仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.07.26
XML
カテゴリ: 仙台
明治14年(1881)2月10日の朝野新聞に記事が掲載された。

「宮城県士族非職陸軍少佐木村信卿氏が陸軍裁判所に拘留された。フランスの地図へ漢字の地名を訳しあてるため、支那公使館の黄遵憲と交わりを結んだ。また黄氏は「日本国誌」を帰国後に発刊するため、その巻頭にぜひ日本全図を挿入したく、この作成を信卿に依頼した。このことを聞き込んだその筋の人々は、秘密な図など洩らしはせぬかとの疑いによって信卿を逮捕した。しかし世間普通の地図によってつくったので、重い罪にはなるまいとのことであった。」

このように好意的に報道しているが、しかし朝野新聞の予測はあたらなかった。同年5月3日、信卿非職前の部下であった軍参謀本部地図課八等出仕川上冬崖は、強力な政府の権力に抗しきれず熱海で自殺。つづいて18日、同じく地図課十一等出仕渋江信夫(横山大観の叔父)は獄中で首をくくった。8月31日、陸軍裁判長堀尾晴義によって、木村信卿閉門半年後停官の判決があった。

木村信卿は、現在の国土地理院の基礎をつくりあげた仙台藩異色の人物である。当時、薩長士族の闊歩する参謀局の中で、歩兵少佐として第五課(地図、地誌の編纂)の課長として、豊かな学識を背景に敏腕をふるった。おなじ参謀局の第一課に長州出身の諜報堤理桂太郎がいたことは、この事件の結末を暗示していた。

桂はフランス学を基盤とする知識文化人グループに対抗するため、身銭を切ってドイツに留学、帰国後、反山県(桂)体制の粛正をした。

明治以前にも仙台藩は地図編纂では多くの受難者を出している。「海国兵談」の林子平、シーボルト事件と蕃社の獄の高野長英など。この黄遵憲事件も、シーボルト事件の明治版といえよう。また、この事件がしばらく避けられたとしても、急激にタカ派が主導権を握っていく明治10年代後半の政府路線の中で、ハト派の知識人グループは結局野に下るほかなかったであろう。

■佐々久『郷土史事典 宮城県』(昌平社出版、1977年)から
「タカ派に参謀本部を追われた木村信卿」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.07.26 20:06:31
コメントを書く
[仙台] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re[1]:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 荒巻昭和人さんへ コメントありがとうご…
荒巻昭和人@ Re:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 団地名なつかしいですね。広告に使われて…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: