまくいかなった時に、なさけなくて思わず口から漏れた感慨であるが、会場の方のどなたも、作者が字を書いているときとは想像できなかったらしく、「どういう情景だろう」とか「子供が書いているのか」とかの推測が飛び交った。また、〈ゑ〉がどう見えるかについても、スケートか何かにのって気持よさそうにしているように見えるとか、ひらひらのスカートをはいてダンスでもしているように見えるとかの言葉もでた。更に、私のように〈ゑ〉に苦手意識のある方ばかりではなく、「私はゑの字が好きなんです」という方もいらしたが、そうなるとまた、もっとすんなりとした字に見えるのだと思う。活字でさえ、フォントによって印象が異なるのだから、字を特定しなければ、鑑賞者が同じ印象を共有することができないのは、今思えば当然である。(なんと、こんなことにも、気が付いていなかったのだけれども)かといって、「私の字」という形で特定しても、私の字を知っている人は殆どないのだから、それでは共有の助けにはならない。・・・そこで、墨山氏の登場になるわけだ。今回は、この一首を出したことから、今後にも役立ちそうな多くを学ぶことができて、大収穫だった
November 19, 2007
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12月号、コスモスへ掲載歌より、バンクーバー会員の作品今月も奥山和子さんが特選になっていた。熟年婚 奥山 和子暑き日をたつぷり吸ひし地のトマト弾けんばかりの赤に色付く逃げるごと去り行く夏を追ひかけて人はむさぼる八月の日を昼下がりシーズン最後の西瓜食みこつそり終へる吾が夏休みフレッシュなお喋りはづむ熟年婚旬な老後にちよつと焼きもち夫より独りで歩む解放感老後の定義夫には解けず以下、五十音順粟津 三寿昼食は卓にととのへ枕辺には妻の薬を置きて仕事へ 店員の鼻を彫りたる入墨の両腕が挙ぐ三尺の鮭シアトルの観光市場の芥箱の野菜は青し朝陽にひかる佐藤 紀子ひたひたと嵩を増しつつ満ち潮が河口に淡き光を運ぶ 上げ潮の河口の水に遊びつつカナダ雁たち岸に寄り来る子の家をグーグルアースに見つけたりよく似た家の並ぶ一角もうきつと帰りては来ぬ次男なりマイホームには猫も飼ひゐて菅原美知子孫ポピーは「グランマーベスト」とふ言葉覚えてほほずりしてくれます 縫ひぐるみのテディベアのごと側におきほほずりしたき人と評さる首のべて遠き未来を望むがの白鳥もゐてふる里の沼 田中澄江茜さす入り日に煌めく海の面は昔も今も同じと見入る 満潮がおし上げるたびゆつくりと錨下ろした船体廻る港には漁船ずらりと舫ひ合ふ鮭のシーズン終りて今は 鳴海登志子湖の砂と水にて作らるる塑像の少女のしぐさ愛らし 湖の辺に秋日をあびてダンスする砂の塑像の若きカップル海風と森の朝風輪になつて落葉まひ上ぐマロニエ通り松山晨子父上が芝生の下に埋めおかれし茗荷薬味に三つ拾へり 秋風の通るか木々の梢の木の葉ぴらぴらと金属的な響きを放つ軍事政権が鎮圧に出でしミャンマーの僧侶、市民らの犠牲者を伝ふ
November 18, 2007
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鈴木英夫先生のお宅で開かれた「コスモス座間勉強会」の11月例会をお訪ねした。95歳になられた鈴木先生をはじめ、お元気な会員の皆さんにお目にかかれてうれしかった。本日の高点歌は以下の一首で、先生も一票を投じられた。強風に流されつつもカモメらは投げ餌捕らんと船に群がる(岩本修子)以下、先生の添削例。1)原作:久々の夫の外出脱ぎ捨てのスーツに匂ふ焼き鳥の煙添削:久々の夫の外出脱ぎ捨てのスーツに匂ふ焼き鳥の煙が(「が」を入れることにより、広がりがでる。)2)原作:家中の花の水替へ窓を開く長引きゐたる風邪の癒えし日添削:家中の花の水替へ窓を開く長引きをりし風邪癒えし今日3)原作:嵐止み落葉を掃けば大き葉につかまりてゐる蝉殻も見ゆ添削:荒れあとの落葉を掃けば大き葉につかまりてをりし蝉殻も見ゆ4)原作:数多なる茶の実散りぼふ生け垣に白くかそけく残り花咲く添削:数あまた茶の実散りぼふ生け垣に白くかそけく残り花咲く余談ながら、下の写真のような大きな柚子を、お土産にいただいた。 この秋は、舞茸といい、柚子といい、大きいものに植物に縁があってEXCITING! これまで、日本のものでカナダのものより小さいのは、鴉くらいだと思っていたのに、どうして、どうして・・・。この柚子は、座間のあたりでとれるらしく、「鬼柚子」というのだそうだが、私が見たのはこれが始めてだ。帰宅する電車の中でもずっとよい香りがしていて、気持ちがよかった。
November 15, 2007
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ご近所の本屋さんで本を1冊注文して、そのついでにDVDの売り場をみたら、孫がよろこぶかもしれないようなワンコインのDVDをみつけた。「また、ばかなことをしてるなあ」と思わないではなかったけれども、500円のことだし、買おうとして、カウンターに持っていった。カウンターには、店員が一人、若い男性客の相手をしていた。お客さんの方は、会員になろうとしているらしく、用紙になにやらかきこんでいて、店員はひたすらその手元を見つめている。あとにならんだ私に気づいてお客さんが、用紙を少し片隅によせて、私に「どうぞ」というようジェスチュアをしてくれたので、「では」と思って、私が「これお願いします」と店員にDVDと500円を差し出すと、店員にじろっとにらまれる感じで「順番をお待ちください」と大声で言われてしまった。「だって、ただ見てるだけじゃないの、あなたは。」と思ったけれども、まあ、風邪の病み上がりで、怒るだけのエネルギーもなかったから、一応うなづいて、もう少し待った。でも、まだまだかかりそう。「衝動買いはやめろということね」と、商品をラックに戻して、「525円得したようなものだ」とか思って、本屋を出て隣の食料品店に入り、こんどは「あきたこまち」を持って、カウンターにならんだ。と、誰かに肩をつつかれたので振り向くと、本屋さんでなにやら書き込んでいたお客さん(青年)。「さっきは、どうもすみませんでした」と小さい声であいさつをして、どこかに行ってしまった。まあ、まあ、まあ・・・・こんな人がいたんだ!・・・とちょっと呆然。本屋さんの店員さんにしたら、その人が書き込んでいる書類から目をはなせない理由が何かあったのかもしれないけれども、実のところちょっとはムッととしていた私の気分がすっかり晴れ上がってしまった。(本屋さんにたいする印象は、よくはならなかったけれども)うちにも息子が二人いるけれども、こんな気働きができるとは思えないし、だいたい私自身もできないかもしれないけれども、こんな風に、ちょっと気軽に声をかけたり譲ったりすることのできる人は、周囲をあかるくしてくれて、うれしい。肝心の注文した本が届く予定は、連休明けの26日(月)だそうだ。乗りかけた船だから、もうそれで納得したのだけれども、連休を挟むとはいえ、12日もかかるなんて、オンラインショッピングにすればよかった! 1000円以下の本なので、送料を考えたら、本屋さんに頼んだほうがよいと考えたのは、浅はかデアリマシタ。
November 14, 2007
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朝目がさめてしまって2時半にテレビをつけたら、NHKのウイークエンドジャパノロジーで、風呂敷の話をしていた。美しい風呂敷が、工夫次第でいろいろな使い方ができるし、丸いものでも筒型のものでもうまく包めるというはなしで、内容は面白かったけれども、ちょっと笑ってしまったのは、カナダのTVJAPANで見るこの放送には、英語にかぶさって日本語の吹き替えが入っているのに、日本で見るこの放送は、英語だけでされることだった。その吹き替えを入れる手間のためか、TV JAPANではかなり遅れて放送されるのだけれども、視聴者の立場から言えば、まったく英語ができない人は少ないのだから、日本で放送すると同じように英語だけで放送してくれれば、日本のことを英語で説明する勉強にもなってよいのと思う。音声多重放送で切り替えられるのならともかく、英語が小さく聞こえる上に日本語がかぶせられ、二つの言葉が一度に聞こえてくるのは、とても聞きにくいものです。ゲストによっては、英語があまり上手でない方もいらっしゃるけれども、少なくとも、今日の、風呂敷の先生は、美しい英語を話されていたのにもったいない。そういえば、以前、永田和宏さんが出演されたという「短歌」の話、日本で放送されたと聞いてから気をつけていたのだが、見逃してしまったのか、放送されなかったのか、まだカナダのTV JAPANでは見られずじまいだったらしくて残念!
November 12, 2007
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夫が「はい、まいたけを買ってきたよ」と、ダンボール箱を差し出してくれた。けっこう大きい箱だけれど、こんなにたくさん、二人でどうやって食べようかとドキドキしながらあけてみると、この箱いっぱいに入っているけれども、それでたった1個のまいたけ。「えーっ!まいたけってこんなに大きなものなの?」とびっくりした。私が行くような店でみるまいたけは、少しずつ袋に入っていたり、お皿に乗っていたりするものだから、ついぞ、それが一株(というのかどうか)のほんの一部を分けて包装したものだとは思わなかった。しいたけも松茸も一つが一株だし、なめたけだって、1インチ四方くらいが一株だし・・・知らなかったのは私くらいなものかもしれないけれども、その大きさを記録するために、めがねをそばに置いて写真をとった。このところ、夫は旅行が多くなりそうだから、私一人でこんなに食べるのー?と、贅沢な嘆きを口にしながら、夜は、「ほうとう」にまいたけをはじめ、白菜、人参、ねぎ、その他たくさんの野菜や白滝を入れたものを食べた。「どうだ、まいたけがこんなに大きいことがわかって、一首できたか?」の一言がなかったら、最高のご馳走だったのに・・・「長野県に旅行に行った夫が、栃木県のまいたけを買ってきた」という歌でもつくろうかしら。
November 11, 2007
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となりの大規模マンションと、私のいる小マンションとの間に柿の木が二本ある。まだ熟してはいないらしいが、たくさん実がなっていて、素人目には楽しい。 ところが・・・木の下はほんの少しだけ土が地面に顔を出しているだけで、あとはアスファルトに舗装されていて、この柿が熟してアスファルトに落ちてつぶれたり、鳥たちがたくさんやってくると、落し物も多くなるし、掃除がたいへんなのだそうだ。で、マンション管理会社の人が2名来て、一人は梯子自動車に乗って、植木鋏でパチン、パチンと一つずつ剪り、もう一人の人があまり大きくない段ボ-ル箱を持って、上から落ちてくる柿を受け止めている。なかなかのチームワークではあるけれども、かなり時間のかかって大変な仕事だ。いい加減仕事が進んだところで、「おくさーん」と声がかかり、ビニール袋に入れわけた柿が分配された。「渋柿ですから、干して食べてくださいね」とのこと。今日は雨だから外に干せないけれども、もし雨が止んでも、今度はこの柿に鳥があつまってベランダがよごれるのかな?とか思いながら、とりあえず、ハンガーと竹串と荷造り紐で柿を干す「装置」をつくり、室内の物干し竿にかけておいた。 昔、東京にいたころには、軒先の洗濯竿に干しておいて、洗濯を干したりとりこんだりするたびに、子供たち共々つまんでしまい、まっとうな干し柿はとうとうできなかったのを思い出したが、今回は、多分、待ちきれるだろう。テレビで見ていたら、干し柿が干しあがるに必要な時間は、10日か2週間だとのことなので、カナダに帰る前に干し柿らしくなるかもしれない。うまくいったらおなぐさみ。
November 10, 2007
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under re-construction もう少しちゃんとした記述を目指して、再構築中
November 9, 2007
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時々ブログを訪問しあったり、たまにメールの交換があったりする佐賀県のIさんからお電話をいただいた。お目にかかったこともないのに、不思議と話が弾んで楽しかったが、中で、印象に残ったのはIさんの属していらっしゃる「歌会のやり方」。一般に(だろうと思う)歌会では、会員が一首なり二首なりの作品を提出し、それをお世話役が「詠草集」にまとめて配布し、会員が自分のよいと思う作品を、「選歌」として、何首か選んで票を入れる。「選ぶ」ということにも「目」が必要だし、好みもあるから、その得票の結果は、歌のよしあしのほかに、選ぶ側の選歌目もあらわすことになり、「歌会全体のレベル」がわかったりする。(票数だけでなく、誰の票が入ったかも、参考になる。)この方法は、長い間の試行錯誤の後に落ち着いてきた形であろうし、けして悪くはないけれども、いつも自分の歌に票が入らないでがっかりする人がいたり、あの人より多く票がほしいと思うような競争心が出てきたり、受けを狙おうとして歌柄が汚くなったりする人がいたりすると、ちょっと問題である。ところが、Iさんの短歌会では、一人3首ずつ出して、選歌をするほうは、その各3首の中から1首ずつ、よいと思われるものを選ぶのだそうだ。そうすると、どの作品も、他の人の作品との比較ではなく、本人のほかの作品との比較で反応を見られるわけでから虚心坦懐に受け止めることもできるだそうし、妙な競争心もわかず、会の運営上も、問題が少ないのだそうだ。考えてみれば、結社誌なども、自分の作品の中から良いものを選者が選んで掲載してくださるので、掲載か没かによって、自分の歌を見直して磨いていくわけだから、Iさんの歌会のように、結社誌でやることと同じことを歌会でやり、しかも、選んでくれた人の生の意見を聞けるというのも、よい勉強になるに違いない。時間が余分にかかりそうなのが欠点だが、毎回でなくとも、一年に何回かぐらい、あらかじめ欠席者が多いとわかっているときなどに、バンクーバーでもこういう方式でやってみても面白いかもしれないと思った。
November 8, 2007
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秋の日本は、果物がおいしい。葡萄は、カナダでも食べられるが、蜜柑、梨、柿などは、日本でたべると特においしいように思い、次々と楽しんでいる。今日は、マンションの管理人さんから、庄内柿の差し入れがあった。「風邪をひいているようだから、喉に気持ちがよいですよ」とのこと。 味もおいしそうだが、色も美しい。この色を見ていると、柿右衛門さんの気持ちがわかるような気がする。そこで一首・・・・は、食べ終ってからのことにしよう。
November 7, 2007
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何かふと心なぐさめられてゐる思ひに歩むゑんじゆ落葉道(岩崎輝子 バンクーバー短歌会10月歌会への提出詠草より)10月の歌会は「落葉」の題詠で、上記の一首が出された。会で「えんじゅ」というのはどういう樹なのかという質問がでたが、そういうことはやはり百聞は一見にしかず。誰の質問だったか忘れてしまったので、ブログにUPしてお目にかける。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東京の井の頭通り、高井戸付近には、両側に槐の並木がある。11月なのに、まだ黄葉の気配もない。 やわらかそうに見える葉は、触ってみるとかなり硬い。 マメ科だけあって、ところどころに鞘実が下がっている。 花季は過ぎているが、ところどころに白い花が咲いていた形跡がある。はっきりとした名札がついているから、槐に間違いないと思う。 ちなみに、鈴木英夫先生の「壁画」の「北京早春」の章にも、以下のように槐が登場している。いまだしき春は北京の夕空に素気なく黒し槐(ゑんじゆ)のこずゑ
November 6, 2007
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東京にいると、ついつい運動不足になる。どこに行くにも、しらず知らずに距離だけは歩くのだが、人混みの中を歩いてもなんだかすっきりしないような感じで。なんとなく、全身の筋肉がにかわで貼りついたような気がするので、歩いて5-6分のところにあるゴルフ練習場の早朝練習に行った。(時差が体から抜けないので、早起きだけは得意だ。)「5時45分になったらロープを外して入場してください」と書いてあるロープを、5時50分になっていることを確認して外し、勝手に練習場に入る。何年か以前にはよく来ていたのだが、当時はちゃんとロープを外して「いらっしゃいませ」と言ってくれる人や、受付の人がいたのに、今日はそういう人は誰もいず、宮沢賢治の「注文の多い料理店」のような感じで、一つずつ指示にしたがって、署名をしたり、自販機でボールを買ったり、打席を決めたりして練習開始。私のほかに、二人ほどが同じ頃に練習を始めて、コーン、コーンとボールの音がひびく背景に、烏の声がしたり、すずめの声がしたり、なかなかよい感じだ。体が少しずつ軽い感じになってきたので、もう少し打ちたいなあと思ったのだけれども、東京の打ちっぱなしは、いくら早朝割引でも、私の感覚では、高い!(地価のせいもあるから無理もないけれども)夫が朝寝という「無料の娯楽」で我慢しているのに、ちょっと申し訳ないから75球で終了。さわやかに、リラックスできた一日の初めであった。早朝の空気は澄みてオリオンの一番下の星が残れり明けきらぬ朝の空気に震へつつ白き山茶花ぽつぽつと咲く大柄な烏に負けぬすずめたち声透らせて朝を歌ふ山茶花の垣根に沿へる細道に朝の散歩の夫婦と出会ふ朝七時庭の草抜く人も居て住宅街の目覚めときなり
November 5, 2007
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「短歌、BLOGを走る。(題詠BLOG 2006)」五十嵐きよみ編 を受け取った。 すっきりとしてスマートな装丁で出来上がってきて、お任せしっぱなしの参加者、私も感慨深く眺めた。五十嵐さんによる前書きの日付けが1月31日、奥付の日付が11月1日であることを見てもわかるように、びっくり・はらはらする難産だったから、お世話くださった五十嵐さんは、さぞほっとしていらっしゃると思う。本の趣旨や内容は、リンクをクリックして参照すると出てくるので、この場では説明しないが、おりしも ブログという言葉が、来年早々にでる広辞苑の新版に載るようになったことでもあり、偶然ながらタイムリーなタイトル。176人の有資格者のうち、67人しか参加していないので、少々さびしいものの、こういう試みが、この時期にされたという記録が残るのはそれなりによいことだと思う。
November 4, 2007
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2日の朝家を出て12時すぎの飛行機に乗り、3日の夜8時すぎに東京の家についた。17時間の時差のために、あるときふっと次に日になっていた感じで、何回経験しても時間の損をしたような気がする。成田空港の建物を出たのは、午後3時半頃だったが、まず「太陽が明るい!」と思った。そして、暖かい。空気がやわらかい。沿道のススキも、繊細で美しく揺れている。落ち葉を焚く白い煙がところどころに上がっている。カナダでも、最近はかなり不規則な生活をしているおかげ(?)で、今回はあまり時差に悩まないですむかもしれない・・・・・
November 3, 2007
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