仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.03.10
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カテゴリ: 東北
旧陸羽街道である国道4号は三戸から内陸部を五戸、十和田市、七戸を経て北上する。日本鉄道として開業した東北本線は三戸から太平洋に近い八戸、三沢を経由して野辺地、青森に至る。衰退した旧街道沿いの宿場町の首長らが中心となって1953年に南部縦貫鉄道が設立され、沿線町村が出資する第三セクターが誕生した。千曳-三本木町間の事業免許を受けている。

第1期線千曳(後の西千曳)-七戸間工事は資本不足から途中2度も中断。この頃政府出資の東北開発が砂鉄を原料として下北半島で製鉄を行う計画であったことから、東北開発の出資が実現し工事が再開された。

千曳-七戸間の開業は1962年10月。1067mm内燃。既に国道4号は十和田市-七戸-青森間のバスが走っていて、開業時の旅客車両はレールバスだけで旅客は当てにしていなかったことがわかる。逆に貨物用としては45t機関車を新造するなど砂鉄輸送への期待がうかがい知れる。

1965年4月に政府は、むつ製鉄の企業化を断念し会社解散。年間10万t以上をもくろんだ砂鉄輸送計画が挫折した。翌年5月には南部縦貫鉄道が倒産し、更生会社となる。68年5月の十勝沖地震では32か所が寸断されたが、同じ頃東北本線の複線化工事に伴って千曳駅が移転となったことから東北本線の旧線を借り受けて、地震から3ヶ月後の8月、野辺地-七戸間が復旧開業した。

1984年2月には運輸収入の6割を締めていた貨物営業が廃止に追いやられた後も細々と営業が続いた。84年3月に更生計画終了、87年には七戸-三本木町間の免許が失効する。

鉄道は開業以来赤字だったが、会社は学校給食の調理、運搬、ゴミ収集など行政サービスの肩代わりを行いこの部門の黒字で赤字を補填していた。鉄道休止の引き金は、野辺地-西千曳間の用地買い取り問題。1996年(平成8)国鉄清算事業団は3千万円での買取を会社に要求、施設の老朽化もあって会社はこの時点で廃止の方針を固めた。

七戸駅が市街地から離れて位置していたこと、開業以前から国道4号にバスが頻発していたことなどから、利用客は驚くほど少なかった。沿線住民にも一度も利用したことがないという人が多かった。貨物廃止後はレールバス1台が一日5往復。年間運輸収入1千万円程度で存続しているほうが不思議で、90年に天間林村の通学輸送がスクールバスに変わると一日平均利用客は100人を割り、多くの列車が乗客ゼロだった。

新幹線の青森延長時には営農大学校前駅の北1km地点に七戸駅が設けられることが公表されていて、当時は連絡鉄道として期待されていたことから、廃止申請は休止申請に変わった。1997年(平成9)5月5日限りで全線営業休止。休止期限はその後も1年づつ延長された。

野辺地-西千曳間用地は1999年に5百万円で取得したが、新幹線が開業したとしても施設更新の目処が立たないことから2002年(平成14)8月1日に廃止に至る。


野辺地(東北本線野辺地駅併設)-西千曳-後平-坪-坪川-道ノ上-天間林-中野-営農大学校前-盛田牧場前-七戸

■参考文献:寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編 この50年間に廃止された全私鉄の現役時代と廃線跡を訪ねて』JTBパブリッシング(キャンブックス) 2007年

■関連する過去の記事(南部縦貫鉄道)
悲運の南部縦貫鉄道 (2011年12月5日)
鉄道めぐりツアーと七戸のレールバス (2010年3月29日)
南部縦貫鉄道 (09年3月21日)





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最終更新日  2013.03.10 14:56:53
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