仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.03.24
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カテゴリ: 仙台
学制頒布前に仙台に小学校が設立されていたことはあまり知られていない。東京では明治3年6月に小学校を6校設立、また京都では既に明治2年までに64校が設立されている。こうした小学校教育の機運の高まりを受けて、仙台に設立された、共立社小学校または共立小学校と呼ばれたものがそれである。

明治5年2月、西郡貫一郎なる人物が建言し、仙台の5区にそれぞれ小学校を設け8歳か15歳までの小児に読、書、算を授けること、仙台5区の1万戸から戸毎に月銀6分ずつ拠出して小学校運営にあてることを説いた。宮城県は建言を受け入れ、横尾東作(英学)と太田有孚(漢学)に意見を求めるなど事業を推進することとなり、まずは治下(旧仙台城下)5区に5か所の学校を「会社ノ法」により開設する通達を出した。

6月には仙台の地区割りが7区になったことに合わせ7校の予定となり、7月20日には開校日が公表された。6区(河原町から南鍛冶町、田町、北目町、南町まで街道沿いの町人町の細長い区域)の小学校は南鍛冶町泰心院、7区(大町、肴町、国分町、二日町など)は南町星久四郎宅で、来月2日開校と定められた。

教育課程は日常生活の必要事項から文明開化の新知識導入まで意欲的なものだった。ところでこの小学校の教科課程は、東京の6小学校の教則と近似しむしろ高級でさえある。岡千仭らを通して岡徳助が東京の教則を手に入れたのか。

8月2日を期して2つの小学校を発足。しかし、各戸からの集金が予定通りには進まず、教師の月給も払えない。9月には戸長らが連名で悲鳴を上げ、いったん学校を廃止するよう申し出るなど、早々に立ち往生の事態となった。

折から8月に学制が頒布され、全国一斉の学校設立となり、この記念すべき共立社小学校は廃止の運命となった。10月5日の県文書では、学制改革ニ付キ小六、七区小学校廃止とあり、各校教師に免職令が出されている。

■宇野量介『明治初年の宮城教育』1973年、宝文堂 から





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最終更新日  2012.03.25 08:01:54
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