仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.06.18
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カテゴリ: 東北
立松和平さんの文章に出ていた。会津の殿様がかつて参勤交代に使ったのが、会津中街道だ。

会津東街道は二本松で奥州街道から分かれる。しかし大回りだ。かつて最も頻繁に使われたのは会津西街道だが、大規模な崖崩れがあり鬼怒川がせき止められて湖になり、街道は水没してしまった。

そこで、別の街道の必要に迫られ、最短距離の会津中街道がつくられた。鬼怒川の岸辺にある氏家宿から、奥州街道より分かれてはじまり、那須の険しい山中を通る。あまりに険しいルートなので、参勤交代に数度使ったが結局は廃道になった。

立松さんは、会津中街道をたどってみた。那須山麓の百村という村のとうもろこし畑に、一里塚がはっきりと残っている。中街道を歩こうとした日は、大型台風に襲われ、林道は川になったかと思われるほどだった。四輪駆動車はどうにか走れ、三斗小屋宿までは入ることが出来た。

かつて三斗小屋宿は白湯山進行で栄えたところだ。出羽修験の聖地湯殿山の御神体は温泉が湧出する岩だが、出羽三山を模して、那須の山に白湯山信仰の修験の道場がつくられた。昔は三斗小屋宿から石の鳥居をくぐり白湯山参りをしたのだが、崖崩れで道筋が変わった。参道は笹藪の下にあり、とても歩けるものではない。いつしか、白湯山信仰はおとろえてしまったのである。

会津中街道は、この白湯山参りの修験の道の上につくられた。三斗小屋宿から分水嶺の大峠に至る道は、信仰とは関係なく会津中街道として通ったのである。

立松さんは、那珂川源流の石碑がある川を渡り、1時間20分の山歩きで、三斗小屋温泉大黒屋を訪れている。
(立松和平『北日本を歩く』(立松和平 日本を歩く 第1巻)(勉誠出版、2006年)から「会津中街道」。初出はR&R1996年11月とのこと。)

さて、地図を広げてみた。氏家から那須山麓に向かい、百村という地名は那須塩原市域の山麓部に見える。百村山なる山もある。そして、三斗小屋は那須岳(茶臼岳)の西側、分水嶺の難所だったとされる大峠は、福島県との県境で、那須の最高峰三本槍岳(1916.9m)のやや西に位置している。



手許の地図帳では、会津側の道すじはそれなりに想像できるが、栃木県側は林道の筋がバラバラと記されているだけで、ほとんどわからない。何せ、立松さんが1時間以上歩いて温泉にたどり着くようなところだ。





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最終更新日  2011.06.18 11:16:51
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