仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.03.03
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カテゴリ: 宮城
蔵王山の噴火対策が話題になっている。蔵王町では今年のイベントを中止するなどの対応。自然災害の脅威はいまさら言うまでもないが、現代に生きる我々は、科学の粋と知恵を集めて、客観的に災害を知り、無用の混乱を招くことなく正しくこれを恐れて適切に備えていくことが大切だろう。

ところで、近世最大の爆発であった元和9年(1623)4月16日の噴火は、刈田、柴田2郡に砂石を降らせ、噴火は夜間仙台からも望見されたという。翌寛永元年に至るもやまず、政宗公は明の帰化人王翼に鎮火祈願を命じる。

政宗公の七男、村田城主3万石の伊達宗高は、進んで父公に代わり寛永元年10月5日、王翼を従えて鳴動の中激しい寒風をついて刈田山頂に達し、生命を山に捧げることを誓って鎮火を祈願。この命願により、以後鳴動はやんだという。

2年後の寛永3年5月、政宗公は上洛、世子忠宗らとともに従っていた宗高は、7月には二条城で従五位下右衛門大夫に叙任の沙汰を拝する。しかし、8月17日に天然痘で死去。20歳。政宗公が従三位権中納言に、兄忠宗が従四位右近衛権少将、とそれぞれ叙任される晴れの参内が迫っていたため、父にも兄にも会えない臨終だった。9月6日に遺体は村田の竜島院に入ったが、9日の重陽の節供で儀式に忌みをはばかり、宗高の兄弟や重臣から名代をもって弔問となった。葬礼も急いで7日に行われた。

政宗公は平常殉死を不可とし、このときもともに村田に下る武山修理には殉死を思いとどまるよう命じていたが、宗高の棺が7日正午発引すると、家老福地右近ら9人が切腹。大半が20代の青年であった。仙台藩で唯一女性の殉死となる乳母お阿茶も同じた。

宗高の墓は、竜島院境内にあり、南に村田城跡を間近に望む。山門を入ってすぐ左にお阿茶が形見に植えたという枝垂れ桜の老木がある。

刈田岳山頂の延喜式内社刈田嶺神社石堂の東に右衛門塚は、若冠18歳の村田城主の伊達右衛門大夫宗高が、刈田柴田2郡の農民の被害を救うため、命を山霊に捧げて祈願を込めた遺跡である。

■三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』(宝文堂、1982年)に依っています。

400年後の21世紀にある我々は、もっと別の考え方ができるはずである。何よりも天災を恐れ、命を懸けて対応してきた地域の歴史を謙虚に学びながら、祖先が必死に守ろうとした郷土を現代の英知で受け継いで行かなければならない。





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最終更新日  2015.03.03 06:40:37
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