全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()
春の陽気ですねぇ。澄んだ空気と鳥たちの囀りがうれしい朝が続いております。 昨日、ジャパン・シフォニアの第12回定期演奏会に行ってきました。---------------------------------------------------------2009年4月29日(水)開演14:30 晴海トリトンスクエア・第一生命ホール指揮:井上喜惟ソプラノ:蔵野蘭子ラヴェル:組曲「クープランの墓」ショーソン:歌曲集「愛と海の詩」、OP.19フランク:交響曲ニ短調--------------------------------------------------------- いつものドイツ物ではなく、今回はオールフランス物という趣向。特にショーソンはあまり演目に乗らない曲なのでちょっと楽しみで。また、このオケの暖かで豊かな響きでフランクの交響曲を聞いてみたらどうなるのか。 さて、今回よりコンミスが変わりました。以前の女傑・三戸さんからドイツで活躍中の植村さん。また、チェロのトップを務めていた小澤さんも退団された模様。何度か演奏会に来ていますが、この二人あってのジャパン・シンフォニアという感じがしていたので、これからどうなっていくのか。 1曲目のラヴェル。うーん、全体に高音がキンキンしたささくれ立った響きがします。低音楽器はちゃんと鳴っていますが、うまくかみ合ってない感じと言いますか。オーボエのトップは音量があって指回りも達者なのですが、表情が一本調子で今ひとつ、面白くない。 弦楽のあの豊かな響きもありません。ちょっと心配。 2曲目のショーソン。蔵野さんは容姿も声も素敵です!ちょっとワーグナー風なオーケストレーションで厚い響きの中でも声が通るのは素晴らしい。爛熟退廃した世紀末の音楽ですが時に夢見るような、時に陰鬱にいろいろ表情を変えてショーソンの倦怠みたいなものを紡いでいました。 ただここでも弦楽の響きは薄っぺらで独特な薫りも立ちません。よく見ると第1ヴァイオリン後ろの奏者の運指がずーっとローポジションで響きの統一がなされてないのかな。 3曲目のフランク。もともとこじんまりしたオケにこれだけの金管が必要なのかってぐらいの大音量。特にトランペットの音量が飛び出ていて(音自体は豊かでいい音)フォルテッシモは他の楽器を圧倒していました。響きがぐわーんと割れてしまってちょっと抑えたほうが綺麗に響くのにと残念。これは指揮者のせいですね。 第2楽章のコーランングレのソロは見事。弦楽だけになって一瞬以前の響きが戻ったかと思ったがすぐにピッチがズレてくる。ひょっとしたら新しいコンミスがまだこのオケの響きに溶け込んでいないのかもしれない。良く見るとこのコンミスは弾くのでいっぱいで仕事してない感じがしました(以前の三戸さんならばからだ全身でオケ全体をリードしてましたね)。 このあたりは舞台上での話しなので観客にはわからないこともあるのだろうけど、結果出てきた響きはこのオケの特徴から大きくずれていたのだから、やはりコンミスとしての責任はあると思います。ただのうまいオケにはなって欲しくないです。 フィナーレの金管コラールは充実した響きでこの交響曲の威容を感じさせました。この交響曲はフランス楽壇が誇る素晴らしい作品です。いろいろ書きましたが(オケへの愛ゆえですよ)、全体としてはいい内容の演奏でした。 今回のお客さんは曲が終わった後のわーんという残響が静まってから拍手するという、とっても音楽がわかった人たちだったようで、十分響きを堪能できました。(ひょっとしたら曲が終わったのかどうか知らなかったのかもしれませんが(笑)) それにしてもお客さんが相変わらず少ない!客席の3分の1は空いてました。 そうそう、前回のシューマンの2番はいい演奏だったのに、CD出てないんですね。 次回はブラームスの4番がメイン。また行きますよ。期待してます。>ジャパン・シンフォニアユニバーサルクラシック ジュリーニ/フランク:交響曲晩年のウィーンフィル盤よりこっちが好きかも。【CD】サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン」/フランク:交響曲<2005/6/22>ポール・パレー盤は骨太でどこかあっけらかんとした演奏。こういうのもいい。
2009年04月30日
コメント(0)
![]()
先月までの激忙しい日々がなくなり、なんだか心にぽっかり穴が開いたようです。何にもしたくないし、気力がわきません。周りが新年度で忙しそうにしているのに仕事がないというのは、落ちこぼれのような嫌な気分になりますね。 今日関東は桜満開、近所の雑木林にも桜が2、3本、みごとに咲いております。ベランダから見ているとそよそよと風に吹かれて枝がなびき、花びらがさっと散るさまは冬の終わりを告げ新しい命の誕生を寿ぐように見受けられます。 ラフマニノフの音楽は冬向きと思われがちですが、この交響曲第2番は長い冬の終わりと新しい季節の勝利と希望に満ち溢れているように思います。交響曲第1番の酷評により傷ついた心は精神科医ダーリによりピアノ協奏曲第2番という超名曲を生み出すまでに回復します。 それから6年後、彼は再び交響曲に取り組みます。この間、結婚とボリショイ劇場の指揮者という人生の成功を味わっていました。 長い冬の季節がうねるような第1楽章、まるで馬車かソリに乗っているような疾走感と晴れやかな歌の対比が見事な第2楽章。落ち込んでいる人の心にそっと寄り添うような、連綿たる歌がいつまでもいつまでも続く第3楽章、そして新しい季節の到来と確かな希望に満ち溢れた最終楽章。 1編の大小説を読むような、そして読み終えたあとの何ともいえない確かな手応え、充実した感動。ラフマニノフの作品は底が浅いと批判する向きがある。構造がばらばらで美しい歌ばかり、と。そうだろうか。美しい歌の何が悪い。聞き終えた後の充実感はどう説明する? ラトル盤は私にこの作品の魅力を初めて開眼させてくれました。この録音時、ラトル29歳。驚くべき才能です。演奏のベースとなっているのはプレヴィン盤であることは間違いない。そこにラトルらしい強調癖(例えば、再現部からコーダに渡るときにうんとテンポを落として過去を懐かしむような表情を作ったりとか)とリズムの切れを添加していきます。 この頃のラトルは歌い切ること、ダイナミックスを強調すること、畳み掛けるようなリズムで聴く者を追い込んでいくことが特徴でした。それが曲にはまったときは言葉を失うほど素晴らしかった。バーミンガム市響と来日した折の「巨人」は圧倒的でした。80年代の響きの美しさが演奏の基準だった頃に、この若者の表現は斬新でした。そして、いつの間にかベルリンフィルのシェフになっていましたね。 今改めてこの盤を聞いて、ぽっかりと空いた穴にいくらかの希望を取り戻したように思います。それは曲のせいでもあり、ありったけの才能をこの曲にぶつけた若者のせいでもあります。 希望を持つこと、前進していくこと。勇気もいるしエネルギーも必要です。フィナーレの最後に金管によるコラールが鳴り渡るとき、熱いものが心にこみ上げてきました。ほとんど疾走するように終わるラトルの演奏は人のエネルギーに限りがないことを教えてくれたように思います。 繰り返しますが、これが29歳の演奏なのです。若さとは時に年齢をも超えてしまうのでしょうか。うらやましい。。。サイモン・ラトル(cond)/ラフマニノフ 交響曲 第2番(CD)
2009年04月05日
コメント(2)
全2件 (2件中 1-2件目)
1

![]()
