いま私は「今回の道州制論議」と限定修飾した。つまり、道州制とは何か史的唯物論的に到達すべき理想目標として推進するものではない。道州制の姿かたちも、それを必要とする事情も、古今東西様々なはずである。だから、道州制とは何か式の決めつけ的定義から出発するのではなく、むしろ現在の日本は地域も産業も外交も財政もおかしくなっている、これをただすための方策として、極論すれば道具として道州制を必要とする、という議論の方式があるべきだ。道州制の内容も様々であり得る。必要な改革を推し進めると、その姿に a kind of 道州制 が浮かび上がるのだ。