仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.07.25
XML
カテゴリ: 東北
〔前回から続く〕
■前回の記事
津刈蝦夷と古代の津軽を考える(その1) (2013年7月20日)

宮崎道生『青森県の歴史』山川出版社、1987年(2版12刷)による。


「日本書紀」斉明天皇5年(659)の記事に、遣唐使が道奥の蝦夷男女2人を唐の皇帝に紹介したことが記されており、その注に引用されている「伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)書」に唐の皇帝との問答を記録している。この記録はそのままには信じがたいが、この問答によると、蝦夷は国の東北におり、五穀がなくて肉を食べて生活しており、昼舎はなく深山の木の下に住んでいることになっている。

そして蝦夷には三種類あり、いちばん遠いのを「都加留」といい、次が麁蝦夷(あらえびす)、いちばん近いのを熟蝦夷(にぎえびす)と呼ぶが、この二人は熟蝦夷であると答えている。前項で述べたとおり〔おだずま注:前回の記事を参照〕、「日本書紀」には「都加留」「津刈」「東日流」「津軽」などの文字が使用されているが、津軽は右の問答から見ても国の中央から遠く離れた地域の意味と考えられ、「道奥」すなわち「国の果て」「政治の外」ないしは「国の後方」の僻遠の地が青森県だった。

津軽の蝦夷が具体的に文献に見えるのは、斉明天皇元年(655)に難波宮で「柵養(きこう)の蝦夷九人、津刈蝦夷六人に冠各二階を授く」(「日本書紀」)とあるのが最初である。もっともこれ以前に武内宿祢の東夷の状況報告や、日本武尊の東国・陸奥遠征、田道将軍の蝦夷征伐などの伝説があり、また「宋書倭国伝」の有名な倭王武(雄略天皇)の上表文の「視禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑をつらぬきて...東は毛人を征すること五十五国...」とある「毛人」が蝦夷のことを指すと考えられているが、5世紀になると蝦夷が大和朝廷と接触はしたであろうが、東北北部までは朝廷の勢力が及んでいないから津軽蝦夷はこれにふくまれていない。

津軽地方にも田道将軍の伝説があり、田道将軍が蝦夷の謀略にあって戦死したのが猿賀神社(南津軽郡尾上町)付近とされているなどはもちろん後世の仮託にすぎまい。7世紀にはいると、舒明天皇9年(637)に上毛野君形名の蝦夷征伐もあるが、これは関東地方のことであり、大化改新直前の時期は「日本書紀」に蝦夷に関する記事も多いが、津軽の蝦夷とは関係がないであろう。



翌5年の条にも同様に180艘を率いた比羅夫が、飽田、渟代、胆振さえ〔金偏に且〕蝦夷とともに、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人を集めて供応して禄をあたえ、後方羊蹄(しりべし)を政所として郡領を置いて帰ったという記事があり、さらに翌6年にも比羅夫が200艘で粛慎を討ったという(粛慎(みしはせ)とは沿海州のツングース族との説もあるが、蝦夷の一部であろう)。

この3か年にわたる遠征は7か所にわたって「日本書紀」に記されているが、重複して記載されていると考えられるところから、遠征の回数についてもさまざまな解釈が行われている。これは、比羅夫遠征記事が二種類の史料から成り立ち、1つが阿倍氏の伝承的記録であり、他の1つが政府の記録で、「斉明紀」の記事がそれらを寄せ集めて配列したことに起因するという(高橋富雄「蝦夷」)。

それはともかく、日本海沿岸の津軽蝦夷の一部も朝廷に服従したことになるが、越国守としても阿倍氏が、その辺境経営の一端としておこなったのがこの蝦夷征討であったろうから、「郡司」「郡領」ないしは「大領」「小領」などに任命したというのも、酋長、族長としての待遇をして友好的朝貢関係をしいたという程度に過ぎず、律令的郡制による任官でないことはもちろんである。

渡島(男鹿半島・津軽半島説と、北海道南部説がある)の蝦夷を大いに供応したという「有間浜」については、青森県にも西津軽郡深浦の吾妻浜、北津軽郡市浦村岩木川河口の十三(じゅうさん)付近、北津軽郡小泊付近、さらには善知鳥(うとう、青森の旧名)付近など諸所に比定する説がある。日本海岸のどこかであろうが、その後の柵などの拠点設置場所が、奥地との関係で大河の河口付近であることや、日本海の潮流の関係などを考えると、深浦よりはむしろ十三付近と考えるのが妥当のようである。

「後方羊蹄」についても同様に、北海道後志地方のほかに青森県下にも深浦付近、十三付近、後潟(青森市)の摺鉢山などの比定説があるが、有間の浜の付近だったとするほかはない。

〔続く〕

■関連する過去の記事
十三湊遺跡 (2013年7月16日)
十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源 (2013年7月14日)
十三湊を訪れる (2013年6月6日)
白八幡宮(鰺ヶ沢町) (2013年5月27日)(阿倍比羅夫の遠征)
田村三代記(田村語り) (2011年8月28日)
多賀城碑、壺の碑、日本中央碑について (2010年11月1日)
津軽安藤氏と北方世界 (10年5月18日)
青森県東部の地理概説(三八、上十三などの意味) (09年8月1日)
日の本(ひのもと)将軍の安藤氏 (09年1月25日)
津軽の由来(再) (07年12月12日)
「むつ」の語源 (07年8月27日)
津軽の名の意味 (07年4月6日)(高橋富雄氏の見解)
青森県民の気質 (06年11月7日)(宮崎道生氏の見解)
津軽とジャパン (06年8月28日)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013.07.25 20:31:38
コメント(0) | コメントを書く
[東北] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re[1]:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 荒巻昭和人さんへ コメントありがとうご…
荒巻昭和人@ Re:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 団地名なつかしいですね。広告に使われて…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: