仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2022.10.27
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カテゴリ: 東北
紅葉も終わりかけた休日、西川ICを降りて西進、道の駅にしかわ(月山銘水館、水沢温泉館)を訪れた。

施設の中に、「癒しの極 苔」と銘打ったコケの展示があり、そのわきの壁に、手書きで下記のような説明書きが貼られていた。



西川町は水の豊かな空気の綺麗な町です。地名には、<水沢><大井沢><沢口><姥沢><岩根沢><間沢>等が有ります。
水が豊富で冷涼な気候が多くの苔を育んでいます。
また、町民の名字に志田さんが多く、人口当たり全国第1位です! 志田さんの名字の由来は植物の羊歯、シダからきています。西川町には、シダも沢山あります。ワラビ、ゼンマイもシダの仲間です。


その後、月山湖で国道を北に入り月山方面に上り、弓張平公園を突き抜けて、志津温泉に足を延ばす。五色沼を眺めた。ほとりに看板があり、次のように説明がある。



出羽三山信仰のみち「六十里越街道」における志津地区
 戦国時代、最上義定・義光と庄内〔2字省略〕の抗争により、戦のための軍馬が六十里越街道を往還していました。また、最上氏と上杉氏の戦いにおいて、「上杉の庄内勢が六十里越から攻めて来て志津に乱入した」とされています。中世における志津地区は、庄内との交通の要所であり、食糧の中継地点だったと考えられます。
 江戸時代に入り、平穏な時代となった慶長16年(1611)、行人が山賊に襲われる事件が起きました。領主最上義光は、現在の志津の地に番所を設け、番人を常駐させ治安の維持を図りました。番人は14名で、後の志津村14軒の起りとなりました。志津村の成立は、最上氏改易後の元和9年(1623)から寛永10年(1633)の間と推測され、寛永一揆「白岩目安状」には、志津村の名称があります。
 本来、ここ志津は、湯殿山別当本道寺、大日寺の両寺が維持管理する休み茶屋としての役割を担い、大井沢口、本道寺口から登拝する際や、羽黒口から下山した行者らが、立ち寄ることが一般的でした。幕末後は、本格的に旅篭屋として機能することになり、出羽三山に向かう参詣の道中に位置し、庄内への取次場であることからも、出羽三山信仰の要所と考えられています。


分校跡なのだろうか、街道から五色沼に張り出したようなエリアは、苔が一面を美しく緑を演出。多くの碑があるが、中でも新しい石碑は、「東日本大震災復興祈願 湯殿玄海古道登拝記念碑」とあり、側面には、「月山志津開村四百年記念行事 平成二十三年十月吉日建立」。
「主催」として並んで刻まれている「西川町志津町内会 会長」と「月山志津温泉旅館組合 組合長」のお名前はいずれも「志田」さんだ。



そのあと、道を降りて、国道に戻るすぐ手前にある路傍の黒いタンク「月山沢の湧水」に立ち寄る。町の中心部に向かい、西川町内(間沢)の出羽屋。行列ができていてものすごい人気のようだ。しばらく待って、旅館の中に通していただき、山菜そばをいただいた。

■関連する過去の記事(西川町関連)
朝日軍道 (2016年4月3日)
山形で一番寒い大井沢の「ゆきんこ祭り」 (2016年1月7日)
出羽三山 (2010年12月7日)
大井沢の大栗 (10年4月13日)
山形交通三山線の電車モハ103 (07年11月23日)
三山線とサイクリングロードのこと (07年10月21日)
月山トレッキング (07年10月20日)





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最終更新日  2022.10.28 06:20:08
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