仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.07.08
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カテゴリ: 宮城
大槻先生がなぜ火の玉の解明に精力を注ぎ、また超能力やオカルトなどの非科学を厳しく糾弾するのか。先生の考え方がわかって、大変面白かった。

大槻義彦『大槻教授の最終抗議』集英社、2008年(集英社新書0467B)

第1章に、大槻先生の幼少の頃について説明されている。小学校5年の9月の夜、母屋から離れた風呂に入っていて、庭の柿の大木の根本から浮かんできた火の玉(ひかりもの)を見た。火の玉は大槻少年めがけて近づいてきて、少年は思わず五右衛門風呂に潜り込んだ。

先生の生まれた角田市などでは、ひかりもの(火の玉)が出ると近所で人が死ぬなどの言い伝えがあったが、大槻少年はこの体験を学校の先生に話し、やがて科学を志し、不思議な火の玉の正体を自分が解明しようと、物理学を専攻することとなる。

また、先生の生まれた家は地元の庄屋を務めた家柄で、先祖は栃木県の古峯神社で修行をした祈祷師として地域の相談を受けていたという。先生が幼少の頃には、毎年夏に福島県から「浜のゴゼさん」がやって来て家に10日ほど逗留し、村人に様々なお告げを行う。米作りに影響を与える天候など、深刻な問題について御託宣を聞いた。全盲の女性が山道を通って歩いてくること、また地域の人たちが頼っていたことなど、ただならぬ不思議な「超能力者」に、畏敬の念をいだいていたそうだ。

さらに、尊敬していた父が中国で終戦の翌年に亡くなったのだが、大槻少年は「虫の知らせ」を体験する。後に知らされた死亡日に、少年は丸森町の父の実家を訪れ、父の持ち物をいつくも発見していた、というものだ。後に、偶然の重なりに際して心から生み出されたものに過ぎない、と解明しているが、実は助教授になる頃まで、この件だけは霊的なものと結びつけて考える傾向にあったというのだ。

角田市の小田で、若き日の大槻先生が科学と非科学の間に苦悶していた。





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最終更新日  2009.07.08 18:05:52
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