仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2016.07.12
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カテゴリ: 仙台
戦前の仙台で最も広い道路は、市電循環線の走る南町通。それでも幅員23mに過ぎなかった。

終戦の年の暮れに県土木部に復興建設課が置かれ、素案が短期間で策定される。事業は仙台市建設部に移されるが、すでに県の素案で、青葉通、広瀬通、晩翠通、東二番丁通などの広い道路や、県庁前、駅前、西公園などの公園構想が含まれていたという。

東一番丁は、8mから15mに拡張する案に商店の反対もあった。

最後まで意見が分かれたのは、復興事業の目玉である青葉通と広瀬通の2本の幹線道路のどちらをより広くするか。当初は、区画整理で全く新しくできる青葉通は、駅前で切れるが、将来を考えると駅東に連動する広瀬通を広くという考えで、復興院(のち建設省)は、予算の関係から、50m道路は広瀬通ではなく、青葉通の駅前から東二番丁通までとの意向が示されたが、結局は、東二番丁通以西の青葉通と広瀬通全部は、ともに50mから36mに縮小された。

公園緑地帯は、予算の関係で14か所から9か所に削られた。惜しいのは、市役所前から広瀬川まで、幅60mの緑地帯を設けて、勾当台と西公園を結ぶ広大な緑地構想が実現しなかったこと。ただし、幅4mの定禅寺通の中に12m幅の緑地帯が設けられた。

青葉通や広瀬通の名称は本来の名とは別の愛称。新憲法公布を記念して河北新報社が、戦災復興事業の代表である、2つの道路と2つの公園の愛称を募集した。

6000通を上回る応募があって、青葉通、広瀬通、西公園、中央公園(勾当台公園)と決まる。

事業は昭和35年に完了するが、その間、街路樹はどう選ばれたのかとか、駅前の青葉通の「直曲論争」、それに(ご破算になったが)仙台駅舎を160m後退させて駅前を広げる計画などが論議を呼んだ。

司馬遼太郎は、仙台と横浜は戦災復興事業が全国的にもてもうまく行った方だという友人の解釈を紹介している。いずれも、超法規的な権力をもった米軍の進駐期間が長く、不法建築や不法占拠者の一掃が進んだというのだ。例えば、仙台の裏五番丁(日之出会館付近)は、不法建築とヤミ商売が横行したが(東北の上海)、武装警官やMPも動員して仙台市が強制立ち退きを行った。仙台は米軍が昭和32年まで駐留した。






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最終更新日  2016.07.12 21:51:03
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