仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.02.07
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カテゴリ: 仙台
新宿中村屋の創業者で女主人で、文化人の後援活動もした相馬黒光は、仙台の出身なのだそうです。私、パン屋の 中村屋 は知っていても、創業者の名前も出身地も知りませんでした。

相馬黒光は、明治9年仙台市立町の星家に6番目の子として生まれた。幼名は星良。星家は仙台藩の有力武家だったが維新後に父や兄弟の病死も重なり、職を求めて、片平丁尋常小学校の後、裁縫学校に通う。しかし向学心やみがたく、東二番丁高等小学校、宮城女学校に進むが、上級生のストライキ事件に連座して自主退学。上京してフェリス女学校(横浜)を経て、明治女学校に転学。

不遇の少女時代を経て、没落と暗黒の故郷と評した仙台をきっぱりと後にしたのは、彼女の強い野心もですが、叔母の影響があったのだそうです。黒光の母は星家の跡取りとして婿養子を迎えて家を守る生涯を強いられたのに対して、その妹である叔母の豊寿(佐々城豊寿)は、対照的にフェリス女学校の前身に学び、やがて男女同権を唱える社会改良運動(東京矯風会、婦人白標倶楽部)を推進する女性運動家の最先端だったという。(これも私は全く知りませんでした。)

やがて、信州穂高の相馬愛蔵と結婚。このとき、すでに叔母の影響で文化人たちとの交わりがあり、作家志望であった黒光が、信州の名もない男と結婚したことに周囲は驚いたという。信州で病床に伏した後、娘を婚家に置く条件で上京し、中村屋を開業し成功。中村屋の名は、東京での生活の糧を得るために借金して買い取ったパン屋を、そのままの屋号にしたもの。エロシェンコ(ロシアの詩人)やボース(インドの独立運動家)の亡命を助けるなど、派手な生涯を送っています。著作多数(『広瀬川の畔』など)。

(参考:難波・大石編『街道の日本史8仙台・松島と陸前諸街道』吉川弘文館、2004年、柳谷慶子さん執筆部分。ほか)

良(黒光)の仙台時代は、東北線が仙台・塩釜まで開通し(明治20年)、三居沢発電所により市内に電灯がついた(明治27年)という頃でしょう。そんな時代に、地方を出て時代の最先端を歩んだ、まさに明治の先進的知的女性です。

私の不勉強を棚にあげますが、仙台でなぜ彼女を顕彰する気風がないのでしょうか。
黒光は相当に気性が激しく冷酷な一面もあったようです。そして、故郷を顧みることもない。さらに、派手な交友は、田舎の純朴な観念からは誉められたものではないのでしょう。原阿佐緒に対する仙台の従来の評価と共通するのかも知れません。



降る雪や 明治は遠く なりにけり





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最終更新日  2006.02.07 04:08:27コメント(0) | コメントを書く
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