仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.01.29
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カテゴリ: 雑感
今年2006年の仙台フィルの定期演奏会予定を見ると、10月の第214回に、舘野泉さんが客演するようだ。曲目は「左手のためのピアノ協奏曲」(ラヴェル)。

ラヴェルの協奏曲は、ジャズを取り入れた斬新なもので、オーケストレーションも多彩。高校生のときFM放送で聞いた印象が残る(間違っていなければ、あの曲でしょう)。是非聴きたいと思っているのだが、その反面で、「舘野さんの演奏を聴きに行く」ことに少々後ろめたさも感じていた。

というのは、TVのせいである。海外で演奏直後に脳溢血で倒れ、一時はピアニスト生命を断念しながら、奇跡の復帰を果たして、左手の演奏活動で活躍していることを、TV番組で見てしまったからである。以前にも何かで復活後のコンサートの映像は見ていたが、最近見たこの番組の取り上げ方が感動押し売り的だったために、答えのない自問自答に陥ってしまった。
音楽としてではなく、「左手のピアニスト」というモノ珍しさや、ちっぽけな感動ほしさに、聴きたいと思っているのでないだろうか...と。
(数年前のフジ子ヘミングに対する国民的ブームの際に、クラシック音楽評論の論壇の世界では賛否が沸き起こったようだ。)

しかし、先日(1月26日)の毎日新聞の記事で、見事にスーッと解消した。文化欄の、渡辺浩さん(東京大学・美学芸術学)の「考える耳」。

自分なりに理解すれば、次のような趣旨だ。
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○ 舘野さんの音楽の豊かさは、魂さえあれば片手でも両手でも関係ないという、ありがちなまとめには還元できない価値がある。

○ 左手用の作品の中には、片手ならではの独自の音楽表現を追求するものもある。例えばブラームスが編曲したバッハのシャコンヌ。歴史的にアルペジオは和音を同時に弾けない弦楽器が和音を分散して弾く奏法として、独自の表現世界に発達した。ピアノは同時に和音を弾けるが、舘野さんの多様なアルペジオは豊かな表現の源泉の1つになっている。
○ 片手だからアルペジオを多用するのはある意味当然だが、それを超えて普通のピアノ音楽では得られない多様な表情を生み出したのだ。いわば、一種の不自由さを逆手にとって、新しい表現を引き出した。
○ 我々は片手だとピアノ音楽の表現が制約されると思いがちだが、それだって、手が2本という人間の制約の範囲内でピアノ音楽を観念しているだけのこと。もし手が3本あったら、もっと違っていたはず。
○ そもそも音楽は、演奏者の身体的制約と楽器の制約に関わりつつ、多様な表現を追求してきた。とすれば、片手ピアノ奏法は、3本の手による奏法と同等な意味で、未開拓な領域なのである。
○ 「左手では不十分だ」という話でも、「左手だけで両手と同じ音楽ができる」という話でもないのだ。
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無理して「片手も両手も関係ない」と自分に言い聞かせる必要もない。また、片手ピアノ奏法に独自の価値を堂々と論じられる。だから、スッキリするのだ。すごく気持ちが楽になった。

さらに、電子音楽と異なる「人間」の演奏の価値、また音声メディアだけで聴く音楽ではなしに、演奏者の演奏を楽しむ「演奏会」の価値、というものも改めて認識できたように思う。

これで、堂々と行ける。良かった。





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最終更新日  2006.01.29 06:15:16
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