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曇った日々が続きますね。今年は野菜も米も日照不足や大雨や台風やらで収穫量が少ないらしい。これからそんな影響をじわじわ感じてくるのでしょうか。 さて、今日は久しぶりにマーラーの第9番を聴きました。暑い夏にマーラーは相当鬱陶しいので聴かないんですが、これだけ肌寒い日が続くと聴いてもいいかなと。手元に在る録音物から本日のチョイスはラトル=ウィーンフィル盤です。 この盤はラトルがウィーンの定期演奏会デビューした際(93年12月)のライブ録音です。このときラトルはヴァイオリンを対抗配置(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれる、昔の配置です)を要求したがオケ側が拒否(大人げない)、一時はラトルが演奏会をキャンセルするとまで言ったとか言わないとか。結局対抗配置で落ち着き、演奏会は大成功。以降、ラトルとはベートーヴェンの全集を作成するなど蜜月関係へと発展して行きます。 この演奏もしばらくぶりで、聴いてみると、しなやかな弦楽に甘ささえ感じる木管群、パワフルながら決してでしゃばらない金管群とウィーンフィル特有な美しい響きの上に、リズムの軽やかさ、テンポの切り替えのシャープさにラトルらしいきびきびした音楽運びがうまく乗っかって、重くなることのない美しいマーラーに仕上がっています。 ラトルはレコーディングデビュー時にマラ10をボーンマス響と録音しています。おそらく彼はマラ10の視点からマラ9を振っていると思います。所々に10番を予見させる響きを作り出しているからです。これは面白い解釈でした。 この後ラトルはベルリンフィルとこれ以上ないくらい精緻なマラ9をベルリンフィルと録音しています(07年10月)。演奏時間だけ見るとベルリンフィル盤のほうが若干長くなっていますが、実際聴いてみますとウィーンフィル盤のほうがゆったりした印象を持ちますから不思議です。 さて今回久しぶりにマラ9を聴いて、この先マーラーが長生きして交響曲を書き続けていったら、どんな曲を書いて行ったのだろうと空想を巡らしました。現在我々は第10交響曲を復元した形ですが耳にすることができます。従って9番と10番から未来の11番、12番を想像できるのではないでしょうか。 9番に時折聴かれる無調的な硬質な響きは10番になると多用されているように感じます。あのまま進めばシェーンベルクのような、あるいはベルクのような絶叫と混乱と狂気が混ざった響きになっていったのでしょうか。 マーラーは1911年に亡くなりましたから1914年に勃発した世界大戦を知りません。ヨーロッパ文明の最期の輝かしさ、栄光と繁栄を信じたまま亡くなった、幸せな知識人だったのです。 そう考えると10番に聴かれる不安定さは安定した根底(ヨーロッパ音楽の伝統)があるからこそできたのではないでしょうか。その根底が崩れ拠り所がなくなってしまう怖れからシェーンベルクは12音技法を新しく体系化したのですが、マーラーが長生きしていたらやはり同じように音楽システムを新しく作ろうとしたのでしょうか。 結局歴史にifはない、というようにマーラーは調性という伝統の音楽システムのなかでどこまで響きを拡大できるか、その限界点を提示したというのが歴史的使命だったのかもしれません。 ラトルはクラシックはもちろん現代音楽やジャズ、ロックなどを知り楽しんでいる現代の演奏家です。対するウィーンフィルも現代のオーケストラながらクラシックの伝統を継承する立場です。同じ現代を生きながら微妙に異なる立場や背景の差異を感じながら、この演奏は我々にある不思議を語っているように思います。 それは「それぞれの時代を生きる」ということです。マーラーの生きた時代、ウィーンフィルが生きてきた時代、ラトルが生きようとしている時代、それぞれがいまここで重なっている不思議。 これがクラシック音楽という昔の音楽を現代で聴く面白さだと思うのです。【楽天ブックスならいつでも送料無料】マーラー:交響曲 第9番 R.シュトラウス:メタモルフォーゼン [ サイモン・ラトル ]本日聴いた演奏です。ライブゆえか音像が小さいのが玉に傷。でもいい演奏です。【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】交響曲第9番 ラトル&ベルリン・フィル [ マーラー(1860-1911) ]参考までにベルリンフィルとのマラ9。精緻の極限までいった堂々たる演奏です。が、いまのこのコンビなら更なる高みを目指せると思います。
2014年08月31日
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最近はすっかり涼しくなっていつの間にやら秋の気配ですね。しばらくぶりの更新です。 さて、今年のサイトウキネンフェスティバル松本ではついに小澤さんがお元気な姿で渾身の演奏を繰り広げたようです。(以下、朝日新聞デジタルより転載)松本市で開催中の「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)松本」で、メーンプログラムのオーケストラ・コンサートが29日夜、キッセイ文化ホールで開かれた。ベルリオーズ「幻想交響曲」を指揮する総監督の小澤征爾さんが舞台に姿を現すと、観客から拍手が送られた。 SKFのオーケストラ・コンサートで小澤さんが指揮するのは4年ぶり。幻想交響曲は2010年にも演奏されたが、このとき小澤さんは腰痛で降板し、代役が指揮した。 同コンサートは31日、9月2日にも公演が予定されており、チケットは完売している。http://www.asahi.com/articles/ASG8Y41QJG8YUOOB008.html ファンとしてはこれほど待ち望んだ日はありません。幻想は小澤さんのオハコの曲、特にサイトウキネンオーケストラ(SKO)とは2007年に松本ライブ、2010年にニューヨークライブをそれぞれ録音しています。2007年盤の息詰まるような高揚感と迫真性、2010年盤ではさらにドラマティックな表情が加わり(しかもともに精緻なアンサンブルは相変わらず)、有名なミュンシュ盤をも超えたと確信しています。 今回の幻想では更なる高みを目指した演奏になっていると思われ、録音されていれば是非聞いてみたいものですね。 コンサートはあと2回あるようなので、全公演をお元気に乗り越えることができるよう、心からお祈り申し上げます。とは言うものの無理しないでほしいですね。今の小澤さんならかつてのシューリヒトのように目だけで指揮できるのですから。 来年はベルリオーズの「ベアトリスとベネディクト」という晩年の短いオペラ(といっても約100分ぐらいかかる)を上演するとか。本格的なプログラムへいよいよ取り組むようです。これも今から期待できそうですね。【楽天ブックスならいつでも送料無料】【もう1枚でポイント10倍】ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14 [ 小澤征爾 ]若き小澤さんの記念すべき幻想初録音(1966年12月)。トロント響はがんばってるけど、小澤さんの要求に応えきれていない感じがします。しかし解釈は根本的に変わってないことに驚きです。【楽天ブックスならいつでも送料無料】ベルリオーズ:幻想交響曲 ラヴェル:ボレロ 亡き王女のためのパヴァーヌ [ 小澤征爾 ]ボストン響の音楽監督に就任して最初に取り組んだのがベルリオーズでした。ミュンシュ先生の影響が残る名門オケに、音楽構造を明確に提示する(例えば低弦の動きを「うねり」とせず、はっきり弾かせるなど)小澤さんの指揮が見事な効果をあげています。私にとって長らく小澤さんの代表盤でした。1973年2月録音。【楽天ブックスならいつでも送料無料】ベルリオーズ:幻想交響曲/ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ [ 小澤征爾/サイトウ・キネン ]上記のSKOとの2007年9月録音。特に第4楽章のラストで聞かれるティンパニーの裏打ちの正確さに驚き、しかもこれがライブ録音ということにさらに驚きました。ベルリンフィルの名ティンパニスト、ゼーガスが加わってからSKOはより迫力が増したと思います。【送料無料】 Berlioz ベルリオーズ / 幻想交響曲 小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ(2010) 【SHM-CD】上記のSKOとの2010年12月録音。小澤さんを育てたアメリカへの恩返し公演とおそらく考えておられたのではないでしょうか。幻想に限らず、このニューヨークライブシリーズは何か特別な感情が支配しています。2007年盤より若干精緻さに欠けるものの熱気と劇性においては比類なく、古今東西最高の幻想と言って良いでしょう。
2014年08月30日
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激暑な日々が続いています。体力消耗の中、風邪なのか咳が止まらず苦しんでいます。 マゼール氏が亡くなってそろそろ1ヶ月が経とうとしています。もっと早くにコメントしたかったのですが、仕事の方が忙しかったのと、未だに信じられない思いもあってなかなか筆が進みませんでした。 私がクラシックを聴き始めた頃はマゼール始めアバド、小澤さん、メータと新世代の指揮者が次々とレコードを出していて、カラヤンやベーム、バーンスタインの御三家に追いつけ追い越せの状態でした。なかでもメータはレコード会社のプッシュが凄くて「次代の帝王」というキャッチコピーでほぼ毎月レコードが出てた気がします。 マゼールはメータのような人なつこい顔つきじゃないし、かっこいい指揮スタイルでもなかったせいか、私の周りでも人気は今ひとつでした。 小澤さんとマゼールの付き合いは古くて、ブザンソンコンクールの頃から。コンクール以前にマゼールがウィーンでラヴェルの「子供と呪文」をやったのを聞きに行き、楽屋へ押し掛けて挨拶したのがきっかけらしい。その後、ブザンソンでは客演指揮で来ていて(審査員として?)、課題曲である「牧神の午後への前奏曲」を我流で振った小澤さんに対し「これはどう勉強したのか?」と聞いたらしい。「どうやってもなく、スコアを自分なりに研究したんだ」と言った所、「お前は妙な指揮者だ」「お前の(指揮)テクニックは変だ、日本ではそういうのが流行ってるのか?」と。それ以来の仲らしい。 ところが春樹本にはアバドのことは書いてあってもマゼールのことは一切触れていない。 お互いライヴァル意識を持っていたのだろうか、二人の録音歴を見ると奇妙に一致しています。マゼールが録音するとそれからしばらくして小澤さんも録音したり、その逆もあり。以前、火の鳥について書いたことがあったが、小澤=パリ管の録音の下敷きは間違いなく、前年録音のマゼール=フランス国立管盤と思います。他にもベルリオーズのロメオとジュリエット、シェラザード、惑星などなど。。。 この二人はヨーロッパで音楽を学んだわけではない、いわば傍流どおしです。特にマゼールはその後、誰かの弟子になったわけでもない「妙な指揮者」だ。記憶力、絶対音感は桁外れの彼は己の力を信じてのし上がって行きました。小澤さんはカラヤン、バーンスタインさらにミュンシュの弟子になり、特にカラヤンからはコンサートプログラムのことまで細かく指導されてたみたいです(意外と面倒見がいい)。ヨーロッパでの足場はカラヤンがお膳立てしてくれたと言っていいようです。 個人的には、昔フランス国立管との来日公演でドビュッシーの「映像」を指揮台の上で跳ね上がりながら指揮していたのを覚えています。またメシアンの「主イエスキリストの変容」の日本初演を手がけてテレビで放映されてました。その頃の私にメシアンのカトリック教的神秘はさっぱりわかりませんでしたが、とてつもない何かを聞いたという実感だけはありました。(途中寝てましたが) マゼールの録音については次回あらためて書きたいですが、ライブと録音がこれほど違う人もなかなかいないんじゃないか。また86年に国連難民支援チャリティコンサートを開いたりと意外にいいひとだったりします。 まだまだその活動全容が見えて来ないけれど(というより多すぎて整理できない)、これからも折に触れて書いて行きたいです。【ポイント10倍】新品未開封【CD】R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、交響詩「マクベス」マゼール [SHM-CD][UCCG-90450]後年のバイエルンとの再録音よりウィーンフィル盤を取ります。この盤もまったく人気がありませんが、シュトラウスの複雑なスコアを相変わらずの明晰さで腑分け、それが嫌みにならないウィーンフィルの豊かな響きと、実に面白い録音だと思うんですがねえ。
2014年08月07日
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