仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.04.06
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カテゴリ: 仙台
伊達氏の先祖は常陸の伊佐庄中村とされる。ただし、伊佐は伊佐城跡のある茨城県下館市中館に比定されるが、中村は北に8キロほどの栃木県真岡市中(旧芳賀郡中村)を中心とする地域である。伊達氏の先祖はこの常陸国と下野国の両地域を領有していた。

旧芳賀郡の中村の庄は12の郷からなり、明治以降も芳賀郡内の自治体として中村が存続した。保元元年(1165)に中村朝宗が築いたと郷土史は伝える。中村の庄の総鎮守中村八幡宮のすぐ東南の位置にある。もともとこの地方は下野守源義朝の管轄だったが、保元・平治の乱により高松院蔵人朝宗が中村に下向して、八幡宮社壇の巽に保塁を構え、中村の荘を管領して中村太郎藤原朝宗と称した。その男(子)が、下野国中村荘と常陸国伊佐荘を管領し、常陸介に任ぜられ、中村常陸介宗村と称し、剃髪して中村常陸入道念西と号したと伝えられている。この念西が、頼朝の妾の父であり、また伊達氏の先祖である。
(念西が伊達氏の始祖であるが、この念西の実名が朝宗なのか宗村なのか、或いは2人は同一人物なのか、など諸説がある。中村では、朝宗が保塁を築き、宗村が伊達郡に行ったので、宗村が始祖としているという。)

中村宗村はよく牧民治水に精通し、勝瓜口用水の始祖を築くなど水利を開拓したという。現在の中村城はほとんどが真言宗遍照寺の領域になっている。

中村(真岡市)と伊達氏のつながりはきわめて深く、中村八幡宮にある品々は伊達氏とのつながりを示し、また文書にも記されている。それにもかかわらず多くの人に知られていないのは、伊達家において先祖崇拝の儒教精神が強くて藩主の絶対化をしようとしたこと、また、中村が歴史的に常州下館藩領となった経緯などから常州中村(明治期に中村も実在)と混同されてしまったこと、によるのだろう。

■土生慶子『伊達氏の源流の地』宝文堂、1994年 から

中村では伊達氏のための祈願や法華三昧が継続されてきた。土生氏の現地訪問を機に、仙台藩志会がこのことを知り、真岡市では市を上げて歓迎をすることとなり下館市とともに明治以来の交流が実現したという。





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最終更新日  2013.04.06 22:39:48
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