仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.03.03
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カテゴリ: 宮城
宮城県選出のある代議士のビラをもらった。最後の方に、サブフォー達成!とある。2月22日の東京マラソンで、4時間を切るタイムで完走できました、というのだ。

国権の最高機関で活躍し、本も書きTVに出て、金帰月来とばかり仙台でタウンミーティングもこなし、しかも国会会期中にマラソンまで完走、というのだから、政治家のヴァイタリティは本当に凄い、と実感させられる。

私などは、もう20年以上も前になるが、20代のときのこと、10kmを何とか1時間を切るタイムで完走できた経験しかない。42kmなんて到底無理だし、そもそも4時間も走り続けているということだけでも、大いに尊敬する。

この先生は、3:54:38のタイムだ。平均したら時速10.8kmになろうか。プロのランナーだとこの倍の速度になるだろう。

さて、以下は今回も三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』(宝文堂、1982年)に出ている仙台藩の健脚の話です。

藩政時代の仙台の侍たちは、仙台と江戸の間92里を三昼夜で踏破するのが、健脚の最高水準とされた。伊東七十郎や林子平もその記録を持っていたという。

岩ヶ崎6万石に封ぜられた政宗公六男の伊達宗信の家臣であった新妻勘兵衛胤重の脚力は、大いに人を驚かした。岩ヶ崎に親類も友人もいなかったため、時々殿の許しを得て仙台に夜話しに行った。岩ヶ崎から19里を、戌の刻(夜8時)に岩ヶ崎を発って、子の刻(12時)に仙台に着き、帰りは丑の刻(午前2時)に出て、岩ヶ崎到着は卯の刻(午前6時)だった。

宗信が25歳で死去した後は、勘兵衛は仙台に帰り、江戸番に転勤。政宗十男の千勝丸、後の伊達兵部宗勝の懐守役を命ぜられたが、57歳で病死。至誠剛直の勘兵衛の死は惜しまれ、彼が健在であれば兵部を抑制して伊達騒動は起きなかったと言われたという。子孫は代々加美郡四釜で390石を拝し、虎之間番士の家格だった。

(上掲書を参考にした部分ここまで。)






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最終更新日  2015.03.03 23:32:21
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