仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.01.27
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カテゴリ: 宮城
羽前街道(笹谷街道)、猿鼻宿について学んだ。

羽前街道
 川崎宿(笹谷街道)と宮宿(奥州街道)をつなぐ道。平安時代に開かれ前九年の役や奥州合戦などの軍用路として、また、江戸時代初期には秋田山形13藩が参勤交代に使いにぎわいを見せた。
 全長4里20丁(約16km)の山道は徒歩約一日。蔵王町寄りの四方峠(しほうとうげ)に湯殿山の碑があるように、出羽三山詣りにも利用され、毎日200から300人も往来したと伝えられる。明治までの長い間、太平洋側と日本海側の町々を最短距離で結ぶ重要な街道だった。
 羽前街道は川崎、今宿、笹谷を経て笹谷峠を越える笹谷街道につながる。(羽前街道も含めて笹谷街道と呼称したようだ。)
 江戸期に参勤交代する日本海側の諸藩は、羽州街道(青森市油川が発端)から、米沢藩板谷峠越え、上山藩金山峠越え、笹谷峠越えのいずれかを選択することになる。当初は板谷峠や笹谷峠が一般的だったようだが、金山峠の道が再整備(1656年)されると、金山峠、七ケ宿、小坂峠、桑折の道筋が参勤交代の道になったようだ。しかし、1731年大地震で材木岩(白石市小原)が崩れて通行止めになると笹谷街道(羽前街道)が使われているし、近世中期以降の物流の増加や出羽三山詣での流行で一般の利用も盛んになったようだ。
 街道の名称は、笹谷街道、笹谷越え出羽街道、最上山形街道などといわれたが、明治期になって羽前街道と名付けられた。明治15年の関山トンネル開通、明治34年の奥羽本線山形までの開通で、あまり使われなくなった。

旧羽前街道保存地区
 現在の蔵王町を縦断する羽前街道だが、平沢花町地区からの道筋には、街道の峠道にそのまま残されており、歴史散策路になっている。頂上の四方峠(しほうとうげ)は遠く太平洋を見渡せる。

猿鼻宿
 旧羽前街道保存地区を蔵王町に下りて最初の交差点右側にある集落。現在は「花町」と呼ばれる集落である(住所名は蔵王町大字平沢字町尻)。
 街道が宮宿から川崎宿まで4里20丁あり、旅人が追いはぎに苦しめられたことから、永野と猿鼻に小さな宿場町を設けた(1602年高野家記録)。1670年宿場の調査記録では、永野48戸、猿鼻20戸と小さな宿場町で、殿様が宿泊する本陣の機能はなかったとされる。しかし、猿鼻の検断だった家の古文書には、幕末(1826年)に紹介、山形、高畑(ママ)、弘前各藩の大名の通行が記録されており、街道としての機能は十分にあったとうがかわれる。
 この街並みは、旧羽前街道(現仙南農道コスモスライン)に対して直角に曲がった道路に家々が立ち並び、街の反対側の端も直角に曲がっている。この道の作り方が宿場の面影を残す。
 以下は、『蔵王町史 通史編』(蔵王町史編さん委員会、1994年)から
猿鼻宿は、永野宿を出て北進、31丁余で東に折れると猿鼻宿である。そのまま東に行けば平沢に、北に進むと四方峠を越えて川崎町に通じる。平沢村の「安永風土記」には、村住居76人、町住居18人とある。猿鼻町は18軒で、宿場の長さ2丁とある。成立時期は安永風土記は慶長7年(1602)とする。
猿鼻の名について
 猿鼻の地名は、崖地を意味する音を持つ「猿」の端を意味するとの説がある。後世に「去る」に通じる「猿」を嫌い、「鼻」も「花」に変化したのではないか。
(関連する過去の記事  猿田という地名を何と読むか... (2013年10月15日))

■参考
・パンフレット「蔵王の入口だよ!!蔵王山麓平沢・小村崎歴史の郷めぐりマップ」(鎌倉温泉制作発行、蔵王町教育委員会監修)
伝説を訪ねて、羽前街道へ
・同  羽前街道
仙南の農道をゆく~広域営農団地農道仙南線 新・羽前街道~ (宮城県大河原振興事務所)

■関連する過去の記事(蔵王町など)
蔵王町を知る(その3 宮財産区) (2024年01月20日)
蔵王町を知る(その2 遠刈田温泉) (2024年01月19日)
蔵王町を知る(その1 永野と宮の謎) (2024年01月18日)
がんばれ蔵王 負けるな蔵王 (2015年5月6日)
蔵王の御釜が沸騰 (2014年8月23日)
猿田という地名を何と読むか... (2013年10月15日)
蔵王の御釜の色を考える (2013年2月19日)
蔵王山境界紛争を考える (09年5月17日)
蔵王のお釜は共有財産 (08年11月5日)
南蔵王縦走 (06年8月20日)
栗駒と蔵王の名前の由来 (06年7月28日)
蔵王噴火を鎮めた伊達宗高 (2015年3月3日)

■関連する過去の記事(笹谷街道について) ※他にもありそう、記事リストご覧ください。
東北の道 概説(その4・完 近世) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その3 中世) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その2 平泉政権と奥大道) (2010年10月24日)
東北の道 概説(その1 古代) (2010年10月23日)
仙台・宮城と山形を結ぶ街道に思う (05年11月29日)





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最終更新日  2024.01.30 07:41:03
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