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いったい何をしようとしているのだろう。 5時45分。 外はまだ暗い。 ふと思うのは友人知人のこと。バイク王、関さん、ちーちゃん、銀ちゃん…。そのほかの方々。 バイク王、銀ちゃん、すみれさん、野の萩さん、露草ちゃん、南京はぜさん、痩せたオオカミさん、双子のあかぺんさん、そのほかの方々。 書き込みが出来なくてごめんなさい。楽しみにしていたのだが、あまりにも下劣なものがあまりにも飛び込んで来るので「書き込み禁止」の処置を。 どうしてあんなものを送り届けてくるのだろう。どんな女性をどうしたとかどんな女性とこうしたとか。 文章力も描写力もない、そんなメールは本当に害毒だ時間の無駄だ泥濘だ澱だ。 どうしても合点がいかない。 バイクの鍵がなくなってしまった。「なくなってしまった」としか言いようがない。 昨日の18時過ぎ、書斎のスタンドの蛍光灯が、ちかちかチカチカと切れかかっているので新しいのを買いに出かけようとした。 近くの電気屋へ歩いて行けばこのようなことは起きなかった。 少し遠くの、ポイントがつく店のカードを探そうと家へ戻った。ずっと思い出してみたのだが、どうも鍵をバイクにつけたまま、だったようだ。 ほんの数分で戻った。鍵がない。 家へ持っていったままかと、家の中をあちこち探した探した(さっきも探していた)。布団をめくりシーツをめくり、書類を動かし、本をどかし、鞄の中まで。 ないないない。 買い物は、近くの店ですませた。予備の鍵を使って出かけた。 空が白んできた。 どうも、ポイントカードを探しに家へ戻ったあの数分の間の出来事、と思わざるを得ない。 玄関の鍵もついている。玄関のドアを換えなければならないか。バイクには鎖をつければいいが。 通りがかりの者のいたずらか。 それとも犬猿の仲の前の家のあの女の仕業であるか…。 いや、いかん、これでは、薄汚いメールを送ってくるヤカラとおんなじレベルになってしまう。 気分を変えよう。せっかくの新しい朝だ。そして、「の」のこのように多い文章は悪文、ということを思いだそう。 例外は、ある。 行く秋の大和の里の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲 パソコンが「『の』の連続」とチェック。はいはいはい。
2008.08.31
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母が生きた月日は流れて……、三十数年が過ぎた庭付きテラスハウスが、取り壊されることになった。 そこに一人で住んでいる高齢の母は、少し認知症が進んでいる。 ショートステイの施設に預けて、妹と二人で引っ越し作業。歩いて数分の高層ビルの最上階・14階のワンルームが、新しいすみか。 二年後には、二階建てのテラスハウスも取り壊されて、やがて高層ビルに生まれ変わる。その<最新>の建物も、いずれは崩壊の時が来る。 ヒトは生きるためにどれほどの道具と器財を必要とするのだろうか、などと、ふと考えてしまった。着る物、読む物、書く物、作る道具……。 母は自分ではきっと捨てられないだろうな、と思いつつ、様々な品物を廃棄廃棄廃棄。コチラは不要と思っても母には捨てがたい物ばかりだろう、とちょっとココロを痛めながら。 ほこりほこり、そして、ゴキブリの死骸、卵の形骸。今は別居している父(老人ホーム)と母が生きた証。 二回から、妹の旦那とタンスや本箱を5つ6つ運び出す。よくもまあ、こんな狭い階段から入れたものだ。 ということは、我々は二つのタンスと本箱をのこぎりで半分にして下ろさなければならなかった。 汗。汗。汗。 大きな物は専門業者に依頼し、細々とした物をキャリーバッグに押し込んで往復。ゲリラ豪雨にも襲われた。 手を動かしながらも、妹の口は閉ざされない。様々な繰り言、思い出、回顧談。そこから車で20~30分の農家に嫁に行った妹は、このテラスハウスで若い頃を過ごした。お舅さんが先見の明を持っていたがため、土地をうまく活用した。妹夫婦は恵まれた財産を受け継いでいる。 実家に対しては、末っ子の彼女は、それなりの苦労が積もり積もっているようだ。 自分で住むなら快適だろう! 新しい部屋は、何かと気配りがなされている。色々そろっている。が、「環境が変わると認知症が進むのではないか」というのは、妹の旦那の体験談。彼の母者も、彼らをさんざん手こずらせ、そんな経路をたどって、今は認知症専門のホームで生きている。 出来るかぎりの「原型復帰」を心がけて部屋を整えた。母の若いときの写真集や旧制高等女学校の成績表、などを、手を休めた時に覗く。 多分、満足しないだろうが。 今日の午後、母は戻ってくる。nnnn。 会議を済ませて、また駆けつけなければ。mmm。やがては自分の荷物も片付けなければ。 あなたの命。私のいのち。命、いのち。 それをどうまとめるか、どう見つめるか。今日の母は明日の私。
2008.08.30
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イキル拠点を移す重労働。
2008.08.29
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小さな庭付きの二階建てテラス長屋が取り壊されることになった。 某巨大団地に、母者は住んでいる。 いずれ、高層ビルが建つのであろう。 そこを出ることになった。14階建て高層ビルの最上階が、母者の新しい住まい。「屋上、屋上」と言って、あまり喜んではいない。末の娘に追いやられた、と思いこんでいる。 明日は引っ越し。今日は、旧宅の荷物を片付け、整理するために、泊まりがけで出かける。 寝るところは、母じゃより先に14階の部屋を使用。布団は、妹が用意してくれている、らしい。 すまい。すむところ。 ほんの短い生の間、ヒトは住まいにこだわる。 新しい住まいを歓迎市内母者の気持ちも、わかる。 風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬわが思ひかな (新古今集 西行法師) 母の胸の内はこのようなものであろうか。 あるいは、 時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ の方だろうか。 (新古今集 業平朝臣) 雷が鳴っている。
2008.08.28
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エラーが発生しましたのメッセージ。 ああ、機械。 書きたいのに書けないmっmm。 これではむざむざと機会を逃してしまう。mmm。
2008.08.28
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またまた柔道ネタ。 17日発売のスポーツ紙「東京スポーツ」には、「柔道金メダリスト・石井慧にストーカー疑惑!?」という驚くべき見出しが躍った。... ストーカー疑惑!?」??!! 何のことはない、憧れの小川選手(強かった。アントニオ・猪木に誘われ、今は柔道の世界から離れて格闘技)の教えを受けたくて、小川選手のいた明治大学へ日参(?)した、と言うだけのこと。 憧れの人もいない、教えを請おうとしたこともないヤカラが、こんな記事を作り上げる。 多くの場合、無視されるか取り巻きの連中によって追い返される、場合によっては罵倒され、蹴られる。それだけの覚悟で行動している。 一種の美談である。一種ではないかもしれない、まさに美談かもしれない。 なのに、なんという愚かな見出し。 ただ単に新聞が売れればいいのか? 北京五輪第15日、柔道男子100キロ超級で見事金メダルを獲得した石井慧。北京五輪で、内柴正人の金メダル以外は惨敗という男子柔道を救った若き新ヒーローの登場。 発言はまだおぼつかないところもあったが、21歳の奔放な若武者。あのとき、本当に胸がすっとした。 多くの日本人が同じ思いだったのではないだろうか。 本当に無礼な記事。ハイエナ記事。ナメクジ記事。 トキのヒトの威光を借りて一儲けしようとする卑しさ。 投書にも「見出しにだまされて(新聞を)買ってしまった」とあった。 小なりとはいえ、ジャーナリズムの片隅(ではないかもしれない)「東京スポーツ」。社会の木鐸、という、古いが今でも生きている言葉を思い出しなさい。 売れればいい、という精神を反省して、小川選手に謝りなさい、石井選手に社告のお詫びを書きなさい。 それでもなお、鼻でせせら笑って「売れれば勝ち」とでもほざくか。 敗者復活戦柔道二段
2008.08.23
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「柔道金メダリスト・石井慧にストーカー疑惑!?」という驚くべき見出しが躍った。 17日発売のスポーツ紙「東京スポーツ」の見出し。 もう過ぎたことだが、どうしても一言言いたい。 北京五輪第15日、柔道男子100キロ超級で見事金メダルを獲得した石井慧選手。100キロ級の鈴木桂治選手の思いがけない敗退などがあって、内柴正人の金メダル以外は惨敗という男子柔道だった。そのもやもやをぬぐい去ったのが21歳の若き新ヒーロー。 新聞の中身は……。 あこがれていた小川直也選手のワザを学ぼうと、明治大学へ押しかけた、というだけのもの。 これが<ストーカー>などという言葉で汚していいのか。 このような下品な記事を書くのは、尊敬する先輩を持ったこともなければ向上心も持っていないヤカラのなせるワザ。 下品である、愚劣である、無礼である。 時の人の威光に寄りかかって一儲けしようという「虎の威を借りる狐」の下司根性。 小川選手に謝りなさい。石井選手に土下座しなさい。お二人に「お詫び社告」を掲載しなさい。小なりといえども、文字を使って世間を渡っている会社。 つまり、社会の木鐸、という言葉を思い出して心から反省しなさい。
2008.08.23
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完全に裏をかかれた!! 鼻歌交じりにTVの前に陣取った。金メダル一個追加、とばかり。 あっという間に負けた。100キロ級の鈴木桂治選手。その鈴木桂治選手に勝ったモンゴルの選手が勝ち進み(優勝)、鈴木選手は敗者復活戦に回った。が、そこでも初戦敗退。 目を疑った。 信じられなかった。 まさかまさかまさか。mさかまさk。 鈴木は引退をほのめかしているが……。 ぶったまげた、ショックだった、この衝撃からどうやって抜け出したらいいのだろう、とそのときは本気にそう思った。 ライブドアニュースその他に意見があった。それらを読んだ上で、考えをまとめてみたくなった。 無名でももっと強い選手がいるはず、だとか、「金を取れる」選手を選んだのが悪い、とかの意見もあった。その意見の中身は、谷亮子を差しているのでもあろう。国内選考会では優勝を逃している……。これまでの実績と体験から選ばれた……。 では鈴木は? こちらは選考会を勝ち抜いている。 ジャケットレスリングとも呼ばれている、ともニュースには書いてあった(投稿の中には「ヨーロッパに住んでいるが、そのような呼び方は聞いたことがない、という見解もあった。 どちらがただしいのだろう? なるほど、とも思った。突っ張り合い、どつきあって、互いの柔道着を持って組もうとはしない、これでは柔道着はいらないではないか、とも思った。柔道着を着たレスリング。 殴り合い、蹴飛ばし合い、噛みつき合い――をしないだけだ、いっそのこと、それを取り入れたらどうだ……とさえ思った。 戦国の殺気の残る柔術はそれに近かった。ほとんど殺し合いだった。それを「柔道」に変えたのが現在の柔道のそもそもの始まり、と言われている。 世界柔道連盟には日本人の役員はゼロ。しかもその本部は韓国にある、という。 礼を重んじ、相手をたたえる、という「美」の崩壊かもしれない。 ではいっそのこと、柔道を柔術に戻したら良いのでは、とさえ思いたくなる。 耳に噛みついても良いのだ、玉を蹴飛ばしても良いのだ、目玉に指を入れても良いのだ、ベロをかみ切っても良いのだ……。それが、戦国の気風の残った<殺すか殺されるか>の柔術だった。 それではならぬ、と柔術諸派を集大成して近代柔道を興した。それが講道館柔道、と呼ばれている。始祖、嘉納治五郎。ニッポンにおける初代IOC委員。 グジグジと考えていた重苦しい雰囲気がひとまずは和らいだ。 100キロ超級で21歳の石井慧が勝った!! ニッポン柔道!!! 勝利の後のインタビューでの発言は、まだまだ幼かったが。 枠にとらわれない奔放な19歳がいた。 だが、単純に喜んではいられなかった。終了直前まで「勝ち」を手にしたままなのに、あっという間に「一本」で逆転されてしまった塚田真希選手。銀は、それそれは尊い。だが、ココロはしめったままだった。涙もこぼれなかった。 相手の中国選手、何度、帯がゆるんだことか、何度、結びなおしたことか。あれはスタミナ温存の裏手だ。ユルオビだ、新語だ。 汚い、きたない、キタナイ。 無礼だ無礼だ。 嘉納師範は、これをもっとも嫌った。ああ、この言葉も今や、死語。 審判はどうしてもっと早く注意をしなかったのだ。審判のレベルも低下。 判定に不服で、表彰台には上がったが、銅メダルを床において去っていったスェーデンの選手もいた。メダルは剥奪され、記録は抹消された。 バベルの塔を出てバブルの谷底を歩いた灰色の<柔道着>の関係者たち運営者たち威信維持者たち。 柔道には直接の関係はないが、いろいろな<演出>が話題になっている北京五輪。 開会式で口パクで歌った少女、提出した計画も、共産党上層部の意見で大幅に変更させられた演出家、その他いくつも浮上している。 中でも、あっ、やった、と思わせられたのが、「民族団結」の<演出>。開会式で「中国の56民族を代表する」と紹介された56人の子どもの多くが、少数民族の衣装を着せられただけの漢民族、などなどのニュース。 嘉納治五郎師範(1860~1938)よ、古代オリンピックの復興を提唱し、1896年に第一回大会(アテネ)を開催したピエール ド クーベルタン男爵(1863~1937)よ。 その祖国フランス、日本の三倍の柔道人口を持つフランスも惨憺たる結果だった。 と言うことは……。組み合ってワザを競う、という柔道の崩壊? 投稿している人たちの声の中には、本当に様々な意見があった。 もちろん、下品な意見も文章も。 これは、果たして「柔道」と「judo」の争い、とだけ見ていていいのだろうか。ルールの問題、体力・腕力の問題、を遙かに超えているのではないか。死闘の中にも、相手への尊崇の念がある、ただ勝つのではなく、勝った姿も大事、と嘉納師範の考えに戻っていく……!?!? だが、それで勝てなくなった?? と思いはぐるぐると回る。 鈴木は、ただ弱かった、ということ? 塚田は詰めが甘かった、まだ未熟だった、ということ? 「勝てる」と期待しすぎた反動で日本人がこの自分が泣いている、ということ? 勝つ者は勝つ、ということを直視したくないだけのこと?「弱い柔道」を「強い日本の国技の柔道」として復活させるには、外国人のコーチを呼ぶべきだ、他のスポーツと同じように、などの指摘もささやかれている。 他のスポーツと同じように? 柔道が? 日本の柔道が? 突飛すぎるが、ふと思った。原爆やマンモス軍備の恐怖にさらされている地球人、ジェット戦闘機が飛ぶたびに空気が減っている現代、武器に頼らないで肉体で戦うとはどういうことか、いやいや、そもそもなぜ殺し合いはなくならないのか、血はいつまで無駄に流されるのか、軍備の拡張はどこまで続くのか、生き延びるとは何か、人類はいつまでここにいられるのか、を問われているのではないだろうか、ボタンを押すのも、ヒトがやるのだ、その一個一個の能力はどうか、を問われているのだ、と。 柔道二段 敗者復活戦の畳の上で
2008.08.20
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お久しぶりであります。 昔、手のひらが真っ黄色になってしまって、ぴたっとサケをやめた一年間、それ以来の長期休暇にも似ていたような……。 ずーっとずぅーっと考え悩んで来たのだが、ふと気がついた、気持ちが落ち着いた。読んでくださる方々がいる、待っていてくださる連携者がいる……、言葉だけでは十分ではない、文字だ文字だ、もうしばらくこの紙面(?)をお借りして、思うこと考えたこと感じたことを記述してみたい――と。 なくたって書かなくたって、誰も何も困りはしない。夏は暑く、政治は貧しく、交差点では人が入り乱れ、入り交じり、警察は容疑者を追いかけ、母親は甲高い声で幼子をしかり、バスはそれぞれの方向を目指す。海の水はすでに冷たく、季節は軸を秋へ移そうとし、夏休みも少なくなり、蝉は最後の声を競い、パソコンの画面は文字だらけ情報だらけ、押しつけだらけ。 五輪会場は数万の観客が絶叫と「加油」を繰り返し、巷には数パーセントのIT活用者・成功上昇者。 他は、無数のブログ。様々な意見、多様な感想・感想。 我もまた「その他大勢」の一としてまだわずかな見解を抱き、感想も湧く。多少の喜びも感動的な会話も大いなる悲しみも抑えようのない怒りも、ある。では素直に、しばらくは、指先をじっと見つめてみよう。
2008.08.19
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