仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.10.20
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カテゴリ: 仙台
昨日の記事で昭和25年の宮城球場の事故を記したが( 宮城球場の始まりと悲劇 )、考えてみたら当時の原町はまだ進駐軍が闊歩していた頃だろう。当時の雰囲気を考えてみた。

現在育英学園がある辺りから現在の東華中学校辺りまでは、戦時中までは広大な練兵場だったが、誰でも自由に通行ができた。苦竹には造兵廠があったが、戦後は進駐軍が入る。昭和25年6月の朝鮮動乱で大部分が移動し、その後に警察予備隊が入る。なお、市電の原町線が昭和23年に開通。

高砂敏夫『ふるさと仙台・原町』宝文堂、1990年を読んで記した。著者の高砂さんは、昭和4年に原町に生まれ、地元で進駐軍の通訳の仕事をされたそうだ。当時の事情が詳しく記されていて、大変興味深い。





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最終更新日  2009.10.20 01:52:08コメント(0) | コメントを書く
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