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「馬鹿な」男に長い間付き合ってくれてありがとう。 そろそろ、狸御殿の猿芝居を止めにしないか。 F子様。あなたは夫婦……って言葉が大好きだね。これまでも何度か、わし、「別れよう」と言った。すると「子供たちを呼んで話し合いましょ」 わしは、iu,女と男のhanashi da to. pasokonngakowaremasita. kokode kirimasu. washi mo sukosi tukareta. asuha 4jioki. satuei. nennkinnmo nanimo zennbu yaru.washiwo jiyuuni sitekure.
2010.02.28
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いやー、参るよなあ、家へ帰っても飯はねえ、ポットのお湯も冷めている、おらあよう、ストーブをつけた。 そしたらよお、石油がねえじゃねえか。鼻水すすりながら給油してよ、少し股火鉢やってから釜を開けたら飯がねえ。 参ったねえ、おらの女にゃよお。 そんなに女のこと、喋れるほど女を知らねえからよ、たいそうなこと言えねけど、まあ、うちのは学習能力がねえなあ。 台所の蛍光灯はつけておけってんだ。それで泥棒が避けていくんだ、安いもんじゃねえか。 なのによ、おらがちょっと帰(けえ)るのが遅えと、家中の電気消してお休みになってしまうんだ。 籍入れるまではよお、可愛かった時もあったさ。だどもよ、籍入れたとたんに、おらへの監視の目が光り始めてよ、「どこで、だれと、何してた」ってよ、急に検察庁になってしまうんだ。 くそったれ、男が敷居をまたげば7人の敵だぞ、少なめに見ても。 多けりゃ、70人の敵だぞよ。 ぬくぬくと、ってわけじゃねえだろうが、こっちはそっちが一日何やってたかなんて、気になんかなんねえ。 蛍光灯の女め、蛍光灯くらいつけとけってんだ。たいした電気代じゃねんだから。 あたしゃ、あんたの女房です、なんてこれから言わせねえぞ。女房の前に「女」って誇って見ろや。
2010.02.17
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そりゃ、昼飯くらいになると、固くなっている。 その固さがまた旨かった。 本当の餅米で、大の大人が懸命に搗いた、そのお餅の旨いこと。適度の固さが、いやー、旨かった。
2010.02.17
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小樽の女流作家からひさしぶりの電話が入った。 りんと鳴った。二階の家人が受けた。 かなり時間が経った。「はい」と子機を持って階段を下りてきた。「ご無沙汰しております。よいご報告がなかなか出来なくて申し訳ありません」 色々喋っただろう後に、また同じことを繰り返すのは大変だろうなあと相手を思いやった。 彼女の話は長かった。「立松和平さんが亡くなってお力を落としているのではないか、と少し心配で……」 S新人賞を取って10年くらい、鳴かず飛ばずでいた彼や北方謙三の原稿に朱をいっぱい入れたこともあった。 昔のことだ、大昔のこと。 心配ご無用。 死者をいっぱい送って、こころはどこか乾いてしまっている。 中上健次、奥野健男、吉行淳之介、安部公房、埴谷雄高、小川国夫、畑山博、森瑤子……。 片岡、能登谷、竹内、弟、父……。 月は沈み、陽は昇る。 ここにいる自分。 小川のほとりで語り合う相手もいる。 「離婚することになって……。先ほどは奥様には申し上げませんでしたが。 家はもらいましたが、単行本、文庫本合わせて300万円くらいしかない年収、健康保険が……。癌が見つかったのですが……」「ラジオ、新聞、テレビ、なんでも仕事やります」「今度、トルコに行くことになりました」 一昨年、彼女の作品がある劇団で上演された。文部科学省の芸術祭新人賞をもらった。それが今度、トルコで上演されることになった、と言うのだ。劇団から、先生もご一緒に、と誘われたらしい。 いい話ではないか、と思った。だが、彼女が話したいことは別にあった。「ゲラにまでなったあたしの連載原稿が掲載中止になってしまって。Sさんが50~60枚も長く書いてしまって、それであたしがはじき出されて……」 なんであたしが、なんであたしの原稿が……。 彼女は半泣きになった。「連載の最終章なんです。それで単行本になる予定がずれてしまうんです。8月9月に出ても、直木賞には引っかかりにくい」「直木賞を取った佐々木Jさんの本を読んだけれど、いっこうに面白くない」「あたしの作品が劣っているとは思えない」「Mさん(当方のこと)から教えて頂いたこと、箇条書きにして、パソコンの近くに貼ってあるんです。『、』一つの大事なこと、今も守って」 Sなんか追い越してやる、二度とこんな屈辱を味わいたくない、運も味方になっていない、暫く書けなかった……。 彼女は笑った。泣いた。 泣き笑いが静まった。「絶対いいご報告をしますから、お元気でいてくださいね。その時はハグしてくださいね、奥様もハグしてくださるでしょうね」 ほとんど口を挟むことはなかった。 受け皿のM。「安井賞を絶対とる」と言っていたNさん、元気で描いているか。 重苦しいお天気。 陽よ、昇れ。http://community.station50.biglobe.ne.jp/campaign/index-af2.php?ref=1200
2010.02.16
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こちらから「行こう」と思ったことと、呼ばれて「出かけた」ことの違い、が「エネルギー」にもろに現れた夜。 昨夜は、8時20分頃に店に入った。迎えに出たママに「遅い、センセ」と言われ、盛り上がっている客からも「遅い」と声が上がった。 店の中は酔客でいっぱいだった。小雨の降る寒さは吹っ飛んだ。 わずかに残った椅子の一つに座った。「さっきまでホリさんがいた席」と誰かが怒鳴った。「ずっと待ってたんだよ」と追い打ちがかかった。 9時頃から帰る客が動き始めた。タクシーを呼んだ客もいた。 適当に話を合わせたり、カラオケに合いの手を入れたりしていた。 ギアチェンジが今ひとつうまくいかない感じだった。「歌が出ないよ」「静かだね」「一人なのに仙人(千人)なみとはこれ如何に」になどの声が襲った。 昼間、パソコンで「風の盆」(中西礼 作詞・作曲 昭和60年代)をメロディーだけで数回聞いた。歌えると思った。歌ってみた。 まったくだめだった。 お湯割りの焼酎を一人で飲んだ。 酔いの程度の違いもあったろうが、気分は盛り上がらなかった。と言うか、書斎にいた時のままの案配だった。 出かけるのを止めようかとも思ったくらいだった(お店の3周年記念招待(会費1000円)ということを忘れていた)。 だが、6時半頃、食堂へ行った。軽く食べて行こう、と。『風と共に去りぬ』を家人が見ていた。後半を過ぎていた。終わりまで見てしまった。もう何回目だろう。 人を好きになるということは、なぜこんなに面倒なのだろう。それを伝え、表すのがなぜこれほどまでにむつかしいのだろう。「愛」というものは「わがまま」というものにどこかでつながっていることなのか。 自分へのわがまま、他人へのわがまま。「個体」の中でのわがまま。「集団生活」の中でのわがまま。 どこかで一線を画せるものなのか。 ギア・チェンジは、その人の置かれた状態・状況・環境の中で様々な要因を取捨選択しながら行われるものなのだろう。 1 あまり出かけたくなかった 2 直前に見た映画(あるいは様々な行動・会話などの後)の余韻の中にいた 3 饒舌な二人の客が残っていた 行動を起こすには、ホップ、ステップ、ジャンプという課程が必要なのかも知れないね。 カルチャースクールの教室へ出かけ、みんなと議論したり喋ったりしてから街をひと歩きし、電車に揺られて家へ向かい、地元の駅前のお店へ入る……。後は自分のリズムでジャンプするだけ。 こうして文字にすると長くなるけれど、人はみな、さっさっとこのような操作をしながら、自分のバネを盛り上げて進んでいるのかも知れない。 達人・宮川明のメッセージ。この記事は、愛と感謝の中でお金を稼ぐ方法、スモールビジネスで成功する方法、モチベーションをアップする方法などの情報を配信する無料マガジン「宮川明のサクセスボイス」によって提供されています。購読は→ http://www.miyagawaakira.org/
2010.02.12
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阿○羅というサイトからの情報がすさまじい。 現政権への攻撃と現政権を支えるエールと。 面白いことは面白い。 が、一日に何十通何百通もの記事を読んでいると、自分は「政治的にまったくの音痴だ」と思わざるをえなくなってしまった。 攻守ともに、かなりの専門家が書いているのであろう、と思われるデータの駆使、そして文章力。 一つの事実・言葉がこんなにも違う意味を持つのか、とそれぞれの陣営の表現。 ここの記事を読んだ後は、テレビも新聞ものんきなものだ、と思えてしまうくらいに激しい駆け引きの裏側。 普通の記事を書くのが怖くなってしまった。一種の思考停止状態だった。 そして、知らなければよかった、とさえ思える「HAARP」なる言葉と「ケム トレイル」なる表現。 どちらも、天才集団が全力で実行しているのであろうような「怪奇な実験」。 ここでは説明しないが、多少でも目に入った方は、調べてくだされ。 どうなってしまうのだろう、我々のイノチ。「一般的には『母親とは無条件に優しいもの』というイメージがある。そして常に完璧さが求められがちだ。しかし宮崎駿の提示する『母性』とはまるで海のごとく、時に優しく、時に荒々しい、気まぐれで得体の知れないものなのだ。『崖の上のポニョ』という作品の持つ不気味さとは、決して都市伝説的な『死の恐怖』ではない。むしろ我々が普通に抱いている『母親とは無条件に優しいもの』という前提条件が覆される不気味さなのだ。」(犬山秋彦 山口敏太郎事務所) ふと目に入った記事。 少しほっとする。あの「名作」をめぐっては、実に様々な解釈が出来る。「死の世界」を描いた、いや「生の世界」をたたえている、「地球の滅亡」を暗示している……。 こちらの問題なら、自分の言葉で考えることが出来る。宮崎監督と母との関係なども含めて。 我が教室のみなさんの作品に救われた。目の前が明るくなった。 題材の選び方もその描写も密度が高くなっている。金曜日、土曜日の教室共に。 一個一個のイノチを見つめて物語の中で考えている。 百人万人ひとくくりではない。「母」「女」「恋」などなどを個別の形で追求している。 検察と権力と宗教と政治家の怨念、などを書く人が現れてくるかもしれない。これまた題材は題材には違いないが。
2010.02.10
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