仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.12.26
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カテゴリ: 宮城
明治天皇に奉仕した名馬金華山号は、明治2年栗原郡鬼首村(後に玉造郡に編入)軍澤に生まれ、高橋七右衛門と妻みよに育て上げられた。純粋和種、丈は4尺9寸、栗毛。明治3年の馬市で売られ岩ヶ崎馬喰油屋丁吉の手に5両で帰した。

明治9年天皇のご巡幸で水沢に御注ひつ遊ばされた折、警衛の警部の乗りし馬の非凡なるを供奉の馭者矢野宣温が認め、これを購って帰り、名を金華山と改めた。宮内庁調教師目賀田雅周が調養し、明治12年竜御に供することを聖上お許しになる。明治13年7月三重、愛知2県の陸軍大演習に臨せ給いし折りに初めて玉鞍を戴く。

21年には浦和付近の機動演習の天覧に際し、奉供の馬が皆驚き逸する中、ひとり金華山は泰然とこともなげに歩き、真の軍馬と激賞される。

あるとき観兵式で土盛りして一段高くした場所に金華山号を召された天皇がお立ちになった。その台地土盛りが崩れたが、金華山号は片足を浮かしたまま泰然自若とご盛儀を終えたという逸話もある。また聖上が乗御されるときは膝を折ってお乗せしたという。

明治28年6月に老衰して死去。玉鞍を戴いたのは明治13年から26年まで14年間に及ぶ。後藤貞行氏の超克、また五姓田由松氏の油絵が神駿を後世に伝える。木彫が鬼首荒雄川神社境内の主馬(しゅめ)神社にまつられる。

ところで、鬼首には名馬にまつわる伝説も多いようだ。

支倉六右衛門は隠し馬を1頭鬼首に連れてきた。政宗が軍馬の改良に意を注ぎ、支倉の渡欧に際してその意を含めた、というのだ。洋馬を連れて舟で北上川を上り、登米あたりで陸揚げし、栗原から鬼首に入ったという。
鬼首には伊達家の隠し牧(牧場)が2百町歩あったという。

また、宇治川の先陣争いの佐々木四郎高綱の乗馬池月号は玉造池月の産といわれるが、もとは鬼首にいた野生の馬ともされる。





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最終更新日  2007.12.26 21:10:20
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