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相思相愛の選手と球団もあったようだが、顔色のさえない選手もいた。 いずれにしろ、これからが勝負!! 賢しらなコーチの助言でつぶされないように!! 鉦や太鼓で入団して実績も残さずに消えて行った選手も大勢見てきた。 ギネス登録司会者のみのさんが「ドラフトなんかいらない」というようなことを言っていた、と思うが、聞き間違いだろうな。どこかの新聞社のドンの言い方に、みのさんが似ているはずナイよな。 一部の金持ち球団が金の力で選手をごっそりとかき集めて、そして勝ってばかりいたって、面白くも何ともない。そのチームの応援団はそれで良いのだろうが。 あれは、ただ勝った負けたの世界ではない。選手の個人技やら、その場その場でのプレイのうまさ・美しさを堪能させて欲しいスポーツなのだから。nnnん。 まあ、個人的な感想はいい、今は「解体新書」じゃなかった、「解題」つまり「書誌解題」について触れたいのだ。 まあ、ついでに、個人的あまりにも個人的な説明を披露すれば、書籍の戸籍簿、とでも言ったらいいかな。一冊の書物についての「情報のまとめ・要約」ですね。あるいは、「書物の解体・抄訳」。 それが使われる場所に寄っては、書評に近いものもある、エッセイかと間違えてしまうものさえある。 作成する人は、発表する場・使われる場によって、字数や形式を守るようにしたい。書物の<存在><正体>を「分析・解析」して利用者に紹介する、ということを眼目において……。 公共図書館などでは、作成者のコメントは歓迎しない傾向にあるようだ。 まず無理だろうが、司書の署名入りで「おすすめ度」などを付けられるようになったら、街の本屋さんがやっているような「革命」が起きるかも。 女と男が会って恋人同士に進展するかどうかの課程で、互いの好きな食べ物や本、映画や音楽、趣味や嗜好などについて情報を確かめ合う、また会うかどうか決める、あるいはもういい、と思う、その「書籍版」と言ったらいいかな。 ああ、恋。「うーん、そんなこと、いや。でもあなたになら。上からね、○○センチ、○○○センチ、○○センチよ。いやー恥ずかしいわ」などとカノジョに耳元でささやかれる……、というような「書物の情報漏らし・情報さらし」。 さっきはこれ以上のことを書いて、メモ帳に保存しないまま「ウィキペディア」を呼び出そうとしたら、記事がみんな消えてしまった。 当ブログの弱点の一つに挙げられるね、これは。 他のブログでは、このような場合、再度記入しようとすると「前の記事が残っています」というメッセージが出るものもある。 で、「ウィキペディア」には「書誌解題」は掲載されていなかった、ので、あります。 ごく一部の専門用語なのですねえ。図書館界には、このような一般的ではない用語が多い、という例かもしれない。 「解題」に取り組んでいる君、じっくりと取り組みなさいな。 ひょっとして、腕を磨いたその先に世界中の「本のまとめ・あらすじと山場」などという本を出せるような機会が待っているかもしれない。 賢い女は融通が利く。 逆を言えば、賢くない(もっと早く言えば、馬鹿)女は、杓子定規。kkk。 文章も書けない、メモは誤字だらけ、砂糖と醤油は離ればなれ、玉子はいつまでもパックに入ったまま。 さあて、雲が厚くなってきた。
2008.10.31
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穏やかな日が続いている。 やっぱり「気分」にも影響を受ける。「気配」にも影響を受ける。 ただし、外に出た場合、という限定があるようだ。家の中にいるだけでは、自然・天然の恩恵は受けられない。 天の廊下。 照ろうか。曇ろうか。降ろうか。 もっとあるか? 天からは離れてしまうけれど、……潜ろうか、戻ろうか、帰ろうか、探ろうか、走ろうか、あれ、「逃げる」と「る」なのに、逃げろうか、とはならない。あれ。 天を見上げよう。我ら、足下ばっかり見過ぎているんではないか。 そりゃ、大事なことではあるけれど。 木立のトンネルをくぐった。 伸びた雑草が切り取られた小川のほとりには、若草がいっぱい生えていた。 泳いでいる魚の影も楽しかった。流れてくる葉っぱも戯れているチョウチョも楽しかった。 敷いた金色のシートの上で横になった。 灰色の雲が切れ、青空が見えた。 青い!! 青い!!! こんなにも青かっただろうか!! くらくらとなった。 わずかな時間、わたしは旅に出ていた。 こちらに惹かれて、通りかかった何人かが小川をのぞき込んだ。 でも、そこじゃ、だめ。 眺め、見つめる場所というものがあるんだよ。【送料無料◆30%OFF】耐熱 お釜おこげちゃん
2008.10.30
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賑やかというか騒がしいというかごった混ぜというか……象を撫でながらメッセージを閉じて、鼻だ尻尾だ臍だ足だ耳だと言いつのっているような下界。 金をしこたま儲けたの、と目を細めたり、もう死ぬしかないと覚悟するくらいに損をこいたりして。 金だ銀だ鉛だ農薬だ阿片だ大麻だほーいのほい。 いとひても なほいとはしき 世なりけり 吉野の奥の秋の夕暮れ(藤原家衝朝臣) ああ嫌だイヤだ、と思ってもこうして生きているのだし、色々な考え・感性の人はいっぱい周りにいてはるのだし、あまつさえ、時には同じ屋根の下で面つきあわせて暮らさにゃならないことだってある。 山の奥へ逃げ込んでも海の底へもぐっても、それも気休め、いっとき逃れ。まあねえ、色づいた木々の葉がこころを慰めてはくれるが。 世の中を心高くもいとふかな富士のけぶりを身の思いにして(前大僧正慈円) 孤高を気取って「世の中は腐っちょる」などと構えてみたところで、何一つ変わるものでもありゃしない。 見渡せば、愚かなる者の愚かなる行いは、今日もまたニュースニュース、特報特報と溢れているわい。こちとら、秋風に揺れる灰色の煙のごとき存在。livedoor ニュースふーむ、このような見方もあるのだなあ。国内にだって、日本経済は大丈夫、と主張する「擁護論」「力説論」「自信論」などなどあるが、なんだか言い訳のような感じもしたりする。評者AもBもXもYも疑心暗鬼になっている。アイツが風邪ひきゃ、薬屋が儲かる。 もっと素直に、クニタミにもぴたっと分かるような説明が欲しいなあ。 なんだか、どのTVでも「ケンケンがくがく」の「百花繚乱」で、どれを聞いたらいいのか、「多岐亡羊」の我らクニタミ。 下を見るな、友よ。背筋を伸ばして、自分だけの能力を大事にしよう。やるべきことを見つめよう。おごり高ぶらずに。 眠いときは眠れ。 こころと肉体に栄養を。 自分でそう思わない限り、誰も手をさしのべてはくれない。天は不動にして臨機応変。 ために、三つも廊下を造ってくれている。 曇ろうか 照ろうか 降ろうか
2008.10.25
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やはり太陽が出るとありがたい。「好きな季節は?」とか「秋と春はどっちが好き?」などという質問がもっとも苦手だ。だから、雨の日がいや、とか、曇りは嫌い、などとは言わないが、やっぱり「太陽さんはありがたい」となる。 今日は出版社の社長と面談。電車は移動寝台車。 50本くらい送られてきた「○○文学賞 小説部門」応募作の中に、中学生の書いたものが9本あった。どれも他愛のない着想・発想を描写力のない文章で仕上げたものだが、リクツででっち上げたオトナの悪文や体験だけに寄りかかった<自慢史>よりは気分がよかった。 一つの附属中学からの応募が目立った。 指導する先生がいるのだろう。「と言うことは何か」をきちんと伝えて欲しい。 50枚! 彼ら彼女らには、少し枚数が多すぎるのではないか。無理に引き延ばしている感がなきにしもあらず、の印象。30枚でしっかり書くこと、をまず身につけてもらいたい。 おのおのがた。 気候の変化にご注意。 自己管理を大事に。 手洗い、うがいの徹底。 駅のトイレやデパートのトイレで長い間眺めてきた。気になる。手を洗わないで去ってゆくヤカラの多いこと多いこと。 通販限定ニンニク
2008.10.23
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昨日も今日も、原稿を読み続けた。朱を入れた。 朱入れなどしないですらすらと原稿を読みたい。 どうして文章がこんなに粗いのだろう。 くどい書き方。「腹が腹痛式」「頭が頭痛式」の書き方。 主語も多すぎる。 改行一字下げが出来ていない。「、」が多すぎる。「、」が必要なところに使われていない。 副詞が動詞から離れすぎている。形容詞が形容語から離れすぎている。 都合よく人が死ぬ。「滂沱のように涙が溢れた」のような奇妙な使い方。「ので」「から」「して」の多すぎる書き方。 これは、言い訳、説明調、報告調の文章になってしまう、と口を酸っぱくして言っているのに。 一応のお話は完結するが、それで? と問い返したくなるような全体の印象。 小林秀雄は言った。「テメエは大馬鹿ヤローだ」と。 愛のムチだった。宇野浩二に、坂口安吾に。 コチラは、添削寺子屋の亭主。そんなことはとても口に出来ないが……。「富士山の三倍四倍の生原稿に朱を入れてきて」などと日頃口にしているが、いえなに、「白髪三千丈」に比ぶれば、謙虚なもの。 書く人は消えない。こちらも力を蓄える。 三島由紀夫を繙いた。永井荷風を読んだ。畑山博を手にした。原田宗典を開いた。 引き締まっている。その世界へ引き込まれる。 なぜ、この違いが出てくるのだろう。 くりえい社小説用原稿用紙 新書版用満寿屋丹羽文雄氏の要望により1940年(昭和15年)から原稿用紙を作り続けています罫や紙質の試作をくりかえし要望に応え、たくさんの作家が「満寿屋」ファンとなりました【文学賞をとれる】」という神話を生んだ満寿屋の原稿用紙 38通常定価より10%OFF!コクヨ 原稿用紙 B4 特判 縦書き 20×20 罫色茶 50枚入り ケ-60 10セット【御名前入】満寿屋 No.103 クリーム紙 B5判 200字100枚袋入 ルビあり セピア (60冊)
2008.10.21
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先の記述の中に「オリオン座」とあったのは洒落ではありませんでした。「オペラ座」と書くべきところ、短縮登録してあった「お」の中には「オペラ座」が入っていなかった、いう次第でありました。 謹んで訂正お詫びいたします。 お詫び申し上げます、と書きたいところ、新聞社の文字づかいを真似て「お詫びいたします」。 思い起こせば、テレビカメラの前で頭を下げる御方たちの姿をいっぱいいっぱい目にしましたねえ。mmm。
2008.10.18
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「ページでエラーが発生しました」 まただ。 時間がかかる上に、やっと「日記を書く」用意ができたと思えば、このありさま。 気難しいなあ。 面倒だなあ。 そして、このまま「送信」をクリックしてみるが、今度は「internet explorerではこのページを表示できません」となる、のか。
2008.10.18
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一日一食のときも多々あるわが日々。この食生活も、食い物がなくなる日が来る、という危機に対処しようという準備運動か。 エジプトでソマリアでベネズエラでスーダンで食糧難に苦しむ人々を思えば、食べられるだけ幸福だ。 世界中の投機筋が引き起こしたマネーゲームの果て。金、なんぼ。金、なんぼ。カネ、ナンボ。 母の胸で、世界中の赤ちゃんよ、温もっているか、餓えていないか、泣き声さえ失っていないか。 今日もいい天気らしい。 上野恩賜公園の噴水近くで知り合ったきゅうちゃんよ、胸に人形を抱えていた。船橋の鳩広場で語り合ったきゅうちゃんよ、蛤をありがとう。。 寒さの日はどうしているか。雨の日はいかがしているか。風の日はどこで何をしているか。 こちらにとって、彼らは、ただのホームレスではない、ただの青空テントの住人ではない、そこら辺のデクノボーよりずっと大事な友だ、知己だ、仲間だ、話し相手だ。 こちらが二人でパンを食べていたのを見て「アイアイパン」と言った上野のきゅうちゃん。 麻布中学で阿部譲二や橋本龍太郎と同級生だ、と言った鳩広場のきゅうちゃん。 昨日も、鳩広場でコーヒーを飲みチョコレートを口にした。どこかで、きゅうちゃんが現れる、と期待しながら。寒くなった。立ち上がった。「あっ」と連れが言った。「サンシンだ」 駅へ向かう足を止めた。植え込み越しに音の方を見た。 少年のような面影を残した小柄な男が三味線を抱えて、どちらかと言えば幼い感じの音を出していた。ゆっくりと弦をはじいていた。「初心者かな」連れが言った。 次の瞬間、勢いのある音が鳴り出した。歌いだした。いい声だった。鳩広場が引き締まった。沖縄の歌。 16時過ぎの広場に男の声が広がった。 十数年前のこと。パリのオリオン座辺りの地下通路でギターを奏でる男がいた。いい音だった。巧みな指さばきだった。指。指。歩き回った疲れもあって、すぐ近くにしゃがみ込み、聞き惚れた。 暫くして立ち上がった。歩き出した。背後で「ベン!!」と弦が空を切った。思えば、こちらは、ゲイジュツをただで聞き逃げしたのだった。 今でも思い出す。 パリへ行って彼に会いたい。詫びたい。ご馳走したい。「召し上がれ。どうせこちらは一日一食の胃袋。芸術家よ、食べたい物を召し上がれ」 パリを思いながら、鳩広場をエスカレーターで下った。駅へ向かった。どこからかエレキの音。駅舎の屋根の下で若者が弦をはじいていた。「サンシンの方がずっといい」連れが言った。 自分の指。自分の声。
2008.10.17
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穏やかな日差し。カラスの声も穏やか。 パソコンのモーターがじーっと唸っているのが聞こえるほど。 神 空にしろしめし すべて世は こともなし とでも言うのか。 あるいはまた、日差しもあるが雲も多い空を見上げれば、「空に三つろうか(廊下)」のたとえもあったと思い出す。 降ろうか (どんな響きの廊下だろうか) 照ろうか (どんな仕掛けの廊下だろうか) 曇ろうか (どんな色の廊下だろうか) と天が考えている、と昔のヒトは洒落て言ったとさ。 世は騒がしい。騒がしすぎる。 この空のなんたる悠然さ。 チャイムが鳴った。出てみれば書籍の配達。パソコンから三日前に申し込んだ二冊の内の一冊が届いた。 二冊同時で良いじゃないか、とも思ったが、空を見よ、空だ、と天を仰ぐ。 その前に問題はもっとあった。○○県 4-24-18で届いた!!! 市も町も抜けている!!!! 県名だけが合っていて途中が抜けて番地だけで届いた!! 神もいる、天もある、ということか。
2008.10.15
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時々、はっとするような女性とすれ違うことがある。 着こなしも良い、着ているものも良質な感じ、何よりも表情が良い。 逆の場合が多いが。 姿勢が悪い、顔の色つやがよくない、全体の雰囲気が下品。 美しいヒトはさらに美しく。
2008.10.15
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北海道へ行きたい、と猛烈に思っている。何度も何度も。 大地が違う。 空気が違う。 光景が違う。 小樽にも会いたい人が二人いる。が何よりも札幌へ行きたい。 コヒヤマ ハクがいる。物書きの大男。カラオケ名手。 嫁にいけないのではないか、と心配していた娘が、35で嫁いだ。相手は日本人だが、ロンドンに勤務しているらしい。 結婚式はロンドンの教会で挙げた。 ここまではまあまあの話。 そこでコヒヤマも「式」を挙げたのだ。娘の計らいだった。 彼は、駆け落ち同然の所帯を持ったまま、30年以上を生きてきた。だから、娘にも「結婚式に金を使うよりも、旅行をするか家庭のものを買え」と娘に言った。 恋女房は反対だった。「お願いだから、きちんと式を挙げて、きちんと写真を撮っておいて」 ケッコンシキの写真を持っていない彼女の切実な思いだったのだろう。 神父がコヒヤマ夫妻に誓わせた。 汝はこの女を…… 汝はこの男を…… 三十何年ぶりの「ケッコンシキ」!!!! 号泣している娘がかすんで見えた……。
2008.10.15
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もう10月も半ば。 時間時間。 今年は手帳、活用したかしら。 来年もまた買うことは買うのだが、さて。 時々、また犬を飼いたいなあ、なんて思っているこの頃。 文章教室の生徒さんからの投稿。「センセイがいつも、文学とは『生(性)と時間を書くことだ』とおっしゃっている、などということを考えていたら、ふと次のようなが出来ました」と。 好きな人と一緒にいると 時間はゆったりと流れ 一日はこころ豊かに終わり 好きでないヒトといると 時間はどんよりと濁って そしてどんと一日が終わる 好きな人と熱い時間を持った後 またすぐに逢いたい とこころ熱く ポッカポカ 好きでないヒトとすませた後は もう会うものかとヒエヒエ こころ汚れた自分を投げ出したくなる うん、人とヒト、逢うと会うなどを使い分けて、自分を見つめた感想だね、と小さな○を。
2008.10.14
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セイジカという種族の感覚・感性がますます理解できなくなっている。どんどん遠くなっていく。 その場その場の口先だけのショーバイに汲々としている、あるいは「一寸の虫にも五分のリクツ」みたいなコトバアソビに浸っている、としか受け取れないようなお芝居舞台。 コチラは「下賜」されている年金で、冷たい軽いと感じる100円200円を握りしめての足し算引き算でイノチをつないでいる。帳簿上の数字だけの「何兆」という毎日とは違う。 向こうさんは「イキル」ということについて特別な法則で守られてでもいるような冷血さ・鈍感さが露出している「選良」の昨今。 国会中継をみても、それぞれがそれぞれの持論に固執・展開しているだけのようで、センセイの注意を無視して勝手に騒いでいる幼稚園児・象さん組の集まりのよう。いや、鼠さん組か。 人生、すりあわせが難しい。解釈は無限。言葉は不全。感性はばらばら、考えは多様。 が、それにしてもまあ、「絶対」「理想」「目標」を見失った中でのおはしゃぎのよう。言い訳、言いつのり、理屈付け、こじつけ、言い逃れ、語義へりくつ解釈。 国会とは、現代版バベルの塔、か。バラバラの言葉・言語の地球がそもそもバベルの塔か。 権力の美味、を一度は味わってみたい、などとも夢想・妄想するが、いや、絶対お断り。生きている赤い血を身体に感じて呼吸を続けていきたいから。 そろそろこの辺で、考え方・物の見方の違う角度からクニタミを見る集団に一度託してみたい。クニタミのヒトリとして。 少し味付けの違う朝飯、夕飯を口にしたくなった。お米はお米、味噌は味噌、ではあろうが。 ふと考える。「託す」とは何か。「託す」ことを頼みにしなければ生きることは許されないのか。 国家とは何か。制度とは何か。組織とは何か。「自分」は「自分」で生きていけないか。「自分勝手」とは違う「自分」という存在を柱にして。農協の売店で買ったお団子やおにぎりを、雑草の生い茂った小川のほとりで口に運びながら、空を眺めバッタを見つめ雲の流れを追いかけるそんな生き方を織り込みながら。
2008.10.09
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日本女子柔道は世界柔道団体選手権で優勝したが、北京オリンピックの結果にも落胆した男子柔道は今回もまた惨敗。 歯がゆかった。いらいらした。 なぜ、石井選手を出さなかったのだろう。 惨敗続きの中で、彼の優勝が胸のつかえを取り除いてくれた。今度も!? 斉藤監督は石井を嫌っている?? 二人はうまくいっていない? 自分の好みで選手を起用している? 出場させればまた「何か発言する」ということを怖れた? 棟田も偉大な選手だが、棟田は研究され尽くして裸の王様になってしまっているのでは? 嘉納師範が求めて以来の「求道者」ももちろん大事だが、世界の柔道はもっとになっている今、日本柔道の「理想的戦略」は時代遅れ? もう一度。 斉藤監督はなぜ石井選手を戦わせなかった???? 準備不足と股関節故障、という「原因」「理由」があったようだが。 三位決定戦にも敗れた日本男子柔道は、監督の責任ではないのか。 とここまでは素朴に考えていた。 衝撃が走った。深夜のニュースが伝えた、石井選手がプロ格闘技へ転向、と。 噂はあった。「北京五輪で金メダルを取ったらプロ格闘家になりたい」とも口にしていたらしい。 うーむ、腕を突っ張って組ませない(この件については、世界柔道連盟でもだいぶ話題になっているようだが)外国選手を相手にこれからの日本柔道を背負っていく、と期待大であったが、本気だったのだ。 彼が尊敬してやまない小川直也(1992年バルセロナ五輪銀メダル。石井の金メダルは、すでに小川道場の壁に掛かっているとか)も、そして吉田秀彦(同、金メダル)も柔道の世界で苦労し貢献してから格闘家になった。 モハメッド・アリと同じように、メダルを川に捨てる、と言ってはいた。が、社会的な差別と闘ったアリの悲しみや怒りは、石井選手には十分に理解出来ていないのではないか。 石井選手が格闘技の世界を選ぶにしても、世界相手にもっともっと闘ってから、と思っていたのに、日本柔道を輝かしてくれると思っていたのに、想像もしていなかった「朽ち木倒し」(両足を抱えて倒そうというようなワザを日本選手はあまりやらない)で負けたような気分のまま、衝撃を抱えている。 まあ、格闘技も世界相手、ということではあるが。 本人の進む道は本人が決める……全柔連も慰留はしなかったようだ。 もてあましていたのか。うーむ、寂しい、悲しい、切ない、辛い。柔道では、名を挙げられない金にならない目立たない、と言うことではないのだろうが、彼の「商品価値」に目をつけた格闘界の戦略が若者の心を動かしたのか。 ショーほど素敵なものはない?? 21歳の若者にとって柔道は魅力がない、のか。礼に始まり礼に終わる「求道者」精神が重荷なのか。勝てばいいというジュードーに負けたのか。ジンカクシャであれ、と言われすぎたのか。 彼の発言には、お歴々が眉をひそめていたらしい。小生は、柔道家としては奔放な発言が面白い、これまでにはなかった型、と肩を持っていたのではあるが(ちなみに、朝青龍も好きだ)。 鈴木桂治選手はロンドンを目指すらしい。そう、出て欲しい。彼も強かった! しかし、4年も先のこと。若い石井選手の力が必要だった……と衝撃を抱えたまま、48時間以上が過ぎた。 世界の経済戦線の乱れ、「アメリカ経済主義」の終焉、世界同時不況、とかの見出しも躍る。 なぜ解散をして民意を問わないのか、という識者の嘆きも怒りもある。 哺乳類の四分の一が絶滅の危機に瀕している、100年後にはアイスランドの氷がすべて溶けてしまう、らしい。 おお、孵化したばかりの子亀の四肢がない、変形している……などの新聞記事も目に飛び込んだ。子亀たちはどうやって生き延びるのだ。 経済混濁、温暖化、砂漠化、国境・宗教紛争。 一人の柔道家の動向を嘆いている時間帯ではない、のだろうか。 敗者復活戦に回った古畳の上の柔道二段。 心静かに。
2008.10.07
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