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全国の皆さん、添削朱ペン向上塾塾長であります。 物書きには、盆も正月もない、大昔から。職人にも。 今もねじり鉢巻きでうんうん唸ってキーボードを叩いている方々も多いのではないだろうか。 構想を練る。登場人物を考える。 まずは、登場人物に感謝しよう。 現れてきてくれたのだから、書き手のあなたのために。あなたの「思い」を読者に手渡すために。 少しのヒヤカシと尊敬の念を持って感謝を忘れないように。 毎月、応募前に送られてくるショートショートがある。それを添削して返送する……その原稿を読んだ。 悪くはない……だが、文章にやや問題がある。仕上げのキレが弱い。 で、朱が少し入った。 もの凄く変わった、というわけではない。 しかし、このような「添削」を積み重ねることによって、文章は読みやすくなり、全体の姿がしっかりとしてきて読者が付いてきてくれる。 朱色で添削した例をお見せできればいいのだが。残念。 原文「(中略) 十月のある日、壁に張り出されたイベントスケジュールのポスターを何気なく見てハッとした。学生時代の恋人の顔写真が載っていたからだ。 びっくりして思わず立ち止まった。写真の彼女は二十年の歳月が目尻にあらわれてはいたが、昔の印象そのままだった。翌週金曜日の夕方六時に開催されるトークショーに出演者するらしい。プロフィールによると、どうやら彼女は経営コンサルタントとして成功を収めているキャリアウーマンで、イベントでは経営についてのちょっとしたコツを話すそうだ。 私はそのトークショーを見てみたくなった。(この一行削る)」 当時、彼女は…… 翌週金曜日の夕方、私はイベント会場に行ってみ
2010.12.31
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もう一度、伏鱒二の『厄よけ詩集』。 なんだかスカされているような、そんなとぼけた味が溜まらない。 この心境を引き寄せれば、こちらの心も少しは軽くなるだろう。 掃除もしない、捜し物もしない、お飾りもお料理もしない……そんな晦日。 歳末閑居 ながい梯子を廂(ひさし)にかけ 拙者はのろのろと屋根にのぼる つめたいが棟瓦にまたがると こりゃ甚だ眺めがよい ところで今日は暮れの三十日 ままよ大胆いっぷくしていると 平野屋は霜どけの路を来て 今日も留守だねと帰って行く 拙者はのろのろと屋根から降り 梯子を部屋の窓にのせる これぞシーソーみたいな設備かな 子供を相手に拙者シーソーをする どこに行って来たと拙者は子供にきく 母ちゃんとそこを歩いて来たという 凍えるように寒かったかときけば 凍えるように寒かったという 太宰治が頼り切った井伏鱒二。丸い丸い顔をして『伊曽保物語』を載せた座卓に座っていた。 何かと黒い噂がつきまとう井伏。太宰との関係においても『黒い雨』執筆についても。 だが、本当のことは誰も知らぬ。 人間は、外側から何か判断などしてはならないのだ。「厄」とは災難だけではない、もとより。肉体的・精神的な変調でもある。 言ってみれば、「最近、調子が出ない(悪いではなく)」なども「厄」であろう。「気がかり」「心配事」「未練」「悔恨」「疑惑」「逡巡」などなど、心のわだかまりとなる事柄も「厄」の中に入る。 詩を書くことは、「風邪をひかないとおまじない」と書いている(下の「冬」という詩を参照)井伏。 もちろん彼一流のユーモアも含まれているのだが、小説に書かなかった、あるいは、書けなかった事柄などを詩にして、自分自身の精神的な鬱積である「厄」を解いていたのだろう。 さてさて「厄除け詩集」。この「厄除け」、読む者にとっても、なかなかの御利益をもたらしてくれそう。 冬 三日不言詩口含荊棘 昔の人が云うことに 詩を書けば風邪を引かぬ 南無帰命頂礼 詩を書けば風邪を引かぬ 僕はそれを妄信したい 洒落た詩でなくても結構だらう 書いては消し書いては消し 消したきりでもいいだらう 屑籠に棄ててもいいだらう どうせ棄てるもおまじなひだ 僕は老来いくつ詩を書いたことか 風邪で寝た数の方が多い筈だ 今年の寒さは格別だ 寒さが実力を持つてゐる 僕は風邪を引きたくない おまじなひには詩を書くことだ(筑摩書房版) 後記 これは以前に出した「厄よけ詩集」の改訂版である。もとの本にはずゐぶん誤植があった。今度それを直し、そのほか気になるものや消したいものは取除いた。消した穴埋めには、後に書いたものや思ひ出したものを付加へた。「厄よけ」は「厄除け」とした。私としては自分の厄除札の代りにしたいつもりである。 昭和五弐年六月 井伏鱒二 さ、こちらも「詩」を書くか、ショートショートを書くか。
2010.12.30
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心の傷noようなもno、身体の傷noようなもno。 やはり少しダメージが大きい。 人間の矜恃とはどこでどうやって保たれていくか。 あくまでの自分の問題なのだろうが、ああ、厄介だ厄介だ。 気力だけでどうにかなるか。 一人、暗闇である詩を思う。 早く人並みに新しい年を迎えられるよう。 祈る。 つくだ煮の小魚(井伏鱒二 『厄除け詩集』より) ある日 雨の晴れまに 竹の皮に包んだつくだ煮が 水たまりにこぼれ落ちた つくだ煮の小魚達は その一ぴき一ぴきを見てみれば 目を大きく見開いて 環(わ)になつて互にからみあつてゐる 鰭(ひれ)も尻尾も折れてゐない 顎の呼吸(こきふ)するところには 色つやさへある そして 水たまりの底に放たれたが あめ色の小魚達は 互に生きて返らなんだ 小魚たちのためにも、自分のためにも、「新しい年」を一人前に迎えたいと思う。「新しい」「古い」などは、ポチにもタマにもライギョにもカメにも縁のない概念であるが。
2010.12.30
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押し詰まってきましたね。人間だけの「暦」による師走。28日。 年が去るとか移るとか。 生きる証しを探って、「ことし」もじたばたどたばたしましたねえ。 どたばたじたばたしているからこそ、生きている、ということなのでしょう。 文章が書けるくらいには元気が戻りましたよ。長い長い風邪みたいな分手間がかかりやした。 パソコンの前にいる限りは、新年も旧年もないような。ま、テレビをつけ、新聞を開いたらどばっと「旧年」「新年」の騒ぎが迫ってくるのだろう。
2010.12.28
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昨日は荒れましたねえ。 出かけようと玄関を出ると、前の道路は川になっていて、二、三歩歩いただけで下駄は水没、足袋がびしょびしょ。 最悪のタイミングだった。 横殴りの雨、風。 バス停で立っていれば、疾走する車が水を跳ね飛ばす。 一時間電車に揺られて目的地に。なんと、雨は止んで太陽の光が。 お教室で、予備の足袋に履き替える。ほっと一息。 一仕事終えて表へ出てみれば、半袖の人さえ歩いている 夜間、テレビをつければ、まあ、無事でよかった、と思わずうなった。日本のあちらこちらで大きな被害が。 屋根が飛ばなくてよかった、と思わず感謝。 嵐のときは「ああ、嵐」、雪のときは「あ、雪」となんでも受け止めて騒がないようにしているのだが。 それにしても、12月の観測史上初めて、と言っていいくらいの異常気象。10度もあがったり下がったりなんて。 今日の太陽には、いつもにまして感動。
2010.12.04
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