仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.06.30
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カテゴリ: 東北
岩手日報の記事にあった。
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紫波町大巻の住家の土蔵から、藩制時代に同地区で寺子屋教育を行った芝田甚兵衛(1771-1837)の教本「御領分中村附(ごりょうぶんちゅうむらについて)」が見つかった。

甚兵衛は、盛岡で寺子屋を開く芝田家に生まれ、旧大巻村民の招きで盛岡から移り住み、1794(寛政6)年から43年間、家塾形式の寺子屋教育を行い、近隣7村の子どもらに読み書き、算術、絵画、謡曲を教えた。

発見されたのは、家塾で使われた1821(文政4)年の教本とみられる。盛岡藩の村々の地名が直筆で記されている。教本で漢字や地理を教えたと考えられ、甚兵衛の事績を伝える貴重な資料。
保存されていた当家は甚兵衛の家塾跡地に近い。64ページで、文政4年の年号と、当家の祖先の名がある。187年前の本で表紙は茶色く変色しているが、各ページに手書きした盛岡藩の6郡366ケ村の地名がはっきり分かる。漢字の読み書きや、領内の地理を教えるのに使用したとみられる。芝田家は書の達人として知られ、教本の文字は若干急いで書いた様子もあるが丁寧な筆跡。54歳の甚兵衛が子ども一人一人のために書き与えていたことをうかがわせる。
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寛政6年、大巻村民の強い願いで、盛岡城下の芝田塾から芝田甚兵衛将義を招聘し、家塾芝田塾を開いて、天保8年までの43年間、大巻村はもとより、彦部、佐比内、赤沢、新堀など近隣7か村から子弟が詰めかけ、延べ数千人の教育を行った。その後は、高弟野村芝田長徳が後継し、天保9年から明治5年までの35年間教えた。大巻は、明治5年の学制制定まで、実に教育が切れ目なく続いた地域である。

北上川の左岸で、高速や4号線など普段は通らないから実は私も地理がわからないが、地図を開くと、野村胡堂のあらえびす記念館にも近い辺りだ。脈々と続く庶民教育の歴史。地域の誇りある歴史だと思う。





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最終更新日  2008.07.01 00:17:40
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