仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.10.20
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カテゴリ: 仙台
青葉区の高松の名は、向小田原の高台に萬寿山がありその前に松の大木があったので、附近を高松と呼んだ。明治以後萬寿寺は荒廃し、大正末年には伽藍の跡は草地になったという。寺から東500mから登ったところに伊達家側室たちの墓所祥麟山がある。この墓所の前に寛政4年建立の庚申塔があり、その前方は庚申前といった。

萬寿寺は、四代綱村が元禄9年、月畊道稔を開祖に建てた黄檗宗の寺。新しい寺を建てることは幕府から禁じられていたので、加美郡黒沢の廃寺安養寺を仙台に移して改名する形をとった。明治以後壊廃したが、平成3年本堂を新築し、ついで立派な山門も建てられた。

この萬寿寺から100m南下して西に曲がり、150m進んで北上すると50mほどで、常盤台霊園に出る。終戦まで陸軍墓地と呼ばれ、戦没した将兵を祀るためもと向山鹿落に設けられていたものが、明治25年改葬移転された。以後は合葬碑となり、日清日露449柱、満州事変1137柱、太平洋戦争13744柱が合祀。

高松の西、東照宮の北一帯の地名は住居表示で小松島とした。昭和50年までは、原町小田原字南光沢、字井戸沢と呼ばれていた。小松島公園にある小松島沼は昔、海老沼、海老堤といわれ、かつては灌漑用水として用いられた。この沼の島に松のある風景から、小松島と名付けられたという。沼の西にある東北高校と東北薬科大学は南光沢に建てられたので南光学園と言われ、小松島の北部に隣接する団地も南光沢にちなんで、南光台と名付けられた。

薬科大学の南に天満宮の小社。もとは長命荘といわれた住宅地の中に鎮座する。文永元年に天神社が創建され、慶長16年に現在の東照宮に移転、寛文7年には東照宮創建のため再び榴ヶ岡に移転した。従って、現在小松島三丁目のこの地は、元天神と呼ばれていた。

■木村孝文『青葉の散歩手帳』宝文堂、2002年 から

ところで、仙台で高校生時代を過ごしていない私は、友人たちが東北高校のことをナンコウと呼ぶのが不思議だった。彼らも言っていながらよく理由はわからないようで、あるとき、その人は南光台のそばだからナンコウなのスか、と漏らしていた。南光台のナンコウでもルーツは同じということになるが、南光学園に由来するのが正しい理由だろう。東北中学校が昭和4年にこの地に移転し、翌5年に設置者を財団法人南光学園と改称(昭和26年学校法人に)。帽章に南光の文字があったことから(昭和37年に東北に改める)、ナンコウで定着したのではないかと思われる。

■関連する過去の記事
南光台と南光学園(東北高校)を考える





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最終更新日  2011.10.21 06:13:14
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