仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.04.11
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カテゴリ: 宮城


面白いと思ったのは、遊具それぞれに、富谷の地名をもじった名前が付いており、看板には地名の由来などが記されていることです。

例えば、画像の遊具は、「明石の朝日のぼり」という名だそうですが、お日様が力強く昇ってくるように、元気に登らなければ成りません。結構難しかったです。娘は軽々と2度もやって見せていましたが。

合計20個弱の遊具が配備されていますが、残念なのは、丸太につかまってケーブルをスライドして移動するものや、網の中をくぐって行くものなど、数点は使用禁止になっていることです。

さて、看板に書いてあった地名の由来について、いくつか以下に転記しておきます。

明石(台)
 昔、この地方には里神の明石神社の床石の神に、開運を祈るため、人々が登った台地がありました。この伝説にちなんで新たに明石台という名前がつけられました。

明石
 平安時代、坂上田村麿(ママ)の子どもが、七北田の洞雲寺に勉学に通う途中、いつも岩下明神の石の上で夜が明けたことから、夜の明ける石と呼ばれ、それが明石になったと伝えられています。

西成田
 西成田は昔、成田という地名でした。天正年間(1951)まで熊野城主成田源兵衛の居城があったことから、成田という地名が生まれたといわれています。この地方の人は「なんだ」と発音しています。黒川郡内には成田という地名が2ケ所あってまぎわらしいので、明治3年以降は、それぞれ西と東をつけて区別しました。

大童
 黒川安芸守の家臣、大童豊後は天正年間(1753)以前、この地に住んでいたと伝えられています。明治維新後、村社八幡神社の別当をつとめた大童氏の祖先もこの地に住んでいました。大童の地名は、この二人のいずれかにあやかったものと言われています。

一ノ関、二ノ関、三ノ関


富谷
 昔、富谷に「おまさ」という村一番の美人がいました。紫太夫という美男に化けた大蛇が、娘を見染めて毎夜くどきました。密かに男の正体を知った娘は、中国から渡ってきた「こうのとり」の卵をとってくれば従うと約束しました。しかし、大蛇は「こうのとり」の親鳥に反撃され死んでしまったのです。里人はこれをあわれんで死体を十の数に分けてまつったことから、この地を十宮(トミヤ)と呼び、後に富谷と書かれるようになったということです。

あけの平
 あけの平団地は、平沢及び明坂という地名から文字(もじ)ったもので、新しく移り住む人々が互いに手をたずさえて明るく生きることと、運が開ける(開運)の願いを込めて新たにつけられたまちの名前です。団地内にある「あけの平近隣公園」はいこいの場です。そこからは団地の全景が一望できます。





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最終更新日  2010.04.11 16:54:33 コメントを書く


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