仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.04.24
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カテゴリ: 雑感
新聞の訃報で横山勝也さんの名前を見た。反射的に連想するのは、鶴田錦史、武満徹の名だ。

大学生の時分にノヴェンバー・ステップスをFM放送からカセットテープに録音した記憶がある。念のため昔のリストを開いてみたら、岩城宏之のN響で1984年の演奏だ。

武満徹の代表作で、また、鶴田の琵琶と横山の尺八という不動のコンビによる国内外の演奏実績を踏まえて現代日本音楽の名品と位置づけられていると思われるのが、この「ノヴェンバー・ステップス」で、1967年の作品だ。

今日の午前中、このテープを再生してみた。保存状態が悪くなかったようで、ちゃんと聴けた。

私はノヴェンバー・ステップスを聴いたのは、この1984年のエア・チェックの時が初めてだったと思う。だが、作品名や武満徹のことは、高校時代からある独特のイメージを伴って知っていた。もう30年も前の頃だ。

たぶん武満には、音楽ではなく文章で最初は接したと思う。試験の題材だったのかも知れない。そして、偉い音楽家でノヴェンバー・ステップスという代表作がある、というのを、知識として知ることになった。ところで、はじめは、全く根拠のないイメージとして、中央アジアあたりの乾いた青空の下、晩秋の草原が広がり、蒼白でうら淋しいのではあるが、何となく伸びやかで未来を予感させるような、そんな風景を勝手に頭に描いていた。11月の草原(steppe)だと思ったのだ。

その後、標題音楽ではなく琵琶と尺八を用いた現代曲だと、これも知識として知ったが、実際に曲を聴いたときには、実はとりたてて感想は持たなかった。

午前に聴いた約20分の間、私は大きな驚きに包まれてしまった。異様なまでに立体的で、幽玄で、尺八の調べと琵琶の響きが、何物かを変転させながらスーッと消える。我々が住むユークリッド空間は3次元だが、これに、時代、色彩、無と有、さまざまな次元の軸が響き合ってくるような、いや、的確な言葉を探せないが、とにかくこんな音楽だったのか、と。

考えてみれば、現代曲に限らず、音楽を主体的に集中して聴く、ということ自体が、実は久しぶりなのだ。ポップスやTV主題歌は、どんな相手にも同一のデジタル情報で勝手に頭に入ってくるものであって、音楽鑑賞とは原理的に違う営みだ。音楽鑑賞は、鑑賞する主体の存在が重要だ。主体が異なれば聴き方も違う。同じ主体でも時代が変われば、変わるのだろう。主体が、何かを探して見つけようとして聴く。決してデジタル情報ではない。だから演奏者の違いも重要で意義を有する。






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最終更新日  2010.04.24 14:13:39
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