仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.07.05
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カテゴリ: 雑感
岩手日報の記事(7月5日)でハッと思い出した。

その記事とは、盛岡のジャズスポット店主の方が、紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館で秋吉敏子の企画展を開く、というもの。思い出したのは、岩手出身で在日について発言を続ける鄭大均さん(首都大学東京)の論考。秋吉敏子について触れていたからだ。

鄭さんの論旨は、帰化論議をタブーとする環境がつくられた経緯を振り返りながら、正面から国籍についての議論をするべきというもの。日本社会として多文化とどう向き合うのか、どう真剣に意識するのか、を踏まえているところが、思索の深さと我が国社会に根ざした視点を感じさせられる。

この論考の中で、日本社会が多文化に向き合っていくのかどうなのか、という問題意識を喚起する中で、ここ50年の我が国社会は「異例の」閉鎖的な同質性社会に浸ってしまっている、と説明されている。
次のような説明がある(原文のママではない)。
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日本には外国に親戚も少なく、移民もイメージできない。これは世界的にも珍しいが、実は日本のこの100年の歴史でも珍しいことなのだ。戦前なら、親戚や友人が外地にいることも珍しくはなかった。敗戦直後は引き揚げ者や復員軍人が大量にいた。戦後でも南米移民があった。
小澤征爾、秋吉敏子、なかにし礼、加藤登紀子、いずれも満州生まれの二世であり、複数の社会の間を対位法的に生きることを運命づけられたディアスポラ文化人と言えるのでないか。今の日本社会では稀少化した人たちだ。
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それで、岩手日報の秋吉敏子の記事で思い出した、と言うわけだ。

鄭さんは決して同質社会を否定するのではなくそれは誇るべき日本の特長だと認めた上で、今後の日本社会を我々がどう考えていくべきか明確な姿勢を論議すべきだ、ということだと思う。鄭さんの文章は何度か読んだが、在日の観点を含めた社会の多様性のあり方について考えさせられる。最近は自治体でも多文化共生をキーワードにするようだが、単に皮相的な交流に付する言葉を時流に合わせて付け替えただけだというなら、止めた方が良い。

共生や連帯という言葉は、皮相的に歓迎されるべき語として役所などでは使われるようだが、例えば民族がせめぎあう世界の各地域を考えれば、安易に共生あるべしと飾り文句で済む話ではなかろう。外国人労働者の受け入れなどが議論の萌芽になるかも知れないが、どうだろうか。

例えばわが仙台・宮城で、どれだけ多文化(他文化)という意識があるのか。そもそも文化に複数形を付する見方の前提には固有の自文化の内容や限界についての自覚があるはずだが、どこまで意識があるのか。我々は、日本人の中に他文化を受容するのかしないのか。国籍問題は象徴的で根本的な問題だ。

日本人は自文化と他との明確な分別ないまま、外国文化の歓迎や交流というレベルだけの彩りを盛り込みながら、これまでの日本社会や文化が成立し継続してきた。多文化との明確な衝突は、それこそ聖徳太子の時代やキリシタンの時代には有ったかも知れないが、戦中戦後にくらべて、今の方がむしろ同質性意識が強くなっているのかも知れない。確かに、鄭さんの言うように。

鄭さんは北上のご出身だと以前に読んだ記憶がある。私の出生地にも遠くないが、全く正直なところ幼少の私は、それこそ均質性の発想以外に何も考えられなかった。生まれた町には、およそ農業地域の兼業農家と街道沿いの商業者しかいないと思っていた。みんな小学校にくれば平等に机をあてがわれるから、所得の差や生活環境の差や、ましてや出自の差など全く意識することもなかった。あえて言えば、みんな貧乏で、テレビに出てくる都会のコンクリート文化は別な世界だ、というぐらいの意識。

しかし、我が家が貧乏は間違いないとして、実はさまざまだったはずだ。深く考えることがなかったが、例えば確かにオジさんがブラジルに移住したというヤツもいたし、親が満州生まれもいたように思う。何より、私の祖父は南洋戦線で軍艦に乗ってきた人間だ。

愚かにも幼少の私は外国と言えば、浮き世と隔絶した欧米系の文化。読み物やTVの影響だけれど、そもそも同質の日本とは別個のものと思っていた。しかし、生活に追われ、生きるために満州やブラジルに関わった人、戦争でアジアに赴いた人、間違いなく多かったのだ。

多文化(他文化)と我が国、多文化と東北。superficial な交流はそれとして、我が地域の歴史に根ざした他文化関係論を深く考えたい、と20代の私もちょっと考えたことがある。アジアからの留学生たちと勉強していたころだ。やっぱりそうした環境のせいか、考えさせられたのだろう。

自分たちと他との関わり、あるいは自分たちに他を含めるのか、自分たちも他だったのか。要するに私たちとは何か。この地域とは何なのだろうか。考え続けたい。

■関連する過去の記事(あらえびす記念館)
盛岡藩の教育者 芝田甚兵衛 (08年06月30日)





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最終更新日  2008.07.05 19:10:55
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