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今回は開き直っていたので、過食しても(嘔吐することはあっても)、インスリンの追加打ちはそれ程しなかった。 但し、夜過食する分、朝は夜上げてしまった血糖を下げるため、インスリンは指示量通り打って朝ご飯は抜き、昼前はそこそこ下がっているのでインスリンを打たずに昼ご飯も抜く。そして、夜に昼前に打つ筈のインスリンを夜分に加えて打つということがままあった。 体重が家で朝一パジャマのみで測って65.0kg、入院時洋服着て食後66.3kg。 HbA1C 5.0% さて、これで入院してまともに6分食とってみたら、朝食後141, 昼前107, 昼食後150だった。
2005.06.30
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内科主治医には、叱られるどころか、私の記録を見ながら話を聴いていて、「で、入院な。明日から。」と言いながら電話に手を伸ばして、病棟のベッド空き状況を既に確認してくれていました。 「(辛かったらそんなに一人でグルグル頑張らないで)早く来れば良かったのに。」って優しく言ってくれたけど、先週の時点では、「どうしても頑張れない自分」と折り合いが付けられずにいたから、やっぱり入院は出来なかったんだよ。この一週間の時間がとても大事だったんだ。 この間のことは、また追って日記に書きますね。 また後ほど。
2005.06.30
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ご無沙汰です。今日からまた入院しました。 先日パニックっていた後、思いっきりブチ切れた一週間を過ごしていました。 死ぬほど夜に過食して、夜中に胸焼け…で、朝昼食べず、一日一食。インスリンは固めて注射。 一日6回分食どころではなく、「体重維持&血糖値デコボコしない」、それだけをノルマとし、後は全部棚上げ。 そしたら、随分気持ちが楽になって来ました。 昨日内科外来(HbA1C 5.0%でした)で、当然そのまま入院手続きとなりましたが、この一週間のお陰で、開き直ってこの自分を受け入れられ、入院できました。
2005.06.30
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本日、宝良ちゃんの検診日。28w3d。 わーい、性別判明。パンパカパーン!!「多分、男の子でしょう」だそうです。 おぼっちゃまだそうですよ~。うふふ。 女の子なら、かわいいお洋服を買って、自分の果たせなかった野望を果たさせるゲームにのめり込めそうで、それはそれでとっても楽しいが、将来母子分離の時期には恐ろしい葛藤と不幸にまみれないといけないツケを覚悟の道楽。 男の子なら、ジェンダアー取っ払って、私の変身願望ばりばりで、未知との遭遇。わーい、どんなことを私の人生に持ってきてくれるのか。ルームで見ていても、1.2歳の頃の男の子たちって、本当にもう、かわいい~んだよね。 きゃ~。つまり、私って、どっちでもすごく嬉しいんだけどぉ…。ふふふ。そうかぁ、おぼちゃっまなのね。 うちに帰って、ダーパパにどんな風に発表して上げようかと思っていたのに、不意打ちで電話がかかってきた際、ついぽろっと、「あのねぇ、あのね。たからちゃん男の子だって~。おぼっちゃまだよ~」って言っちまった。あっ、しまった。こんなに簡単に言ってしまった。もったいない。と、思ったが後の祭り。 ダーパパが、肩車・お馬さん・飛行機ぶんぶん・etcしている様子が目に浮かびます。 えー体重は1127gで、週数相当。心音も元気にドコドコドコドコ。「ママはおバカだけど、おバカなりに頑張ってるからね。たからちゃんが元気でいてくれるのが、何よりのご褒美です。」 えー、舞い上がってばかりは居られませんで、当然ですが、3週間で3.4Kg増のため、母子手帳には、「カロリー制限」のハンコが…(ふんっ。とっくにカロリーなんか制限ついてるよーだ。守れていないだけです。プン)別室にて、助産師さんより指導。計測してハンコを押すひとは、流れ作業なので、私の状況は知らないけど、別室での助産師さんの指導は、ベストじゃなくても、ベターをって、提案で……。本当に気持ち寄り添ってくれて、ありがたかったです。感謝。「指導」って、ただ怒られるみたいだけど、こうやって、気持ちに寄り添ってくれる「指導」もあるんだなぁ。 前回の検査で、「B群溶連菌」が陽性。大人にとっては普通でも膣内にいて特別問題は無い菌だけど、分娩時、たからちゃんが膣を通る際うつって感染症を起こしてしまうと、高熱や髄膜炎で未熟児死亡などを引き起こす誘因となるので、今のうちに、「B群溶連菌」は駆除しておきましょうってことで、今回から、毎回抗生物質を内診時に使うことに。私が学生の頃、髄膜炎から脳膜炎まで進んで、一ヶ月半入院したのも、何か関係があったのかなぁ。勉強不足でよく分からないや。 しかし、すごいことだよね。これって、今のところ、一応「経膣分娩」を捨ててないってことだもん。 去年1月、一連の入院をし始めた頃、私の糖尿病としての合併症は、ありがたいことに、内科医にも眼科医にも「ただラッキーなだけだよ」と言われるくらい、数値と年月からいうと眼底出血は当然ってレベルだったのに、たまたま、まだだったんだな。動脈硬化は80歳前くらいの人程度に進んでいたので、心筋梗塞はまめに恐れていて、女子医でお世話になっていたときに、かなり精密な検査をし、一応万一のときのニトロを処方して貰ったのを持ち歩いていたけど、まぁ、狭い意味での合併症としては頭一つ腎臓が疲れていて、尿蛋白はもう毎回+から±へは戻っていかない状態。その時点では、言うなれば、「糖尿病性腎症第2期・早期腎症期:微量アルブミン尿」で、妊娠は可。 どこまで腎症が引き返せるかは不明だったけど、でもさ、今は、この一年、妊娠してもいい状態の血糖管理を続けてきたので、すごいことに、タイミングまだセーフだった。まだ、引き返せたよ。ある時期を過ぎると透析を先延ばしにするために、腎臓をだましだまし使うための管理は出来るけど、いずれ壊れる腎臓から、多分ずっと大丈夫かもな腎臓までは戻らなくなるんだ。 その引き返せるかどうかってところまで来たので、ここらで一発、しっかり入院管理し直そうって、入院したんだね。で、今は、すっかり、尿にアルブミン出なくなりました。たからちゃん、それまでやってくるのを待っていてくれたのかな。 「糖尿病性腎症第2期・早期腎症期:微量アルブミン尿」で、妊娠は可。とはいっても、その出産に関してのデータは、「妊娠出産は差し支えないが、増殖網膜症約60%。ほとんどの妊婦で妊娠末期には尿蛋白1g/日以上となり、産科的合併症として妊娠中毒症を約80%。37週未満の早産約50%。帝王切開約70%。1000g未満の超未熟児10%・1500g未満の極小未熟児10%・低出生体重児40%、合計60%以上」。 という結果。なので、ほとんど経膣分娩なんてあまり考えていなかったし、とにかく、生きていけるだけの状態で産まれてくれれば……、と思ってたよ。 世の中、「いいお産の日」とかあるけど、私にはある意味無関係というか、私にとっての「満足のいくいいお産」とは、「とにかく、どんなにNICUのお世話になろうが、どうだろうが、その子どもが、産まれた後も何とか自分に与えられた体の弱さを含めた生きていく条件を受け止めて、何とか生き続けていけるレベルで産まれてこられること」だ。帝王切開だろうが、医療の介入だろうが、どんな産まれ方でもいい。とにかく、その子どもが生きていけるだけの命を…と。 その私に、「B群溶連菌」駆除の抗生物質だよ。一応、今のところ、経膣分娩可能かもってことだよ。そこまで、守り抜いてきて貰ったってことだよ。お医者さん達も守り抜いてきてくれたし、夫もスタッフも最大限の協力をしてくれてきたし、満足な出来じゃなくて、いつも泣きべそだけど、でも、それに精一杯着いてこようと私自身もしてきたよね。全部、繋がって今がある。 「B群溶連菌」、何だか、菌陽性って言われていい気分な人はいないだろうけれど、……、私にとっては、結果的に、じわじわと感慨深いものを知らせてくれた出来事だったよ。 子宮口今のところ開いて無くて、大丈夫。尿糖は久々(±)まっ血糖管理してるから、これは気にしなくてヨシ。産婦人科主治医G先生は「ここでぐぐぅっと踏みとどまってよ、過食! 大事なところやからね」と。ほい。ぐぐぅっとですね。できるだけ、「できるだけ」ですけど、頑張ってみます。 ってことで、本日も、過食。で、嘔吐。更に、少し食べて、今晩終了。取り敢えず、ベストじゃないけど、血糖と体重は何とか、昨日を維持。………。暫くは、自分でそれに関してのジャッジをしないことにします。どうせ、ジャッジするとろくなことはない。厳しい判定で、自分を責めて悪循環するし。 ね。
2005.06.20
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テンパって居たけど、程度の差はあれ、それはいつものことなので、ダーは日常会話をする。新聞のイベント情報に、香川ナバ(摂食障害者の自助グループ)のミーティング開催日程が告知されているのを見て、「ナバ、続いてるね。新聞に告知が載ってるよ」と言う。 私も時々見かけていたので、そうだねとそのときは返事しただけだったけど、ふと、やはりいつも目が覚める午前4時過ぎに、「おっ、今日は日曜日。ってことは、もしかして、あのNABAの告知は、今日だったりして……。そうだとしたら、今の私に『必要な時に必要なものが与えられる』なのかしら」と思い、新聞を探してみた。ビンゴ~。今日だ。 日曜日なんだけど、お客様の都合で、夫が小豆島のお客様を訪ねる予定で、高速船乗り場まで、車で送っていく約束だったので、そのまま、お買い物して時間を潰し、お昼からNABAミーティングへ行くことにした。 えーいい、散財だ~散財だ~。 デパートで後先考えずに、買い物でストレス発散。ふん。それもアリかと……。 (いきなり、翌日の月曜日からダーの職場(会計事務所)が「クールビズ対応の冷房設定にするので、皆さんクールビズよろしくね」というお達しだと昨日言うので、今まで一応少しはボタンダウンのシャツなどもあったけど、まぁせいぜい普通のカラーシャツ出勤だったし……、で、消費に貢献して、デパートでとりあえず定番のデュエボタンなどの『クールビズものシャツ』を取り敢えず一週間分5着揃えて、様子を見ることに。) ついでに、父の日だし、たからちゃんのパパとして、お初の父の日。で、ってことは、私も遅ればせながら、「お初の母の日」って、勝手なこと言って、記念に腕時計をペア購入。 効率とか、機能とかってことが大好きな私。電池交換必要なし(ソーラー電池)、時刻合わせ及び、30日の月だろうが31日の月だろうがカレンダー修正必要なし(電波時計)、多少の動作には対応できる強度(防水10気圧程度かな)。って条件の腕時計に買い換えたいなと思って。えーい、お子ちゃまがお生まれになるので、経済も締めていかなきゃな筈なんだけど、買っちゃえ買っちゃえ~。ふん、ふん。 さて、夫に頼まれた、お舅さん用の「父の日冷酒」をデパ地下で物色中にお昼が来たので、お総菜を購入。1.空豆サラダ(空豆、コーン、茹でエビ、マヨネーズ味)100g私の中では、空豆を炭水化物扱いで。2.なす、アスパラ、トマト、山芋、ブロッコリーのゼリー寄せに、温泉玉子一個をのせたお総菜「涼風サラダ」私の中では、温泉玉子80Kcal+ゼリーで、タンパク質一食分扱い。 ヨシヨシ。昼食はクリアーでしょう。と、割り箸を貰って、NABAの会場へ。45分程度早く着いて、ロビーでゆっくり血糖測定+インスリン+記録+食事。 会場へ入ると、懐かしい仲間の声と顔。子どもづれ参加なので、会場の隣に託児室も借りているのだが、仲間の子どもも大きくなって小学生。私の顔を見つけて「あ~、糖尿の人~」って、あっけらかんと大声で声をかけてくれる。あんなに小さかった子どもが、大人なら口に出さないようなことも、すんなり口に出来る程度の子どもらしい子どもに育ったなぁ。「病気ってどうして治っとらんの~」「どうしてやろうね」「ブラックジャックに頼まなぁ」「ほんまにねぇ~、ブラックジャック探してきて~」「明日ブラックジャックの日(アニメの放映日)やで」という私との会話。横から、その子の母親である仲間が、「これっ、そんなこと言うもんじゃやない」とか言ってくれているけど、この場(安心しきっているこの場)だと、腹も立たず、何だか、あまりのあっけらかんぶりに楽しくなって笑ったよ。「ひさしぶりやね~。まだ入院中? 元気にしてた?」「いや~、いつものことやけど、久しぶりにちょっと大きめにパニックッちゃって、丁度ミーティング案内の告知が新聞で目に入ったから、来てみた~」「(横から子どもが)えーーーー、『パンツ喰ったんか~』」「そうなんや、パンツまで食べてしもうたわ~」 さてさて。ミーティングの中の話は、持ち出し禁止なので、ここでは触れないけれど、その後、何だか素直に、うーんと思ったことについて。 AAのオープンミーティングには参加させて貰っていたけど、いわゆる(治療者抜きの)摂食障害者ステップミーティングは、結構久しぶりだった。で、久しぶりにステップを読んで、おおおおおーーー。 やはり、回復は螺旋階段。ステップ1に完全に舞い戻って居るではないか~、あたしってば……(汗)。はははは。笑っちゃって、力が抜けた。「過食・拒食症者が回復し、成長するための10ステップ」1.私たちは痩せることへのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた。2.痩せることへの執着は、他人の評価を気にし過ぎるところからはじまり、自分の意志の力を信じ過ぎたことでひどくなったことを理解した。3.今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ、他人の評価を恐れることなく、あるがままの自分と体を受け入れようと決心した。(ステップ4以降省略) わーい。昔の私は、外見を評価されるって意味での「痩せること・美しくあること・女らしさ人形に徹すること」とかでの、痩せることへの執着だったけど、今だって、「すごく信頼を置いている、親的な存在である医師から、呆れられ見放されたくないという『他人の評価』に怯え、『体重を増やさないようにと言われているのに増やしてしまった分を取り戻す』という痩せることへの執着。そして、それを自分の意志の力で、頑張ればコントロールできるはずという前提に立って物を考えるから、自分を責める悪循環に走るけど、これだって、自分の意志の力へのパワー幻想。あっはっはあ。 もう、笑っちゃったね。まるっきり、ステップ1から、ドツボにはまっちゃって、ぐるぐるしてたじゃんあたしってばぁ。(いやぁ~ん。バンバン)と膝を叩きたくなる気分。 帰りにね、仲間が、「あのさ、切迫とかで、何ヶ月も入院して点滴だけ受けて、じっとしているだけが治療なんだけど、それこそが必要だから、入院している人っていっぱい居るじゃない」「うん」「それは責める気にならないでしょ」「うん。だって、本当に治療が必要な人だもの」「でもさ、摂食障害だって、病気だもん。ただベッドでじっとしているのが治療の人と、何ら変わらないのにって、……人のことだと、冷静に見えたりするんだよね」「摂食障害は違うよ。病気だけど、でも、自分がお馬鹿だから自分で作り出している、病気じゃん」「アル中さんでも、C型肝炎でも、肝硬変自体の治療は肝硬変の治療さ」「うーん、確かに。そうだよねぇ。人のことに置き換えると、分かるのにね…。」 そうなんだよな。私たちアディクション持ちの、よく陥る落とし穴。他人との共通点を見ることが出来ずに、違い探しばかりする。で、相手より自分の方が優れているところが見えると、自分がバッシングを受けるから、それをずるく逃れるために、「あの人より、自分はこんなところが『劣っている』」っていう違い探しをして、相手からバッシングなどを受けると傷ついてもいい私って身分を用意する。でも、「私は特別」「そんじょそこらの、幸せなパンピーとは違うのよ」っていう『裏返し』の特権階級意識ばりばり。すごく「ずるい」傲慢者。 あはは。あたし、またやってたなぁって、その会話で思ったよ。「子どもが産まれたら、そこからあとは、頑張れなくて当然で、ダメな私でもいいってことで開き直って、しんどくて頑張れないときは、全部ルームの先生達に甘えさせて貰うつもりだから、気が楽なんだけど、私の体内に居る間は、どうしても、私が血糖体重管理しないといけないわけで、そこまでは、頑張って走り続けないと…」って私が言ったら、仲間が、「そんな風に、うまく切り替われるものかなぁ。なんか同じな気がするけど」って。 はたっ、とその言葉が届いて、私の胸の中にすっと水が流れたみたいに降りていったよ。「でもさぁ、今の自分の情けなさを直視して受け入れるのが惨めだからって、入院管理してもらうのが辛いってことはさ、入院管理して貰えば、悩まなくて済むって選択肢は、ナシにしてるってことで。それって、子どもが産まれたから、はいって、すぐ変われるものなのかなぁ。やっぱり、年中無休24時間で助けて貰える環境があっても、そんな情けない母である自分を直視して認めるのが辛いってことで、そこに助けを求める選択肢は、却下になるんじゃないのかなぁ。血糖管理する必要は子どもが産まれてからとは違うかもしれないけど、本質は、血糖管理で体重管理じゃなくてさ、こんな情けない自分は自分じゃないと思いたい。そう思われたいって、本質はそこかも」押しつけるわけでもなく、仲間がぽろっと言ってくれた言葉が、自分の中でそんな風に言葉を換えて理解されていって、私のかたくなな「ぐるぐる廻り」の本質が見えて来た気がした。 うーん。やっぱり仲間の存在はすごい。ビバ! 横関係の繋がり。「親」「治療者」「評価」と、「仲間」のバランスが悪くなっていたんだね私。
2005.06.19
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ご心配お掛けしました。今日は昨日より楽です。声をかけてくださって、みんな、ありがとう。 そうだよなぁ。完璧になんか出来ないよな。って、少ぉ~し思って、頑張ったけどこれなら、それはそれで仕方ないじゃんと開き直るしかないなとも思いました。 大体、そういえば、私ってそもそも摂食障害者。今回、妊娠を目指すことになった1年2ヶ月前、「精神的に不安定になっても薬は使えなくても、それでも無事に子どもを産むために、どうしてもになったら、個室のドア、外から鍵を掛けて閉じこめてでも、食べていいとは言わないよ、それでいい?」って内科主治医のH先生が言ったんだった。そのとき、ラリラリと過食して、アル中さんが、自分のゲロの中に突っ伏して顔中ゲロだらけで眠ってしまうごとく、病室の床一面に食べ物を食べ散らかしながら朦朧として眠っている私を見ていた看護婦さんが、「私は正直、夜中に人が変わって食べる姿を見ているから、病室のドアに鍵をかけて強制的に食べられないようにしたら、窓から飛び降りるのではないかと思われて、その方が怖い。(病棟が9階だから)。閉鎖病棟がなくてごめんね。」と言うんだ。そしたら、夫が、そうなったら、鍵を閉める夜中は、毎晩会社から病院へ戻ってきて、窓から飛び降りないように、窓の横で自分が寝て、窓番をする。」って、そんな話をしていたんだった。 それで、そうやってでも乗りきろうと話した後、内科主治医のH先生は、産婦人科のA先生に紹介状を書いてくださったのだけど、そのとき、私には糖尿・高血圧・不眠・鬱・過食症・……、いっぱい書いて、で、「妊娠出産に際し、それらの薬を全部中止してもやぶさかではないと本人は申しております。妊娠後は、全てこちらで責任を持って管理しますので、不妊治療を……」とお願いしてくださったのだった。 精神的に調子が良くても、アル中さんが断酒しつづけるのが大変なように、摂食障害者が、一番厳しいラインの糖尿管理をするのは大変。まして、精神的にテンパッタ状態の時に、管理を維持するのは、すごく大変。そんなこと、分かっていて、「そのときは、鍵掛けてでも、守り抜くよ」って、そういう前提だったじゃない。 自分が過食症だってこと、忘れてたんじゃないかってくらい、今までが調子よすぎただけなんだよね。 なぁ~んて、昨日夜、考えていたの。で、胸焼けしたりして、あまり食べる気分では無かったけど、いつもは避ける食べ物ばかり、ストレス解消に食べた。(DMの敵。炭水化物だらけ →お好み焼き・焼きそば・ケーキその他) 何だか、まぁ、少し楽になったかな。 で、今日は、先日入院中に申し込んでいた、「香川保育のつどい」という勉強会に行って来た。 会場が今休学している短大の近くなので、久しぶりに短大通学に使っていた道順で、車を走らせる。 有料道路か高速道路を使って通学していたのだけど、ルームをオープンさせた時期は、忙しすぎて、いつも出せるだけスピードを出して通学していたので、速度違反や居眠りでダンプにおかま掘ってしまったりの交通事故で、あっと言う間に免許の点数が無くなったんだ。それでも片道30~45分の通学運転中は、小さいながら山を一つ越えて行くので、木々の色づきに癒されていたことを思い出した。 今は、妊娠8ヶ月に入り、制限速度+15キロ以内のスピードでしか走りたくないと思う私が居て、何だか私を取り巻く仕事環境も私自身の感じ方考え方も、変わったなぁと我ながら思ったりして。 運転しながら、ミーシャのCDをすごい音量で繰り返し、自分も大声で口ずさんだりして、……、昨日のノイローゼ状態から、少しは浮上しようと勤めてみた。 午前中は、ADHDやLD、アスペルガー、被虐待児などを含む、ちょっと気になる子どもについて、どう対応していくかという分科会に参加し、午後は、汐見稔幸先生の記念講演を聴かせて貰った。「放牧厩舎方式子育て」から「厩舎厩舎式(ブロイラー)子育て」にならざるを得ない環境が、親に背負わせる子育ての負担を非常に難しいものにしていて、……、と(ここでは以下省略しますが)、とても納得のいくお話を伺った。 その帰り道、ルームへ寄って、請求書等のチェックや、スタッフと少し話が出来た。銀行へ寄って、支払い振り込みをしたりして、ようやく帰宅。入院中の情けなさ直視より、ずっとまっとうな一日でした。 昨夜の開き直り食事の影響で、今朝は朝から血糖値高めスタートだったけど、でも、夕方までには、安定。 昨日よりは、楽な一日でした。 まぁ、やっぱり夕食後ダム決壊で過食。今現在、お腹パンパンです。ははは、摂食障害者が過食するって、ただそれだけのことじゃんって、そんな気持ちになれました。 とにかく、ここのところ、ご心配をお掛けしてばかりでごめんなさい。そして、ありがとう。 外から見た現象や行動パターンは変わっていないようでも、お陰様で、昨日よりは、ずっとマシな心理状態で今日を過ごせました。みんな、ありがとうね。
2005.06.18
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朝から、泣きが入って、呆然。 はぁ………。 昨日は、かなり有益な日だった。後日、16日の日記として、書こう。とにかく、昨日、夜になるまでは、かなり良い日だった。夕飯も計算しながら、私としてはセーブ出来ている方で、そこまでは無事クリアー。 なのに、郵便物をチェックしていて、本部からの営業資料や収支報告、請求書などに目を通しているうちに、何だか、ものすごくイヤな感じになってきた。不快で、イライラして、たまらなくなって、 いや、普通の書類なのに、何がそんなにイライラするのか、全く意味不明。それなのに、とにかく不快で不快でイライラして、ああああああ、もうぅって感じで、もうイイやと食べ始めた。補食用のストックの、おからクッキーとかカロリーメイトとか、食事用のカッテージチーズとか、ガンガン食べて、疲れていたので、食べながら途中でそのまま眠ってしまった。 今朝、4時半頃トイレに行きたくて目が覚めて、ああ、昨夜、食べてしまったんだよな、と、まず一番に思う。今の私は、ほぼ毎日、一日に17回程度トイレに行く。(16回~21回くらい)夜も、2.3時間置きにトイレに行くのが普通。なので、4時半頃トイレに起きても何とも思わなかったけど、寝ぼけた頭に、一番に貼り付くのは、「とにかく、食べちゃったまま寝たんだ…」ってことが、意識に登った。寝室は2階なんだけど、古い借家なので、トイレは1階にしかないの。だから、その都度、夜中も1階まで何度もトイレに行く。 で、トイレから出て、そのまま体重計に乗ってみた。増えていた。65.4kgだった。絶望的な気分だった。……、歯止めが効かなくて、私一体どうするんだよ!!!!! って、そのことで頭がいっぱい。妊婦だけど、マイクロダイエットでも買って、もう、どこかに籠もって自分を閉じこめておくとか、妊婦はダイエットしちゃいけないって本とかには書いてあるけど、私たちは例外。看護婦さんも、「現場では、仕方ないね、落としましょう、痩せてくださいってこと、結構あるよね」って言ってた。昨日、S先生も、やっぱり「痩せなきゃ、今は、選択の余地はないよ。」って。S先生の奥さんのお姉さんが糖尿病を持っていて、結局3回妊娠したけど、高血糖で3回とも巨大児になり、母胎が持たなくなって、胎児の手足を切り落として胎児を殺すしか母胎を生かせることが出来なかったんだよ、と話してくれた。もちろん、今とは時代が違って、現代のようなありがたいインスリン強化療法などで守って貰えていた訳ではないからだろうけれど、でも、やっぱり私は今は、何としても踏ん張って……って、そんな話を昨日したところ。この食べてしまう私を何とかしないといけないけれど、でも、せめて30Wとか32Wとかまでは、入院したくない。あまりにも、惨めで自分が情けなくて、自分の愚かさ情けなさを直視しながら病棟に居るのが苦痛で、入院はしたくないんだよ。もう、絶食しようが、マイクロダイエットだろうが、とにかく、何とかしなくちゃ……って、 イライラして、多分頭に血が上っていたのかな。暫くしたら、何だか少しお腹が痛くなってきた。別にたからちゃんが(子宮辺りが)って訳じゃない。ちょっと、下しそうかなって感じのお腹の痛さ。 で、そそうしないように、再度急いでトイレへ。 便器に腰掛けたら、やはり、ちょっと軟便下痢。ああそんな感じのお腹の痛さだったなって思っただけで、別に気にならず、頭の中では、増えてしまった体重のことや、この後、どうしていけばいいのかでいっぱい……。 トイレから出て、便が出た後の体重が気になって、体重計に乗り、64.6Kgに少しは減っていると思い、そして、一口お茶を飲みに食卓テーブルまで行って、それからまた、2階の寝室に戻る。 さて、ベッドの上で、正座ではなく、崩して横座りしながら、体温を測り血糖を測り、インスリンを打ちながら、何となく寝ぼけている夫に、冗談で!!!「もしかして、どこかにウンチ付いてたりして…。今、下しちゃったけど、なんか匂うかなぁ」と私は言った。少し下利便臭い気がしたような、気にしすぎ…ははは…と。 でも、以前から悪化しているアレルギーのせいで、一日に何度も点鼻薬を使わないといけないくらい、鼻が詰まっている私に、本当のところは分かるはずもなく、なんか少し、そんな気がしたけど、冗談ってつもりで、そんなことを言っただけだったのに。 その間も、増えてしまった体重のことと、止まらない体重のこと、この後どうすればいいのか…、「余りにも情けなさ過ぎて、病院には戻りたくない、入院はしたくない、でも体重が増え続けている……、どうしたらいいんだ」ってことばかりで、頭がいっぱい。 体温を測ったり血糖を測ったりインスリン打ったり、結構長い時間が経って、さて次の道具を袋から取り出そうとして、体を動かして、ショックで固まった。 ベッドの上が下利便だらけ。えっ見たら、お尻が乗っかって座っていた、自分の足の裏も、下利便だらけ。当然、下ろしてみていないけど、パンツも。シーツもマットパッドも。 気づかなかった。気づかなかったんだよ、自分で。 分からない。そこで粗相してしまったのが全く感じ取れなかったのか、それとも、さっきトイレで便をしたときに、余りにも、体重増加の今後をどうしたらいいのかで、頭がいっぱいで呆然としていて、お尻を拭く動作を忘れて、無意識にそのままパンツを上げてしまったのか、それすらも、自分で分からないんだよ……。 ものすごく驚いてショックで、大騒ぎしたので、夫が起きて、「大丈夫だから、大丈夫だから、動かないで」といって、ティッシュをいっぱい取ってきて、便だらけの足の裏をふき取ってくれてるんだけど、私は「もう、このマットパッド捨てるから~」とか、もう、情けなさで泣きながら興奮していて、とにかくいいから、と夫が私をお風呂場へ連れて行こうとするけど、そのまま便が付いているベッドの様子がイヤで、マットパッドを引っぺがして、ずるずると引きずって持って降りて、お風呂場へ。 パンツを下ろしてみたら、当然ぐっちゃぐちゃで、シャワーでお尻とか流すけど、かなりの時間流していても、流れていく水が何だかずっと何時までも便が混じった黄色い色をしているように見える。そんは筈ない、気のせいって、思うけど、なんだか、黄色い気がする。 パンツも、ベッドパッドも自分の体も、テキパキと洗うなんて、まっとうな行動が出来なくて、とにかく、呆然として泣いてしまって、まともな行動しなくて、とにかく、湯船に新しいお湯を溜め始めて、すがるようにいつもは入れない入浴剤を入れて……、 お湯が溜まっていく間に、やっと、パンツとマットパッドに洗剤を付けて、シャワーの下に持っていって、とにかく、壊れた人形みたいに、呆然と洗ってみたけど、ちゃんとは洗えず、投げ出して、自分がずっとシャワーをかぶっていて、その後、お湯が溜まった湯船の中に、暫く呆然と浸かっていました。 湯あたりでのぼせて、仕方なくお湯を抜いて、体から雫を拭いてお風呂場からでてきたけど、あまりに、呆然としていて、引き出しからパンツを出してきて履くってことも、何だか出来なくて、ずっと放心状態で裸で突っ立って居ました。 どうも、さっきトイレから出た後、食卓テーブルにお茶を飲みに立ち寄ったときにも、私は少し床に便を着けていたらしく、夫が拭いてくれていました。 「先日自分もお腹が緩かったときに、おならをしたつもりで、便がパンツについてしまったことがあって、全部着替えたんだ。気にすることないよ。」とか、夫は一生懸命慰めてくれているけど、それとこれとは違う。おならのついでに出ちゃった失敗、自分ですぐに失敗に気づいたっていうのと、粗相していることとか、してしまった感じとか、または、お尻を拭くことすら飛ばしてパンツを履いてしまって、それに気づかないまま何分もうろうろして、ベッドの上に、微妙な固形まで混ざった便を付けていながら、携帯見たり、アルコール綿花で指を消毒なんかして血糖測ったり、インスリン打ったり、そんなことしていても、気づくことも出来なかったって、全然違うじゃないかって、動揺して動揺して、………、裸で、立ちつくしてました。 やっと、とにかく引き出しからパンツを取り出して履けたのは、8時半を過ぎていて、何と、結局、初めにトイレへ行ってから4時間以上、実際に便の粗相をしてしまってから、3時間半くらいも、時間が消え去って居ました。 そのパンツも、普通に履くのが怖くて、今、パンティーライナーを5枚も貼り付けて、履いてます。 今日、大した仕事って訳じゃないけど、スタッフと約束をしていて、ルームに行くことにしていたの。郵便物も溜まっていて、かなり請求書とかもその中にある。請求書の振り込み期限を過ぎてしまうんじゃないかと、心配になるものもある。そんなだから、一度ルームへ行くよって、約束していたの。 できたら、電話で幾つか仕事の交渉をしたり、提案書を一つ書いて、アポの電話をするとか、今日こそは、ちょっと頑張ろうって、スケジュールを組み立てていたんだけど、 どうしようって、やっとパンツ一枚履けた状態で座り込んで、廻らない頭で考えていた。 今の心理状態で、とても仕事の話なんか役に立たない。でも、全部投げ出して、家に籠もっていても、ろくなこと考えないに違いない。こんなときこそ、感情をどこかに棚上げして、淡々と出かけて行って、やることをやったほうが、切り替えができるんじゃないか……、 できもしないのに、まだそんなこと考えたりして、でも、考えただけで、結局、動きがとれなくて、電話して、断って、行かないことにした。とにかく、明日以降に持ち越し。信用問題だけど、請求書の期限過ぎてしまうものも出てきてしまうかも。 で、結局、何にも出来ないまま時間が経って、昼前が来た。何か食べるってことも、どうしていいか分からない。あんなに早い時間に血糖測って、朝一の血糖値80だったところ。ちょうど朝食前のインスリン、ヒューマカートRを8単位打ったところで、便に気づいて時間が消えていってしまった。でも、気も失ってないから、多分低血糖も起こしていないんだと思うけど、何を食べて良いのか分からない。断食でもいいのかも、と思ったり、そんなやけっぱちなことしても、その後反動でまた食べ過ぎるんだから食べた方が「急がば回れ」なんだよと思ったり、でも、胃を縮めたほうがいいんだよと思ったり、水だけ飲もうかと思ったり、でも、トイレに行くのも怖いと思ったり、もう、支離滅裂で、何だか、時々思い出したように、つーって涙出る。 軽くノイローゼ状態になっちゃってるのかも。 ううう、これじゃいけないと思ってるんだけど。毎日毎日、そう思ってはいるんだけど。あがいてはいるんだけど。トチ狂ってばかりで、結果がついてこない。 とにかく、単純なこと。痩せろっていう、ただ、その一点。単純なことなのに、パニクってしまっているかもしれない。 で、こうして書いていたら、12:40、お昼が過ぎた。とにかく、昼の血糖測って、インスリンを打たなくちゃ。
2005.06.17
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麻布2日目。みんなの話を聞いていて、考えることがいっぱい。 母との関係のこと、夫との関係のこと、姑への理解のこと、そして、自分の本音。 O先生と話す。 私は、自分に許す触れ幅の狭さにいらいらしているらしい。まず、成功したくないことから始まっている。成功してしまうと、次を要求する自分の声が聞こえる。「もっと、もっと…、さらに頑張れ」の声。これは、育ってきた中で慣れ親しんでしまった癖だけど、たとえそれを、昔親が言ったとしても、今誰かが言ったとしても、それらを、取捨選択するのは、大人としての自分の責任なのに、私はそれらの声を自分の中に取り込む癖ができていて、今では誰も言っていなくても、まずは、自分が自分に「もっと、もっと…、さらに頑張れ」と誰かが言っている……と言い聞かせてしまう。 もう頑張りたくない。もう疲れた。もう頑張りたくない。これ以上私に要求しないで。それが、私の病気の根源。なのに、そんな自分を許せない。そこが折り合わないから、成功するのが怖い。成功するより、いつも少し不合格で、「だめな私」という立場をとり続けたほうが楽で、そのために、いつもその気楽さを求めて、成功したくないスタンスを取り続ける。「かわいそうな私」認識を自分に許しているうちは、楽だもの。自分の人生の責任をとらずに済むから。自己憐憫、セルフペティー。精神的マスターベーション。やり続けて酔っ払っていると楽だものね。いや、そのときは苦しいと思っている。入院しているときの罪悪感にしても、決して楽じゃない。でも、そこを手放した先にある、成功してしまって、かわいそうじゃない私になってしまって、「もっと、もっと…、さらに頑張れ」の声に攻め続けられるよりは、きっと楽なのだ。だから、私は、不合格な私である、体重まで、すぐに戻る。 O先生いわく、「以前みたいに、思いっきり振れて不合格やるのは、怖いわけでしょ。でも、成功も怖い。で、振れ幅狭く、不合格ラインに自分を置く。」 そういわれてみれば、確かに、今回の入院前、内科外来で内科主治医のH先生が点数で答えてくれてたとき、「努力は認めるけど、合格点はあげられない」と「ぎりぎり不合格」という評価をもらい続けていた。 もう、あまりにもむちゃくちゃで、はじけてぶちきれて、「えーい、体重30kg増加、胎児奇形の中毒症で、巨大児の胎児死亡の、……ってところまで」は、いくら「成功したくない」「だめな私でいる」スタンスの楽さとはいえ、そこまでは怖くて、罪悪感自己処罰感の大きさを受け止め切れなくて、たぶんやりたくない。それで、振れ幅が狭い。で、血糖は何とか保ちながら、体重は、いつもぎりぎり不合格まで引き戻る。 私の子育てなんて、たぶん問題だらけだよ、私が母親やるんだから……、と口では言っているけれど、こんな自分はもう嫌、自己嫌悪しなくて済む自分になりたいと、口では言うけれど、幸せになりたいと、口ではいうけれど、………、でも、本当は、今が楽。「もっと、もっと…、さらに頑張れ」の声に対して、今は免罪符与えられていると自分で思える今が楽。 将来の失敗に備えて、今の私がこうだったから、と言い訳できるように、今、何重にも、転落時の言い訳ネットを張っている。 本心では、子育てだって、今の私の自己評価の低さを一発逆転してくれるような、自分の身代わりにスーパーマンになってくれるよう、子どもを自分と同化してみなし、自分の溜飲を下げる道具にしたい野心に満ちているはず。それでも、言い訳を用意する、臆病者の周到さ。 「頑張ったのはは認めてもらえる程度に」、「やっぱりだめな私スタンス」で、「もっと、もっと…、さらに頑張れ」の声を逃れている。 だから、すっきり合格点では居られないのだろう。 今の私が繰り返してしまう体重増加。それを解釈すると、自己欺瞞の蓋が開く。 まだ、この解釈ですっきり納得がいったわけじゃない。納得いかない。そう簡単に、自分の欺瞞を直視できる力は、私には無い。 ヒントはくれた。考えろ、見つめろ、いったい何を、私は繰り返しているのか。
2005.06.15
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今朝の体重、さらに昨日より1kg増加。わが目を疑う。 6/10に61.45kgで退院してきて、4日目の朝である6/14が65.0kg。 あたし、おかしいよ。さすがに、自分の無意識を探って点検してみないといけないだろう。私の中で、何が起こっているのだろう。肉体のことじゃない。体重増加で、産婦人科外来に行くこと、内科外来に行くこと、そのときの罪悪感と劣等感、また内科入院になってしまうときのズダボロな自尊心。その苦痛を知っているのに、なぜ、こういう結果を招く行為を止められないのか。きっと、無意識に何かある。きっと、自覚できていないだけで、そこに何かメリットがあるから、私は無自覚にその行為を選択しているはず。 探らなくては。気づかなくては。まず、自分のやっていることが見えていないと、有効な対策だって取れない。 またもや睡眠時間4時間で眠くてだるいけど、頑張って起きて、朝一便で、麻布へ。 Sミーティングで仲間たちの話を聞かせてもらい、いろいろなヒントをもらう。なんだか、今の私を見るために手がかりになりそうな気付きを、みんなの話から感じるのだが、全部が断片化していて、まだ、はっきり見えてこない。 自分にストップをかけられるように、自分の目に入るように、手の甲に「量を食べない!」と自分でペン書きする。低カロリーでも、野菜でもこんにゃくでも寒天でも、とにかく、量を食べない。最低限必要な栄養素を含む(カロリーもある)全うな食べ物を、必要最低限の量だけ食べて、ほかのものを口に入れない。 一日そうやって過ごしたのに、ラストになって、私の中の誰かが大反撃。買出しに出て、ここしばらく無いほどの大過食。退治する側と、それに必死で抵抗する怪物。私の中に二人いる。口にするものも、寒天とかこんにゃくとか野菜とかのかわいいものは、今日はまったく無く、これでもか、と、自己禁止品目オンパレード。パン、業務用ソーセージ大袋、業務用コンビーフ大缶、チョコレート各種、羊羹、ウエハースクッキー各種etc。もちろん、これらを買い物籠に入れた段階から、吐くことが前提だから、それ用の飲料水も4リットル。過食→嘔吐→過食。不味い。コンビーフをそれだけ食べ続けたら塩辛くて舌がしびれる。チョコレートも不味い。まずい、まずい、まずい………。頭痛がする。久しぶりに頭痛がしながらの過食。 今の私に、何が起こっているのだろう。自分が見えていない。
2005.06.14
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また、昨日から1.1kgの体重増加。睡眠不足で眠いのだが、今日からしっかりと食事を立て直さないといけないので、まずは、予定時間に起床することから。「目覚ましがなる。体温を測る。トイレへ行き、体重計に乗る。血糖測定、インスリン注射、血圧測定。葉酸タブレットと酸化マグネシウムを飲んで、朝食の準備。出産準備ダイアリーの食事欄に、食べる内容を記入。食後2時間血糖値を測るために使うタイマーを2つセットして、さて、いただきま~す」これが、毎朝の手順。で、食べて、そのうち朝食後2時間のタイマーが鳴り、血糖測定。内容をノートに記録して、分食。昼が来て、血糖測定、インスリン注射、食べるものを揃える。ノートに食事内容記録、タイマーセット、昼食をいただきます。で、食べて、そのうち昼食後2時間のタイマーが鳴り、血糖測定。内容をノートに記録して、分食。で、夕方が来て、血糖測定、インスリン注射、ここまでは、たいてい優等生にできるのだけど、食べるものを揃えるときに、量が多くなる。ノートに食事内容記録、タイマーセット、夕食をいただきます。量が多くてもそれでやめておけばまだしも、そこから、食べるべきじゃないものまで、いいか…と食べてしまって、ここで崩れることが多い。で、夕食後2時間血糖値にがっくり。本来の食事がちゃんとできている場合は、その後23時に最後6回目の分食。01時(2時間後)に、6回目の分食が食べ過ぎていないか、最後の血糖測定。で、一日が終了。 この日は、朝食後も昼食後も、分食をとって大丈夫な食事内容と量、食後血糖値だったけど、ここ数日で増えてしまった体重を戻したいので、何とか全体のカロリーを抑えるべく、分食2回分をパス。昼前血糖62、夕前血糖48だったけど、別に大丈夫だし。 夕食は量を食べたかったので、「レタス、きゅうり、ナス、ブロッコリー、水菜、大根、+シュウマイ」という具材で、粉寒天たっぷりのコンソメチリスープにした。 かなり自分では合格メニューのつもりだったのに、シュウマイが多かったのか、それとも安心してしまって、たぶん大丈夫だろうと主食をミニアンパン(コンビニとかで売っている、1袋に4~6個のチビアンパンが入っているもの一切れ)にしたのが悪かったのか、ここで、失敗。夕食後血糖が150に。 マジでショック。食べちゃったよと自覚していて血糖値が高いならまだしも、自分ではかなり合格のつもりで、だめ結果なのは、かなりのショック。 今日は洗濯機を2回まわして、旦那さんが机の下に隠してあった、焦げ焦げフライパンを磨いて……、朝から食事の管理も頑張ったつもりで、まあまあいい一日をすごせたと思っていただけに、全部がひっくり返った気分。 最後の最後になって、一日の評価が、ガックンと失墜。
2005.06.13
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昨夜は、血糖も大丈夫だったけど、量もまあ、まともだったのかな。体重は前日を維持。でも、昨日増えてしまったものを、取り戻すには、至らず。ま、お祝い外食したから、そこまでは望めなくても仕方なしとする。 昨夜、夜更かし。マタニティーウェアを整えたり、ちょっと片付けしたりしてたので、午前4時に寝て、昼前に起床。 朝ごはんが遅く、しっかり食べたので食後血糖高く、昼食抜き。 午後から、1件、仕事上のご挨拶に。その後急いでアカチャンホンポへ。 9月頭に出産予定だと、たからちゃんの肌着など、何をどのくらいそろえていいのか迷う。とりあえず、私がいつ入院しても、すぐに必要なものだけは最低限、買い揃えておきたくて、先日、市の保健センターでのマタニティークラスの際、質問してみた。 そこで、最低限の買い物リストを作成。1.新生児用オムツ1パック+お尻ふき。2.ガーゼハンカチ10枚。3.短肌着(50cm)10枚。4.ウエア(カバーオールorベビードレス)、「普段着3着」または「お出かけ用1着+普段着2着」。5.新生児用ミルク1缶。(哺乳瓶1セット+ミルトン1セット+母乳パット)6.入浴時用品 ベビー全身シャンプー・体温計・湯温計など(ベビーバスは既に「タミータブ」を購入済み。)7.ベビー布団セット(ベビーベッドは、ダスキンレントオールでチャイルドシートと一緒に予約済み。買戻し制度を利用して、新品を購入。使い終わったら下取りしてもらうことに)8.産後すぐから使う骨盤矯正用品(ガードル等のリフォーム下着ではなく、腹巻状のもの+コルセットだそうで…) でも、助産師さんのアドバイスはナイスで…、「この具体的な準備物のアドバイスより、お宅の場合は旦那さんが協力的だし、奥さんが入院がちだから、何よりの準備は、旦那さんにお店と売り場を教えておき、買うものを教えて、経験してもらっておくことが、何よりの準備かも。そしたら、その後、後で、○○買ってきてと頼むことができるし、頼まれた旦那さんも、あまり困らずスムーズに買えるだろうし」だそう。 というわけで、先日腹帯やガードルを買いに、一度夫と一緒に西松屋さんには行ったことがあるので、今日は夫をアカチャンホンポに慣れてもらう。 でも、アカチャンホンポはクレジットカード支払いができないのね~。清算のときに気づきました。(西松屋さんはカードok)。今回、ベビー布団とオクルミや外出用お洋服などで、少し金額がまとまった買い物だったので、カード支払いできないのは、ケチな私にはちょっと残念。 私は、麻布との行き来で、飛行機を利用する生活ので、何でもJALカード(VISA)での支払いに固めてマイレージにしたい人なのでした。そんな生活が、もう10年になりました。マイレージがあると、新幹線より高速バスより、飛行機が安い。だから、ネットの接続料から、ガソリンの支払いから、スーパーでの食材支払いまで、使えるものは全部カードに固めていて、毎月の生活費でカードで払えるものすべてを固めると、結構な無料航空券になるのでした。(ちなみに、今月からN病院の支払いもカード可になった。去年から可だったら、昨年の入院費で、いったい何往復分のマイレージが貯まっただろうか、と取らぬ狸の皮算用。東京に住んでいたときは、女子医大の糖尿病センターでお世話になっていて、あそこはJCBカードのみ可だったため、ANAカードをJCBにしてマイルを貯めてたんだ。今になると、両方使う人は実感すると思うけど、同じことを頼んでも、JALの対応は悪くなり、ANAはどんどん気持ちよく対応してくれるようになって、差が開いてきたので、JALカードをJCBに、ANAカードをVISAにと、逆にしておけばよかったなぁ、と残念。) とにかく、当初の目的は達成。以前に、西松屋と、地元では高級志向の店のオカウチAPIへは夫と二人で行ったので、ほかに、ゆめタウン、サティー、ドラッグストアは、夫にデビューしておいてもらいたいのだが、まぁ、最低限、アカチャンホンポにさえ行ければ、今後必要なものを買ってきてもらえるとは思うし……。(ちなみに、高松には、ベビーザラスは無いの) 結局、閉店時間を過ぎて、あわただしく買い揃えて、帰宅。夕飯も遅くなり、朝同様の結果に。6分食しないといけないはずのDM妊婦なのに、一日2食に。DM妊婦としての食事は不合格だけど、全体としては、まぁ頑張った一日だった。後は、「食べるのを控えること」について、頑張り直そう。
2005.06.12
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昨夜、それほどのものは食べていなくても、量をたべちゃったので、朝一の体重が、前日(まだ病院にいた朝)より、1.6Kg増。あぁ、同じことを繰り返している。 朝を迎えて、すごくだるくて……、今日は、入院中になんだか少しやれそうな気分になった際、申し込みをしてしまった、N病院の糖尿病患者会の日。 参加って申し込みしてしまったことを後悔。先日、患者会の会長さんが他界されて、役員の入れ替わりがあり、仲のいい仲間が、今回から役員として参加すると聞いていたので、彼女はたぶん今日来ているはず。 彼女にも会えることだし、行くか…と、頑張って家を出る。頑張らないとテンションを支えられないときの私の定番は、ミーシャのCD。車を運転中、ものすごいボリュームで流しておく。 行ってみたら、そのAちゃんも来ていて、楽しめた。Aちゃんに新しい出会いがあって、表情が素敵だった。よかったぁ。うれしい。私なんだか、Aちゃんには、自分を同化させて感じすぎるきらいがあって、そこは意識しておかないといけないんだけど、でも、ホント、Aちゃんには幸せになってもらいたいんだ。このままうまくいってくれるといいなぁ。 ところで、今日は私たち夫婦の結婚記念日。どうも私はいつの間にか1年多く思っていたらしいのだが、今回数えなおしてみたら、丸8年が過ぎて、9年目に突入ということらしい。夫も私も、結婚記念日が6月10日だったか11日だったか分からなくなって、あれって感じで以前の手帳をひっくり返し確認してみたの。 夕食に鮮魚料理のお店に。うにといくらの2色丼なんかを頼んでも、私は一口ずつ食べて、後は夫に食べてもらうって形で、いろいろなお魚料理を注文。血糖値からいくと、食べすぎではないみたいだったけど、夫は満腹で苦しそうだった。ごめん。 とにかく、私とダーパパとお腹のたからちゃん、3人で、お祝いをしました。今の幸せに感謝です。(………、と、出産準備ダイアリーには、メモ書きしてある…のを、今6/15に入力している。が、今は実はそんな気分じゃないんだけどなぁ。)蛇足。(この日記上、私って自分のことをなんて書けばいいのか悩む。○○ちゃんのママと呼ばれるのはいかがなものかと思ったりもするので、「たからちゃんママ」と自分で書くのも、ちょっと抵抗があったりして。「きゅーぴーママ」「QPママ」「とねりママ」「ピロコママ」………、なんて書くとしっくりくるかなぁ?)
2005.06.11
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退院してきた。朝から退院準備などで気が張っていて疲れた。 たからちゃんが大きくなってきてくれているからか、最近そんなに、胃が「お腹がすいた~」と言わない。 なのに、夕方、夫が帰るのを待たずに、「ちょっとだけ」ち食べ物を口にしたが最後…。 トコロテン4袋、刺身こんにゃく4袋。 やっぱり、目(脳)が、狂った量を覚えている。そしてそのまま食べすぎて、歯止めが効かず………。 あれだけ病院で反省したじゃない。まだ学習できてないわけ? もう、今日できっぱりと止めないと。
2005.06.10
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明日で27w0d。次の入院は30w前後の見込み。3週間~1ヶ月強は時間がある。 「この貴重な時間」にできる限り仕事しよう…と、以前は思っていたけど、私の中で「貴重」の意味が変化したのか…。今は「この貴重な時間」どれだけ穏やかに居られるか、辛くなくてもなるべく仕事をしないでおこうと思う。 以前も、納得いく仕事なんて出来てなかったけど、しんどくない限りは少しでも仕事しようという気持ちで居たもん。 ダーが日程を空けてくれて、「旅行に行こう。楽しいこと考えて。」という。嬉しい反面スタッフに申し訳ないとも思ってしまうヨ。
2005.06.09
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それを今回、(看護師さんがいちいちベッドサイドにしに来る"部屋打ち"じゃなく、)もう信頼して任せるからと、自宅のように全て自分で管理して、結果の数値だけ報告する形の"部屋打ち"にしてくれた。 トイレとお風呂、洗面洗濯、売店くらいしかウロウロしなくて済んで、無神経なおばちゃん攻撃に神経を尖らせることもかなり少なく過ごせ、今回の敵は、自分の罪悪感だけだったかな。 その間に、「試験や仕事や出産準備」と、「妊娠管理」の優先順位が、自分の中でかなり明確に腑に落ちたので、退院後、少しは落ち着いて管理できるかな…。だとイイナァ。
2005.06.09
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明日、取り敢えず退院することになった。 今回の病室は4人部屋。全員がカーテンを閉めっぱなしの部屋で、人のことは我関せずスタンスだったので、しんどいながらも、少しは過ごし易かったな。 ここの病棟は基本的にDM患者メインなので、時間が来ると、該当する患者が全員ゾロゾロとナースステーションへ出向き看護師さんの監視のもと血糖測定やインスリン注射を行うため、患者は詰め所の外ベンチで順番待ち。その通称「糖尿銀座」がかなりイヤなんだな。DMになったばかりのおばちゃんとかは、大抵テンション高く他人と数値を比べたがり、「若いのに」とか「若いから大丈夫」とか言う。
2005.06.09
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こんなに入院ばかりで、嬉しい筈なく、 情けないし、 こうしないと産めない劣等感や、 周囲に迷惑だと責めるのも受け入れるしかないし…。 中毒症(高血圧症候群)でそれだけ自己憐憫に耽溺しても許されるなら…、 ……私がなけなしの支えやハリボテで笑って居られなくても、許されるだろうか。 「これだけ、支えてもらい、迷惑をかけ生きさせてもらっているのだから、感謝こそすれ、不満など持てる身分にない」という自己規制。 ウン、ホントウニ不満はない。 でも…、「不満はないけど、辛い」んだ。 笑えないことも、自分に許そう。
2005.06.08
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市のマタニティークラス3回目。分娩時の説明を受ける。 詳しい説明は、各産院ごとに違ってくるし、産院のマタニティークラスでそれぞれに説明を受けるだろうからと、ここでは漠然とした話ばかりだったが、 「習った通りにならなかったり、思い描いたような出産にならなくても、『失敗した』と思わないで。」「開き直り、受け入れる」のも大事という話があった。 ご自分の体験談で、二人目のとき、中毒症になって「もう危険だから産ませる」ことになり、降圧剤や精神安定剤を使っていたので母乳を与えられず搾っては捨てていて、精神ボロボロだったと…。
2005.06.08
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昨日、ウダウダと楽天日記を入力。 あの長さを携帯からプチプチしつこく入力する訳で、かなりの時間が潰せた。 時間潰しに書いているんじゃないんだけど、 毒を吐きそうな心理状態のときは、人を巻き込むとロクなことがない。 日記を入力することに、その意識を向けていると、凶暴な自分を他者にこぼさなくて済む。 それにね、「書くこと & 書いたものを読むこと & 時間が過ぎること」が、私に少し落ち着きをプレゼントしてくれたみたい。 昨日だったら、ダーに何かしら毒を吐いたろうと思うけど、今日はいつもの気分で居られた。
2005.06.08
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結婚前、経済状況の話になったときも、結局ずっとウヤムヤにして収入も言わず、結婚してみたら借金だらけ。未だに彼の収入を私は知らされず、ライフプランも立たないまま。 姑のことも、家のローンのことも、そこに住み着いている離婚した妹とその息子のことも話し合わない。私は、本当に困るまで、触れないでいてあげようと、譲歩しているつもりだった。 だが彼は、ずっと口では綺麗ごと言いながら腹で私を気違いと罵っていた姑と同じだった。大事なことは言わずに腹の中で離反していたのだ。腹の中が違う彼と家族でいるのが怖くなってきた。
2005.06.07
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で、甘えて話してみることにした。 そんな話を始めるまで、テレビ番組のたわいない話はニコニコしていた癖に、「ストレス溜まってイライラするから、甘えたい。聞いてもらっていいかな?」と話し出すと、どんどん不愉快そうになっていった。 私が聞き流さず、一つ一つに自分の意見を言うこと姿勢が「自意識過剰」で、もういい加減にしてくれと思っている人もいる(夫自身のこと)という。 私に言わせれば、分かり合い摺り合わせて行くための伝える努力をしているつもりで、そこをいつもサボって手抜きして、ナーナーでウヤムヤにする夫をズルイと思っていた。
2005.06.07
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そこで迷ったのが、夫。 自分の仕事もまだ忙しく土曜も日曜もずっと休みが無く、なのにたからちゃんのこと喜んでくれて、毎日少しずつでも病室に顔を見せてくれる。全く無給でルームの経理もしてくれ、今月は決算まである。 疲れが溜まっているの、見ていて分かる。 優しいけど、反面大事な話からは逃げるズルさもあり、正直言って、結婚9年が終わるのに、未だに大事な話は彼が貝になるので、私は出来ない。 そんな状況。 …それで、私はこの人に甘えて自分の心境など、聞いてもらっていいだろうか。話してみる? 夫婦って?
2005.06.07
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いいひとロボットの笑顔は、新興宗教にテンパッテいるひと特有のラリッた能面笑顔を貼り付けみたいに気持ち悪い。この激しい感情の方が等身大の人間らしくていいと、以前担当医師によく指摘されたことを思い出す。 でも、実際過食せずにこの感情、どう対処したものか。子どものヒステリーのようにそのままぶつけられたら、相手も大変だろう。 感情をぶちまけるのではなく「自己主張」という形で、意思を伝えるのだよと、麻布でアサーティウ゛トレーニングを教わって来たはす。 まず、病棟の看護師さんを捕まえて、話し垂れ流すのは止めよう、H先生も忙しい。
2005.06.06
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母が帰ってから、前夜のスタッフのこともあり、私はイライラザワザワして何とも言えない気分だった。 かつてこんなとき、それでも他者を責めたり喚き出したりしないよう、自分の悪露をこぼさず笑顔で居るために、私には過食と眠剤が必要だった。 言い換えれば、「いい人・出来た人ロボット」の私を維持する燃料が、過食と眠剤だった訳だが、今はたからちゃんを迎えるために、それら全ての燃料を封印。 燃料無しで、このロボットは存在させられない。 今私の中には、姑も誰も彼もを口汚く罵る、自分でさえ驚くほどの激しさが充満している。
2005.06.06
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それでも、わざわざ面と向かって相変わらず、 「生まれる前から迷惑掛けて恩のある姑に心から尻尾振ってなつけないのは、あなたの傲慢」なんて言われると不愉快だ。 彼女の論理は、SMプレイか奴隷の調教。 私に対人恐怖や卑屈根性を刷り込んだのは、間違いなく母の生き様。その生き辛い人生のレールを自ら敷き直すのは、我ながら大変な訓練の日々だった。 相変わらず、愛情という名前で腐ったミルクと毒林檎を差し出しにわざわざ病院に来た母に、 私は反論し、服従もせず、しかし愛情はありがとうと感謝を述べてエレベーターまで見送った。
2005.06.06
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母は不器用な人。 母は私を守れない、母親業のマズさを若い私は責めたけど、 それこそ、「ノーバディーズ パーフェクト」完璧な親など誰もいないし、母は私に「生まれて生きるチャンスを与えたというそれだけで、十分に感謝に値する」のであって、あとのことは、子どもだからといって図々しく期待要求する幼児性から、私自身の責任で巣立たなければならないことを、医師たちが手を曳い教えてくれた。 完璧ではない母でも、私は彼女が好きだし感謝していると思えたとき、 私自身も、肩の力を抜いて「子どもを生み育てたい」と思えるようになった。
2005.06.05
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「愚痴を言うな、悪いのは全て傲慢なあなた自身。」 子ども頃から、どんなときも母は私にそう言った。私の味方に立って私に共感してくれたことは無かった。 姑の金使いも、嫁ぎ先の借金も、離婚した娘とその子と気ままに暮らすために姑から気違い呼ばわりされてローンと税金だけ払い続ける家を追い出されても、 母は「大変ね。でもお姑さんに添いなさい。それができないのはあなたが傲慢で強情だから。」と言い続けた。 私は若い頃苦しくて、母の態度と言葉は私に自殺をさせた。今ある私を救い守ったのは母ではなく医師たちだった。
2005.06.05
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それ以降、母は宗教がかった。息を引き取るためだけに腕の中に生まれてくれた息子は、自分の傲慢さを教えに来たのだ、と。 先日の明け方、突然その時のことを思い、私の出産と重なったのだそうだ。 「姑の意に添えない強情な自分をいつもいつも神様に詫び続けていないといけないよ。自分は何も悪いことはしてないと思っていても、前世で10倍の恥ずかしいことをしていて、姑というのはその前世で大変な恩をくれたひとなのだから。」と。 母の理屈では常に、私は生まれる前に掛けた償い切れない迷惑の謝罪をしない傲慢さゆえ有罪。
2005.06.05
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DMだの妊娠だので家族が見舞いなど来る筈もない。そんななのに仕事上の用事ではなく母が病院に来た。何かと思ったら説教だった。 「説教」は、それはそれで、愛情表現だと理解してる。親が「親として」心を掛けてくれているんだ。あと何年そうして生きていてくれるとも思えない。有り難いことだと。 親として心を掛けてくれるのは有り難いが、しかし、説教の内容がいけない。 母は初めての子どもを早産し、40数年前の保育器だから温度が一定せず、その夜自分の腕に抱かせて貰ったままその子どもは息を引き取った体験がある。
2005.06.04
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そんな思いを黙って飲み込んで、やっと1日、母が病院に来た。 祖父の肝硬変、祖母の23年間闘病の筋ジスに始まり、家族中病院慣れし過ぎて、 家族に副甲状腺の摘出手術や癌での腎臓摘出手術etc…何があっても、「あっそう」って扱い。 別に冷たい訳じゃなく、実利的な用はしてくれる。私が学生のとき東京の下宿先で髄膜炎から脳膜炎に進んで一人入院したら、埼玉にいた兄が入院道具を買い洗濯しに来てくれ神奈川にいた兄が雑炊を作ってくれた。 仕事上の用事や介護が必要な場合は来るが、ただ見舞うということは無い家族。
2005.06.04
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ケーキ差し入れて3万円。「みんなでお茶でも」と1万円。「みんなでカラオケ」と3万円。扶養を外れたくないけど手伝ってくれたら給料で払えないから謝礼金も…。全部、私の家計から個人で出す。 不妊治療の予算をもう使わなくてよくなったので負担を掛け続けたからと、ティファニーのネックレスをプレゼントしたとき、彼女は「貰っておいて言うのも何だけど、こんなモノ貰うよりね~」と。 いつもの私なら、公務員しかしたことのない彼女に、まして経営者の立場など分からないのは仕方ないし、その点は期待しないと受け流すのだが、今日は無性にやり切れない。
2005.06.04
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うちは、人件費とルームの売上がイコールで、保育料全てが現場の先生たちへ右から左。勿論私の給料は無く、他からの収入で何とか家賃や電気電話税金保険などを払い、足らずは私個人の借金で補う。私には命しか財産がないから命を担保の生命保険で借金。今その額一億円。 割引したら、人件費の不足分あなたの給料で賄ってくれるの?幾らでも私に借金させて首でも吊ればいいと思ってる? 「自分から電話すると電話代かかるから、かけて来て下さい」に始まり…。今回の件、希望通りにならないと、私を責めて「ダメなんですね、じゃいいですっ」と。
2005.06.03
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スタッフの電話は、「自分の知人がうちのルームを利用する場合に、割引契約してくれ」という内容。 うちには法人契約があるが、それは一定量の利用がある場合に格安になるというもの。一定量の利用が無ければ、かえって高くつく。しかし彼女は、一人が少しだけ使うけど値引きしてという。 彼女が入社したばかりの世間知らずなら、子どもだなぁと笑って許せるかもしれないが、そうではない。 毎月の収支も見る立場にありながら、多分見ても居ないんだろう。私から搾り取ることは何ともないらしい。私も一人の人間だとは思わないのかな。
2005.06.03
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ここのところ、何だか凄く腹が立つ。"妊婦さん"だから、情緒不安定なのだと思いたい。 それまで自分の機嫌を損ねないように気を付けていたのに、寝る前にかかったスタッフからの一本の電話で、ものすごく不愉快になって、何度となく目を覚ましてイライラと考え込む。 翌朝、そのスタッフに直接話しに行こうかとさえ何度も考えては、自分を諌める。 そうやってやっと時間が過ぎ騒ぎを起こさず夕方を迎えたと思ったら、母が病院を訪ねてくれたのに、その説教に堪らなくなる。 それら2点に付いて夫にぶちまけたら、夫の返事に更にムカツイて…
2005.06.03
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そんなことを振り返って考えてたら、 試験なんて、単なる見栄や焦りだったりしたんじゃないか…、心が曇っていたんじゃないか…、と、更に思えてきた。 私はすぐ曇ってしまう。だから、麻布で仲間の琴線に触れるような話やS先生の話を聞かせて貰ったり…、なんとか意識しながらじゃないと、 すぐ浮かれポンチで現状把握が甘くなり、のぼせ上がってしまう。 自分にニュートラルな目を持たせ続けるのが難しい、愚か者小人だなぁ。 夕飯時、栄養士のKさんが会いに来てくれて、 「みんなで、お腹の中の人を守ってるだよ~~」って。m(__)m
2005.06.02
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H先生、「言ったら悪いけど、こんなに手をかけて子ども産ませた患者、居ないよ。 大抵、妊娠してからだし。 生まれたら二人で泣く?」と言う。 私は、本当にスミマセンと頭を下げた。 そうだよな。妊娠どころかって状態で入院を始めた昨年1月、 まず20kg痩せてHbA1Cを下げ、 眠剤安定剤など全て切って泣き喚いた時期も見守って貰って、 更に、不妊治療で受胎できるのを待ちながら、 それら全てを妊娠許可範囲内の血糖管理で過ごさせなくちゃいけなくて、 やっと妊娠して、今7ヶ月半(明日から26w)。 ありがとうございます、本当に。
2005.06.02
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昨日ダーに付き合って貰って、自分なりに気持ちの整理がついたので、今朝H先生に、「土曜日の退院、少し延ばそうと思う」と返事した。 ダーは、 何を根拠に言っているのかよく分からないけど、「一週間くらい延ばしたら」と言ったが、 案外本当に、その位で、 新しい考え方や感じ方、穏やかな気持ちや追われ焦る気持ちについて、馴染むことができ、丁度いいのかも…と、漠然と思う。 こんなおバカを守っていると、先生自体が病院や看護師さんたちから「やり過ぎなんじゃないの」と責められているんじゃないかと、申し訳なく思う。
2005.06.02
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今、宝良ちゃんより試験が大事な筈も無いのに。 退院が延期になるなら、試験勉強用のテキストをまた持って来て貰わなくては、なんて思ってた。 違うよね。 今年中に残り科目全部受かってしまわないと勿体無いと焦ってたけど…、「止めた!」。 今の合格科目は無効になるけど、一科目でも今年取れれば、来年にまた気持ちも繋げられるだろうし。 今年は受けるだけでいいじゃん。 それより平安な気持ちで過ごすことで、宝良ちゃんを守ること!! そう言えば、H先生「帰っても、ガチャガチャして欲しくないんだけど…」って言ってたな。
2005.06.01
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頭がとっ散らかって、夜ダーが来てくれたときに相談。 「すごく頑張っていたにも関わらず、入院しなくちゃいけない体調(数値)になってしまう今までのやり方で退院後を過ごすのと、 それらを、期間限定だと思ったからとは言え外してみて、 今までのどの入院生活でも、いつも何かに追われ焦って仕事に自分を追い込む自宅での何年間かでも、過ごせたことのなかった『平安さ』を体験できた数日とを、考えてみたら。」とダー。 「そもそも今、仕事とか、まして試験とか言うこと自体、おかしいよ。」と。 何だか、ふっと混乱が解けた。
2005.06.01
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今週の土曜日に退院予定で、退院後の、営業・勉強・麻布への通院・etcへ、気持ちを切り替えてきた。 なのに、 H先生「本当に土曜日に帰るのでいいの? よく悩んで自分で決めて。前日の金曜日に決めてくれたのでいいから。」と言う。 確かに、帰った途端にハイパーテンションで仕事などをすると決めたから、だからここ数日すっきりと休め、穏やかな気持ちで過ごせたのだ。 困った。このスケジュールをこなせば、絶対に過食か"コンニャク舞茸寒天汁"はどう考えても止められない。でも、スケジュールを放棄してのんびり過ごす自分なんて許せない気がする。
2005.06.01
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