仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.08.07
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カテゴリ: 宮城
多賀城は古代東北の政治の一大中心地だ。近世の初めからも遺跡として広く認知されているし、芭蕉も碑を訪れて涙した。しかし実態としてどんな人々がどんな営みをしていたのかは、昭和30年代以降の発掘調査によることになる。

多賀城発掘調査の成果を広く知らしめるための資料『多賀城と古代日本』(東北歴史資料館・宮城県多賀城跡調査研究所編集、仙台宝文堂、1975年)を読んでみた。昭和49年の東北歴史資料館開館記念展の解説を編集した小冊子だ。

以下に同書から何点かを、整理要約して記す。多賀城と古代東北史を簡略に勉強するに好都合なので。

1 多賀城研究略史
 戦国の動乱で多賀国府も姿を消したが、近世には、多賀城碑の存在が紹介されたことに伴い、遺跡として多賀城跡も知られるようになる。佐久間洞巌の論考などがある。
 明治9年の東北巡幸で天皇が立ち寄ったことから、地元有志が政庁正殿跡地を国に寄附。研究面では大槻文彦が、多賀城と多賀国府の変遷を確実に考察した。大正には、国の実地調査を経て外郭線を把握、多賀城跡のほぼ全域を史跡指定にした。昭和に入ると、東北帝大関係者の研究が進められる。
 戦後は1960年に伊東信雄東北大学教授を中心に発掘調査団が組織され、また63年からは多賀城町の買収事業がスタート、さらに66年からは廃寺跡の史跡公園化が行われ、一帯が史跡として面目を一新。69年には県教委に多賀城跡調査研究所が設置される。
 75年刊行の本書に収められた航空写真では、国府多賀城駅はもちろん無く、線路の両脇には城南小学校があるだけ。説明の地図には「県道根白石塩釜線」「旧塩釜街道」などと記されている。ちょっと昔の雰囲気です。なお、改めて旧塩釜街道はこっちなんだな、と気付く。古人は塩釜様に行くのに、案内や今市で休みながら、ここを通ったのだ、と。

2 調査の成果

 多賀城跡政庁は、朝堂院風式建物配置の鎮守府及び国府の政庁跡とみなされ、調査が進むと、更に数棟の堀立柱建物が発見され、何時期かの遺構変遷が予想された。そして研究所の調査により、政庁地区の5期にわたる建物変遷が解明される。
 また城跡の外郭線に土手状の高まりがあるため防御的性格の土塁と考えられたが、調査により、これは古代の宮殿や寺院を囲むものとして用いられた築地の崩壊痕と判明。推定5m前後の高さ、平城京朱雀門跡付近と同程度の堂々とした築地である。

3 多賀城の変遷
(1)第1期 創建年代は不詳。城跡の碑には神亀元年(724年)とあるが碑の真偽が不明(編集長注:その後、奈良時代建立の真碑と確認され、平成10年に国の重要文化財に指定)。続日本紀天平9年(737年)の城に多賀柵の名が見える。全て堀立柱構造。
(2)第2期 奈良時代の中頃には礎石を使用する建物や門に改められた。多賀城碑には天平宝字6年(762年)に修造と記される。この期終末に火災焼失したのは、伊治公呰麻呂の反乱(780年)によると考えられる。
(3)第3期 火災後に復興。同時に兵士の宿舎とみられる竪穴住居群も出現。貞観11年(869年)の陸奥国大地震で被害。
(4)第4期 築地を中心に震災による修復。
(5)第5期 平安時代後半にあたる。竪穴住居が消え、小規模な堀立柱建物が多くなる。源頼朝が1189年に見た多賀国府はこの時期。

4 多賀城の時代背景
 奈良から平安前期は、朝廷が全国の土地人民を一括支配する律令体制の時代。全国には、国・郡・里(のち郷)の3層の行政組織が敷かれた。1里は50戸で有力農民が里長。郡司には在地の豪族(古くは国造だった家柄が多い)。国司は畿内の役人が派遣された。公民には戸籍に基づき条里制の口分田が班給され、租庸調などの税負担と兵役が課せられた。
 帝都平城京や平安京には中央官庁が置かれたのに対して、地方組織には、国に国府庁、郡に郡家が置かれ、特に九州には太宰府が置かれた。国府庁、太宰府、多賀城などの政庁建物配置は規模に差があっても、大体規格が一致している。


 古代の東北地方の太平洋側で、古くは道奥国とも書かれた。東山道の奥にある国の意。以前は在地の豪族(国造)の支配する国があったが、朝廷が支配を広げ、天武朝の初めには陸奥国統治体制の骨格はできあがったようだ。大化の改新を契機に律令国家を整備すると、東北も中央から派遣された国司が統治するようになる。
 当初は最上、置賜の2郡も管轄したが、712年に出羽国を設置すると2郡は同国へ。なお、陸奥国の北方には蝦夷の居住地が広がり、律令政府が服属の策を講じ、次々と律令制に基づく郡を設置していくこととなる。天平期には宮城県北部まで、平安の初めまでには大規模な武力制圧で岩手県南部までを掌握。

(後編に続く)

 ■関連する日記
  ○ 岩切の寺社をめぐる
  ○ 平泉への道 (06年1月11日)
  ○ 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城 (06年1月25日)
  ○ 古代東北の理解 (06年5月31日)





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最終更新日  2006.08.07 00:13:18
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