仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.02.04
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カテゴリ: 雑感
朝のNHKニュースで、市民10万人が犠牲になったとされるマニラ市街戦から70年が経ち、体験者が語るなどの催しがマニラ市内で開催されたという報道があった。

10万という数字にも異論があるだろうし、これだけの一般人が犠牲になった原因や背景をどう考えるかについては、さまざまな見方があるだろう。今朝の報道は、連合国側と日本のいずれにも責任を負わせるような言い方はしていないようだったが、大事なことは市街戦で多数の市民が亡くなり、都市が壊滅した事実の存在と、それを伝えていくことの重要さだろう。

ところで、本題をほとんど逸れるのだが、このニュースでは、「旧日本軍とアメリカ軍が」市街戦を演じたなどと説明していた。なぜ、日本だけは「旧日本軍」というのか。確かに、「旧日本軍」という言葉は一般に定着している気はするのだが、字幕にまで出たのを改めてみると、なぜアメリカはそのままで日本は「旧」なのか、と思ったのだ。

おそらく、日本には現在は軍隊はないという前提で、あるいは、日本の陸軍と海軍は終戦をもって組織がなくなったのだから、過去の存在であることから「旧」としているのだと一応は考えられる。

しかし、過去の存在に何も「旧」を付していない事例だって多いだろう。たとえば、
「昭和60年にA氏は大蔵省に採用された。」
「昭和60年に泉市内であった殺人事件を今思い出す。」
などの文章を考えよう。

その組織名や地名が現在は存在しないことを敢えてハッキリさせたいのならば、たぶん、「当時の大蔵省に入り」や「当時の泉市内であった」とするか、「大蔵省(現財務省)」「泉市(現仙台市泉区)内で」「仙台市泉区(当時は泉市)内で」などとやるのが通常ではないだろうか。



とすると、「70年前に旧日本軍とアメリカ軍が戦った」と表現する場合には、現在から見て「今はない昔の組織であるところの旧日本軍」という意図を込めて表現しているということになるのだろう。

ここには、戦前と戦後の断絶をことさら意識し、また戦争や戦力を忌避してきた戦後の国民感情を背景に、「あの時代のもの」という戻ることのない過去に押し込められたイメージをまといながら、単語として独り立ちした「旧日本軍」の存在がうかがえると思う。

たんに言葉の感覚の問題として。





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最終更新日  2015.02.04 21:40:13
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