仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.12.19
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カテゴリ: 東北
明治初年の東北開発というと、安積疎水、野蒜築港、三島道路などが代表と思うが、中でも安積疎水がパイロット的意義を持つと思う。大久保利通はじめ政府が推進したプロジェクトには違いないが、地元の熱意によって推進された事業でもある。

安積平野は水利が悪く水田も少ない上に干害が多かった。猪苗代湖の水を引けば干害が防げると考え、地元有志が湖まで実地に調査した上で、県に建議。県典事であった中条政恒が郡内有志を糾合し、開成社なる結社を興して開墾に着手した。原野に道路を作り、池を掘り水田を開く(桑野村開墾)。この安積開墾は全国の注目を受け、地元はさらに安積疎水開削の猛運動を起こした。

ところで、明治の東北開発は明治9年の天皇巡幸が契機だという。巡幸は賊軍に下った人心の収拾の意味もあろうが、実は東北の産業開発が狙いだったのだ。東北地方の開墾適地を調査していた内務卿大久保利通は、天皇巡幸に先立って訪れた福島で、中条ら地元の熱意と体制整備に感心している。当時は、国内の資源開発と殖産に加えて、西南の役の直後で旧士族の不平と生活苦に対処する必要があり、東北開発が重視された側面もある。大久保の建議書(一般殖産及び華士族授産方法。明治11年3月)の第一等に、適地開墾と華士族の移住奨励が記されている。さらに、同年の大久保の建議書(原野開墾の儀)では、三本木原野(青森県)などをしりぞけて、安積疎水を国策の第一とすべきと明言している。

推進者の大久保は凶刃に倒れるが(明治11年5月)、内務省はファン・ドールンを派遣し調査にあたらせる。伊藤博文や松方正義も大久保の考えを受け継いだ。ドールンは、従来から湖の水利を得た農民(戸の口、布藤、日橋川下流)の権益を害さないで、しかも湖水の自然水位に変更を来さずに、安積方面に導水できるかに苦心し、詳細は設計書を作成。この定水位18.8メートルの計算は、今日でも一点の狂いもないという。

ドールンの設計に更に山田寅吉の検討を経て、疎水工事は明治12年10月に挙行。明治15年10月に大事業が完成し、開成山で通水式が行われた。山潟水門が開かれ、湖水が延々52.5キロの水路を流れて阿武隈川に落下。列席者は、この壮観に涙したという。

小学校か中学校の教科書に、野蒜はなかったが安積疎水は載っていた。明治初年の東北開発の嚆矢であるだけでなく、新政府の目を向けさせ、文字通り故郷を潤した地元の熱意が根底にあったと思う。なるほど教科書にあったわけだ。

もちろん開発の評価についてはさまざまな意見があろう。士族が定着せずに大地主と小作の関係を生んだとか、不効率な土地改良事業を継続する土壌になるとか。

しかし、今日の商業都市郡山を支える1つの基礎が疎水にあることは事実だし、何より、干害を防ぎ安定した収穫を得ようとする地道な発想を実現したことを、そのまま評価すべきだとおもう。失礼な言い方かも知れないが、単純で実利的で、地上の視点で切実で等身大の利益を考えることにこそ、真の開発の視点があるのではないか。

美辞麗句や高邁な理念を掲げて、一方で計画が先なのか予算が先に立っているのか良くわからないような、マクロな計画論が跋扈する今日に、考えさせるものがある。






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最終更新日  2006.12.19 02:07:18
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