仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.10.19
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カテゴリ: 東北
佐久間庸軒は、文政2年(1819)田村郡石森町(田村市船引町石森)に生まれ、幼少の頃から非凡な才能を示した。天保7年(1836)、18際で二本松藩の最上(さいじょう)流和算家渡辺治右衛門に入門。師が死亡後は和算研鑽の旅を続け、嘉永7年(1854)に研究成果を「当用算法」に著した。これにより最上流に佐久間派を築く基となる。

後に三春藩明徳堂(藩校)教授、新政府の絵図編纂御用も勤めるが、和算を教えて多くの人に広めようと故郷石森に戻り、庸軒塾を開く。門人は、農民を中心にその数2000とも言われる。県外にも及び寄宿施設も備えた。

明治2年(1869)78歳で死去。石森には生家とともに庸軒の書斎が残り、和算研究の貴重な資料となっている。

■参考 福島県高等学校地理歴史・公民科(社会科)研究会編『福島県の歴史散歩』山川出版社、2007年

先日、遊歴和算家山口和の東北紀行を記事にした。山口は関流の大家だが、参考にした佐藤健一氏の『日本人と数 和算を教え歩いた男』(東洋書店、2000年)には、福島に記録が残る有名な和算家として佐久間纉(1819-1896)の名が、序文に出ていた。庸軒と同一人物だろう。上掲の山川出版の本は1869年死去としているが、生年が正しいならば78歳にならないのだから説明が矛盾している。78歳なら没年は1896年が正しいのでないか。そうすれば、佐藤氏の序文とも符合する。

佐藤氏の著作に主な和算家の系譜(師弟図)があるが、会田安明(1747-1817)の作った最上流の図には、会田安明の下に渡辺一、その下に佐久間纉の名がある。会田安明の下に、渡辺一の兄弟弟子の位置には佐久間質の名もある。佐久間纉(庸軒)の父だろうか。幼い庸軒の才能を見込んで、二本松の渡辺一(治右衛門)に預けたという関係なのかも知れない。

一関市博物館サイトの 説明 に、一関で和算を広めた千葉胤秀と佐久間纉(つづき)(庸軒)を、優れた教育者として並び称している。また、現在残っている算額の数も、福島と岩手の両県が第1位と第2位だという。

■福島県教育委員会の 説明


和算家山口和の東北遊歴(下) (10年10月16日)
和算家山口和の東北遊歴(中) (10年10月16日)
和算家山口和の東北遊歴(上) (10年10月16日)





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最終更新日  2010.10.20 00:00:51
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