仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.10.20
XML
カテゴリ: 宮城
河北新報は今朝の朝刊で、宮城県議選について村井知事の県政運営の評価が争点になっていることを取り上げ、与党側は知事人気にあやかって、野党側は距離感を演出する、と解説している。今日の記事でははっきり書いていないが、これまでの論調からして、河北は、県議選で知事の県政の是非が争点とされることをよしとしていない。

河北はたとえば、14日の社説「宮城県議選を前に/問うべきは復興と国の針路」で、次のように論じた。




こういうのだ。私からすれば、これこそ現実離れした机上論だ。知事と議会が対等、緊張関係などのワードは良いとしても、だから距離を置けというのは、制度の趣旨からも住民の意識からもおかしい。権限と責任は首長に集中させているのが制度であり、有権者の認識もそうだろう。河北が言いたいことはわかるが(最後に述べる)、そのために二元代表や独立性を持ち出すのは何とも筋違いだ。

確かに、村井知事が会見で県議選の争点は自身の県政の是非、と言い切ったことなどは、あまり普通ではないといえるだろう。氏の政治的な「読み」があるからだろうが、河北としては政治家の発言としての適否を論じていると言うよりは、あるべき姿として、知事の県政運営が争点となるのは不適当だと言いたげだ。

これを一般化すれば、地方議会選において首長の施政が争点となるのは本来の姿ではない、ということだろう。これまで地方議会の活性化などを主唱してきた同紙としては、首長の信任ばかりが強調されると議会の存在意義が没却されるではないか、という意識から、そのような風潮を戒めたいというところだろうか。

しかし、果たして、どうなのだろうか。

私は以前から、いわゆる「二元代表論」を掲げて議会の(首長に対する)対等性や独立性などを語る論調について、奇妙な主張だと思ってきた。もちろん、制度として二元代表は、そうだろう。また、地方議員や関係者の側で、首長従属ではなく住民の意思をしっかり代弁して活動すべきだ、と自覚するための一種のスローガンとするのであれば、それはそれで大変素晴らしいことだと思う。

だが、実際に、「二元」を唱えることから何が生まれているかというと、議員提案の条例の数がどうとか、議会の運営のあり方を改革したとか、基本条例を作ったとか、あるいは議会も襟を正そうとか言う点に終始するのであって、言ってみれば議会の自己改革論である。大切だしぜひ継続しては欲しいが、何も二元代表(と評されるところの)制度から帰結する話ではない。首長に課せられた責任と同列の意味で対等になるはずはないし、そんなことは期待されてもいないのだ。意識として対等や独立は結構だしそうあって欲しいが、本来、地方議会に期待されている役割は、首長と全くことなるのだ。

我が国の地方自治法の制度について、また現実の地方議会をどう評価すべきかなど、くわしく論じたいところであるが、いずれの機会に譲る。


地方議会の役割とは、端的に言えば首長の施政のチェックに尽きると、私は思っている。条例を作ることも悪くはない(首長と民意がずれた場合には議会が乗り出すことも必要だろう)が、それが本質ではない。首長は、官僚集団を抱えながら、法令の執行、予算の編成、財務事務の執行などにおいて、統合的な判断を日々迫られており、そのことの全般に責任を負う立場にある。

議会は、首長と文字通りの意味で対等な職責は不可能である。例えば予算を編成できるはずはない。物理的に不可能だが地方自治法でも一定の修正権があるだけだ。また、法規の定立についても、国法との関係や自治行政全般の総合調整
の観点から主として条例提案は首長に期待されているというべきだろう。現実に、議員提案条例には大綱的な内容のものが多いのは、この意味で限界を示しているし、また、首長へのチェック機能に資する条項が盛り込まれることが多い(議会の議決事項や報告事項にするなど)のも、本来の議会の権能と結びつくからだ。

視点を替えて言えば、首長は一人なのは、政策的で合目的的な判断を統一的連続的に実施していくためだ。首長が複数では困る。議員が複数なのは、なるべく多様な民意を反映するためであり、首長に比較してはるかに自由な立場で闊達に論じ、時として数の論理で意見を集約(政治的妥協)してくれる存在なのだ。議員が一人では意味がない。

だから、地方議会選挙で首長の施政の是非が論じられるのは、当たり前であって適正なことだと言うことはできても、これがおかしいという論調は、ひねくれているのだ。私はそう思っている。

さて、いろいろ書いたが、河北新報が今回の県議選の報道で一番に言いたいことは、私が指摘したような二元代表ドグマ?を守るかどうかということよりも、候補者達が単に村井人気にあやかりたいとか、反村井とか、あるいは巧みに距離を置くとか、そういう身のかわし方よりも、自ら県政をどうすべきかを自分を主語にして語ってくれ、という思いなのだとは思っている。

その意味では全く同感で、健全な指摘だ。村井県政を軸にしてその賛否が県議選で争点となること自体は正しいが、それにしても、単に盲従、あるいは人気にあやかる、などではなく、有権者が疑問に思うことを自分はどう考えるのかとか、もっとしっかり議員として首長のチェックをしてくれ。最後の県議会でも論戦は深まらなかったじゃないか、ということだろう。

■関連する過去の記事(今回の県議選)
宮城県議選の投票率は? 復興と選挙を考える (2015年10月19日)
県議選 河北新報の情勢分析を検証してみる
県議選ポスター掲示板で気づいたこと (2015年10月16日)

■関連する過去の当ブログ記事(二元代表制に関して。他にもあったとは思いますが...)
仙台市議会と定員問題を考える (2010年8月26日)
地方自治法改正で議会招集権限の所在を考える (06年6月25日)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.10.21 19:48:37
コメントを書く
[宮城] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re[1]:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 荒巻昭和人さんへ コメントありがとうご…
荒巻昭和人@ Re:荒巻地区の新町名と宅地開発史(12/14) 団地名なつかしいですね。広告に使われて…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: