仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.07.03
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カテゴリ: 宮城
仙台藩や宮城県の県民性について何度か書いた。幕末に東北を歴訪し、的確にも「大藩」仙台藩の怠惰で後ろ向きな民情と産業の乏しさを見事に見抜いた薩摩藩士肝付兼武の評は、まことに21世紀の今にも通用するようだ(『東北風談』、風譚とも)。
■過去の日記
 ○ 見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土 (06年4月2日)
 ○ 肝付兼武のこと (06年6月13日)

明治の廃藩置県で仙台県ができ(明治4年)、県令は塩谷良翰。次いで、登米県、角田県を分合して、仙台県(参事塩谷)と一関県(参事増田繁幸)に。一関県は水沢県、仙台県は宮城県と改称し、塩谷が県令となる。塩谷は館林の出身、勤王の志士として新政府の大蔵の役人になった人物。
初代県令塩谷の後は、権県令(「権」は仮の意らしい)宮城時亮(ときすけ)である。彼は赴任の際に、任地と自分が同名であることを気にし差し支えあれば姓を変えようと太政官に伺い出たという。

さて宮城時亮は、赴任後に「宮城県風土民俗の情況」を次のように報告した。



つまり、産物は結構良いし、水運にも恵まれているが、怠け者で現状に甘んじ、外を知らない、ということだ。中央政府から見れば賊軍の遅れた民心を評したのか、あるいは県令として開墾開発の必要を政府に訴えるが為の表現なのか。

そして、時亮の後、初代の宮城県知事は、内務の三松の一、松平正直である。このときの県は、既に磐井県(水沢県を改称)が消滅し、現在の宮城県の範囲となっている。野蒜築港や道路整備を推進した時代だ。明治14年東北・北海道行幸の際、明治天皇に松平は県の情況を次のように上奏報告した。なお文案は友部伸吉が草したという。

本県の人民は固陋にして進取の気象少なく、怠惰にして忍耐の精神に乏しと、夙に笑を上国にひくところなりと雖も、是唯皮相の論のみ。その実樸直にして浮躁の情態なく、質素にして虚飾の風習あらず。若しよく薫陶誘掖を加えなば将来必ず忠厚の人士を生ずるに至らん。

参考:佐々久『近代宮城のあゆみ』仙台宝文堂、1979年





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最終更新日  2006.07.03 06:11:52
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